2015/09/30

リバティプリントでハンドメイド 第1号

興味深いシリーズを次々と創刊するけれど、今まで手を出すことがなかったデアゴスティーニ。
創刊号はそれ以降の価格の半額で販売して、とっかかりをゲットするのが上手いデアゴスティーニ。

Webで何かを見てる時に広告でこれが出てきて、見事に食らいついたわたし。


リバティプリントでハンドメイド|LIBERTYプリント付きマガジン

わたし、リバティプリントが大好きで…
見てるだけでも幸せ…
日本でも生地は買えますが、高い!高いのよ!
ロンドンのリージェントストリートのお店で生地売り場に行った時はもう、宝石箱の中にいるような心地でした。
しかし、ロンドンでも高い。
シャツなどに仕立てたものも売っているのですが、細かい柄がほとんどなので、ちょっと、くどい。普段着ないとしても記念に買うにも、ちょっと高い…。
ノートとか小物を買っても、これ、使うかなあ??
…と悩み、端切を数枚買いました。端切もそれなりに高いのです…。
日本でもリバティプリントを使ってチュニックとか作るガイド本とか売ってますが、ミシン持ってないし、お裁縫が得意なわけでもないし、生地が高いので、お裁縫の素人がチャレンジするには、ううう。

と、端切を眺めてはウットリしていた、わたし。

このシリーズを知って、とりあえず5日くらい考えました。
そして、定期購読。ぽちっとな。
しました。
うほほ。

隔週刊で、小物を作りつつ、毎号地道なパッチワークを続けていって最終的には大きなマルチカバーを作りましょうというコンセプト。
パッチワークかぁ…あんまり興味ないんだけど、いろんな柄のリバティプリントを手にできると思ったら、『やってみよう!』と思いまして。


創刊号は、針と糸、布に型紙などの印をつけやすくするサンドペーパー、その号で使用する布地がついて、なんと、税込700円!
通常価格は税込1,490円。
全65号で完結。
隔週なので、130週。
2年半くらい??
続けられるだろうか…頑張れるだろうか…

メール便で届くのかと思ってましたら、厚みがあるからか、3号まで届いていますが、毎回ゆうパックで届いています。
規則正しい仕事や生活をしていないので、隔週受け取りがちょっと大変かも…

創刊号のキットはこんなかんじ。


リバーシブルミニトレイを作りました。
型紙がついてるので、それに合わせて印を付けて、切って、縫って、接着芯をアイロンでつけて、縫って、ちょちょちょい。です。


できた〜!
でも、説明の意味がよく分からないまま進めたので、リボンのつけ方がちょっと変でした。
まあ、トレイとして使用するのに支障はありません。
何がリバーシブルかというと、リボンをほどいたら平らになるので、裏返してリボンを結べば内外逆になるのです。
中にかさばるものを入れるなら、せっかくのリバティ柄が見えなくなるので、リバティを外側にした方が楽しいかも。
今のところ私はこれの用途が決められず、とりあえず、普段使いしてるピアスとリングを入れてみていますが、そもそも私はお片づけが苦手な女で、このステキなリバティプリントがただのガラクタ化してしまいそうで、対策を考え中です。。。
ここで使用したリバティプリントは《ダンジョーLCE》。無地やストライプの生地は、どこの何者なのでしょうか。よくわかりません。表裏もよく分からなくて、無地柄の布地の表裏の見分け方をネットで少し調べたのですが、耳部分で判断する以外は「好きにすれば〜?」って感じらしく…
あと、縦横の見分け方…。
引っ張って伸びにくい方が縦らしい。
この判断がまだ私には…自信がないですの…。

うちは母が洋裁を専門としていた人なのですが、専門だからと言って教え上手なわけではなく…
お裁縫も、編み物も。
「こんなの簡単よ〜。なんでできないの〜。(いや、だから、教えてくれよ。)」
「何このヘタクソ!ちょっと貸しなさい!(…数時間後)ほら見なさい!こうやるのよ!!」
と、全部仕上げてしまったり…
…授業で数ヶ月かけて作るものを一晩で仕上げられてしまってその後の授業でやることがなくなったくせに私の技量はすっからかんで、とてもとてもとても困ったことがあります。
編み物は、私は指の関節が変な方向に曲がる非常に地味なハンディキャップがあるのですが、「なんでこんなこともできないのよ〜。自分で練習しなさいよ〜。」
と言うだけで全然教えてくれないので、棒針では作り目もできませんのです。
かぎ針編みは、独学と練習で簡単なことはできるようになりましたが、やはり指の関節のハンディキャップのせいで、制作には人よりちょっと苦労しているようです。
力加減などで、指の関節がいきなりカクンと45度くらい変わってしまうのです。
それでも、かぎ針で簡単なマフラーを編めたときは嬉しかったなあ〜。
完全に独学でした。


