2014/06/28

でも大丈夫

前回はとても内向きでぐるぐるしたエントリを書いてしまいました。

読み返してみてあまりの長さに「アホ」と自分に言いました。

まあそんなブログもあるよね。



今週末は、先々週くらいに知人に呼ばれてのお仕事です。
私は長年あっちこっちフラフラ根無し草のような働き方をしていますので、『もう手がない!』時にうまくあえばラッキー。くらいのかんじでお仕事の依頼をいただいています。
フリーで動き出した頃は、自分の能力と経験値のなさ、などなどで毎回口から胃が出そうな心地でした。
最近は、現場の雰囲気が時代とともに変化してきたからか、私自身が歳をとったからか、はじめましての人とも無駄なストレスが少なく動けてる気がします。

そんなときは、前回グチグチ書いたような、25年前のYくんのことなど、過去のこととして冷静に記憶の片隅に置いておくことができます。

現場からの帰りにそれを思いながら気付いたのは、その想いはまるで、Coccoの『風化風葬』なのです。
悲しみ愛より深いのは だあれ?
生まれ来る風に吹かれ 泣いて
壊れてしまうのは何故?
今は動けない足で いつか
でも大丈夫
あなたはもう
私を忘れるから
・・・忘れたかな?
死んでないけども。
すがりついた昨日を
振り払って私は星を辿る
の、です。

死にゆく意味ではなく。
・・・忘れたかな?
Coccoの意図する解釈とは違うでしょうけれども、今のわたしに必要なのはこれだと思いました。


すがりついた昨日を振り払って
私は前に進まなければなりません。

Yくんは、私をもう・・・忘れたかな。

『風化風葬』収録アルバム『サングローズ』



そして、やはりCoccoの『樹海の糸』です。
あなたさえ いなければ
この夢を守れるわ
溢れ出る憎しみを 織り上げ
あなたを愛し 歌うの
ライブ映像


やはりCoccoの意図とは異なってしまうかもしれませんが、
四半世紀も過去の愛しい想いと夢は
あなたさえいなければ 守れるの。

だから大丈夫。
わたしさえ いなければ
その夢を守れるわ
溢れ出る憎しみを織り上げ
私を奏でればいい
優しく殺めるように


もし。
四半世紀前に同級生の誰かや誰かが言っていたように。
Yくんが私を想ってくれていたとしても。

ふたりとも何も言わずに離ればなれになってそれっきりの淋しさはあっても。

離ればなれになってそれっきりだったからこそ、私は、病弱で体力がないくせにこんな職に就いてフリーでフラフラやる環境にそれなりに耐えられるだけ元気になってしまったし、Yくんも研究に集中することができたんだろうと。

勝手なポジティブシンキングで。

過ごせる日だってあるんです。

Yくんは私のこと、どれくらい、忘れたかなあ。。

私はきっと
あなたを・・・
・・・忘れないよ。

でも大丈夫。

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2014/06/26

なんにもない

こんばんは。

話題としてすっかり遅れましたが、
ザックジャパン惨敗でしたね…
元カレと一緒にサッカーを見てるときは、プロの審判(小学生試合オンリーの資格だけど)である彼の解説を横で聞いてて、なるほどなー。と理解できたか、できなかったかもしれない程度の私です。
なんせ、試合見ててもオフサイドがいつどうやって起きたのか分からないくらい無知です。
理屈で分かっても、実況見て「オフサイド!」と言えません。
後の解説見て「そーだったんだー」レベルです。
あと結構微妙なところのルールはちょくちょく変わるんですってね。
もー全然分かりません。

コロンビア戦は…

コロンビア戦だけでなく、なんかもうぐしゃぐしゃでしたね。
選手たちの不本意な表情から感じました。

バルサの久保くんはいま12歳だから、4年後は16歳。

久保くん、去年、本物を生で見ました。日本での国際親善試合みたいなの。
久保くんは小柄で、日焼けして。
とにかく速くて。
そのとき副審だった元彼は、久保くんが中心となってガシガシ攻めまくるので、自分がいる、バルサが守ってる側にはボールが全然来ないので、遠くから見てるだけで暇だった。と苦笑してました。

