2021/04/24

乳がん手術入院のつれづれ その9

今回は、退院後の生活について書きます。

 

退院後の生活について

形成外科の主治医から、退院後は普通に生活してください。特に制限することはないです。ただ吊革につかまることとかあまり負荷をかけるようなのは避けてください。と。
仕事復帰はま〜まだ厳しいです。右手で5kg以上持てないなんて、肩から上に腕が上がらないなんて、私のできること限られすぎ〜。
家事はだいたい何でもできます。
...ですがまだコロナのせいで仕事がないのです。
仕事のことは置いといて...(普通の事務仕事とか営業さんとかなら普通にできると思います。飲食店のホールさんとかは辛そうかも...注文とるのに専念とか?)

で、仕事がないので私の場合家事でリハビリです。
とはいえ退院後しばらくは病理検査の結果が不安で、結構な期間、引きこもってました。
今日はちょっとスイッチ入ったので、洗濯機を2回まわしました。
朝風呂に入ったお湯をバケツで洗濯機にジャブ〜。
これを左手メインでやってみました。
つ、辛い...。
膝に手をついてゼエハア...。
干しっぱなしの洗濯物を畳んだり、冬物をまとめて収納する準備をしたり、ブラウスや浴衣にアイロンかけたり。
そして、最近毎日食べていたリンツのリンドールが切れてしまったので買いに行くぞ!
と、街まで徒歩でおでかけ。
道半ばで既に脚が...健脚の私の脚が...いたいわよ?
なんでもうこんな太ももあたりが痛いの?
早すぎるわよ、ちょっと。


道路脇のツツジが満開です。
昔は「蜜を吸って遊ぶもの」で、花としてはちっとも面白くないと思っていましたが、年を重ねると、美しく感じるものですねぇ。
...遅い?今頃気づくの遅いですか?


昔はこんなに淡いピンクとか咲いてたっけなあ。
蜜に夢中で花の色を覚えていないのでしょうか。

とりあえずショッピングモールへ到着し、店舗がだいぶ入れ替わってるな〜というのを観察し。今は右腕が水平プラスαしか上がらなくて、夏は襟ぐりの狭いTシャツとGパンで生きてきた私、着れない。この夏は何を着れば良いの??
と、ついに、スーパーのおばちゃん服売り場を徘徊する人になってしまいましたが、戦利品なし。
雑誌に載ったという、おしゃれミセスのなんとかシャツ的なコラボ商品みたいなの、企画者でモデルさんなのかな。この方は美しいですが、私が着るとなんか惨めで哀れな人みたいになるのは何なんでしょうか。。
コットンかリネンのブラウスを探そうと思います。
わたし襟なしブラウスって、ぼんやりしちゃうので、衿つきが欲しいんだけどなあ。
(で、ほぼ同じ形の服が増えてゆく。)

最近の食欲不振はちょっと危険レベルなので、リンガーハットの小さいちゃんぽんを半ば無理やり食べました。


このあとサーティーワンで何か食べるつもりだったのですがおなかいっぱいでリタイヤ。
さて、チョコはリンツもいいけど久々にメリーチョコレートもいいなぁ。
モロゾフ...くうぅ。
と徘徊してましたら、GW企画でいろんなお菓子やらなんやらのお楽しみ袋が売ってたので、アントステラのクッキーと、モロゾフのいろいろが入ったのを買い込んできました。
ほくほく。
お酒を断ってから、ちょっと上等なスイーツを欲する人になってしまいました。
リンツはまた今度〜。

そして、野菜の苗も買ってきちゃった〜
去年挫折して放置してボーボーの庭の手入れをするぞ〜
きゅうり、なす、万願寺とうがらし、ミニトマトを買ってきました。
買ってきたことでモチベーションを上げて、まずは雑草を抜いて土を耕して肥料を混ぜ込む。
これもリハビリになることでしょう!!

そうそう。
抜糸の時に既に形成の主治医に「僕的にはお風呂は普通に入っちゃっていいです。」と言われました。
とはいえ私は半身浴派なので腰まででまったりしてたら、1週間後「お風呂、普通に入ってください。泡で良く洗って。」と言われ。
ん〜?傷を避けて半身浴してるつもりじゃないんだけど、傷のところもちゃぷんとお湯につかれという意味に聞こえて〜。は〜い。
ドプンと上半身もつけてお風呂に入るようにしていたら、、完全にかさぶた状態だったバストトップからピンク色の皮膚が見えてきてヤホ〜!!
あと、大胸筋上のドレーンの出口だったのかなあ。胸の右上のところの丸いかさぶたが頑固でまだ取れないのです。
25日で術後一ヶ月です。そろそろカサブタはおさらばしたいので、肩までお湯に浸かってふやかして、泡でくるくる洗いを頑張ってみます。

なにせ右乳房の感覚がなくなってしまってるので、洗うのが、ちょっと恐々です。
洗ってる指は乳房やバストトップの存在を理解しているのですが、乳房は何も感じでいません。
周りの方から徐々に神経が戻ってくるらしいです。
あと、脇の下!腕上がらないから良く見えないし、ここもちょっと縫ってるので、なんとなく泡でモシャモシャして洗った気になってたら、良く見たら垢がたんまり溜まってました。
キエエエエエエ〜
縫い目はもう治ってるのでもう泡泡タオルでモシャモシャにしてやる〜!

メインの傷は自分では見えないので鏡で確認しています。
たぶん大胸筋下のドレーンが出てたのかなってところはまだかさぶたですが、ほかのところは結構つるすべになっています。わお。
せっかく綺麗になったのにここまた切ってインプラント入れ替えなのねぇぇぇ。
エキスパンダーに水入れるのはあと2〜3回で良さそうで、それからどのくらい様子見るのかまだわからないけど、ひょっとして半年後、9月になったら...
まだ一回目の手術のショックと衝撃(同じか)が抜けてないので、9月は近すぎてビビってます。
けど友人は、インプラント入れ替え手術は全摘出とエキスパンダー挿入の10分の1の楽さだったよ〜。と言うのでそれを信じて...
30日の診察...病理検査結果....ドキドキ...

で、私は家庭菜園でリハビリします!
リンパ節を少し削っているので、日焼けや虫さされ、土汚れによる感染症などに注意するように言われています。
蚊がなあ。
蚊が、私のこと大好きなんだよなあ。

頑張らなくちゃ、体力戻さなくちゃ、腕云々以前に仕事復帰できないっ。それは困るっ。

次回はがん保険のことを書こうと思っていますが、診断書がどうも病理検査結果が出てから書くっぽく、医事課に問い合わせてもなかなか仕上がってこないそうなので30日まで待ちます。
診断書がもらえて、請求書を出して、入金されたら、がん保険のことを書こうと思いますので一旦このシリーズはここでお休みします。
保険の担当さんが変わって、5月に一度お会いすることになっているので、そこでまたいろいろ相談すると思います。がん保険は乳房再建のことまでフォローしてくれるものに入っていたので、頑張って保険料払ってた甲斐がありました...。結構辛かったのよ、年とるたびに保険料どんどん上がっていって。けどうち絶対何かのがんになる家系だから、頑張りました...

