2014/04/24

願い そして彼が捨てた家族

おはようございます。

現在、週休5日(どころではない)グダグダ生活をしているわたしです。

彼氏とかいなかったときは、むさぼるように映画館や美術館に行ったり、一人であちこちお散歩してましたが、すっかり、しなくなっちゃいました。
私があまり一人で楽しんでると、彼が嫉妬するんです。
「ボクはいつでも一緒にいたいのにnamiはボクがいなくてもそんなに楽しんでる…」
って。

すっげーめんどくせえ。

逆に私が仕事で彼が暇なときは
「namiがいなくてボクすることないからずっとゲームやってよーっと。」

おい。

ホントにこれが嫌で嫌で。
一人でも街を歩いて季節を感じたり文化に触れたり、いくらでもすることがあるでしょうに、無為に過ごすことの理由を私の不在のせいにされても心底不快なのです。

2年経って少しはマシになっていましたが。

逆に私の方が、暇な時に全く何もしない人になってしまいました。

一人でいるときはとにかく休養したい。
ガキ以下のとんでもない甘ったれの彼の面倒を見なくていい時間は一人で真っ白になって過ごしたい。

そんなふうになってしまって、とても嫌です。
もうお別れするつもりなので、元のペースに戻したいのですが、彼に対する疲労感がなかなか抜けなくて、本当に未だに何も出来ません。


私はホントはどんな生活を送りたかったんだっけなあ。
と、最近考えるようにしています。
仕事や、誰か。…家族やら、実は相性が良くないんだけどそれを認められずにいる気のあわない友人などに振り回されず、自分のペースでひとつひとつの生活を大切にしながら毎日を過ごしたい。

こんなあたりまえのことができないんです。

自分の中の思考やルールや習慣を改めればいい。それだけのことなはずです。
けど、今の私は、一緒に暮らしていくパートナーになってくれる人を見つけ、そんな夢の生活を築いてゆけばいいと期待をしていたにもかかわらず。

逃げられました。

彼は
「ボクは逃げてない!!namiに捨てられたんだ!!」
と言い張りますが、私の側にいたいからと言ってずっと近所に住んでいたのに、プロポーズを漸く親にも認められた矢先に「お金がないからボク実家に帰るねばいば〜い。」のどこが逃げじゃないんでしょう。

もう諦めたので、私一人で、夢だった生活を開始しようと思ってるんです。
ちゃんと朝には起きて。
たとえ一日中オフでも身だしなみを整えて。
朝ご飯をきちんと食べて。
なるべくオーガニックな食品を使って丁寧な食事をして。
少しずつ肉食を断ってゆき。
無駄なものは全て捨てて。
床の隅っこや窓のふちには埃なんかなくて。
バスルームにはカビも水垢もない。
いつも庭を美しく花で埋めて。

全部、やればできるんです。
『今は逃げられたショックから立ち治れなくてできないの!』
と、逃げてるだけなんです。
逃げてるのはむしろ私なのでしょう。

もう、そろそろ、自分に発破かけるべき。
でないとすぐにおばあさんになってしまいます。

穏やかで優しくて思いやりのある、清潔で丁寧なくつろげるおうち。

夢は夢で、そんな生活を体験したことがないから、どうやったら実現できるのか。
どうやったら、家を清潔に和やかに保つためのモチベーションを維持できるのか。

そもそも、くつろぎって、なんなんだろう。

そんなところから悩んでいます。

どこになにをしまえばいいんだろう。

それがわからないので、とりあえず今は「しまう」ことより「捨てる」ことを考えようとしています。

思い出さなくていい過去。
思い出の品なんかなくても思い出せる大切な過去に関わるなにか。
そんなものは捨てればいいんです。

そう。
今思い出しました。


全く余談になりますが、中学生のとき、好きな男の子がいました。
私は小学生のとき2年ほど中抜け転校していて、戻ってきたとき初めて同じクラスになったYくん。
家が近所で目と鼻の先だったのと、Yくんは勉強もスポーツもできる優秀くんだったので転校前から知っていました。

私が転校から戻ってきたとき、転校前からのお友達も沢山いたので友達作りの苦労はありませんでした。却って、お友達になろうとしてくれる子がたくさんいて対応しきれないのが大変でした…ありがたいことです。
つい数年前に知ったのは、私が中抜けしてたことを知らなかった友人がたくさんいたこと。