観客の人たちは
・出場選手の親族や友人
・参加チームの関係者
・サッカー好き少年の観戦付き添い
・スカウトのひと
あと、私が立ち入れない席ではたくさんのVIPがいらしたことでしょう。
ってか、かなりいらしたらしいです。
有名選手の顔とかわたし全く分からないのですよ…

観戦しているサッカー少年たちの久保くんへの憧れはすさまじかったです。
憧れのヒーローが自分たちと同世代で、海外で活躍していて、そんな久保くんのすごいプレイを目の当たりにした少年たちの衝撃は想像にあまりあります。
小柄でもボールを守って走り抜ければいい。
バルサの久保くんはほんとに小柄でした。
でもまーとにかく速い速い。
それをするだけの体力と技術。
日本選手陣、まず、追いつけてませんでした。
けど、この試合は彼らにとって一生忘れられない試合となったことでしょう。

少年たちがあこがれのあまり久保くんとハイタッチできるルートに大集合するのも当たり前だなと思いました。


今回はもう情けないほどの惨敗だったサムライブルー。
本田が引退しないって言ってくれたらしいのが良かったです。


でもね。
サッカーは団体戦です。
一人が抜きん出ていても、チームの連携や監督の采配がダメなら結局ダメなんでしょうね。


全く違う話です。
小中学校の時あこがれてたYくんはサッカー部でした。
今ほど連絡手段がない時代なのと、なんだかんだで、彼が参加した試合を見たことはありません。
だってスケジュールも場所も分からないし、そもそも家に閉じ込められてた私がどこぞのグラウンドへ試合を見に行きたいと言っても無駄です。交通費なんかもらえないし、お小遣いも世帯収入の割に少なかったですし、臨時でお金を出してもらいたくても完全に無駄。お小遣いで何とかしなさいと言われて終わり。
足りないから頼んでるんだけどな〜。

家がド貧乏だったら納得しますけど、毎日ステーキだの刺身だの高級珍味だのばかり吐くほど食べさせられたり、時代が時代でしたので父の晩酌に付き合わされあらゆるアルコールを未成年のうちからほとんど毎晩飲まされてるほど飲食に関しては贅沢の極みだったのに、運動靴すらマトモなのを買ってもらえないのは本当に辛かったです。
体育で使うから運動靴を買ってほしいのに、お嬢さんがちょっとしたおでかけで履くオシャレ靴しか買ってくれなくて先生に嫌味を言われました。
だって買ってくれないんだもん…靴を買えるほどのお小遣いはないよぅ。
でも買ってくれないので、中学校位からは靴もお小遣いで自分で買ってました。
靴買っちゃったら2ヶ月くらいすっからかんでしたね。
家にはお金があっても私にはなく、普段着や部屋着も買ってもらえず、いつ着るのか不明なフワフワワンピースとかばかりで、従姉たちからのお下がりの服でなんとかしてました。
時代が違いすぎて浮いてました。
買ってもらえた服も、みんなと同じのは絶対買ってくれないので、完全に浮いてました。

毎日殴られ蹴られ。
言わなかったから言われなかったけど、もし勇気を振り絞って
『サッカー部の試合を見に行きたいから交通費をください。』
と言ったところで

男にうつつ抜かす暇があったら勉強してろ!

そういう親でしたからうちは。
そのくせ、高校以降になったら出かけるときは
「ボーイハントしてきなさい」
ですから。意味分かりません。


サッカー部の校庭の練習だけは見てました。放送室から!
で、時間感覚が狂って帰りの放送流す時間を何度か間違えたけど誰にも怒られなかったよ!