そんなわけで、つれづれシリーズはゴールデンウイーク明けくらいまではお休みして、日常のことを書きます。
よかったらまた見に来てください。


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2021/04/21

乳がん手術入院のつれづれ その8

 今回は、抗生剤とドレーンついて書きます。


・抗生剤とドレーンについて

痛み止めの点滴が終わると、乳腺科から形成外科へメインの診察というか観察というか処置?に変わるようです。
誰だかよくわからないけど形成外科のお医者さんが看護師さんと話をしながらやってきて、
「今日からね、22時と6時と14時に抗生剤の点滴しますから。うちでやりますんで。」
うちってなに?形成?処置するのは看護師さんでしょ?
「全部で何回ですか?」
「8回です。」
「じゃあ3日我慢すればいいんですね。はーい。」

看護師チームは痛み止め点滴がが終わった後に抗生剤を入れるってことを知らなかったらしく(再建患者のルーチンではないのか?よくわからない。)ルートを差し替えしないといけないらしい。ここの付け根の部品でポチッてできないの?私刺せるところ少ないのよ?
で、オペ室から異動してきた看護師さんがぶつくさ言いながらやってたら、手首の血管貫通〜。
アウト〜。
探せども探せども、もはや手の甲しかなく。
「私、得意じゃないんだよなぁ」
「脅さないでくださいよおお。」
そしたら形成の先生を呼んできてくれました。
やはり手の甲にしかなく...。
「痛いですよね〜。痛いの嫌ですよね〜。僕も研修医の点滴の練習台によくなるのでね〜、嫌なのはよく分かるんですよね〜。」
「飲み薬じゃダメですかぁ?」
「うーん、異物を入れてるからねえ感染症が怖いから、しっかり薬入れときたいんだよね〜。」
と言いながら手の甲の血管にプスリ。
ここに生理食塩水の入ったシリンジをつないで、少量を注入して、逆に吸い出して血液が戻ってくるのを確認して、オッケー。ってことで看護師さんは固定作業に入るのですが、この先生は3〜4回出し入れして(人の血管で遊ぶな〜)
「大丈夫そうだね。手握って痛い?」

「ぎゅっと握ると痛いですけど、まあ、気をつけます。」

で、こうなりました。


なんという仰々しさ。
「これでも漏れちゃったら、服薬でいいって上の先生が言ってるから、ちょっと頑張ってください。」
「は〜い。」

しばらくして、トイレに行って帰ってきてるときに、部屋の前で私を探してるらしき、さっきとは別の形成の先生と看護師さんが。
「Namiはわたしで〜す。」
「おお。いたいた。手痛い?」
「痛くないことないですけど、気をつけます。」
と言うも、形成の先生は思うところあるようで、私の手を取って、テープをはがして様子を見て、針の角度を変えました。
あの...
これは廊下で立ったままする処置でしょうか...
それから2mmくらい浅めにしてみて、
「どう?さっきに比べて。」
「さっきより動かしやすいです。」
「よし、これで固定しよう。」
で、やっとこさ私のベッドのところに移動して、最善の深さと角度に刺したことを確認して、形成の先生
「で、このあとどう固定するの?僕いつもここまでしかやんなくてわかんない。」
えええ〜。
看護師さんが固定してくれて、やっとこさ落ち着きました。
これつけたまま、お風呂のときはビニール手袋借りて(装着するの結構大変だった)シャンプーもしましたよ!
ドレーンパックを首から提げてる状態なので、普通にやったらドレーンポシェットがずぶ濡れになってしまうので、空の湯船に自分が膝立ちになって、頭だけを洗い場に突き出して洗いました。
右腕があまり上がらないので、ビニール手袋した左手に頑張ってもらいました!

結局このルートは6回目で破損。
血管突き破って手がむくみました。すぐ治ったけど。
もう、しょうがないので、あと3回は、肘の内側に毎回刺す!作戦に。
22時の点滴のときに来た若い看護師さんに、ベッドの角度を平らにされて
「横になってください。」
と言われ。
痛いんだけどなあ、横になるの痛いんだけどなあ。
血管探して試行錯誤してる間に痛くてたまらんので
「やっぱり座った状態でやってもらえませんか。」
と言っても、横にならないと血管が見えないらしい。
うぐぐぐぐ。
右手で右胸に手を当てて。
手を当てると、少し痛みが和らぎますね。さすが、手当て。

苦戦してる看護師さんが
「成人でもこんなに細いんだ...」
と心の声だだ漏れ。
そして血管貫通。
はぁぁ。
ベテラン看護師さんが呼ばれて、新生児に使うという細い針でさくっと入れてくれました。
止めるテープにはクマちゃんのイラストが書いてありました。

なんとか8回の抗生剤点滴をきちんと点滴で終え、その後は内服薬の抗生剤を3日間飲みました。

傷の具合も良く、抗生剤も順調で、あとはドレーンが抜ければ退院です。
術後3日目の朝(Twitterには4日目って書いてるけど3日目でした)に大胸筋上のドレーンが抜けました!
ドレーンの写真はグロいので撮ってません。
術後は排出量が多く、途中で出して、合算していたようです。
量が落ち着いてくると、夜中の12時に出しに来て、24時間の排出量を確認していたようです。
術後初期の頃、ドレーンパックを見た医師に
「薄いね。うんうん。」
「薄いということは?」
「良いということです。」
「ほおおお。」
また別の医師は、ドレーンパックを見た後看護師に
「カルテになんとかがどのくらい、って書いてあったけどなんとかじゃなくてかんとかでしょ。あれ書いたの誰?一回これ全部出しちゃって。」
と言われてました。
たぶん、私には黄色っぽいような透明みたいに見えるだけの液体の中に更に種類があって、看護師の判別が違うんじゃないかという話だと予想しました。
ま〜、この、ドレーンパックの中身を出す作業がさ。
結構大雑把なのね。
検尿カップみたいなのを持ってきて、マッキーで「大胸筋上」「大胸筋下」って書いて、そのコップを私の掛け布団の上に置いて、ジョボジョボジョボ。と、移すのです。
う〜ん。
ワイルド。

ドレーンがどこから出てるのかは結局よくわかりませんでした。
脇よりももうちょっとで背中側のところで2本をテープでまとめて貼り付けてて、腰のあたりでチューブが出てきてました。
抜くときも見えなくて。
おなかの手術をした人が、ドレーンをとても不快に話していましたが、私は出口が見えてないので、管やパックは邪魔だけど入れられてること自体はそれほど...手術直後は、ドレーンの管があるあたりが痛いような気もしていました。