『あのねー!わたし3年生の途中から5年生の途中までいなかったから、それ、知らないのよ!』
『えっうっそ。いなかったっけ。学級委員してたじゃん!』
『いたときはほどんどしてたけど、いないときに学級委員なんて出来ないでしょ!!』
『えっそうだったっけ!ずっといたと思ってた!!』
『結構浦島状態大変だったのよ!しかも3年生の2学期の途中でいなくなって5年生の3学期の途中で帰ってきて中途半端すぎて向こうでもこっちでも苦労したのよ!!』
『そうだったんだ!!今知った!!』

いい意味で捉えれば、それだけ私の存在感があったんでしょうかねえ。。。
たぶん『口やかましい』という意味ではないでしょうか…

けどほんと、学期の途中の転校、しかも関東から関西、関西から関東は、大人が思う以上に文化が違い、それによるイジメもめんどくさかったです。
子供の転校を余儀なくされる親御さんも多くいらっしゃると思いますが、そのあたりよくお考えいただきたいと思います。
正直に言いますと、うちの親は子供の苦労なんか1ミリも考えず体操服さえ学校指定のものを買ってくれなかったので(うちは貧乏の類ではありませんでした。財閥系勤務なので学校指定体操服のひとつやふたつ、毎日食べさせられてた和牛ステーキや本マグロの刺身のお金で何着買えたんでしょうね。)本当に大変でした。
しかも、子供って、大人が思ってる以上に残酷なんです。
そんなこと…と大人が思うようなくだらないことで、首を括らさせるほど子供たちは追いつめます。
私は口喧嘩ならいくらでも受けて立つタイプだったのと、期限付きで前の学校に帰るのが分かってたから我慢しましたが、そうじゃなかったらとっくに括ったり飛び降りたりしてると思います。
甘やかしすぎてもあれですが、『子供なんだから…』とナメてかかると取り返しのつかないことになります。
それをフォローする覚悟がないまま安易に転校させるのは再考すべきだと思います。

なんかどうも私は転校前にちょっとモテてたらしく、私がいなくなってずいぶん悲しんでたらしき子自身も転校しちゃったので、「○○のこと覚えてる!?」って、たくさんの男の子に聞かれました。
覚えてるし、いつも明るくて、優しくて、小柄で色白で、マッシュルームカットで、好きだったよ。ほんとに、男子とか女子とか関係なく、一緒にいて楽しい子でした。
彼も転校しちゃったのか…
でも私の最初の転校は9歳ですから…
今みたいに携帯もメールもないし、mixiもfacebookもLINEもないですから。
子供のお別れは、よっぽどのことがない限り、それっきりです。

そんな出戻り転校のクラスにYくんがいました。
私は当時は勉強がまあまあできたのですが、教科書が全然違うことや、音楽を主に、授業の進み具合があまりにも違うので「なんじゃこりゃー!知らんわい!」だったのと、出戻ってきてもやはり体育と給食が苦手でしょうがなくて困ってました…

そんななか。
10歳11歳をやっと迎えた小学生ですよ。

「Yくんはnamiちゃんのこと好きなんだよ〜ヾ(@^▽^@)ノ」

と騒ぐ子がちょいちょいいました。

えええ。
なんかそういうワイノワイノは他にもいろいろありましたが、私自身そういうのに興味が全然なかったので馬耳東風馬の耳に念仏豚に真珠猫に小判でした。
でもYくんとなると。
近所とはいえ、Yくんの親とうちの親の近辺はあまり交流がなく。あっても
「Yくんは賢いしスポーツも出来るしえらいわねえ〜」
的な会話はあったっぽいです。
私としても、私自身お勉強は当時はそれなりにできてたのと、リーダー役をさせられることが転校前も出戻り後も多かったし口達者、別の言い方をすれば口が悪い、敢えて褒めればリーダーシップがとれる。
という点で、私がY君に劣る点は

『運動が全然出来ない。給食を完食できない。喧嘩っ早すぎる。口が悪すぎる。塾に行ってないので塾に行ってるYくんには、ちょっと授業で難問を出されると教科書しか知らない私は完全に太刀打ちできない。白旗振るしかない。』

と、当時は思っていました。
どこをどう読んでも完全に敗北していますし、Yくんが私を好きになる理由なんか1ミリもないんです…(* *;;;

けど、小学生の怖いところ。
『Yくんはnamiちゃんのことが好きだから〜。』
というのを聞かされ続けてると、そうなのかなあ。と思ってしまいました。

そして中学生になり。
私は中学生で喘息を含めやたらめった病弱になって毎週一度は通院のため学校を遅刻したり、なんだかんだで部活を一年で辞めたり、部活辞めたんだから暇でしょってことで担任にゴリ押しされて生徒会に立候補させられたり、絶対やりたくないので選挙で落ちる努力をすげー頑張ってギリギリ落選したら次は学級委員長をずっとやらされるしで、且つ家は地獄だったので毎日喘息の発作で死にかけてたり学校から家での帰路さえ耐えられず道ばたで胃液を吐いたりしてました。