そんなYくんの卒業文集の一行。
最期の試合で自分の存在を確かめられず不本意に終わった。
という意味の文章。

私は長らくこの意味がわかりませんでした。
今は分かります。

《パスがまわってこない。
パスしたいのに思うところに人がいない。》

スポーツ音痴の私が想像できるのはこの程度です。

中学生時代の私に今くらいの体力があったら。
中学生時代の私が、壊れ切ってなんか別のイキモノになった現在くらい能天気な楽天家になったと知ってもらえたら。

何も言えなかった私は何か言ったであろうし。
能天気な私に安心してY君も何か話してくれたかもしれない。

もう遅い。

25年遅い。

私はあの頃完全に狂ってた。
連日の嘔吐、白血球激増
毎夜の喘息発作。
医師は精神科の入院を勧めてた。
母がそれを阻止したので、何倍も辛い思いを続けることになった。
私は入院でも施設送りでもいいから家から離れたかった。
叶わなかった。

愚の骨頂なのは分かってます。
Yくんは私とすれ違う時必ず振り返ってくれた。
最後まで残っててくれた。
第二ボタンだけ残してくれてた(私用じゃないかもだけど!!)

いま結ばれなくてもいい。
Yくんに会いたくて。
探してるんだけど。
居場所は分かるんだけど。

これ以上は、25年前の恋心を理由に興信所を動かすべきではありません。

いま、Yくんがすり抜けてた植え込みを横目に見て。
あのとき、「おはよう」って何故言えなかったんだろう。
「植え込み通っちゃダメでしょ!」
と私だったら絶対言う台詞、何故言わなかったんだろう。
第二ボタンだけ残ってると何人もの友人に聞いて、なのにもらいに行かなかった自分への後悔。
もらってほしかったら自分でもってくるよね。
と上から目線で思ってた。

25年経った。
さざんかとあじさいの植え込みに学ラン姿のY君をおもう。
遠くに行く事情を誰にも話さなかったYくん。

SNSでいくら探しても見つからない。
所属は分かったんだけど、SNSにはいない。
Yくんの名前の漢字と読みは、珍しくはないんだけど割と少ない。
読みは同じ人が沢山いるんだけど、字が違う人ばかり。
こんな時代にここまでも繋がれないことが悲しくて寂しくて、そしてもはや心の拠り所となるのは15歳のときの幼い恋心まで遡らなくてはならない自分が虚しい。

いままで、私を大切にしてくれた人は何人かいました。
けど、彼らは当時私が抱えていた悩みを受け止めてはくれませんでした。
自分で言うのもなんですが、見てくれだけで私をお気に入りにしていた人たち。
みんな、私の抱える狂った過去を受け止められず速攻逃げてしまいました。
逃げるだけでなく警察にストーカー扱いで通報したのもいました。
レイプ未遂しといてよくそんなことできるよね。


今のわたしには何もない。
結婚の約束をした彼は私の両親に漸く会った翌週「お金がないから実家に帰る」と私を捨てた。

25年前の憧れの中学生に思い寄せるのがバカバカしいのはわかってるの。
でも私の中では今も憧れなの。
結果的に幻滅してもしょうがない。
まだ少年だったYくんとはもちろんカラダ目当てのナンダカンダなんかないし、なかなか言葉を交わせなかったなかでの彼の優しい行動の記憶が、壊れそうな私の心を癒しています。
ボタンをもらいに行かなかった後悔。
お手紙を書きたいから住所を教えて。と言えるほど素直じゃないし自分に自信が無かったあのころ。
歩くだけでも息切れし、いつも嘔吐感でいっぱいで、いつも神経質でアタマが無茶苦茶だった私には、Yくんにそんなお願いを言う資格はない。

今のわたしならいくらでも言えるのに。
おばさんだからね。
言えるようになった今、言いに行きたいの。
でも、SNSで見つけられないの。
会社がどこかは知ってる。
でも営業所や工場やらが多すぎてどこにいるのか全然分からない。
今すぐ会いたい。
会って、離ればなれになってからの25年間の話を聞いてほしい。
どれだけYくんへの憧れに縋って生きのびる努力をしてきたか。
堅物だった15歳の私はもう死んで、予定外に40歳になりそうで。
能天気になったかと思いきや、しつこいほどの求婚者に「お金がないからまたね」と逃げられて、やはり、優しかった25年前の思い出を反芻しないと呼吸もできない。
Yくんに会いたい。


