2015/02/25

メンタル#10…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

高校のときの精神状態は、本当に、無茶苦茶でした。

同級生達のほとんどは、はつらつとした健康的な家庭で、愛されて、大切にされて、情操教育をたっぷり受けて、すこやかに賢く美しく育ってきた子達がたくさんいました。
文武両道、部活動でも良い成績をおさめ、成績優秀。

私ときたら…

家に閉じ込められ、殴られ、罵詈雑言を浴び、養ってやってるんだから家賃を払えと言われ、じゃあバイトすると言うと「あんたみたいな恥さらしな子供を他所様に見せられない!」と罵倒され、お友達との外食外泊禁止、いきなり「死ね!」と叫んで部屋の中に突進してきて殴られ、「出ていけ!」と冬の寒空の夜中コートも着ないで家から押し出され(靴はなんとか蹴り出して確保)近くの公園の滑り台に座って、

「今日は隣の駅のお友達の家でお泊まり会やってるんだよな〜。呼ばれたけど親に許してもらえなかったの。家の恥を他所様の家に泊めさせるなんてできない。って。歩いてあそこまで行けるかなあ。途中の畑だらけのところ、どう歩けばあっち側に行けるのかなあ。お財布も何にも持ってないから電車に乗れないしなあ。どこかの交番に行って保護してもらおうかなあ。でも高校生だしなあ。カッコわるいなあ。それともこのまんま繁華街にいってブラブラして補導されちゃおっかなあ。でもその後きっと殴る蹴る死ねが激しくなるだけだなあ。」

と、本気で考えました。

1時間くらい寒さに耐えて、うんざりして家に戻ってみたら鍵が開いてました。
こっそり部屋に戻ってベッドに潜りました。

翌朝母が私の帰宅に気付いて

「どこに行ってたの?いくら待っても戻ってこないんだもの、心配したわよ。」

どの口が言うか。


本当に家にいるのが嫌で嫌で、勉強してても邪魔してくるし、母は専業主婦なんだから買い物くらい自分で行けばいいのにあれ買ってきて〜とかうるさいし、本気で拒否るとわーわー泣き、父も一緒になって私を責める。
ほんとに予習とかもっと根詰めてやらないと成績本気でやばいのに、なんでこの人たち邪魔するの〜!!ぎゃあああ。
と、もう、予習も復習も進まず理解も進まず、イライラは治まらず、無茶苦茶。
朝起きたら母が珍しく起きてきて、何か勝手に怒り狂ってる。
いつも通り勝手にお弁当詰めてたら、母の聖域の台所を私が使ってるのが気に食わないらしく更に怒り狂う。
「そんなに弁当作ってほしいならそれなりのことしろ!!」
と叫ばれるんだけど、全然意味が分からない。

とにかく台所から追い出されるので、詰めてる途中のお弁当箱を置いたまま、もう今日はコンビニで何か買おう。またお小遣いがなくなっちゃうなあ。
と支度を進めてると

「作ってやったぞ!文句あんのか!少しは感謝しろ!!」

と弁当箱を投げよこしてくる。

なんなの?
なんなのこのひと??

そんなお弁当食べたくないので、玄関に放置して学校に行きました。

帰宅すると
「お弁当持っていかなかったの?せっかく作ったのにぃ〜。」

なんだこいつ。

「私が自分で詰めてたのに横から入ってきて罵詈雑言叫びながら作った弁当なんか食べたくねえよ。」

と、言いました。
その後の母の反応は覚えていません。


のちに医師に言われたことですが、私が演劇とかそういった非現実の物語とかの中で生きたいと思ってそういう進路を選んだのは、耐え難い現実から逃避するため無意識のうちに逃げ込んだということかもしれない。そうです。
なるほどな〜。

演劇部は楽しかったです。
大会とかではブロック大会でさくっと敗退が毎回の結果でしたが、女子校というハンデもあり、顧問が指導するタイプの部活ではなく部員が自分たちで考えてあーでもないこーでもない。と、文化祭や新入生歓迎会などの校内発表会をメインに作っていました。
うちの高校には別にミュージカル部と英語劇部があったので、それらとは明確な違いが出るように注意していました。

私は全身刺だらけだったので、何かと口論になり、未だに友人達には「Namiと○○のバトルがすごかったよねえ〜。どっちも正論なんだけどさあ〜、どっちも譲らないのあれホント毎回今思えば面白いよねえ〜」と言われます。
お互い喧嘩してたつもりではないのですが…私の言葉が刺だらけだったのは認めます…

だって、刺でも生えさせなきゃ自分を守れなかったのですから。

続きます。



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2015/02/22

メンタル#9…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

高校に入ったら、私より優秀な人がドカドカたくさんいてびっくりしました。
まあ、合格の目安となる点数のギリギリだったので、あたりまえかぁ…。

それを自覚する以前に、授業の進み具合の容赦なさに唖然としました。
予習して、その日の授業内容を予め理解してから復習的に授業を受けるのが皆さん当たり前のようでした。
なんじゃこりゃ!!!

