四半世紀前の思い出話を書いています。
出戻ってきて、トンデモ担任になって、今だったら裁判沙汰になってるであろうことも多々起こり。
私は酷い喘息持ちでしたので、体育の授業は内容や体調によっては見学が多かったです。
みんながマラソンさせられてる中、一人で、焼き芋焼いてる焚き火番させられたこともあります。
今じゃ無いんだろうなあ。
学校の敷地の端っこの方に、大きな穴があって、枯葉とかそういったものを溜める場所があったんですね。
で、冬になると、燃やすんです。
ただ単に燃やしてもつまらないからと、各自家からさつまいもをアルミホイルで包んだものを持参させられ(じゃがいもの子もいた気がする)その中にぶっ込んで、焼き芋作るんです。
で、体育見学の私はひとり、火の番です。
「そこにいた方が暖かいでしょう。」
一瞬、担任の優しさを見た気がしましたが、小学生に一人でこんな大規模な焚き火番させるって、ありえないでしょ〜。
生真面目な私は、ボケーっと見つめることはなく、無意味に周囲をウロウロ歩いて過ごしました。
で、詳細はさすがに覚えていないのですが、体育の授業の後、火を消して(...消したのかなあ?)アルミホイルに包まれた芋を発掘し、給食の時に食べたんだっけなあ。
給食と体育が大嫌いだったので、速攻忘れました。
そんなんで、運動できない、給食食べきれず居残り、転校で鍛えられて口が悪い、気が強い割には病弱。という私を、なんでY君が好きになるの?と、不思議でした。
本人からは聞かずじまいでしたが。
Y君は、男の子からも人気者でした。
勉強はたぶん当時の私よりできて(私は幼少時は才女だったんです!見る影も無くなりましたよ!!)、運動神経抜群で。
たしか児童会役員に立候補して、なった気がします。
漠然とした記憶で自信がありません。
けど、彼がクラスの中で率先して何かを言いだしたりした印象はありません。
もしかしたらあれはY君だったんじゃないかなあ。と思ってることは、二つ。
蚊に刺されると異常に腫れ上がる体質の私。
腕かどこかを刺されて「わー。」と痒がり。
細い腕を半周くらいする腫れ方が私の通常営業で、みんながわーわー言うなかでひとり
「キンカン塗れば治るよ!」と言ったのが、たぶん、Y君。
当時私の家ではキンカンではなくムヒだったので、CMでは知ってたけど、キンカン?誰が言った?え、あなた?
と、たしか、Y君をきっかけにキンカンの存在を知った気がします。
その場にはキンカンもムヒもなかったので耐えるのみでしたが。
あと、詳細を全く覚えていないんだけど、何だったんだろうあれ。文化祭?そんなのあったか??クラスでお化け屋敷を作ろうということになり、何をどうやって作ったのか全く覚えてないんだけど「こんにゃくが落ちてきたら気持ち悪いよ!!」と言ったのがY君だった気がするのです。
しらたきだったかも。
なんなんだそれは。
と思いながら、なんか、できて。
こんにゃくだかしらたきだかが本当に、落ちてきたんだか触らないといけないイベントだったのか全く覚えてないけど「正体を認識していないブニブニしたものを触るとちょー気持ち悪い!」と知ったのは、Y君きっかけだった気がするのです。
さすがにここまでくるとY君も覚えていないでしょうね...
なんだか、関わりたそうなんだけどシャイみたいで、どう接したらいいのかわからないなあ。
と思ったのが、私が出戻ってきてから1年くらいの印象でした。
まだ続けちゃいます。
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