『あのお話のお姫様は私なの』(Cocco『寓話』)


Y君の昨今の活躍は知ってる。
特許たくさん取ってるから。
けど。こういう人は、SNS使わないの。

みつけられないの。

25年も会ってないと、無理だよね。

けどいますぐY君に会いに行きたいのです。

私がもっとマトモな家庭環境で育った子供だったら、素直に好きと言いに行けたでしょう。
私は自分が心もカラダも環境も何もかもが狂ってると気付いていたので、Yくんに好きという資格はないと思ってすべてを押し殺していました。
好きになってもらえる要素がないのですもの。

けど、好きになってもらえなくてもいいから、お別れの挨拶くらい、したらよかったなあ…

だから今言いたいのに。
みつけられないの。
会社に連絡して繋げてもらうのは反則だし、ただの不審者ですから…

はやく、SNS、はじめて…

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2014/06/24

特別催告状

ヤジの主は名乗り出ましたね。

でも事務所に生卵投げつけるのは良くないと思います。卵がもったいないです。

ヤジ文化を継続する必要は無いと思うんですけどねえ。「そうだそうだ!」とかだったらまだしも、「は!?」てこと言われても話の邪魔をするだけです。



さて。。。
私のところにも来てしまいました。
国民年金の特別催告状。。。

派遣OLやったりやめたりやめさせられたり、フリーで働いたり、あっちこっちでフラフラとした働き方をしているのでこんなんなっちゃいました。
とっとと払わないと差し押さえるぞ!!とのことです。
はああ…

仕方がないので今日払いに行こうかと思ったんですけど、雷雨なので明日にします。
雷きらい〜…
なんとか雀の涙の備蓄で払えることは払えるのですが…
払ったらすっからかんです。税金と国民健康保険も払わないといけませんから。

はああ…
私、年収400万円もないんだけどなあ…


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2014/06/22

女性蔑視ヤジ

こんばんは。

私は政治経済は疎いのであまり話題にしたくはないのですが、いくらなんでもこれはね。と思い。
都議会の女性蔑視ヤジ問題。

これね。言った人も笑った人もどいつもこいつも。

本音ですよ。それが。


女性をそんなふうにしか見てない男は確実にいます。


私がかつて働いていたところはお国の中枢に近いところの、男だけで構成されてきた部門でした。

私はその部門で採用された初の女性でした。


酷かったです。


女のくせに。
とかなんとかもう。
セクハラパワハラモラハラ。
あてつけのような下ネタ。
書き上げればきりがない。
酒の場になれば触るわ舐めるわ直近の性生活を根掘り葉掘り聞いてくるわなんやかや。


私はそういうの大嫌いなのできっぱり断ったり抵抗したりしてましたが、無駄でした。


あのオッサンたちは女性を仕事のチームメイトとは考えてませんでした。
自分の意見や意思を示せば「生意気」「女のくせに」。

触られるのが嫌で拒否すると

好きなんだから触りたいんだよ〜

または

おめーなあ、なんとかさんの誘いを力づくで拒否したって聞いたぞ、俺は知ってるんだぞ、おめーは何様のつもりだ女のくせに!

何を言っているのか全く意味が分からない日々でした。

こいつら全員今すぐshiんでしまえばいいのにと思いました。

もう時代が違うんだからそういうの止めてくださいと言っても

そんなのこの業界関係ないし!だいたい女なんてスカートはいてる連中は覗いて欲しいからはいてるんだろ?見てほしいんだろ?見られたくないならズボンはいてればいいんだ。わざわざ覗けるような服着てて、それを俺たちが見て何が悪いんだ!それに見たら触りたくなるに決まってるだろ!