私は中学まで、ちょっとだけ勉強ができる方でしたが、ただなんとなく分かってただけでした。
勉強ができる子は、授業ではそれを悟らせず、どうにも授業が進まなくなった時に、塾とか英才教育を受けてる子が指されて答えるくらいでした。
それがまあ!
高校では、みんな前に出る出る!!
なんのこっちゃ?と思ってる間に授業は先に進む。
何の話してるのか分かんない。。。
分からないまま、授業が終わる…

成績も、実際、ほぼ最下位でした…ははは…
赤点とって追試受けても赤点でした。
特に理系。数学物理化学。
父が化学の専門家なので、この三つはできて当たり前とされていましたが、全く分からない。
何の話をしているのか全く分からない。
公式の意味が分からない。
だからなんなのか分からない。
何で分からないのと言われても何の話をしてるのか分からないので「何も分からない」しか言えないという…
わたし、ほんとに、よく卒業できたなあ…
地学と生物だけは教科書を読んだだけで理解できて、毎回ほぼ満点取れてたのですが、これは選択希望者が少なくて1年きりしか授業が受けられなかったのと、数学が分からないのでは理系に行きようがありませんでした。
なので、3年生になって進学希望先にあわせてクラスを選ぶときは、数学のない芸術系、短大・専門学校希望者向けのクラスを選びました。


完全に言訳ですが、その頃私は家で実のある勉強をする精神的余裕が皆無でした。

高校に入り、母から殴られるのは毎日になりました。
勉強のため、有意義なテレビ番組を録画して家で見ると必ず殴られました。
「教養としてこれは見ておくべきな番組なの!!」
なんて言葉は通じません。
母にとっては、濡れ場つきサスペンスドラマのほうが大事なのです。
というか、私が自由にテレビを使うのは許されないことだったのです。

学校の勉強は完全について行けなくなっても、せめて一般教養くらいついて行きたかったのですが、テレビという方法は、殴られるので無理になりました。
お友達と、興味深いとある番組の話題になり「録画してるの見たらまた話そうね!」と言っても、私は見ようとしたら殴られまして。

「…録画はしてあるんだけどね。見ようとすると殴られるの。」
「…え?えええ??なんで??」
「お母さんがテレビ見たいのに私が使ってると見れないから?みたい。」
「じゃあお母さんが見たい番組がない時に見ればいいんじゃないの??」
「そうしたんだけど、今お母さん見たい番組ないでしょ、だからビデオ見るねって言っても殴られるの。」
「…なんで…??」

わけがわかりませんでした。
妹や父は好きな時間に好きな番組を見ても絶対怒られないし、好きな時間にテレビゲームをしても全く怒られませんでしたが、私は何しても殴られました。


高校の部活に入るとき、いろいろ悩んで、演劇部に入りました。
ずっとのちに神経科に罹るようになり、主治医に言われたこと。

「現実の生活があまりにも辛かったから、無意識のうちに非現実の世界を生きられる、お芝居とかそういった世界に逃げて行ったのかもしれないね。自分を守るためにね。」

…そうなのかもしれません。

女子校の演劇部なので、男役もありまして。
何度かやらせてもらったのですが、華奢で背がちょっと低めで、声の高い私にはいくら女子校演劇部の世界でも限界があるなあと思いました。
そして、身体能力も低く、音楽の素養も、演劇の知識も全く無い自分を自覚し、私はいったい今まで何をして生きてきたんだろうかと呆然となりました。
そもそも、生のお芝居を見たことがなかったんです。
…いや、あるにはあったか。
中学生のとき学校の体育館で演劇鑑賞会をする劇団がまわってきて、何か見ました。
モンテ・クリスト伯だったと思います。うちの中学校には舞台面がないので仮設し、イントレ移動で情景を抽象描写したものでした。
…面白くなかったんだな〜これが。。
一応現在はそっち側の業界にいますが、客観的に回想してもあれは面白くなかったなあ〜。。。

中学生の時と同様、口が悪いので部活の仲間を何度も怒らせました。
家で毎日殴られながら死ね死ね言われてると、誰が何に傷つくかとかもう全く分からなくなってました。
みんなはそんな生温く、おうちで過ごせるのね。羨ましいわ。

それでも、うちの高校は、いじめとかはなかったです。たぶん。
こんな私でも、親しくしてくれる部活のお友達はいました。
ただ、日々理不尽に殴られてる私の悲壮感がオーラに出てたのか
「なんか背中に孤高な雰囲気がにじみ出てるよ!だいじょうぶ??」
と言われたことがあります。
全然大丈夫じゃなかったです。。