btw
65号に渡り、作り続けるパッチワークの第一弾。
5×5の格子を作ります。
リバティプリントは、ピンク地に白の花模様が《カペルRE》
色とりどりの花柄は《エミリーAE》。
カペルREはたしか、ロンドンで買ってきた数枚の端切のうちのひとつを妹にあげようと思って、私が選んだんだったのか、彼女に選ばせたんだったか、忘れたけど、それな気がします。
優しい柄で、エミリーの華やかさと対照的ですが、お互いを引き立てあうステキな取り合わせだと思いました。
パッチワークは初めてやったので、とにかく今回は角をしっかり合わせることを意識してちくちく頑張りました。


やっと創刊号のワークが終わりましたが、既に第3号が届いています。
ペース考えて頑張って進めないと、溜まるぞ、これは…
そしてたぶんいつかはミシンが必要な展開になる気がします。
おススメのミシンを紹介してくれるらしいのですが…
あんまりお高いのはイヤですのよ…ミシン貯金しないとだから…
ミシン買いたいと思ってたから、いい機会ではありますが。
このパッチワーク、最終的にはキルティングにするんでしょ?
そんなまっすぐに縫えるだろうか…ミシンなんて中学生の家庭科以来触ってないよ、たぶん…。もう、糸のかけ方なんか、完全に忘れましたよ。

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2015/09/25

メメント・モリ

私は幼少時から酷い喘息で身体が弱く、且つ、喘息の発作で苦しんで真夜中にゼーゼーヒーヒーやってると、実母から
「うるさ〜〜い!!!自分でなんとかしろ!迷惑考えろ!!」
と罵倒されてました。
しばしば殴られてました。
ほとんど家にいないバリバリ理系の父に、理系の科目が分からなくて教えてもらいたくて話をすると
「こんな簡単なことが分からないなんて、オマエは何を勉強してるんだ!学校が教えてくれなくても自分で勉強しろ!!」
と、張り手くらってました。
わからないから教えてもらいたくて聞いたのに、怒られて、ぶたれてました。
未だに意味が分かりません。
教えてくれないなら塾に行かせてほしいと言ったら
「誰に向かって言ってるんだ!塾代払うのは誰だと思ってるんだ!それが親にモノを頼む態度か!?」
と、罵倒されました。
ちゃんと教えてくれる人に教わらないとついていけないもん。
おとーさんに教えてもらおうと思っても、バカ!バカ!教科書読めばわかるだろバカ!
ってそればっかりなんだもん。
教科書読んでも分からないから聞いてるのに…
わからないことをわからないと言って教えてもらいたくても罵倒されるだけじゃ、わかるわけないじゃん。
それなのに塾に行くのも駄目なんだったらもうこれ以上頑張れないよ。
うち、そこまで貧乏じゃないんじゃないの?
貧乏が理由で塾に行かせてもらえないんだったら、もっと丁寧に教えてください。
…とかとか、そんなふうに交渉しました。


結果的に、塾に行っても時既に遅しで、成績は伸びなかったんだけど、行きたかった大学にはなんとか行けたので、私としては良しとしてます。
学費の高い大学でした。
学費はともかく、母から逃げるために一人暮らしをした私には、仕送りが足りなくて大変でした。
当時はまだ喘息がかなり酷かったので、バイトどころか日常生活も苦しく、足りない仕送りで通院するのも大変でした。
奨学金の申請をしても、父の収入が平均以上なので、はじかれました。
いま、その話を父にしても、完全に他人事です。
「なんでお父さんに相談しなかった?」
「だってあんた相談できる場所でも態度でもなかったじゃんか。実家に帰れば私のカラダをベタベタ触るし下ネタ言いまくるし、気持ち悪くて相談どころか顔も見たくなかったわい!!セクハラ親父ってあんたのことだよ!!」