とかいうもうわけのわからないのが平成の時代のお国の中枢に近いところにゾロゾロいました。
私がアタマおかしくなって辞めました。
『続けてれば収入は安定してたのに』と言われても、あんな差別と多種のハラスメントを我慢してまで居続ける価値はないです。

たぶんあのオッサンたちは今でも自分たちがどれだけ私やほかの女性たちに対して酷い女性蔑視の態度だったかを理解してないと思いますし、今回の都議会の問題についてもきっと

だってその通りじゃねえか、おめーが今すぐ結婚して子供産め!もうその歳じゃ無理か。ケケケ。結婚しなくても子供は産めるだろ、それもできねえんだろ、オワッテルナwww

と思ってるのが沢山いると思います。
おまえらみんな今すぐshiんでしまえ。

発言者の特定はしない方針らしいですね。
舛添氏も笑ったそうですね。

これは絶対に許してはならない問題だと思います。

女性議員たちが声をあげるのはもちろんのこと、こういったことは、男性は民間企業にお勤めの方々や自営の方々の方が至極マトモなモラルをもっています。
そういった男性からの声を合わせて、今回のようなヤジを飛ばす議員、それを一緒になって笑ってる都知事への弾劾につなげてほしいと思います。

私の父は公務員ではありませんが、そういったモラルのないオッサンなので、私に対してもそうですし、飲みの席では特に時代錯誤も甚だしいセクハラ発言が止まりません。
いくら言っても全く通じません。
時代が違うんだからそれは言っちゃダメだと言っても全く理解できないようです。
逆に、そういったことに人一倍口うるさい私に対して
メンドクサイ!あんたは黙ってろ!好意で言ってるんだ!
と、とんでもない勘違いな開き直り発言をすることもあります。

古い時代のオッサンだからと許しちゃいけないことだと思うし、けど一カ所からいくら言っても
こいつうるさい
で終わらせられてしまうのです。

慰安婦問題で国際的にややこしいことになっていますが、それとはまた違う角度から、こういう思考の男性が日本の政治の中枢で女性蔑視を未だにしていて、議会としてその発言者を追求しない方針だということの方が大問題ではないでしょうか。
しょせん日本人男性は女性をその程度にしか扱っていないのだと。

もう、女性から言ってもこういう人たちには理解できないんだと思います。
男性同士できちんと、人間同士としての礼という次元から話し合ってほしいです。

なんでそんな低次元なのが政治の中枢にいるのか意味が分かりませんが。
私は自分の父親ですら説き伏せられません。
誰か助けてください。
そんな気持ちです。

絶対に許してはいけません。


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2014/06/19

日田に行ってきた その3

日田に行ってきた その1
日田に行ってきた その2

の、続きです。

日田では屋形船に乗れます。
お台場の屋形船みたいなキラキラではありません。
レトロなあれです。

川がこんなふうになったところ(↓の地図はGoogleマップにリンクしてません)のまわりにたくさん旅館がありまして、そこから乗ることができます。
詳しくは日田温泉旅館組合 屋形船 のページをご覧ください。


私は幼稚園か小学校低学年くらいの時に乗った記憶があります。それ以来でした。
22人だったかな?貸し切り!

ビアガーデンみたいな椅子とテーブルのプランもあるそうです。
足はあっちの方が楽だなあ…


川沿いの各旅館からすぐに乗り場に行けるようになってます。
集合前に時間があったので乗り場の辺りを散歩しました。各旅館の方々がせっせと支度中でした。

乗船!!

これはよそんちの船ですが、だいたいこんな感じです。





サクっと夜景撮るのってムズカシイ!!
こんなふうに、たくさんの屋形船が出ます。
うちは大人数なので貸し切りでしたが、乗り合いもあるそうなので是非是非!