続きます。


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2015/02/19

メンタル#8…中学生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと

の、続きです。

さて高校受験だぞ。
という時期になりましたが、うちは田舎から出てきた転勤族なので、このあたりの高校のどこがどうなのかが全然分かりません。
うちから一番近い高校が、結構レベルが高くて、「近いからいいんじゃない!?」なんて親に言われましたが、世間知らずの私が電車にも乗らない高校に行ったら世間知らずが一生治らんわ!
と、拒否しました。
それ以前にその学校に合格するための学力が足りませんでしたが…

当時の私の学力は、とにかく数学がネックになっていました。
数学が他の教科くらいの点数取れればだいぶ上がるのに…という…
どうすればいいんだろ〜。
と思ってたら、塾の先生が、県立の女子校を勧めてきました。
えっ。女子校??
考えたこともなかったのですが、友人たちと志望校の話になると、その学校に憧れてる子が沢山いたのです。
そうなのか〜。


私はその頃から徐々に、男性恐怖症というか、大人の男性を気持ち悪いと思うようになり始めていました。
たまにしか帰ってこない父が、なにかと私に触ってくるのが、吐き気がするほど嫌だったのです。
いくら止めてと言っても「可愛がってるのに!」って、可愛いからって胸を揉む父親がどこにいるんだ!と言っても聞く耳持たず。
父の手が伸びてきた時点で叩き払うことが増えてきました。
母に殴られ、父に触られ…
地獄でした。

それもあり、先生は男もいるでしょうけど、女子校だったら、なんか、男をめぐっての女同士のドロドロとかなさそうで、いいんじゃん?
と思うようになりました。

それを両親に告げると
「お父さんとお母さんは高校で出会ったから、できれば共学に行ってほしい。」
と、父に言われました。
なんだそりゃ。
未来の夫を見つけに高校に行くわけではないんですけど。
と、完全に無視しました。

で。で。
当然、
「Y君はどこの高校を目指すんだろう。」
と、気になりますが、誰も何も知りませんでした。
Yくんと幼稚園くらいの頃から仲良しのOくんでさえ、「何も教えてくれないの…」と、しょんぼりしていました。
(社交的なOくんと、たしか3年間同じクラスだったんだっけな。いつ頃からか仲良くなり、実はYくんに憧れてるんだ。という話をしたのです。『Yくんはすっごくいいヤツなんだよ!なんでもできるし、優しいし、昔はよく一緒に遊んだんだ!オレ応援するよ!』と、Yくんの部屋の間取り図まで描いて教えてくれました。笑。)

どうにも情報が出てこなくて。
塾は同じだったけど、ランクは同じでも曜日が違ったので詳しいことは分かりませんでした。学力的には当時おそらくややYくんのほうが私より上だったんじゃないかと思います。数学の分…。涙。

なんだか、頼んでないのにいろんな友人がYくんの受験傾向情報を探ってくれて(汗)結局、受験が終わるまで誰にも分かりませんでした。


なんだかんだあり私は志望校にナントカカントカ合格しました。
ギリギリでした。。
当時は公立高校の受験チャンスは1回きりでした。
私は私立高校は滑り止めからチャレンジ校から尽く全滅して(涙)まだ願書受付してる都内私立高校に慌てて出願、受験、なんとか合格し、最後の最後の本命校に漸く合格しました…
高校浪人になってしまうかとヒヤヒヤでした…

Yくんですが、受験のために学校に来なかった日に試験があったのは、近隣では、私立のちょっと変わったところだけでした。
どういうことなんだろう…
と友人たちが心配してくれてました。

たしか、合格速報みたいなのが塾から配られて。
Yくんが合格したのは近畿地方の高校でした。

どういうこと?
引っ越しするの??

けど、お母さんやお姉さんたちはその後も変わらずその家に暮らしていました。
当時は考えもしなかったけど、ご両親が離婚してYくんはお父さんについていくことになったのかな。と最近やっと腑に落ちてきました。
そうでなければ、卒業文集にあんな書き方はしないよな…


卒業を目前にして、喪失感がどんどん増してきました。
Yくんが遠くに行ってしまう。
私はこれからどこにココロを逃がせばいいんだろう。
高校に行けば新しい何かが見つかるかもしれない。
…って、何があるんだろう。

卒業式のあと、いろんな友人たちが「Yくんのボタンまだ第二ボタンだけ残ってるよ!!」と伝えに走ってきてくれました。
第二ボタンだけって、そんなネタみたいなことになってるなんて…
Yくんはとてもモテました。考えてみるとあまり喋ってるところを見たり聞いたりしたことないんだけども、文武両道で寡黙(ってほどでもないけど)で、ハンサムというか整った顔立ちなので、なんか誰かが投稿したらしくティーンズ向けの雑誌に『うちの学校のカッコイイ先輩♡』みたいなコーナーに載ったこともあるくらいモテてました。