Yくんはやっぱりすごかったです。
クラスはずっと違いました。2・3年では隣のクラスでした。
私みたいに学級委員長とかはやらずにうまいことやってて羨ましかったです。
本当にスポーツがよく出来て、授業中に窓から見えるYくんたちのクラスの体育の授業を見てた子が
「あいつすっげー。うめえ。オレゼッテー勝てねえ。」
とつぶやくくらい運動も出来たし。
モテました。
当時の中高生女子向け雑誌に勝手に写真送られて載ったこともありました。

私はYくんのことをそんなに好きってわけでは最初はなかったのですが、どんな点に於いても尊敬すべき人だなあと感じたのと、私の知らないところで私の持ち物とかを褒めてくれていたらしいことを聞いたりして。家も学校も辛くてほとんど狂っていた私にとって唯一優しい存在となっていました。
当時の中学生。シャイの塊なので、なかなか話は出来なかったけれども…

私は何も言わなかったのですが、『namiちゃんはYくんのことが好き』ということに一般論にされて、「namiちゃんが詮索する分には誤解されないでしょう」という意味の分からない理由で、友人の好きな男の子が誰を好きなのか、どこの高校を受験するのか。などの捜索を依頼されました。
…しらんがなぁ〜〜〜。。。
困りました。

で。
Yくんは、おうちの事情らしく、高校は全く違う地方へ行ってしまいました。
卒業文集にも、それがショックだったと書いてたほどでしたし、Yくんと幼児期から仲良しだった子も「どこ行っちゃうのか教えてくれないの。。。」と嘆いていたほどですから、Yくんとしてもよっぽど悲しく寂しかったんだと思います。

卒業式と言えばボタンをもらう儀式。
当時うちの中学校の男子は学ランでした。
私は、Yくんが遠くへ行ってしまうらしいと分かったときからボタンは決してもらいに行かないと決めていました。
ボタンがなくても思い出はあるし。いつでも思い出せるし。
ボタンをもらってしまったらYくんと私にあった全て(つっても十代前半の4年程度…)がボタンでなにもかも終わっちゃう気がしていたのです。
…もっと本当の理由は、いろいろアタマの狂ってる自分が、あんなに夢のように優秀なYくんのボタンをもらうなんて図々しいにもほどがある。
という意識故でした。

Yくんの幼なじみのTくんも、ほかのいろんなお友達何人も、Yくん、第二ボタンだけまだ残ってるよ!!ほか一個も残ってないけどまだ第二ボタンだけあるよ!!
と教えに走ってきてくれました。
私は行きませんでした。
人としておかしいわたし。当時確信はなかったけど既に自分は狂ってると思ってた私。
狂ってるからボタンをもらいに行ったのではなく。
本当に好きで尊敬していますよと、素直にキチンと言えないなら、胸のボタンを思い出にくださいなんて言う資格はないと思っていたのです。

もしも。
もしも。
私のためにとっておいてくれたのなら。
今の私なら、言いに行けます。
尊敬していました。
憧れでした。
けど、私にボタンもらって欲しかったなら、自分からくれればよかったのにぃ〜(←おばちゃん全開)
って。言えます。

今これだけSNSとかいろいろあるのに。
Yくんにはどうにも、繋がれません。
大学以降の学歴の噂から、これがYくんだ!と確信できる名前はあるのですが、交流のための情報ではなく専門研究の特許関係での氏名掲載であり、今つながることのできる友人たち誰も、今のY君とプライベートで繋がれない模様です。
私は今、Y君に会いたくて、会いたくて、たまらないです。
憧れが崩れても構わない。
こんなに自分勝手にギャアギャア騒ぐ彼なんかより、目立たないようにしながら誰もが憧れるだけのことをしていた、今でも何らかの特許を取る技術を企業に所属しながら開発しているらしき彼に会って話がしたいです。
奥さんがいて当たり前の年齢です。そういうことじゃなくて。
憧れてた人に、会いたい。