ちなみに…小声で…
『トイレ』があったので、安心しておりましたらば、『おまる』でした…ハズカシイ…
飛行機とかみたいに少量の水でどこか見えないところへ流してくれるのかと勝手に思い込んでいたら、おまるでした…
『小専用』と書いてるので、何故かなあ?と思ってたら…
ハズカシイ…
みんな親族だし私は下から二番目だから、気付かれてもスルーしよう…
父方の親族はみんなべらぼうに酒飲みだし、お酒飲むとどうしてもトイレが近くなるので不可抗力だったんだよ!!
といろいろ自分で自分を励ましたり落ち込んだりしました…
前日まで私のオナカは長いことグルグルピーピーで大変なことになってたのを漢方で前日の夜くらいにナントカもちなおしてきたところだったので、ギリギリセーフでした…
オナカの調子が一日ズレてたら悲劇になってた…

で!
日田でも鵜飼いが見られるのですよ!


鵜飼いの写真をカッコ良く撮るのは素人にはとっても難しいので、何枚か撮ったらあとは肉眼で鑑賞することをお勧めします!


屋形船に寄せて、鵜匠さんが解説をしてくださいます。
海鵜を訓練するんですって。
餌は、新鮮なお魚しか食べないんですって。
でも鮎は高級魚だから、何をあげるって言ってたかなあ…。。
なんか、鵜同士で地位とかなんとかがあるそうですよ!
興奮して半分以上忘れました!!また聞きに行かなきゃ!!


父方の親族は底なしに飲むので、旅館の広い部屋を取ってあったのでみんなで2次会でした。
私は下から二番目なんですけど、みんなペースも顔色も変わらないので、帰るに帰れず(私たちは近くの別のホテルだったので)ちょっと気が遠くなりました…
最後まで残ってた父は1:30くらいに帰ってきたそうです。
宴は19時からだったんですよ。。。


翌日は、父と妹は飛行機で帰り、私と母は湯布院に行ってきました。
私は一日一人でブラブラするつもりだったのですが、母も来ると言い…
私はとにかく温泉に入りたくて。
母は温泉とか公衆浴場が苦手なようなので、レンタサイクル借りて遊びに行きました。
普段はこんなふうに一人で動く人じゃないので、LINEで父と妹に報告したら驚いてました…

湯布院、初めて来ました。
なんかものすごく英語が飛び交ってるのに、西洋人はあまりいなくて、見かけはすごく日本人!な方が観光案内所で英語で問い合わせしまくり、係の人も英語で答えまくりでした。

お風呂はどこに入ろうかなにも考えてなくて、適当に散策して、「香椎荘」という、香椎中将の別荘だったところに行ってみました。
値段とかいろいろ分かんないんだけど、立寄り湯OKと看板があったので、そんなバカ高いことはないだろうと思って聞いてみた。


基本的に旅館とお食事処のようで。
お風呂だけでもいいですか〜。と聞いたら、500円ですと言われ、上の写真の裏側に案内され、「はいどうぞ〜。」って感じでした。

建物自体がお食事処になってるところなどとは別棟で、質素だけど時代を感じる作りでした。
あまりにも誰も来ないので写真撮っちゃったのですが、公開は控えます…
ガラス戸も鏡も水垢だか湯垢だかで曇っちゃって拭いても見えないし、蛇口からのお湯は、かなり長い時間出してないとお湯にならなかったし、洗い場の広さと洗面器の数のバランスがおかしいし(ケロヨンもあったよ!)ひのきの内風呂は熱すぎて足も入れられなかったのですぐ露天に行きました。
なんとなく無防備な柵のようにも思えましたがたぶん大丈夫。
枯れ葉が底に数枚落ちてる、けど不潔ではない、古い趣を独り占めしました。
ほんとに誰も来ませんでした。
500円で実質貸し切りしちゃいました。
タオルとかは無いので持っていきましょう。
すっかり忘れていたのでどこに入るか決める前に、香椎荘のすぐそばのセブンイレブンで買いました。


セブンイレブン、茶色かったです…

湯布院には公衆温泉もあって、200円とか300円とかで入れるところもあり、そこには「タオルあります」と書いてありました。
どうしようかなあ…と悩み、せっかくだから情緒も味わいたいと思って旅館の立寄り温泉にしました。