手術後4日目の朝に形成外科の若い子が来て
「お水の量が多いので、今日、お水足します。診察室に来てもらうんですけど時間がわからなくて、お呼びしますので。お願いします。」
と言いに来ました。
なんで水が多いと水足すの??
まあ診察室に行けばいいか。主治医はいない日だけど。
診察室に行くといきなり
「はい上脱いで横になって〜。」
エキスパンダーには磁石が入ってて、そこから水を注入するそうで、金属でその場所を確認して消毒するらしい。
私その時、胸の下の方に違和感を感じてて、その理由を知りたくて聞いたんですけども
「は?そこ何も触ってませんよ。」
「何なんでしょうかこの違和感は。」
「さあ。」
...もうちょっと何かあってもいいんでないのか??
こっちは体がどういう状態なのかわけわかんないし痛いし不安でいっぱいだっつーのに!
「明日も水が多いようだったら水入れますんで。」
「あの、その水っていうのは排液のことで、入れる水ってのは生理食塩水のことですか?」
「そうです。押し出すんです。」

その説明、最初に、しろ〜!!!!
若くてぽっちゃり、一応部長らしいけど、患者の気持ちに寄り添う気皆無!!!
後日Tさんも不快なことがあったそうでLINEがきました。
「私あの先生信用しない。お水入れてもらうだけだったらいいけど、相談は主治医にする!」
「ですよね!!!」
女の敵は女。
乳腺科の主治医は女だけど神です。

ドレーンの管はとてもよくのび〜る素材でした。
ついうっかりポシェット忘れてベッドを立ってしまっても大丈夫でした(慌ててレスキューしましたが)。

手術後5日目くらいに乳腺科の主治医が
「退院したい〜?」
と言ってきました。
したいけど、したいけどさ、まだ結構痛いし、起き上がるのに必死だし、自信ない〜!
「ほなわたし明日いないから、それまでに形成の先生がいいって言ったら木曜日私いるから(手術がある日なんですけど)自分で退院のアレコレしたいから、木曜日かな〜♪がんばって〜」

ほんとにさっさか退院させるんですね...
毎日新しい患者さん入ってきてるし...。

私が入院した時隣にいた方は、排液の状態がなかなかよくならず、12日くらい入院してたそうです。友人も。
私が7泊8日で退院できたことに驚いてました。
先生方としては、これくらいで帰らせたいっぽいです。
Tさんは痛みとか副作用のせいか、私より1日後に退院になりました。

退院後、今更ながら体験記ブログなど拝見しておりましたら、ドレーンついたまま退院させるところがあるんですね...ひえええ....感染対策おそろしい....



手術後2日目のお昼ご飯です。
こういうのも出るのか。
見た目はイマイチそうに見えますが結構美味しかったです。
総じてあんかけ使用率が高かった気がします。
これには父も「お、美味そう。」と言ってました。

私は本当に、術後の経過が良く、痛み止めが効きにくいのは苦労しましたが薬の副作用に悩まされることなく(眠気の副作用は出たのでよく寝た)麻酔のキレも良く、腕も水平よりやや高いところまで上げられて、順調で、本当にラッキーの連続でした。

病理検査の結果を聞くまであと1週間ちょっと...
たぶん軽いと思うけど、例外に当たっちゃうかもしれないし...
まだ不安は続きます...。


次回は何について書きましょう...
入院中のことは書ききった感じがするなあ。。
そうだ。小さなエピソードをいくつか思い出したら書きますね。



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2021/04/20

乳がん手術入院のつれづれ その7

 今回は、痛みについて書きます。


・痛みについて

私は多分、痛み止めが効きづらい体質なんだと思います。
入院したときに対応してもらった看護師がちょっと不思議な人で、いらん情報をくれまして。
私はお酒に強いです。中年になって、ビールには本当にアルコールが入ってるのか。と認識できるようになって酒量がやや減った感じに。ワインは一晩で1本空けるのは余裕です。
がんと分かってからは断酒してますけれど。
「お酒に強い人は、麻酔にかかりにくい場合があります。」
と言われまして。
アルコールを代謝する機能が高いということは、麻酔の成分もさっさと代謝してしまう、という考え方があるようです。
へ〜。
私にそう言われてもなあ。麻酔科さんに頑張ってもらうしかないしなあ。
その看護師さんは、そういえば言ったっけ。と、麻酔が効きにくいかもしれないことを2回教えてくれました。ハイハイ。だからどうしろと。
更に、余談ですが、私の手術時間は4〜5時間の予定で、他の人より長いということも何度も言われました。
そう言われても私、寝てるだけだしなあ。
1人で延々待ち続ける父が大変だろうけど。
実際、Tさんは4時間くらいで帰ってきたような。
抜糸のときに形成外科の主治医にそのことを聞いてみたら、
「それを患者さんに伝える意図がわからない。」
と言われました。
「人によって術式は違いますからね、長いとか短いとかそういうのは関係ないですよ。」
と言われました。
明細を見ると、私に麻酔をかけていたのは4時間32分と書いてありました。
へ〜。
で、その、お酒に強いと麻酔にかかりにくいという理屈でいくと、痛み止めの成分も効きにくいのではないかしら〜。
私は普段生理痛などに悩まされることが年に数回あるかないかで鎮痛剤をそれほど使用しないので実感ではよくわかりません。
手術後から、痛かったことを延々と書いていますが、薬を入れてもらえばそこまで痛くないかもしれないよ。ということを先に書いておきます。

入院中に痛かったのは手術した縫い目ではなくて、右乳房があったところ全体です。
大胸筋の下に異物が入っていて、筋肉が引っ張られてるから、痛くないわけがなく。
点滴での痛み止めは手術翌日で終わり、ロキソニンのジェネリックであるロルノキシカムの服用に変わりました。胃薬と同時に服用し、毎食後。それでも痛いときはカロナールをもらう感じでした。


本当にあの痛さをどう例えたらいいのか。
大胸筋の筋肉痛なんて、実感したことないし。
成長期に胸に痛みを感じることがありますが、あれとは全然違います。
ロルノキシカムは4〜5時間の効果だそうです。
私は数日間、夕方17時くらいになると右腕が重くなって痛くて辛いようになり、乳腺科の主治医が来たときに伝えると
「お昼食べた後に飲んで、4時間は過ぎたくらいだもんね。素直な体ね、薬切れる時間だから。」
と言われて笑っちゃいました。