私はボタンはもらいに行かないとだいぶ前から決めていました。
ボタンだけ手元に残ってYくんがいなくなったら、自分がもっと乖離してしまう恐怖心がありました。
万が一。
があったとしても、遠距離恋愛で満たされるにはまだ幼すぎましたから。


卒業間近のいつだったか、もう授業もないので自習時間なんだか自由時間なんだか、ただみんなでワイワイおしゃべりしてるだけのとき。
私は廊下への出入り口付近で何かボケッとしてました。
その時、隣のクラスのYくんが珍しく私のクラスのところに用があるらしく、人気のない廊下にトコトコ出てきました。
ああ。Yくんだ。珍しいなあ。一人でうちのクラスの誰かに用があって来るなんて。
うちのクラスを覗き込むYくんを横目で見ながら、私は本当にぼんやりとしていて、自分がYくんに声をかけられていることに全く気付きませんでした。
今思うと、乖離してたのかなあ。
誰かを呼んでるなあ。珍しいなあ。
と思いながら私は何かを思って、自分の席に戻ろうとしたんだっけな。
そしたら
「あっ、ねえちょっと待って!」
と声をかけられて、えっ、ええっ?
と我に帰りました。
えっ、私に声かけてたの??ごめん、ココロがどっかに消えてた。
「あっ、えっ、はい。なあに?」
同じサッカー部のMくんに用があったらしく、「Mくん呼んでくれる?」と言われました。
「Mくん?ちょっと待ってて。」
と言うとYくんは教室と反対側の壁にもたれてうつむき、壁を後ろ足で軽く蹴っていました。
珍しいなあ…
Mくんは、学年一と言っても過言ではないくらいモテる子でした。
けど当の本人は自覚が全然ないみたいで、誰にチョコレートをもらおうが誰に誕生日プレゼントをもらおうが誰に告白されようがどれもこれも華麗にスルー。だった不思議くんです。
ずっと同じ部活だったから何かしら用はあるだろうと思うけど、校舎内で会話をしているのを見たことがなかったので不思議だったのをよく覚えています。
Mくんは男子にも人気者で、10人近いかたまりでワイワイお喋りしてるので、私はMくんを見て「おーいおーい」と手を振って「呼んでるよ〜」と廊下を示してボディランゲージでやっとこさ使命を果たすことができました。

…中学校でYくんと言葉を交わした記憶は、今ではこれしか覚えていません。


こうして私はココロの癒しを失って、次のステップへと進んだのでした。

続きます。



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2015/02/13

メンタル#7…中学生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと

の、続きです。


最早ただの言訳ですが、家で罵倒され殴られ蹴られでしたので、私は学校ではいい子と同時に刺だらけでした。
そんなことわざわざ言わなくてもいいのに。という残酷な事実をズケズケ言ってました。
自分では普段普通に過ごしたいだけなのに、何をしても罵詈雑言を浴び、人格と存在を否定され、不要なものを押し付けられ、大切なものを破き棄てられ、誠意を踏みつぶされ、ボロボロにされていた私には、遠慮とか思いやりとか優しさとかがありませんでした。
たぶん私の発言のせいでしばらく学校に来られなくなった子が…いましたが…違うクラスになったらちゃんと登校していたので、少しホッとしました。
『考えてることは正直に発言しよう。』
の、<正直>の加減が私には分からなかったのです。

勉強はだんだんと、数学が特に分からなくなってきました。
塾には行ってましたが、勉強の仕方が分からなくなってきました。
それまでは、教科書を読んで、すんなりと理解できていたことがほとんどだったのですが、数式を見ても答えの解説を読んでも全く意味が分からなくなってきました。
塾の授業を聞いても、何故それがそうなるのか全然分かりませんでした…

学校の授業のことはあまり覚えていませんが、放送委員をやっていたときの幸せな時間を今でも忘れません。
交代で、朝の放送と帰りの放送をするのですが、帰りの放送は、部活をやってなかった私は放送を流す時間まで、職員室の横にある放送室でぼんやりと時間が来るのを待っていました。
窓から、校庭で運動部が練習をしているのが見えます。
サッカー部でキーパー練習をしている1人は、私が傷つけた子。
元気に部活動やってて良かった。ごめんね。
そしてYくん。
誰にも邪魔されず堂々とこうして見ていられるのは幸せだなあ〜。。
と過ごしていて、放送を流す時間を間違えたことがあります。多分。

告白とか、全く考えてませんでした。
だって無理だもの。
自分で自分の異常さを持て余しているのに、どうしろと。
好きだと言いながら、私が知ってる言葉は人を傷つけるものだけだから。
みんなみたいに、優しくなれないし(優しさを知らない)素直になれないし(素直ってどういうことなのかわからない)万が一両想いとかになっても、私はアタマがおかしいから、迷惑をかけるだけ。
だから、なんにも言いませんでした。
何もしませんでした。