今の実母は、ボケてんだかしらばっくれてるんだか知りませんが、テメエのネグレクトのせいで私が死線を何度も彷徨ったことなんか
「そんなに大変だったの!?まあ!知らなかったわ!可哀想に!!」
と、わけわかんないこと言ってます。
一時期は普通に言い返してました。でも、全く通じません。
そんで
「あんたアタマオカシイんじゃないの?病気??キチガイなんじゃないの??病院行った方がいいわよ??キチガイ!!もうここに来ないでくれる??キチガイ!誰の子!?あんた誰??」
と、しゃあしゃあとのたまいます。


約10年前、こういう事情があって、医師から、母との接触禁止命令を受けました。
なんだかんだで、少しずつ挨拶くらいはするように、私が頑張って。
医師には「それ以上頑張るな。親だって他人。不要な情は捨てなさい。」と、言われました。
母は、それらの過程の原因が自分にあるとは、未だに、微塵も思っていません。
すべて、私のせいだと思ってて、「Namiちゃんが明るく元気になってよかったわ♡」という態度です。
それでも根本は変わらないので、今では父が苦労しています。

「おかあさんがうるさいから、もう、たすけて〜〜!!」

私たちが幼少時から苦しんでいたことを、父が今更苦しんでいます。
遅いんだよ。
そのせいで私たちは、幸せで素直で思いやりのある子供として成長することができず、優しさを知らず、苦しみながら大人をやってるのです。

今では、私が全面的に寛解した体で、現在は父も妹も、私が当時の酷いネグレクトと肉体的・精神的暴力を奇跡的に乗り越えたことを理解しようとしていますが、当事者の母は、
「最近Namiが元気になってよかったわ♪お母さん嬉しい♪Namiちゃん頑張ったもんね♪」
と、完全にお花畑です。

私は、結婚する気はありません。
子供も持たないでしょう。歳も歳だし。
妹夫婦は、子宝に恵まれず、苦労しています。
妹は、子供の頃から、自分の悩みを他人に話す子ではなかったせいか、不妊治療の辛さとかを私に話すことはありません。
お金がかかることは時々言いますが。
お金の無心は決してしません。
人工授精だか、なんだかの結果が彼女のところへ電話で届き、成功しなかったことを聞き、
「今回もうまくいかなかったんだって。あはは。残念。」
と、あっけらかんとしているので、未婚で妊娠経験もないおねえちゃんとしては、
「そっか…。」
としか、言えません。

妹の旦那さんは、とても、妹にふさわしい、努力家で、優しく、まっとうな人です。
私が結婚しようとしてやっぱり止めた人の愚痴を妹に聞いてもらいながら
「あなたの旦那さん、素晴らしいわよ!真面目、勉強家、働き者、優しくて、安易に泣かない。素晴らしい人と結婚できて、良かったよね〜。」
…と言うと

「…そうだね〜。最近は勉強が趣味みたいになっちゃってるし、よく働くし、働かされすぎて可哀想だけど、泣かないし(そもそも両親も妹夫婦も、簡単に泣きすぎる私の元彼を信用しがたいと思ってたそうで。そーなの。わたし、40過ぎのバツイチ男のお母さんになる気はなかったしね。)地味だけど至極全うな、理想的な旦那さんだよね。わたし、幸せな結婚したんだね。」

と、応えました。


私は、40歳まで生きると思わなかった。
だから、結婚願望もなかったし、早々に死ぬであろう自分のために傍にいてもらうパートナーが欲しいと考えたこともなかった。
だから、結婚してなくても、パートナーがいなくても淋しくない。
家族は…
私の死を待ちわびてるくせに、優しい親のふりしてる家族なんか、側にいてほしくなかったし。
若い頃は、男子との交流に一方的に「不純行動」のレッテルを貼り私の行動を完全に制限していたくせに、ある時突然、下ネタスラングを家で言いまくったり、外出したら「いい男引っ掛けて来い」「ステキなホテルでGo!Go!」「お持ち帰っちゃえ!」とかもう意味の分からない言動をする親も気持ち悪くて。

あの人たちがいまだ孫に恵まれてないのは自業自得だと思うのです。


先日見た、交通事故で死んでしまった小学生。
あのときは、奇跡が起きて、きっと生還すると思っていた。
願っていた。
よく考えてみれば、生還はとても無理な状況だった。
眠るような穏やかな顔をしていた彼は、きっと、即死だったのだろう。
痛みを感じる暇もないほどに。
私が、搬送される彼を見た時にはもう、心臓も、呼吸も、止まっていて、だいぶ時間が経っていた。
いちおう、心臓マッサージと酸素マスクはされていったが。

