映画『沈黙—サイレンス』を観ました。
映画『沈黙‐サイレンス‐』公式サイト
ネットをウロウロして、この映画を知りました。
これは観なくてはならない!と思い、慌てて時間を作って行ってきた。
遠藤周作原作。
1966年に書き下ろされた小説です。
遠藤周作はクリスチャンで、キリスト教をテーマにした文学作品を数多くのこしています。
...と、偉そうに書いたところで、わたし、遠藤周作の文学を文字で読んだことがないのです。
かなり昔に、音楽座ミュージカル『泣かないで』を観て、その原作が『わたしが・棄てた・女』と知り、遠藤周作の作風を知ったくらいです。
カトリックの作家といえば私が思い出すのはほかに矢代静一と三浦綾子。
それくらいです...不勉強です...。
私は典型的日本人な八百万の神の国の民でして、これといった信仰はないのですが、これらの作品から共通して感じるのは、自省し、改め、尽くし、遂げる生き様。
己の傲慢さとか、とりあえず自分を正当化しようと思考回路を自分に都合のいいように構築することの恥ずかしさ情けなさが、しばらく経ってからジリジリと刺さってきます。
この映画もそうです。
タイトルと、遠藤周作原作という他以外は事前情報なんにも入れずに観に行きました。
この役者さん、日本人じゃないかしら...これも...これも...浅野忠信...っぽい...キチジロー、これ誰だっけ、日本人でしょ...この大名、すごい俳優さん、誰だっけ...。
と、そのけなげな、その残虐さと優しさをあわせもった複雑さを、その一途さを、演じているこの人たちは...
日本人俳優のすごい名優がいっぱい出てたのね〜
うわぁ〜!!
と、見終わってから理解しました。
私はどれだけバカなのでしょうか。
それにしても、この日本人俳優1人をメインにするだけで映画1本作れそうな方々がこんなに出演しているのに、何故こんなに話題になっていないのでしょうか。
日本の神さまは、アマテラスはスサノオがあまりにも暴れるもんだから怒って岩戸にこもっちゃうし、こもっちゃったアマテラスを岩戸から出すべく裸踊りをしたのが芸能の神さま、アメノウズメ。
個性あり過ぎでしょ、日本神話の神さまたち!!
アマテラスが裸踊り作戦につられてなかったら、日本は存在してませんね。
裸踊り万歳(...違うか?)。
ギリシャ神話も、ゼウスはあっちこっちで子供産ませまくるし、なんかもうきりがないし私自身全然理解できてないので書きませんが個性あり過ぎ。
キリスト教の前後の流れの教えは、仏教と同じように、智を得た人間が真っすぐに正しく生きるための倫理観から始まっていると思うのですが、そこから解釈が変わっていろんな宗派になってるんだと思うんですね。
遠藤周作などの描く宗教観での人物たちは、聖書の教えやイエス、マリア、パライソなどへの尊敬、憧れのために自省をし、懺悔をし、お祈りをしているのかな。
そのために悩み、苦しみ、迫害され、けど救いを得て清き高みへ、パライソをめざして今生を遂げるのかな。
あまり私がつべこべ言うとボロが出るし嘘言ってるかもしれないのでこのくらいにしておきます。
多神教であれなんであれ、人間が望んでいるのは平安なのではないでしょうか。
その平安が今にあるのか、今の平安が見えてなくて、今をぶち壊した先にこそ自分のための平安があると思い込んで迷走してるのか。という違いなのかなあ。
これ、どうして日本で全然話題になってないの??
とても重いテーマだけど、娯楽映画じゃないけれど、もっと知ってほしいです。
拷問シーンが日本映画ではやらない壮絶さで、最後まで観るのにはそれなりに気合いと体力が必要でした。
キリシタン弾圧の時代のお話だけれど、日本でこういうことがあったんです。
本当にあったんです。
そしてこういうことは、現代でも繰り返されているのです。
時代は繰り返すと言いますが、繰り返すのではなく、先人の教えを忘れてしまうから、自分のことばかり考えて行動するようになり、ついには自滅しているのではないでしょうか。
高度に発展したとおもわれる古代文明がいくつも滅んでいるのは、そういうことなのではないでしょうか。
この映画は全人類に観てほしいです。
先ずはアメリカ人と日本人。
舞台は日本ですから、日本人が観ないなんて。
いけません。
拷問シーンが辛いから観ないという理由は分かりますが、オバケが怖いからホラー映画は観ないという理由とはわけが違います。
どうか、みなさま。
観てください。
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