奇跡的にグレなかった極悪な環境のなか、中学校生活を生き抜けたのは、Yくんのおかげでした。何にも会話してないけど…

ある時から私は毎週決まった曜日に通院のため学校を遅刻していました。
病院に行く時間まで、部屋の窓の外を見ていると、Yくんがうちのそばを通って学校に行くのです。
Y君がこっちを見てくれた。
という妄想で幸せな気持ちになりながら病院に行きます。
休み時間のタイミングで学校に着くと、Yくんのクラスは次の授業が体育のため、昇降口にきます。
そこでまたすれ違うのも、小さな幸せ。

こうして実体のない幸福感を抱いて苦痛から気持ちだけでも逃れるようになり、私の乖離はますます進んで行ったのだと思います。


乖離…
ずっとのちに精神カウンセリングを受けて教えてもらったのですが、幼少期から私はしばしば、自分の肉体とはズレたところに自分の精神があって、自分のことを後方やや上部から見下ろす感覚になっていました。
また、自分の体がどこにあるのかよく分からなくなって、皮膚に爪を立てたり、つねったり、叩いたりしていました。
今でもたまになります。

カウンセリングを受けている時に出会った本です。
自分のそういう状態は、研究されていることなんだなあ。と、感心しました。おかしな話ですが。
どうして、中身だけボロボロに壊れて、社会的立場を崩壊させず健常者のふりしてここまで生き抜いてしまったのか、わかりません。

 解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)


思い出しました。
もうひとつ、受けていた虐待。
原因不明の病気が続いたので、入浴しても、シャンプーを禁止されました。
疲れるからと。母が禁止しました。
年頃の女の子なのに、髪の毛がベタベタになって気持ち悪くてしょうがないので朝洗面所で無理矢理髪を洗っていると、当然、怒られました。
どうして分かってもらえないんだろう。女同士なのに。
医師にボヤいたら、スッキリした方がいいんだからシャンプーくらいしなさい。と言われました。
あたりまえー。
そしたら、数日に一度、母の行きつけの美容院でシャンプーだけしてもらいに行くという贅沢なことを暫くしていました。
わざわざ美容院に行くより自分で洗った方が楽なんですけど…
ホントに、娘のココロを理解する気のない親でした。

続きます。


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2015/02/12

メンタル#6…中学生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
の続きです。

部活は1年で辞めましたが、そのときお友達になったMiちゃんとは、卒業まで結構仲良くしてもらっていました。
塾に通うようになったのもMiちゃんが通ってるから、そこに私も行きたい〜。と、これはお許しがもらえ。
一緒に服を買いに行って、おそろいの服を着たり。
(このときのお金どうしたんだっけ…親にもらえたんだっけ…)
なんかいつのまにか私がY君を好きだということが周知のことになっていて(私誰にもなんにも言ってないはずなんだけどなんでそうなったのかな〜。まあいいけど〜。って感じでした。)MiちゃんもY君のことを好きでした。
ライバルというか、なんというか、アイドルに対して一緒にはしゃいでいるような感じでした。私の方が断然ムッツリだったわけですが…
と、いうのも、この頃既に、自分の精神が乖離していることに気付き始めていたのです。
こんな私では、Y君につり合わないよ。

家では虐待に耐え。
学校ではいい子を演じ。
体が悲鳴をあげている。
夜眠れない。
常に体中が緊張している…いつ殴り込んでくるか分からないから…

2年生以降は、なんかずっと学級委員とか放送委員とかやってました。
学級委員の仕事は全然苦じゃなかったです。すすんではやりたくはないんだけど。学年評議会とか全校評議会といって各学級委員が集まって行事へのナンダカンダとかを話し合う会議がほぼ毎週ありました。
ここでは弁の立つ、頭の回転の速い先輩方と話をする機会となって私にとってとても楽しい時間でした。


2年生の時に、担任に呼ばれて、何じゃ?と思ったら、生徒会に立候補してくれと言われました。
3年生がほとんどの立候補者で、2年生が少なすぎて、2年生の担任たちが立つ瀬がないとかナントカ。
知らんがな。
「部活辞めたから暇でしょ〜。やってちょうだいな。」

たしか、書記と会計と、なんだかに、4人くらい立候補してたんだったかな?
そういうふうに前に出るタイプじゃなかった子たちなんだけど、内申点目当てなのか、まあとにかく微妙なメンバーが。。
これ、対抗馬に立候補したらわたし、たぶん、勝っちゃうよ…
自分で言うのもなんだけど、彼らより、私の実績のほうが群を抜いてるもの…

すごーっくめんどくさかったのですが、立候補を断ることの方がめんどくさい事態になってしまったので、絶対に落ちる枠を選びました。
副会長。2名枠に既に3年生3人が立候補。
ここに飛び込んでしまえ。
こうすれば、同級生を蹴落とすこともなく、当選してしまうこともない!!