のちの報道で理解したが、彼の下半身は轢き潰されて平面になっていたのだ。たぶん。
上半身と顔は、とても奇麗で安らかだった。
遺族の哀しみは、いづれにせよ、計り知れない…

彼が死んでしまうまでのすべてを見てしまっていたお友達。
8歳の子供にはあまりにも辛いできごと。
40過ぎた私でさえ、彼の穏やかな顔と、潰された下半身、絶叫し続けるお友達、轢いてしまった運転手が腰が抜けて崩れ落ちている姿。
ふとした瞬間に思い出される。
あどけない子供が即死した顔。
お友達を突然失って狂乱している子供の絶叫と涙。

ふとした瞬間に思い出す。
あどけない子供たちを見ては、非情すぎるタイミングで即死したあの子を想う。
眠るような顔の、左半分しか私は見ていないのだけど。
眠るようにうつ伏せで横たわっていた彼。
救急の指示なのか、車が到着するまで、彼に声をかけ続けていた大人たち。
各署に連絡をしながらも「…無理だ。」と言ってたお兄さん。
ほとんど狂乱状態で泣き喚くお友達。
それをなだめるべく、後ろから肩を抱いていた、どこかのお母さん。
「死なねえよ。そんなに泣くなよ。」と、狂乱するお友達をなだめるように言う子。
彼のショックは、あのとき狂乱状態だった子とは時差を置いて、そして社会復帰には更なる時間を必要とするでしょう。

死とは、余命宣告のある死と、ある日突然予告なく執行される死。
が、あるのだな。


癌の進行が思いのほか早く、若くして神さまの元へ行ってしまう方々。

私の番は、いつごろかな。
私はクリスチャンではないけれど。
神のみもとに行ける日が決まったら。

…早いとこ、身辺整理しなきゃ、死にきれないよ!!
ちょっとまって、ちょっとまって、かみさま!!
私の番は、まだ、まだよね!!


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2015/09/17

ボルドー展

先日、雨のなか、上野の国立西洋美術館へ「ボルドー展」を見に行ってきました。


国立西洋美術館:ボルドー展(東京)

特に何も考えず、なんだか美味しそう。ドラクロワもあるのね。ステキ。
と思って見に行きましたらば。


ワインに関する美術を揃えてるだけかと思ってたら、全然違いました!
ボルドーで発掘された、二万五千年前、旧石器時代の彫刻から始まりましたよ。
わああ。
そんな昔から、ボルドーという街は文化的にも栄えていたのですね。

海洋貿易を成功させて繁栄したボルドーは、スペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の街でもあるそうです。

貿易とワイン産業によって繁栄したボルドーには、ロートレックなども訪れて作品を残しています。
この展覧会の目玉であるドラクロワの「ライオン狩り」は、美術館の火災により、上の部分が一部消失してしまったのですが、それでも今なおすごい迫力でした。


上の写真は、美術館エントランス横のパネル。
実際の絵の左半分です。とても大きな作品で、ボルドーの港で働く人たちや貴族たちの様子がたーっくさん描かれていて、とても楽しいです。
…作家さんの名前覚えてこなかったよ〜!誰だっけ!

…と、ぐぐってみましたらば、ピエール・クラール(父)による「ボルドーの港と川岸の眺め(シャルトロン川岸とバカラン川岸)1804-06」でした。


帰ったらやっぱりワイン飲みたいなあ。今日は赤ね。
ボルドーワインは…お手頃お気軽にはみつけられなかったので…とりあえずフランスワイン!
私には珍しくお肉を焼いて、いただきました。じゅるる。


眼福でしあわせな時間を過ごしたのでした。
満足。


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2015/09/16

交通事故直後から目撃しました。

先日の仕事帰り。
「救急車呼んで!子供が!子供が!」
と、完全に動転して、通りすがりの車などに呼びかけているおばさんがいたので、
「どうかしましたか〜?」
と、声をかけました。

「子供が〜!子供があそこに倒れているの!はやく救急車〜!!」

その日は子供も沢山出演する舞台だったので、まさか出演者…と、確認しに行きました。
服装と年齢から、出演者ではないと分かりました。

各署への連絡は、地元の人と思われる方々がすませており。
倒れているのは小学生の女の子…と思ってたら、お友達が泣き叫んで呼ぶ名前は男の子の名前。

「…男の子??」

被害者の側には既に何人かの大人が寄り添っていて、被害者の家族や学校への連絡を進めていました。
一緒にいた子供たちは半狂乱になってしまっていて、どこかの大人が後ろから抱きとめてあやしていました。