痛み止めが効いている間は、じっとしていれば特になんともないのです。
動くと痛いんです。
何より、横になることと起き上がることが拷問のように痛くて。
退院する前日まで、電動ベッドを使わずに起き上がったり横になったりするのは「無理〜」と涙目でした。
少しづつ角度を浅くして練習しました。
リハビリの方にも起き上がり方を教えていただいて。
家には電動ベッドなんかないですから。
私の場合患部が右なので、左を下にして、柵とか捕まるところもないので足を曲げてまるくなるようにしながら、または足を先に下に降ろして、左腕で上半身を起こす。
という感じに。
この、起こす時が痛いのなんの。
私は家のベッドが右側から降りる配置にしているので、逆にしないと辛いかしら。
と入院中結構考え込んでいました。
けどなんか突然、それほど痛がらずに横になったり起き上がったりできるようになり。
あれれ?
驚きました。
帰宅してからは、ベッドの配置を変える必要なんて皆無で、するっと起き上がれるようになってました。

寝ている間に、体勢のちょっとした違いで激痛が走り。
私は枕を右の腰から背中にかけたあたりに置いて、右上半身にかかる負担を軽くするように頑張ってみました。
痛くない体勢を見つけるまでが大変でもう本当に。
痛いけどもうちょっとこっち向きになったらどうだ、無理だ痛い〜〜〜。
と、ほんの小さな動きに声なき悲鳴をあげつつモジモジしてました。

友人が
「自分が超合金ロボットになったみたいに痛かった。」
と言ってました。私の場合、右上半身に、体にぴったりフィットした鋼の鎧を装着されたみたいにガッチガチにされたような痛みが起きることがありました。
辛かったわぁ...。
それでも、動かせる限り背中や肩、腰回りの筋肉の位置を少しずらすと痛みが治まったりしました。


そういえば。
手術後の夜、右上腕の内側が痛くて痛くて、見回りに来た看護師さんに伝えたのですが
「そこは手術では触ってないから...手術後の一時的な痛みだと思いますよ。」
「時間経過でおさまりますか?」
「そうですね。」
と言われました。本当に治りました。
退院してから後輩に話したら
「手術の時腕を上げたりなんだりされまくったんでしょ、そのせいじゃないっすか。」
と言われてものすごく納得しました。彼女は乳がんとか経験してないので完全に想像ですが。すごい想像力だわ。
ただ、Tさんは退院後もそこに痛みを感じていたそうで。手術の時ここにつながる神経に触ったのかなあと言ってました。実際のところはどうなのかわかりません。

右の大胸筋を補助するためか、私は背中の右側の痛みに悩まされました。
乳腺科の主治医に「そうなる人よくいる〜。」と言われました。
ちょっとあんまり辛いので、湿布を処方してもらいました。
手術してなくても自分じゃ貼れないところなので、看護師さんに貼ってもらってました。
気休めだったかもしれないけど、貼ったほうが楽だったです。たぶん。
右の背中の痛みは今でも起きます。もうこれはただの筋肉痛かも。

今でこそわけがわかってきましたが、入院中はよくわからなかったこと。
胸のふくらみの、右の端っこのあたりがプニプニで。
その上の、胸のふくらみが始まるところより上のあたりもプニプニで。
これは何なんだ?腫れ??
触っても痛くないけどなんだこりゃ。
と思ってましたら、切除を免れた自分の脂肪をここに集めてるのだそうです。
上のやつは、皮膚をわざと上に寄せて、内側で縫いとめているのだそうです。
シリコン入れ替え手術で仕上げをするときに使うみたいです。
こういう状態なので現在の私の右胸はなんとなく四角です。

脇の下に時々何かを挟んだような違和感があったりしました。
今思うと、縫い目のところの腫れ?自分では見えないので腫れてるのかどうかもよくわからず、ドレーンの管だったのかもしれず。


退院して家のお風呂に入りながら気づいたのが、脇の下を少し切って縫われてることでした。
リンパ節の切除ってここからなのかなぁ。
病院のお風呂には鏡がなかったので家に帰るまで全く気づきませんでした。
脇の下のムダ毛を処理するときは脇の下の皮膚を引っ張りながら抜いてたのですが、もう引っ張れそうにありません。つまむことしかできないわ〜。
上腕もまだ90度とほんの少ししか上がらないので、ムダ毛処理できないでないの...
腕上がらなければ見えないんだから、いっか。はみ出さなければ。

ロルノキシカムの服用は3日くらいで終了して、私が結構、時間通りに薬が切れて痛がるからかなんなのか、トラムセットという薬のジェネリックのトアラセットというお薬に変わりました。こちらは胃薬を同時に飲む必要はなく、ロルノキシカムは1日4回飲むと胃が荒れるので1日3回だけど、トアラセットは1日4回飲めるので、寝ている間に薬が切れて痛みで目がさめることを防げるそうです。退院後もこれを処方されてます。毎食後と寝る前、1日4回服用して、それでも痛いとき用に頓服でロルノキシカムを処方してもらってます。ですが、頓服として飲んだのは2回くらいかな。

トアラセットは副作用として吐き気や眠気、便秘などの副作用があるそうです。
私は眠気の副作用しか出ませんでした。
処方された初期は、朝食後にこれを飲んだ後眠くて眠くて、漫画を読もうにも全然読めてなくて、諦めて横になってました。明るくて眩しいのでアイマスク代わりに畳んだハンドタオルを目に当てて。
看護師さんがバイタルチェックに来ても、眠いです...と言って寝たまま対応してもらいました。
今はそこまで眠くはなってないと思います。
何せ業界的に仕事がなく、コロナ的に外出自粛で引きこもっていますので...。
時々外出すると、久々の屋外のせいか、トアラセットによる眠気のせいか、なんなのか、ポワポワしてしまいます。転んだりぶつかったりしそうで、慎重に動いてます。

Tさんはこのトアラセットの副作用の眠気と、吐き気と便秘も、退院後もおさまらず、とても大変だったそうです。違う薬に変えてもらってからは動けるようになってよかった、と連絡がありました。
一般的にはこれらの副作用は数日で治るそうです。
従兄がこれの開発チームにいたそうで、説明してもらってなんだかとても心強く感じました。
乳がん手術を伝えている仕事関係者に、結構元気であることを伝えるために、Facebookで毎日の食事の写真を載せていたのです。それを見て、どうしたんだ?と思った従兄が連絡をくれて、そうかそうか、そのオリジナルの開発したんだよ、もちろん1人で作ったわけじゃないよ、と聞いて驚きました。


ジェネリック医薬品については、私は進んでは使わない派です。
別の従兄姉が医者と薬剤師で、ジェネリックを使うとオリジナルで発揮する効能が出ないことがあって困ると聞いて。
けどこの病院は公立病院だからかジェネリックを積極的に使っているようで、この薬でここの医者が良しと判断してるならそれでいいや。と今回の手術を経験して考えるようになりました。