応援演説をしてくれた友人や、投票してくれたみんなには悪かったですけど、落選してホッとしました。
でも、次点だったのです…
3年生1人を数票越えてしまったのです…おいおいおい…あぶなかった…


時系列は忘れてしまいましたが、一時期、Y君ではない男子と秘密の文通をしていました。
クラスは違うし、全然お喋りはしなくて、ただ単に最近クラスであった出来事とかを、わざわざ切手貼ってお手紙出してました。
自然に終了してました…
あれは何だったんだろうw


今思えばおそらく乖離状態が酷かったんだと思う、喘息とは別の体調不良が続きました。
もう私は家出したくてしょうがなくて、でも喘息が酷いから夜にどこかでフラフラしてるとあっという間に野垂れ死にそうだし、補導されちゃったらまた殴られるだろうし、親族のところに逃げるにも飛行機に乗る距離だし、完全に行き詰まっていました。
そのとき母がどこのツテだかビタミン剤の何だかにハマっていて、喘息に効くのだとか、なんだの、かんだのを、食後に手のひらいっぱい飲まされていました。
辛かった…
母は夜間救急に駆け込むとき以外は基本的に通院に付き添ってくれなかったので、1人で行ってました。
いつだったか、原因不明の体調不良が続き、血液検査したら白血球が異常に増えていました。
どこを検査しても何故そうなっているのかわからず。
黄疸も出ました。
あるとき医師に、ビタミン剤を毎日手のひらいっぱい飲まされてると言ったら「そんなもの飲まなくていい!病院で言われたって言って今日から飲むのを止めなさい!」と言われました。

いつだったか、診察のあと母だけが呼び出され、げんなりした顔で戻ってきました。
いろいろ思い出して整理すると、あれはたぶん、精神科の受診を勧められたんだと思います。
けど母は精神科に抵抗のある世代ですので、「娘がキ○ガイ扱いされた」と思ったみたいです。
キ○ガイ!キ○ガイ!!
と罵倒されることが増えました。
私は精神科に行きたかったです。隔離病棟に入院しちゃいたかったです。
強制入院させられるほど壊れられなかった自分が、偉いんだか、何なんだかです。

続きます。


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2015/02/11

メンタル#5…小学生〜中学生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
の続きです。

私は熱心な教育を受けたわけではないのですが、今思えば何故だか「いい子」「できる子」という洗脳を受けていました。
結構染まってました。
でも、塾や習い事をしてる子に勝てるわけありません。
習ってもいないのにピアノが弾けるわけありません。
見たことも聞いたこともない方程式を解けるわけがありません。
できないことにため息をつかれることが増えてきました。
だんだんその矛盾に嫌気がさしてきました。
音楽や絵画などに興味を持って、習いたいと言っても即却下されました。
時には罵倒されました。
「誰が金払うと思ってるんだ!自分で稼げるようになってから自分の金で習え!」
と、言われました。
思い出した。
「住まわせてやってるんだから家賃と食費払え!誰のおかげで生きてると思ってるんだ!」
と、殴られたのも一度や二度ではありません。
成人してからならともかく、小中学生にそんなこと言って、この人は一体何なんだろうと思ってました。



私が通っていた小学校は、転校したり私立中学に行かない限り全員が同じ中学になる学区でした。
この小学校メンバーほぼ全員プラス、ほぼ同数の生徒が近くの小学校から集まります。
なんかもういい子ちゃんするの嫌になっちゃったので、もう班長も学級委員もしないぞー。
と思ってました。

入学してすぐ、なんか、1校に1人代表が決められて、近隣中学の生徒たちと何か交流をする生徒を先生たちが選んだんだそうです。
私は第一候補だったらしいです。
1学年360人くらいいるんですけど…
でも、喘息で体が弱いので止むなく落とされたと担任がみんなの前で言いました。
知らんがな…

で、学級委員を決めるとなり。
他所の小学校からもお利口メンバーが来てるんだから、私がやる必要ない!
と思ってたのに、私になっちゃいました。
ああ、メンドクサイ…

部活は、母がテニスをやってたからというのでずっとやれやれ言われてて、なんとなく入っちゃいました。でも人間関係に行き詰まって2年生になる時に辞めました。
先輩とかは良かったんですけど、同級生の変な方のグループに入ってしまったのです。
まともな方のグループは同じ小学校出身の、前から知ってる子たちだったので、そっちにスルッと移りたかったのですが、うまくいかず。
このままここにいたらおかしな人間になってしまう!
と、朝早く顧問の先生の机に退部届けを置いておいたら速攻担任経由で呼び出されました。
「もうあんな変な人たちと一緒にいられないです…」
と、気付いたら泣いてました。

