ホルモン治療があるので乳腺外科は3ヶ月ごとの診察です。
形成外科は半年ぶりです。
これから手術することの確認もあるでしょうに、わたし平日がオフな人だから良いのに。だけどありがたいことです。
それを聞いてみました。
しもやけに見える状態らしいです。痛くも痒くもないんですけどね。
先日、ホキ美術館に行ってきました。
アクセスのよろしくないところに、写実画に特化した美術館があるとは聞いていて、うちからそう遠くはないのですがわざわざ写実画ばっかり見るの?と思ったり。
で、妹と着物を着て出かける口実にして行ってきました。
どーん。
乳がんは肋骨の外側の手術ですのでたぶん内臓を手術する方よりシンプルな痛みだと思うし(酒に強い人は痛み止めが効きにくいらしく、結構痛かったけどトラムセットが私には丁度良く効いた。部分摘出の方や再建しない方はこんなに痛いことはないらしいです。)都合よく態度変える親を、もし面会に来てたら、入院中は右腕あんまり動かないし他の四肢もヨロヨロだったので殴る蹴るはできなかったかもしれませんが、うっかりしたら点滴台、それもなかったら取り外しできるベッドの柵を武器にして殴り倒してたと思います。
母が、私の抗がん剤中に腎臓がんが見つかって、急遽ダヴィンチで部分摘出して、片方の副腎も取りました。
母はかつて「私は誰にも大切にしてもらえないから検査なんかしないでさっさと死ぬの!私にかまわないで!私なんか死んでもあんたたちには関係ない!!」と言ってたんですけど、まあ、父が検査にやっとこさ連行して発覚したんですけど、はぁー、見つかったら父におんぶに抱っこで手術頑張りましたね〜。なんなの?やっぱりこの人ボケてんだろな。
で、その母の腎臓の反対側にもがんができて、来月手術だそうです。
父情報。
なんかもうさあ。
「おかあさん、死んじゃイヤ!絶対大丈夫だから!頑張ろうね!!」
って娘じゃないんですよわたし。
「さっさと死ぬ言うとったやないの、頑張るんだ。へー。さっさと死なないんだ。へー。」
と、言いたいんです。
自分で思って嘲笑っちゃうのが、とても罪なことですが、さっさとしんじゃったらわたしどうなっちゃうかしら、怨念から解放されてしばらく社会的に使い物にならないレベルに狂うかしら、それとも怨念をぶつける場所がなくなって、やっぱり狂うかしら。
ってことです。
親に育てられたのは十数年。あとは自分の責任で30年生きてきたのに、いまだに親から受けた虐待を憎むんだなあって。どんなに自分で頑張っても、幼少時に傷つけられた心は回復することなんかないんだなって。わたしはただ、何故か、グレなかっただけ。社会に対して誠実でいたいという気持ちはあった。ただそれだけ。とかいって割と攻撃的なので、嫌いな人はこてんぱんにしてきた。鈍感なのでいつのまにか傷つけてた。もしかしたら八方美人の毛がある。だけど嫌いな人はぶっ潰す。それは八方美人ではないのでは…。
台湾ラーメンを食べました。
1人で外食できるようになるまで、ファストフード店だけの期間が相当長く。入りやすそうな九州ラーメン屋からだったかなあ。あ、1人でロンドン旅行とか行って、ひとりでパブランチなりなんなりしないと飢えるから突入したのが先だったかな。
酒飲みですがあまり一人居酒屋はしません。あんまり食べないけどたくさん飲める人なので、引き際が辛くて。けど最近それもぶち破ってきた。
そんな私には母「なんでそんなに1人でどこでも行けるの?お母さん知らないとこに行くのイヤ〜」と言います。1人でも2人でも、知らないところに突入するには思い切りが肝心ですが、行ってみて楽しかったらラッキーだし、なんか違ったらさっさと帰ればいいただそれだけのことですが、母は、ハズレだった時に取り返しがつかないと思ってるようです。
なんつーか、専業主婦だからこうなったってカテゴライズは当てはまらないと思うんですよね。性格の問題だと思うのですが、私の幼少期に散々社会にほっぽり投げてきたくせに自分主体になるとなにオドオドしてんのバカじゃないの社会的引きこもり脛かじりの年金泥棒。って言いたくなりますわ。
ああ、今日は毒が止まらない。
と、たかをくくって仕事先に向かう時、うち地域ではさらさらとした雨でした。
その日の仕事先は直線距離でうちから20kmくらい北上するエリア。
割と近いんだけど乗り換えが細々してて、黙々と移動していたら、目的地は積雪していました。
うっそー
どうしよう。路面凍結で私が歩けなくなるのも困るけど、電車が止まっても困る。翌日のリスクを減らすために宿泊取るか?