退院してからの痛みはほとんど薬でコントロールできてます。
縫い目のところが服に当たったり擦れたりすると痛いな。くらい。
バストトップと縫い目のところに1日1回くらい軟膏を塗るように指示されています。
寝るときもブラジャーを装着するように、とは言われていませんが、ブラジャーをしないでいきなり部屋着を着ちゃうと軟膏が部屋着の内側にべたべた着いて取れちゃうじゃん?と思って、ずっとブラジャーを着けています。
友人や、他の方の体験談を読むと、術後一ヶ月はバンドとか、専用のタンクトップみたいなので締めてた方もいるようですが、私はそういうの何にもないです。
乳腺科の主治医に聞くと、私の場合、バストトップを残したけど結構ギリギリなので、栄養を行き渡らせるために締め付けることは避けているのだそうです。
そ〜なのか〜〜〜〜。


痛みとは違う話題になっちゃってますが、ブラジャー。
手術後腫れてワンサイズ大きくしないと、という体験談をいくつか読みましたが、私は全然そんなことなかったです。ユニクロのエアリズムのリラックスのMサイズを脚から装着(腕が上がりにくくて頭からつけるの大変)でじゅうぶんです。
再建が終わると、再建した胸の方を大きめに作るためにブラジャーのサイズが上がるそうです。まあそれでも私の場合、エアリズムのリラックスに関してはこのまま使えるんじゃないかしら。
ちょっとステキなブラジャーを新調するときは、試着しないとですね。


手術翌日の晩ごはん。
麻婆豆腐と、茄子の、何だったっけこれ。
父が「おかずが少ない!」と言うのも今では分かる気がします。
そして普段どれだけ食べ過ぎているのかを痛感させられます。
私は何故かリンゴをたくさん食べると吐いてしまうのですが、少しなら大丈夫、と伝えてありました。
これくらいなら大丈夫でした。
別の日に、もう少しだけ多めのリンゴが出たときは食後にゲップが出ました。まあそれだけ。
叔母がお見舞いにと上等なリンゴをたくさん送ってくれて、どーしましょ。と思っていましたが、少しずつゆっくり食べているせいか、上等なリンゴだからか、なんともなく、美味しくいただいています。


次回は、何の話をしましょ。
そうだ、抗生剤とドレーンの話でも。



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2021/04/19

乳がん手術入院のつれづれ その6

  今回は、手術開始から、手術後〜翌朝までについて書きます。


・手術開始から、手術後〜翌朝まで

私は学生時代に病院のお掃除のバイトをしたことがあります。
土日にワックスを剥がしたり塗ったりしてました。
そのとき大きな病院のいろんな部屋を見てヒャアアア〜となったことはありますが手術室は入ったことなかったです。
手術室前室みたいなところで一旦椅子に座り、点滴の袋を看護師さんが点滴台から手持ちに持ち替え、手術室の扉の中から麻酔科チームと思われる方々がいらっしゃいました。
ヘアキャップを被せてもらいながら、氏名と、これから行う手術の内容と部位を自分で言いました。
私の場合
「◯◯namiです。右乳房摘出とエキスパンダー挿入です。」
「右ですね。」
「はい。」
という感じです。
移動する時点からすでに私は、お注射頑張ろうねと大人たちに励まされている幼児のように扱われました。
手術室は中に更に4部屋だか6部屋だか8部屋だかわからないですが、廊下を挟んでいくつもありました。
棚にはなんだかよくわからないものが積んであり。
「うわ〜、うわ〜、はじめて見ます〜。ぶつくさぶつくさ。」
「そうですよね〜」
「うわあついに来てしまった〜」
麻酔科チームの別の方々と思われる人々に、ゴーグルの奥の目しか見えないけど多分笑顔で
「はい、こんにちは〜。こちらへ来てスリッパ脱いで横になってくださいね〜。は〜い。」
幼稚園児に戻った気分で
「よろしくお願いします!」
と言って、ねまきのまま横になり、胸をはだけました。
私は針検診の後のガーゼを止めたテープで皮膚が引っ張られて裂けてしまった跡がまだ残っていて、そのことを「あらら〜」と言われたり、バーバパパのマスクを褒められてエヘヘ〜と言ってる間に、マスクの上から酸素マスクを当てられ、点滴の袋に薬を注入したんだったか袋を変えたのか忘れました、
「はいでは眠くなるお薬入れていきます少しチリチリするかもしれません〜。」
「あ、手首がチリチリ、あ、腕にきました」

ここで記憶がカットアウトされています。

何かとても平和な夢を見ていました。全く覚えてないけどとても平和でした。
突然左の耳元で名前を呼ばれて
ぱちくり。
「はい?」
「手術終わりましたよ〜。」
あ、そうか。気持ちよく寝てたけど私手術だったんだ。終わったんだ。わあ、ホントに目が覚めたら終わってる〜と面白くなってしまい
「ホントに目が覚めたら終わってるんですね!」
と言ったけど声がカサカサで出ませんでした。口開けて寝ちゃったときみたいな。
「わあ、声が出ない!」
「酸素の管を入れていたのでね〜。しばらくそんな感じかもしれませんが戻りますからね〜。」
そんな会話をしながら大勢の人がさっさかさっさか作業をしていて、あれ?このお尻の感じ、わたしノーパンじゃない?右の胸、大量のガーゼ、あ、
「いたい〜」
「お部屋のベッド来ましたから移しますね、よいしょってしたあと少しガタッとします〜」
「は〜い、わあホントにガタッとした〜。」
振り返ってみるとどんだけガキンチョのような言動なのでしょうかわたしは。
あれ、ぱんつはいてないみたいだけど上も左胸にタオルか何かが乗ってるだけで、全裸じゃね?
病室のベッドに移ったらサササッと、おむつが装着されました。尿道カテーテルの違和感は全くなし。
上半身は、ガーゼみたいな柔らかい生地の、赤ちゃんの服みたいに袖などをスナップで止めるようなものを着せられました。前はガウンみたいに左右で重なってるだけと思われる。
たしか、同時に心電図の付け替えをやっていたような。あとで気づきましたが検査で使うような心電図のポチポチやケーブルよりもちっちゃいのがあっちこっちにくっついていたようです。それと、左手の指に挟まれたパルスオキシメーターがモニターの子機みたいなの(携帯用充電バッテリーくらいの大きさで、液晶画面が付いていて、それが病室の壁に着いてる信号コネクタに繋がれて、モニターチェックをしていた模様)とりあえず人差し指に挟みますけど嫌だったら他の指に付け替えていいですからね〜と言われる。は〜い。
乳腺科の主治医が
「おつかれさま〜。リンパ節ね、少し大きめに取ったから、むくむほどではないけど気をつけておいてね。」
「じゃあ今後は右腕で採血とか血圧測ったりは控えたほうがいいということですか?」
「その通り。」
これだけペラペラ喋ってるので、看護師さんか麻酔科の方が
「麻酔の目覚めはバッチリです!」
と言ったので
「知り合いに麻酔寝覚め最悪だって脅されてたけど、全然気分爽快じゃないですか、痛いけどぉ〜〜。」
うるさいからほっとかれたのか、声がちゃんと出てない中、ベッドを動かしてる音で聞こえてないのか、とりあえずそこらへんはほっとかれました。
エレベーターを待つ間
「いたい。いたい。」
と言っていたら主治医が
「お部屋ついたら痛み止めの点滴しましょね〜。」
あ、今痛み止め入れられてない状態なのか。
部屋のフロアに到着して、父に顔を見せ。
「おお〜目さめたか。」
「目覚め爽快。気分は非常に良いです。痛いけど〜。」
「5時間くらい寝てたからな。」
「そうなんだ。」
貴重品箱の鍵を返してもらい、最初は左手首につけられたのですが点滴の管に当たると手首に刺さってる針も動いて痛いので右にしてもらい。
あら、右手、肘から下は自由に動くんだなあ。足も動くぞ。足でじゃんけんぐーちょきぱー。右胸痛い〜。
なんだか無性にいろんなことが可笑しくて笑っちゃうんだけど痛くて笑えませんでした。