過去を捨てる。
それって、とてもエネルギーがいるんですね。。
すぐ力尽きてしまっています。。


できれば書きたくなかったけど…
私自身がまだ許しがたいと感じてることを書きます。
彼は自己破産をしています。
前の家族との関係修復が不可能になり、家のローン等々はどっさり残っているけれど、もう住む気もしない家のローンを払いたくもないことや、有り金ほとんど元嫁に搾り取られたのもあり、そういう判断をし、それなりの時間をかけて自己破産成立しました。
そのおうちの住所が分かってしまったので、私は居ても立ってもいられなくなり、競売にかけられてるそのおうちを一人でこっそり見に行きました。
もちろん外側だけ。写真を撮ると不審者みたいだから撮らずにほぼ素通り。
他の誰かのおうちを探してるふりをしながら眺めてきました。

新興住宅地の高台にある、私からすればお城みたいなおうちでした。
家の中は無茶苦茶なまま競売にかけたと聞いています。
服とか写真とか雑貨とか食器とかいろいろ…
どうして片付けないの?そんな無茶苦茶なまま売れるの??

自分のものもかなりあるだろうし。。

売れば金になるもの…家電製品などは一つ残らず元嫁に持っていかれたとは聞いていました。エアコンもプリンタもベッドもすべて持っていかれてたそうです。
エアコン5台全部ですって。3人しか住んでないのにエアコン5台って何。
なんちゅー贅沢な。
ベッド3台持ってかれたそうですが3人で住んでたから3台であり。
子供連れて離婚したら2台しかいらないと思うんですけど、3台とも持ってかれたんですって。彼が使ってたのがクイーンサイズだかなんだか結構でっかいのだそうで、それは売ったんでしょうって。
元嫁もマメですよね。お金が欲しいからか執念深いからか知りませんが、売るために何もかも持っていくとは。

金目のもの含め全部持っていっていいからとにかく今すぐ離婚してくれって条件だったらしいのでまああたりまえですよね。

…私のせいじゃないですよ!!
その前から数回離婚調停しかけてたり、別居してたり、元嫁が勝手にとんでもない借金こさえてたりいろいろあったそうで、元嫁の親のところにアポ無しで文句言いに行ったりものすごく揉め続けてたんですって。

私は彼から、カラーレーザープリンターがあるから、持ってくるからあげるねと言われていたのですが、それも元嫁に持っていかれてたそうですよ。
それ以外の、雑貨や服や写真などはあっちこっちに放り投げたままだったと聞きました。
元嫁に関わる物事に手を触れたくないからそのまま手を触れずにきたと言ってました。
でも、子供のものだってあるんですよ。
子供との大切な品を取っておくこともしないで、ぐしゃぐしゃのまま競売にかかりました。中は見てないけど。
それでいいんですって。片付ける金がないから競売にかけるんだからって。

けも、それでいいから片付ける必要がないと開き直ってる彼に、私はとても疑問を持ちました。

そんなふうに自分のおうちの中の物をぐっちゃぐちゃのまま自己破産に持っていったくせに、私の家に彼を今だ招くことが出来ない理由を、
『私の家族が彼をまだ信用していないから。』
と、できればあまり彼に言いたくないから(絶対号泣するからという理由です)

『片付けられてないの。』

と言っていたら、とてもぎゃあぎゃあ五月蝿く言われました。

『いつ片付け終わるの、ボクが片付けてあげるよ、早くしてよ!!ボク何ヶ月待てると思ってるの!!』

…あなたは自分ちを触りたくないと言う理由で家具も何もかもぐしゃぐしゃのまま競売にかけるくらいの無神経さを持っているのでしょうけど。

私を一緒にしないで欲しい。
私は、片付けるにあたり一つ一つへの思いがある。
だからこそ遅々として進まないのはあるけども、元嫁のことが大嫌いだからって理由で家中の何もかもすべて放棄してきたあなたと一緒にされる筋合いはない。
元嫁のことだって自分がこの人と一生添い遂げると決めて娶ったんでしょうが。
その失敗を棚に上げて私のことを嘲られてもムカつくだけだ。


ほんとうに一日も早く彼の呪縛から解き放たれて、私の夢見る平和な生活のための、先ずは断捨離を。
進めたいです。

私はもう自由なんだから。


明日から2日間は、ちょっと遠くでお仕事です。
新幹線を使って行くくらいの場所なのですが、鈍行で行きます。特急代でないので…
で、ビジネスホテルにお泊まりしてきます。
ホテル代は出ないけど特急代以外の交通費は出るのでそれでまかないます。
明後日は全く逆方向の田舎の方で仕事です。行ったこと無いんだけど無事時間通り着けるかしら…頑張らなきゃ。

午後、モチベーションが上がったら断捨離また頑張りまーす!!


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