…なんだか、思い出そうとおもっても、もう、漠然としたことしか思い出せなくなってます。そうしないと生き抜いてこられなかったですからね。

家では母が、今思えば鬱状態で、朝起きてこないので自分でお弁当を詰め(レンチンポテトと卵焼きとわかめのサラダがあればじゅうぶんでしたので簡単。)帰ってきても母は動かないので塾帰りとかに何か買って帰らされたりしてました。
夕飯作れないなら作れないでそう言ってくれればいいのですが、台所は母の聖域なので、使わせてくれなかったのです。
朝のお弁当詰めはどうせ起きてこないので文句言う前に終わってますので。
じゃあ夕飯私が何か作るよ。と言うと「触るな!!!」と締め出されます。

何故って。
母は台所で煙草を吸っていたのです。
アコーディオンカーテン等々で完全に閉め切って誰も中に入らないようにしていました。
ニオイやゴミでバレバレですっての。
私の喘息が酷いので父が頑張って禁煙した(まあ、出張と単身赴任で全然家にいませんでしたが)のに自分が吸ってるのが後ろめたかったのでしょうかね。

お料理は教えてもらったことないです。
何かの時に、「おにぎりをつくる。」となり。
調理実習でおにぎりくらい作ってますから、できます。
なので自分でやろうとするのですが、
「ご飯があつあつのうちに握らないと固まらないわよ!」
「え〜、学校ではできたよ〜。火傷するじゃん。」
「お母さんたちは慣れてるから平気なの。あんたには無理!」
「なにそれ。おにぎりくらいみんな自分でできてるのになんで私はやる前から無理なの?」
「口答えするならやってみろ!(炊きたてあっつあつのごはんを手に乗せて)ほら、やってみろ!!」

虐待だあ。
ごはんが熱くて、なんかいろいろ悔しくて、ぽろぽろ泣きながらおにぎりを作りました。
みんなはラップとかで握ってるって言うよ。と言っても「それじゃおいしくならない!」と、よくわからない主張で、炊飯器をあけたばかりのごはんを素手で握らされたのでした。

「それみたことか。泣きながらおにぎり作ってんの、ばっかみたい。」

この人はそんなに私が嫌いなのか。と思いました。

私が見たいテレビは見せてもらえない。
火サスとかエロいシーンがあるし面白くないので部屋に籠ると「リビングにいなさい」と言われ、見たくもない濡れ場を見せられ、母がテレビを見ながら寝てしまったのでチャンネルを変えると「見てるのになんで変えるんだ!」と怒られる。
これ見たくないからいい。と部屋に帰ろうとすると「一緒に見ようよ〜」

全然意味が分からない。

母がテレビを見てない時に私が見たいテレビを見てると殴られる。

全然意味が分からない。

家賃と食費払え!と殴られる。
べつにあなたの稼いだお金で食べてるわけじゃないじゃない。
お父さんのお金だし、だいたい、毎日ステーキとかお刺身とか豚カツとか唐揚げとか天ぷらとかメインメニューが1日に3つもあるような食事いらないし、それの残りが1週間くらい続くのもうんざりだし、家賃払えって義務教育中の子供に何言ってるんだろう。


そんなストレスが溜まってたんだと思います。
いつ頃からか、よく吐くようになりました。
多くは、呑気症によりゲップがたまり、それを吐き出すだけなのですが、しばしば嘔吐するようになり。
喘息っぽい何か気管支の不調で痰がしつこいのでそれを出したくて吐いたり。
中学校から帰宅する時、家に着くまでのあと20歩くらいのところで胃液が逆流してきて耐えきれず植え込みに吐き出したり…

今思えば、家に帰るのが心の底から嫌だったんですね…

続きます。

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2015/02/01

幼年期の終わり

こんばんは。

私のメンタル歴の話はちょっとお休み。

今日、夜明け前に仕事現場へ向かう電車を待つ駅舎のなか、スマホが表示した速報に体中が凍りつくような気持ちになりました。


まさか。

まさか。

まさか。

私はあまり政治・国際的な話はしたくないのです。
私はあまりにもその分野に無知なので、無知なくせに今分かってるつもりのことだけをひけらかして旗は振れないと思っているのです。
だけど。
だけど今回は違いました。

知らない方です。
親族でもありません。
けど、私の親族には同音異字の人がいます。
それもあり。
それまで全く知らなかったこの方のこれまでの行動、そしてお写真などを見て。
この方はきっと帰ってくる。
帰ってこなくてはならない。
そう想っていました。


私は、衝撃的な経験やヴィジョン、伝聞を自分のなかに取り込みすぎてしまう癖があります。
現実に目を向けなくてはいけない。
私はそのせいで自分の健康を損ねて身近な人に迷惑をかけがちなので、今は、敢えて、映像に向き合わないことを選択しています。