ベッドが定位置に戻ってくると酸素マスクとかモニターケーブルとか点滴とかがサササとセッティングされました。
やっぱりこのご時世だからマスクの上から酸素マスクするのか。
手術中はどうなってたんだろう。気管に管通しながらマスク、うええ??どうでもいいか。
私はストレートネックが原因なのかストレートネックの原因だったのか、ここ数年は枕を使わないほうがいいので外してもらいました。
下半身には電気毛布がかけられていたそうです。それはもういらないかしらね、と外してもらい。羽毛布団だけがかかってる状態。
何故それを看護師さんに聞いたかというと、腰から下はおむつ以外何もつけていない気がするけど何か布が肌に触れている、つまりどういうこと?と思ったからです。
こういうことかぁ〜。
羽毛布団の下には、この柔らかいトップスと、おむつだけかぁ。

かかとが痛い。
3年前に手術した友人が言ってたんです。かかとが痛かったって。
手術中に体を起こしたりなんやかや動かすらしくて、そのときかかとが引きずられて靴擦れ状態になったみたい、と。
私は擦れたような痛みはなかったのですが、ずっと堅いところに当たってて疲れてるような痛さがありました。
膝の位置を変えてみたり内股にしたりがに股にしたりして痛くない位置を探したけど結局痛いので、足に枕を置いてもらいました。楽になりました。
枕さん、なんか違う仕事させてすみません。

痛み止めの点滴を入れてもらってもなかなか楽にならず。
乳腺科の主治医が
「もう半分入ったからそろそろ痛みは治ると思いますよ〜。」

自分の部屋に帰ってきたのが18:30前後だったと思います。
点滴の袋が空になった。
いたい。
いたいぞ。
人の出入りがワチャワチャあり。

「術後2時間確認問題なさそうなので、酸素外しますね〜。」
「は〜い。」
「どうですか〜。」
「痛いです〜。」
その直後に、消灯〜。

どのタイミングで言ったんだったかなあ。どうにも痛くて。
あの痛みをどう例えたら良いのでしょう。
外傷性の痛みなんですけど。あたりまえですけど。
乳腺取っちゃって大胸筋の下に異物入れてるんだから痛くないわけがないっ!
寝てる体勢を変えていいと言われても激痛で動かせないっ。
消灯してしばらく頑張ったんだったかな。早く薬効いてこないかな〜って。
けどどうにも痛いのでナースコールしたんだっけな。見回りに来たときに言ったんだっけな。
手術後に点滴してもらった痛み止めは、金庫で保管しているいわゆる劇薬らしく、連続して点滴してはいけないらしく、確認してくるからちょっと待ってて。と言われ。少しして、劇薬ではないけどよく効くという点滴を入れてもらいました。それが落ち切ってもやっぱりいたい〜。

そうそう。
寝る前の薬を飲むかと聞かれたんです。私の場合常用してる睡眠薬です。
そのときは手術後2時間半くらいですからまだ興奮してるし、痛いし、痛さに気絶して寝るだろうなと思って、いらないって言ったんです。
気絶しなかったんです。
2本目の点滴の前だったか最中だったか、やっぱり飲む!と言って飲ませてもらいました。
ここでストロー活躍です。

睡眠薬飲んでも、痛み止めの点滴2本目打ってもいたい。眠れない。
いたい。いたい。いたい。
ナースコールして3本目の痛み止めの点滴。
一定時間経過したので、1本目と同じ点滴が使えるとのことで、強いや〜つ。
いたい。
午前3時だったか、4時を見たか...。
ちょっと寝たみたい。

朝が来て。
前後関係はよくわからなくなりました。
6時くらい?乳腺科の主治医とほか白衣の人たちがわらわらわら〜と来て。
そのとき電動ベッドの機能で上半身を少し上げたんだったかなあ。
「どう〜、眠れた〜?」
「3本目の点滴を打ってもらってるときにちょっと...あ、痛みがなかなかひかなくて痛み止め3本打ってもらったんですけど」
「聞いた聞いた〜。気持ち悪くない?」
「気分はいいです。いつもよりいいくらいです。痛い以外は。」
と言ってる間に上着をはがされ、あっちこっちについてた心電図のぽちぽちが外され、バストトップのところにかぶさってるガーゼを外して確認され。そのとき初めて術後のバストトップの状態を見ました。
あ、ちゃんと残ってる...
黒いかさぶた状態だけど...
右脇の下の、乳房の膨らみの始まるラインの、タンクトップを着ても目立ちにくい位置から切ると言われていて、そこは特にテープングとか何かされてる様子はなく。
あれ?
ドレーンの管を固定してると思われるテープは見えるけど、傷口は自分では見えない。
傷の具合を確認され。
「うんうん、順調。」
そうしてる間に形成外科の方と思われる男性がバストトップに軟膏を塗り。
うん、病院って、やっぱり異世界だなあ...
と感じました。

私たちのやってる舞台芸能のお仕事でも、転換のときなんか特に、無言で各セクションが迅速に動き回るわけで、それはこの状況とどこか似ているところもあるのですが、私たちの仕事では直接お客様に触れることは一切ありません。
医療現場の方々は、人間相手にそれをやってるんだなぁ...。
私たちも、目的は、人間(お客様)の愉しみのために動いていますが、医療現場の方々は、人間の命に関わることを、人間に触れながら、人間の心にも触れながら進める大変なお仕事だなあ...。
と、感じました。