と、仕事先近くの宿を確認したら、微妙に遠いか、宿泊費がギャラより高い。
むーりー。
どうしよう。とかなり悩んでましたが、お昼には雨になって、うちエリアでは既に道路は乾いてました。
よかった〜。
不要不急の外出は避けろってね、お客様の立場では考慮の対象になるのでしょうけども、イベント主催してる側はね、よっぽどでないと中止はしませんし(コロナ禍での中止乱立は置いといて)、中止するとしても関係者は中止決定するまでは出勤するのですよ。
リハと本番で2日間。
ラーメン食べたいその一心で頑張りました。
揚州商人の担々麺!!
酸辣湯麺もまた食べたかったんだけど、この店では激辛以外制覇したい心があってさー。
多分ずっと細麺しか食べない気がするんだけどさー。
来月あっち方面に2回行くから、ワンタン麺食べたいし麻婆茄子麺も食べたい。暑くなる前にいろいろ食べたい。
私はチケット獲得に頑張っちゃうんでしょうか。円盤で済ますんでしょうか(2.5次元ものって円盤出るの?)舞台『吸血鬼すぐ死ぬ』
出演者には特に興味ないんだけど(ごめんなさい)スナァ〜とかジョンとかどうするのか気になる…
どうしよう…
海藻とか湯葉とかネギとかは入ってるんだけど、おでんの種が入ってるわけではなく。
麺は細めのちぢれ麺で私もなんとか食べられましたが大ボスが、「人生最大に麺が不味い!」と嘆いていました。違うメンバーは麺が美味しいと言ってました。私は、麺は美味しくないけどこの形状の麺じゃなかったら絶対二口以上食べられなかったと思います。胃に押し込みました。スープ完飲は無理だったけど具は全部食べたよ!!
メニューに出汁割り酒というのがあって、食べる腹とお酒は別の何処かである私も飲みたくて注文したんですけど、全然来なくて、結果的にオーダー通ってなくて、麺が不味くてうんざりしてる大ボスが「帰る!」と言っておひらきになりました。
まあ明日本番だしな。
本番当日、ホテルの朝食をのんびり食べてる時間がない早朝に出発しないといけないので前夜にコンビニで買っておいたものを部屋で食べて、朝食会場でオレンジジュースだけ頂いて、この日の会場に向かいました。
子供向けの公演で、予算の都合もあり当日早朝に入らせていただき準備をして、子供たちの授業の一環として上演をします。
私は裏方の一番下っ端として行くんですけども、細々とした何がどこにあるのかとかは行ってみないとわからず。先方都合の段取りも直前にならないとわからないです。で、わかってこっちのボスに説明されても意味わからなかったりも…。まあいいやトランシーバーでキューが来たら良きに計らえばいいのだ。と開き直るようになりました。
この会場では私の居場所が、小窓から、観客である子供達の顔が見える場所にありました。
もともと演目自体のクオリティが高くて大人が見てもキャッキャしちゃうんですけども、ここの子供たちは、ものっすごい素直なまっすぐな反応で、大興奮で。それを見守っている教師の方々も子供達の興奮ぶりに爆笑しつつ、どーしよ。と頭を抱えていて私はそれにも爆笑していました。
出演者たちも、何だこのウケ具合は。とオヨオヨ笑ってて、観客の後ろから見てるオペレーターたちもかつてない状況に笑いっぱなしで大変だったそうです。
公演が終わり、機材やら道具やらを搬出している間に下校してゆく子供達が「あー!〇〇の人だー!」「こういうのこういうの!」「なんとかの人だー」(私は違います)「おげんきでー!!」などなど、たくさん声をかけてくれました。
私はこのシリーズで参加した前回は、ぶっちゃけ「僻地」と言えそうなところの会場で、生の舞台のエンタメとか見る機会がないんだろうなと思ってまして、今回の場所はちょっと行けば名古屋だから家庭環境によっては見にいく機会もあるんでないの?と思いました。
ですが、コロナ禍で3年ほど学校内の全員が一同に集まることも避けてきたような環境では、3年生までは全校で集まる経験も初めてで、4年生以上も久しぶりすぎてほぼ初めてみたいなもので、楽しくて仕方なかったらしいです。
それもあるし、やっぱりパフォーマンスが良いので、ほんとに楽しかったんだろうなと。
私は今年度の参加は終了です。来年度もあるらしいですがスケジュールが全然わからないのでテクニカルボスは年齢のこともあってもう引退するつもりだけど次のテクニカルボスがいなくて(私は技術的にボスは無理)候補はいるんだけどスケジュールが決まらないとどうにもならずで未定です。
結構大変な仕事なんですけど、あんなに喜んでくれたら嬉しいなあって。思います。
けど予算がかつかつな分、時間もカツカツなので美味しいもの食べたり観光したりする暇全然ないのよ〜。今回もお土産買う暇なかった〜。まあホテルに着いて夕飯食べに行く間に時間あったと言えばあったけど、ぐったりしてた〜。栗きんとん高いしさあ〜。