2017/02/11

おもいでばなし。つづきの3。

四半世紀前の思い出話をしています。

中学校は、私もY君も公立中学校に進みました。
Y君の家はどうか知らないけど、私は中学受験の存在を6年生の3月まで知らなかったので、引越し以外で違う学校に行くお友達がいると気づいてませんでした。

私たちは団塊ジュニア世代なので、中学校のクラス数はmaxでした。
私たちの小学校からは、公立中学校に行く人は全員同じ中学校でした。
近隣小学校から半数と、別のところからは3分の1くらいかな。合流して、9クラスありました。
クラス替えは1年から2年になるときだけ。2年から3年はクラス替えはありませんでした。
私とY君は中学で同じクラスになることはありませんでした。
2年3年の時、隣のクラスになりました。

1年生の時。
お掃除の時間に割り振られるエリアはたしか1年間固定だったと思います。
クラスの半数は自分の教室内。
何人かは、理科室とか技工室とか他の教室。
単独行動させてもちゃんとやりそうな私のようなタイプは、ひとりでエリア担当させられていました。
1年生の時に私が担当させられたのは、体育館へ行く通路の一区画。
ひとりかよ!
あたしひとりかよ!
なんだよこれ!みんなは大勢で仲良くやってるのに!!
と、配分の理不尽さに無言でぶーたれていたら、校舎側の一区画を担当するのは、全然違うクラスのY君ひとりでした。
えええ〜!
4組と9組がなんで隣なの!
いいけどさ!

少し話は戻って。
私が小学生の頃は、卒業するときに「サイン帳」を集めるのが流行っていまして。
A6サイズより大きいくらいのバインダーに、写真を貼るところとか、自己紹介とか、メッセージを書くところがあってね、卒業前にクラスのみんなに配って書いてもらって、マイアルバムにするんです。
Y君はちっとも書いて返してくれなくて。
小学校卒業するまで「サイン帳書いたのちょうだい!」とずっと言っていたのですが、なんかもう虚しくなっちゃって。もらえてないのは私だけじゃなくて誰にも渡してないっぽかったし、中学生になっちゃって、お掃除が隣のエリアになったものの、いまだに「小学校の記念のサイン帳!何か書いて早く返して!」と言い続けるのもバカらしくなり、言いたいけど、言うのをやめました。
やっぱりY君はまだ子供だったのかなあ。
私がまた「サイン帳!」と言うのを待っていたような気配は少なからずありました。
小学生の延長をするのがバカらしくて、けど、シャイなんだか人見知りなんだか(今更...)ムッツリなんだか分かりませんが、Y君エリアの砂埃をこっちに吹っ飛ばしてきたり、あら、あっちはもう終わったんだ〜私も終わるよ〜と思って道具を片付けていたら、私エリアに砂埃と綿ぼこりの山がこんもりとできていたことがありました。
おい。
言ってやろうかとなんども思いましたが、この人は私がこう言うのをわかってやってるから、言っても無駄だし、教師の耳に入る大事にしてもとてつもなくくだらないので何も言いませんでした。
今思えば、言い方のバリエーションはあったんですけどね。
当時の私にはできないことです。

続きます。

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