傷や皮膚の状態、排液(Twitterに「廃液」と書きましたが、本当は「排液」のようです)の状態も良し。ただちょっとだいぶ痛がってる、という感じだったみたいです。

それから若い看護師さん2人が、体拭くから、って来たんだったかな。
ショーツはどこですかと聞かれ、棚の青い巾着の中です、黄色っぽいポーチの中にパンティーライナーが入ってあるのでつけてもらえますか。と頼み。
おむつを外され。わお。
おお、ちゃんと尿の管通ってるんだ、動かされても違和感とか何も感じない。
上半身の前側を拭いた後、下も拭かれ。
うむ。この人たちは仕事でいつもやっているんだ。恥ずかしがることはないのだ。それどころではないのだ。痛いのだから。
腰を少し上げて。と言われても拷問のようで。どっこいしょ!と、ぱんつをはかせてもらい。
では座りましょう。と言われても。
それ以上上半身を上げられる気がしない〜。
と悲鳴をあげても完全スルー。問答無用で角度を上げられ、そこから座る角度に、えいっ、と押されました。ああああ。
背中を拭いてもらい、ガウン式の寝巻きを着せてもらい。
座ってじっとしてれば騒ぐほど痛くないけど、動くと痛いよ〜。
「では点滴を押しながら歩いてみましょう。」
えええええ〜
わたし手術から帰ってきてまだ15時間経ってないんですよ〜鬼かよ〜
足を下ろしてベッドに座る姿勢になるだけでヨロヨロ。
そこから立ち上がり。ひいいい。
一歩。一歩。
右胸が痛いだけでなんでこんな、起き上がるだけ、立ち上がるだけ、一歩歩くだけが大変なの。ヨロヨロ。
「気持ち悪くないですか?」
「気持ち悪さは全くないです。」
そのままトイレまで行って、戻ってきました。
「トイレまで行けたので、バルーン抜きますね。」
バルーンって、導尿の管のことだったのか。
ベッドに浅く腰掛けて、またぱんつを下ろして、
「息を吸ってください。ゆ〜っくり吐いてください。」
ふ〜、っと息を吐いてる間に管が抜かれました。
想像の3倍くらい長い管が出てきました。
「そんなに長いのが入ってたんですか。」
「そうなんです。」
あとで分かりましたがこの看護師さん、オペ室付きから移動してきたばかりだそうで。なんか他の看護師さんとペースが違うなと思ってたんです。

歩く練習をしたのが朝食前だったか後だったか忘れました。
手術後初めての食事がこれです。



私は中年になってから牛乳をごくごく飲むとお腹を下すようになったので、牛乳はやめてもらい、毎日朝食時にヨーグルトが出されました。
通常は牛乳が出されてるみたいです。
この献立に牛乳って。
右上の黒いのはお茶です。毎回、一杯付いてきました。
食事の写真は毎回撮って、父と妹にLINEで見せてました。母はアナログ人間なのでLINEとか一切無理で、父が見せてたと思います。
ご飯の量が毎回多いなあ。と、私も、写真を見ていた妹も思っていたのですが(父は、おかずが少ない!と言っていた。)ごはんだけでも結構美味しくて、毎回完食してました。
ふりかけ不要で。
食事の写真を全部ここで見せてもしょうがないと思うので、そういえばこれ。と思ったのがあったら載せます。

朝食後からロキソニンのジェネリックのロルノキシカムを飲み始めました。
ジェネリック医薬品の商品名って、なんでこういう名前にしたのかしら。ってのばっかりですね。どういう文法なんだろう。

こんな感じで、手術翌朝を過ごしたのでありました。


次回は、時系列ではもうよく覚えてないので、痛みとのおつきあいの流れについて書いてみようと思います。



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2021/04/18

乳がん手術入院のつれづれ その5

 今回は、手術前日から、手術後病室に戻ってくるまでのことを書こうと思ったのですが長くなったので、手術直前までの話を書きます。



手術前日から、手術直前まで

手術の前日に入院しました。
手術は翌日なのに朝8時までに行かないといけませんでした。診察や入院の受付が開始する前なので、直接、入院する病棟のナースステーションに行く段取りでした。
父が車を出してくれて、平日の朝の微妙な渋滞の中、30分くらいかかったかな。
案内の職員に時間まで待てと止められるも「乳がんで入院なので直接ナースステーションに来るように言われています。」と申して直行。
同じ日に手術したTさんもそうやって止められて同じように答えたのに、医事課の職員と思われる女性に頑として止められて遅くなったようです。看護師さんが詳しい状況を確認して、上に報告してました。

何故そんなに早いかというと、センチネルリンパ節の場所などを確認するための撮影をするにあたり、撮影できるようにするための薬剤を乳輪の横あたりから注射するためだそうです。8:30くらいには注射しないと夕方の撮影までに目的の位置まで薬剤が行き渡らないということなのかしら。
乳首周辺は敏感なところなので注射が痛く、昔は局部麻酔をしていたそうなのですがその麻酔のための注射も痛くて、注射自体は一瞬で終わってしまうので、だったら一度だけの我慢にしてもらいましょ、ということになったらしいです。
私も、ちくっとした、いたい、ほんとにいたいぞ、
「いーたーいー」
と声を出したら
「終わりました。」
でした。ふう。
それで、夕方まで待たなかったなあ確か。14時過ぎくらいにIR室に呼ばれて、台に仰向けになって、右腕を横に伸ばした状態と、上に上げた状態で15分くらいかかりました。
CTとかMRIみたいに台が動いて、かなり目の前まで機材が迫ってきて少し驚きます。

話が前後しましたが入院してナースステーションに到着したら、まずは翌日の手術の手術開始予定時間を、立会いする父と一緒に聞きました。
私は2番目となり、13時頃ではあるのだが1番目の方の手術状況によって前後するので、立会い者は開始予定2時間前の11時には到着していて欲しいと言われました。
コロナ禍なので病室での待機はできず、フロア内のラウンジで、1名のみ。入院の説明の時は交代してもいいという話だったはずだけど交代NGだそうで、これも上に報告すると言ってました。
どこも部署間の連携は大変なものですね...。
乳がん患者のフロアは産婦人科と共同で、男性トイレがないので父はトイレに行きたい時はナースステーションに「トイレ行ってくる。」と言ってエレベーターで外来フロアへ移動して、戻ってきたら「戻りました。」と言わないといけなくて結構大変...。しかも私の手術は4〜5時間の予定なので、7時間くらいそうやって過ごさなくてはならず。後で聞いたらラウンジは携帯電話の電波がとても弱くて、だいぶ退屈したようです。