そのあとは金鱗湖へお散歩。



のどかでした。


引き続き母のことは放っといて、ごはん!おひるごはん!
とり天丼を食べようと思って入った店内メニューで団子汁を見てしまったらもう団子汁以外ありえない!と、なってしまい。


どーん!
七味をかけたり粉末の柚子胡椒をかけたりして、味の変化も楽しめました(^ ^)


そのあと、『何故こんなところにこんなエリアが??』と思いつつ行きには通り過ぎた「湯布院フローラルビレッジ」が気になったのでチラ見しようとしたら。
あらまー!!
不思議の国のアリスの原作の挿絵グッズのお店があって、動けなくなってしまいました!!
どーしよ!
どーしよー!!

悩んでる間に豪雨が降り出して、レジは屋根の無いところを通らないといけないので、雨宿りだわ!と言訳をしつつ店内ぐるぐるぐるぐる…
悩みに悩んで、自分には3月ウサギのエコバッグ。妹も原作アリス大好きなので、絵はがき2枚と、フラミンゴを抱いたアリスの巾着を買いました。
お皿やマグカップは、食器棚の肥やしになるからねえ…
お茶会の絵とか(アリスむっつり顔)、帽子屋のアイテムはたくさんあるんですけど、アリス単独のは売れちゃってるのかあまりなかったんです…
帽子屋はジョニー・デップのならともかく、原作の挿絵を知らない人にはクレイジーな二頭身ですよね…
10年ちょっと前、コッツウォルズのバートン・オン・ザ・ウォーターのマッドハッターというお店でジャケットポテトを食べました。机と椅子がぎゅーぎゅー詰めで、カーテンとか壁紙とかのカワイイ素敵なお店だったなあ…

雨がやんだのでようやくレジに行き会計をし、駅方面へ歩いてると、お土産屋さんの店頭で母発見。合流。
雨が降り出したので自転車を返し、コーヒーを飲み(普段は一人でコーヒー飲みに行ったりできない人なのです)足湯に浸かり(こんなことも普段は一人じゃ絶対しません)雨が止んだのでお土産屋さんをぶらついてたらマシンガントークの店員さんに捕まって出るに出られなくなってたんだそうで。
合流してすぐ「んじゃ!」と去りました。。。

帰りの電車までまだ時間があり、今回私が気になってた「やせうま」というスイーツがどうしても食べてみたかったため、甘味&喫茶のお店へ母とともに。
いまwikipediaを見たら、各地にあるんですね。やせうま。
日田辺りでは、おなかをすかせたおぼっちゃまに「やせ」さんがこれを作って食べさせたら、おぼっちゃまが「やせ。うま(いよ♥)。」と言ったのが由来らしいです。
wikiで書いてあるのはちょっとニュアンスが違うけど…

でも、ちょっと、このお店のは、甘味のボリュームじゃありませんでした。


多いし!!
あんこも乗ってるし!!
白玉もあるし!!
黒蜜もついてるし!!
さっき団子汁食べてきたばかりなのに、味付けが違うだけじゃね!!
おいしいんだけど多いよ!!
普通のうどん一杯分以上のボリュームあるよ!!

昆布の佃煮がついててよかったです。。。

このあと、日田に戻り、母方の叔父叔母が蛍の見られるところに連れて行ってくれました。
7匹くらい見られました!!
本当はもっと大群が見られるんですって。
川辺を工事していたので、その影響なのか…
叔父叔母は「しょぼくてわるかったねえ…」というようなことを言っていましたが、本物の蛍なんて私30年ぶりくらいですよ見たの!!
感動でした。
4匹くらいいると、明滅がシンクロするんです。あれは何蛍でしたっけ。
あれが大群でシンクロしたらすごいでしょうねえ!