なので、公開されたという動画+ブラックアウト+静止画は見ていません。
仕事中に事務所のテレビで見たあれは、その一部だったのかもしれません。
けど、帰宅しても、追いかけないことにしました。
しばらくはテレビニュースをじっと見ることも控えようと思います。

そうしないと、私が勝手に一人で潰れてしまうから。

映像は見ないように気をつけても、文字は追ってしまう。

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どうして?
どうしてこんなにわけのわからないことになってしまうのでしょうか。
かつて栄えて滅びた文明の存在を知ってる今の地球人類なのに。
戦争をしないと決めた国なのに。

わけのわからない組織に自国民が捉えられていることを知りながら、彼らを刺激する発言をした人。
表沙汰になったら速攻帰国した人。
帰国しても新年会に参加して飲み食いしてたらしい人。
捉えられた方のお母様との面会を拒否したらしい人。

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どうしてね。
人間は、世界を牛耳ってるわけではないことを、忘れちゃうんでしょうか。

人間世界が今ここにあるのは、宇宙のなかで起こっているとんでもない偶然のおかげなのです。
ちょっと環境が変われば、氷河期。
または、その逆。

ちょっと大きな隕石が地球にぶつかっちゃったら、国がいくつか消えるでしょう。
少し前に、ロシアにちょっと大きな隕石が落ちました。
あれが日本に落ちてたら、どのくらいの市町村が消えていたでしょうか。

ほんの少しの違いなのです。
ほんの少しの違いで、ロシアの方には被害がありましたが、たまたま人が少ないところに落ちただけ。
隕石の落下地点が予測できたところで、誰がどうそれを、地球に影響無いよう破壊できるでしょうか。
自力でできないなら、力のある国が助けてくれるようにお願いするか、お祈りするしかありません。
どれほどの国に、その力があるでしょうか。

地球はひとつ。
一カ所が汚染されたら、完全ブロックなんかできるわけがありません。
地球は一日一回転してるんです。
みんなが見てる空は、ひとつなんです。
ぜんぶ、つながっているんです。
大気圏まで包囲するほどの完全密閉ドームもなしに、どうやって完全ブロックするつもりなのでしょうか。
そんなことも忘れる人。

国民の安全を絶対に守る。
みたいなことを言ってたはずですが、何故そんな人が、何ヶ月も前から国民が異国で窮地にいて家族が脅迫されているのを知りながら、脅迫者を刺激するような言動をするのでしょうか。
窮地にいる方の母親に会って、勇気づけることさえできない人が、何をのたもうているのでしょうか。

きもちわるい。
心の底から、きもちわるい。

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私の愛読書。
A.C.クラーク
「幼年期の終わり」

   

SF好きには最早古典ですが、決して色あせない、すべての人に読んでほしい本です。
あるとき地球にやってきた「上帝(オーバーロード)」
彼らは何故、何のために地球にやってきたのか…

SF好きな人にはもはや常識のようなこの物語。
すべての人に読んでほしい。
我々がここにこうして生きているのは、何故。誰が?

Kindle版にもなってます。



なんだかアフィ目的のエントリみたいになってしまいますが、ほんとうに、すべての人々に読んでいただいて、今自分がここで生きているのは、どれほどの偶然なのか、どれほど拙いものなのか、どれほど小さく、どれほど貴重で、どれほど奇跡なのかを。
皆で、自覚をしましょうよ。

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私はまだ、文字の情報だけなのに、悲しみを抱えきれずにいます。
きっと今夜、夢にうなされると思います。
けど、私の願いは「夢オチ」ですが、その映像は、夢なんかでオチなくて、それこそがただ唯一の現実なのかもしれない。
現実を受け止めるには、現実として配信されたというそれを見なくてはならない。
そして判断をしなくてはならない。

現実だと判断したら、いや、しなくても、私はしばらくうなされるでしょう。
それは、受け止めなくてはならないもの。

受け止めきれないと判断して見ないのも、ひとつの、強さ。
けど、心は、配信された現実の映像があるのなら、それごと受け止めたい。
それは私を潰すかもしれない。
私自身を潰さないための選択。それこそが「強さ」では?

これは、ただひたすらに、エゴなのかもしれない。
自分可愛さになんとなく悩んで、そんな気になってるだけなのかもしれない。

いづれにせよ。
あれほどの苦しみに遭った人がいる。
愛する人があんな目に遭ったことを知り、苦しんでいる人たちがいる。
私の血縁ではなくても。
知らない人でも。
それは、生きるもの全てにとってのあまりにも惨い苦しみ。

生きるものとして、私はいつまで目を反らしていよう?
私はいつまで、他人事のつもりでいよう?

そうして、どういう方法で反旗を揚げようか?




幼年期はもう、終わりにしようよ。




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