他所者の私が出しゃばる場面ではないな。

被害者が救急車に乗せられ出発するまでを見守っていました。

後日。
報道を読みました。
子供は、亡くなってしまいました…

私が目にした光景と、報道された事故状況をあわせて考えると、凄惨な状態だったことが推測されました。
かなりグロイので、ここで説明するのは控えます。
その状態をあのとき私が認識してしまっていたら…
私の足腰立たなくなってたと思います。

数日後、現場を訪れ、お茶をお供えしてきました。

やんちゃな子供が転んじゃったところへ…
運が悪かった、としか言えないです…

今はご両親と、お友達の心の傷が少しでも癒えますよう、お祈りします。

こんなにもあっけなく。
死はやってくるのだなあ。

お友達の無惨な姿をその場で見ていて、半狂乱だった子供たち…
ゆっくりでいいから、その傷を乗り越えて、たくましい男に、なりますように…



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2015/09/12

吉祥寺散歩

大雨の被害が甚大になっていますね。
心からお見舞い申し上げます。
昨年、常総市での仕事が何度かあり、どこまでも平坦で広い土地だなあ〜。と思ってました。
高台なんて、ないよね…。



その大雨以前のことですが、吉祥寺をお散歩してきました。
井の頭公園の弁財天に、はじめて行きました。


ザルが置いてあるので、小銭を洗ってきました。
増えますように〜。。


徳川の人が、ここの水でお茶を入れてたという「お茶の水」。
「飲めません」と書いてありました。笑。

ランチは、通りすがりに気になった「シャポールージュ」に入ってみました。
老舗有名店だったと、あとで知りました。
狭いけどステキな店内。店員さんの動きもエレガントでしなやか。
ロールキャベツも気になったんだけど、ハヤシライスにしてみました。


ミネストローネと、サラダ。


ハヤシライス。
とんでもなく美味しかったです。


ソフトドリンクか特製ババロアを選べて、ババロアにしました。
酸味のあるオレンジソースに、ふわっふわババロア!!
幸せでしたぁ…。

ホントにとってもステキなお店だったので、早々にまた行きたいと思ってます♪
吉祥寺って、ステキ楽しくて好きです。


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2015/09/05

佐倉・成田散歩

先週のことになりますが、佐倉と成田でお散歩してきました。

本当は、京成佐倉駅から『「さ」っと楽しむ散策コース』をするつもりが、城趾公園も気になって、気の趣くまま歩いてたら、武家屋敷のある道を通り過ぎ、JR佐倉駅に着いてしまいました。
あれ?

佐倉城趾公園は、戦争のため取り壊されて何にも残ってなくて、「本丸跡」とか、ほかにもいろいろあるのですが、なにせどれも「跡」なので、写真に撮るにも…はらっぱ…
だったので、なんにも画像ありません!
民俗博物館は学生時代に見学してレポートを出さなきゃいけなかったので見たことがありますが、もはや約20年前…今回は、有料施設は飛ばして歩いてみました。


「さ」っと楽しむ散策コース | 千葉県佐倉市公式ウェブサイト

武家屋敷も気になりましたが、またの機会に…

武家屋敷(旧河原家住宅・旧但馬家住宅・旧武居家住宅) | 千葉県佐倉市公式ウェブサイト

と、ズンズン歩いていたら、JRの佐倉駅に着いてしまいました。
あれ〜、古い町並みをみるつもりが〜。
京成佐倉駅に戻ろうか、悩みましたが、そのまんまJRに乗って成田へ!



ま、主なる目的はIngressなんですけどね。
ハックが捗りますよ〜、佐倉、成田。
成田山には散々何度も来ていますが、この日は公園を散歩する元気はもう残ってなくて…

とりあえず大本堂にお参りして、うなぎ!うなぎ!!


川豊に行く気満々だったのですが、お休みでした!
なので、隣の菊屋でうな丼。
あ〜。しあわせ〜。。

そして、長命泉で、吟上辛口を買って帰りました。

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うん。
我ながら渋いお散歩だね。
けど暑さも少しだけ和らいで、楽しむことができました。


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