こんなかんじで、久々の九州を楽しんできました。
なかなか、いつも帰省の用事ばかりで他に足を伸ばせないので、初の湯布院体験もできてよかったです。

ああ。
はやくまた遠くへ行きたい…


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2014/06/16

日田に行ってきた その2

行ってきてからだいぶ経ちましたが…日田に行ってきた の続きです。

母の実家へ。おばあちゃん…は亡くなったので、叔父叔母のいるおうちに行ってお仏壇にご挨拶。

そして近くの薫長さんで試飲&買い物&吟醸酒アイス。
豆田町にあります。

豆田は私が子供の頃はただの古い街だったのですが、最近とても観光地化しています。
最近はおひなさまで有名ですね。
赤司の日田羊羹、いた屋のうるかは外せないお土産です。
うるかって知らない人が多いと思います。鮎の塩辛です。
内臓だけで作ったのが、苦くて甘くておいしいんです。
お酒もすすむし、あったかいごはんにちょっと乗せるとペロッといけます(^ ^)



薫長の杉玉でかっ。
いつもよりでかくないですか??
ここには資料館もあって、昔使われていたお酒を造る道具などが見られますよ。
試飲は運転する父には我慢してもらって…(姉妹してペーパードライバーで(- -;;))


吟醸酒アイス。
赤米が入ってて、良いアクセントになってます。
これは運転する人も食べられますよ!

この日は小鹿田焼(おんたやき)の里に行きました。
日田市街地からずっと北の山奥にあります。
ソフトバンク携帯は電波入りません…。

バスも出てます。
小鹿田焼のwikipediaはこちら
小鹿田焼陶芸館というのができてます。入館無料ですので、ここでざっと予習してからまわるといいです。


10軒の窯元が密集しています。
長子相伝で、伝統を守り、窯元の銘を入れたりせずあくまで『小鹿田焼』として作っているのが特徴的です。


土を漉したりする仕事は女性がやるそうです。
ろくろをまわすのは男性だそうです。


唐臼という、川の水の流れを使ったしかけで土を砕きます。



朝鮮系登り窯だそうです。


この日は晴れていたので、形成した器を干しているところが多かったです。



各窯ごとに作品を展示即売しているので、気に入ったものがあれば、近くにある呼び出しボタンをピンポ〜ン。と押して、購入することができます。
窯元から直接なので、お土産屋さんで買うよりもかなりお安い値段で購入できます。
技術、製法はどの窯元も同じなのですが、それでもそれぞれ微妙な違いがあってとても面白いです。
私は今回、梅干しとか佃煮とか入れるのによさそうな小さな壷を購入しました♪
柳瀬さんのところです。が、ここは柳瀬さんと黒木さんと坂本さんだけなので、どの柳瀬さんか忘れました…
柳瀬さんは福岡の小石原(こいしわら)から招かれたそうで、小石原にも柳瀬さんという窯元がたくさんあります。


これがせんにひゃくえんで買えます。
お土産屋さんだともっとだいぶすると思います。
こういうものは一期一会。ビビッと惹かれたら購入を決めないと、どの窯元だったか忘れたりとか(^ ^;; 既に購入されてたりしますね。。

このあと小石原にも行きました。
ものすごい山道を車でず〜っと行きます。
対向車が来たらどうするんだろうってくらい狭い山道です。
途中、野生の鹿に出会いました。お互いビックリしちゃいました。
ぶつからなくてよかったぁ…

小石原の方がエリアは広いのですが、窯元と窯元の距離が離れてるので、いちいち車を止めて見学するにもなあ…というのと、こちらではそれぞれ個性を出して作品を作っているので、根本の技術は小鹿田と同じだと思うのですが仕上がりには《小石原らしさ》という共通点がないなあ…という印象でした。
普段使う器を選ぶ、という意味では、仕上がりのセンスの幅が広いので選び甲斐はあると思います。

このあと日田市街に戻り。
親族で屋形船に乗るのです。

それまで時間があるので、私が好きな《むらくもの松》を見に行きました。




パノラマ写真がうまくアップできるかしら…
高さ1メートルで、枝が左右にものすごい長さで伸びています。
小さい頃はこれの上を歩きたくて歩きたくて…(天然記念物ですから。できません。)
改めて、すごいなあと思いました。

つづきます。


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