父とはこれでさよ〜なら〜明日よろしく〜。

注射が終わった後は、入院の書類的手続き。
提出するものがたくさんあって、持ってくるべきだった印刷物とか、いらなかったものとか、も〜、めんどくさい。
そして足の太さを測って弾性ストッキングのサイズ確認。結構高価なので、乳房再建で次に手術する時も持ってきたほうがいいと言われました。
弾性ストッキング自体は聞いたことがあったけど、とてもはきにくいので、はきやすくするためのツルツルしたアイテムの存在に感嘆しました。
それと左腕に名前とバーコードの付いてるバンドを装着されました。

手続きが終わったら、巣作り。
荷物を解いて棚などにいろいろ配置。
引き出しに入れるべきもの、棚の取りやすいところがいいもの、取りにくいところでいいもの。使わないのでもうキャリーケースにしまいっぱなしでいいもの。冷蔵庫に炭酸水をイン。ラウンジの自販機の横にテレビと冷蔵庫を使うためのカードが売ってるので一枚購入。早いけどIRの撮影に行く時ねまきの方が楽だろうから早々に病院から借りるねまきに着替え。
途中でTさんと一緒にフロアの案内をしてもらう。お風呂の使い方、給湯器を使っていいこと、などなど。
これが終わった時にTさんに話しかけ、翌日手術すること、患部は左右違うがエキスパンダーを入れるというところまでは同じことをするらしい、よし、がんばりましょう!と励ましあい。
そして今現在なんにも具合悪くないけどお昼ご飯。
ん?
うまい!と言うほどでもないけど、結構美味しい?かも?

巣作りが落ち着いちゃうと暇。IRに呼ばれるまで何してたっけ。鬼滅の刃読み始めたり、ワイヤレスヘッドフォンのチェックをしたり。
薬剤師さんが来て、常用薬の確認と、ナースステーションで管理するということで全部没収。わあ〜ソラナックスも渡してしまった〜。もういいか、ここまできたらまな板の鯉だ。
そして手術前日マストのお風呂。
乳腺科の主治医が登場!よろしくお願いします!超緊張しています!!!
今日中にエコーを撮って印をつけたりする予定だったけど私は明日お昼からの手術だし今日はこれから先生が他の病院にヘルプで行かないといけないので、明日にしよう!と、なり。
外科医って、タフだなあ...。
看護師に伝えると、あら、じゃあ今日はもう、ごゆっくり。
と、なるも。落ち着かない...。
漫画やラジオやテレビやなんかで感情に触られるより、黙々としたことをやろう...。と、編み物。看護師さんに「何編んでるんですか?」と聞かれるも「ブランケットのレシピなんですけどはたしてこれをどう使うつもりなのか私もわかりません。単純作業で気を紛らわせたくて...。」
そして麻酔科の研修医くんによる確認。頑張る若者。
リハビリのお姉さんによる説明と、説明を聞きましたの同意書サイン。

まったりしてると、館内放送。
電子カルテシステムがダウンしてるとな。
紙で進めろと指示.....。
1時間と少し過ぎて、復帰との放送。
おいおいおい、大丈夫なのかここ...。
手術後、看護師さんに話すと
「わたしお休みの日でよかったです...紙でやれって言われても...」
「紙と電子カルテ同時に作ってるんですか?(電子カルテ導入初期の時代にそういう仕事をしたことがあって、その頃は並行して使っていたので。20年くらい前だな。)」
「いえいえいえ。全部パソコンです。」
「じゃあ大変じゃないですか。履歴とか確認できないし。」
「そうなんです。ホント休みの日で良かった...」」
「ひ〜。」
リハビリのお姉さんに聞くと
「わたし5年いますけど初めてですよびっくりしました。」
「そうなんですか。よくあるんだったらここヤバいぞと思ってたんですよ。私は手術前日だったからほとんど他人事で、大変そうだな〜と思ってました。」
「なんかコードが抜けてただけみたいなんです。」
「え。なんで。」
「たまたま他の業者が入ったらしくって。その時に何かあったのかなって。」
「システムさん真っ青だったでしょうね。」
「ほんとに。おさわがせしました。」
ああ、驚いた。

常用薬の服薬のタイミングの度に持ってきてもらう。飲み込むまで見られてる雰囲気。
友人たちから励ましのLINEが。有難い...。特に経験者の励ましは心強い...。
麻酔科の医師が来て血圧のこと再確認。リズミック飲まないと上が90いかないの〜。そうかそうか。という話。今夜は緊張するだろうけどスマホ見たりしてなんか気楽に過ごして。と言われる。今考えてみたら、研修医くんにソラナックス飲まないでと言われてエ〜と言ったので、そのフォローもあったのかも。
晩ご飯。やっぱり結構美味しくないか?不味いと感じることなく箸が進んで完食するというのは、つまりは病院食にしては美味しいということではないだろうか?のりたま使わなくていいぞ??
21時以降は水かお茶以外口にできず。
消灯時間に寝る前の睡眠薬を渡され、飲む。まだ早いよう。寝ました。

手術当日。
かなり早い時間に目が覚めたけどどうしようもないのでスマホ見てたら早朝からバイタルチェックとかいろいろあって慌ただしい。
弾性ストッキングを履く。こういう感じなのか...。
弾性ストッキングの上からも、名前とバーコードの付いてるバンドを装着されました。
経口補水液を渡される。あと30分くらいまででもう、これと、お水ちょっとしか口にできません。


思ったより水でした!
想像以上に、りんご風味の水でした!
ゼリー飲料的なのかと思ってたら普通にさらさらの液体でした!!
開腹手術の方はこれどころじゃないんだもんなあ。絶食の上、下剤飲んだり浣腸されたりだもんなあ。楽なもんだろ。と、自分を励ます。

8時半くらいに、Tさんが手術室へ。
エレベーター前で小さくガッツポーズをしてエールを送る。
Tさんも応えてくれた。

歯磨きして、リステリンでくちゅくちゅして、一応髪を2つ結びに。
肩につくかつかないかの長さなので、ちょこん。ってなってて、看護師さんに「まあカワイイ。」と笑われました。ふふふ。

形成外科の主治医と研修医さんたちかしら、が、ゾロゾロといらっしゃった。よろしくお願いします!!!
研修医さんかしら、若手さんかしら。が、胸にマッキーで印をつけました。
胸のふくらみの下ラインとか左右の中心線とかっぽく。
主治医が研修医さんと思われる小柄な若者に「少し下にするとね、云々。」と説明してました。何が下なんだろう。聞いてもわかんないだろうからいいや。上手くやるコツなのでしょう。よきにはからえ!!(何者)

点滴が始まる前に検査室に呼ばれ、超音波エコー。
乳腺課の主治医が入り口のところで笑顔でお出迎えに待っててくれました。わ〜ん。いい先生。
腫瘍のあるところや、切るところかなあ。を、チェックして、マッキーで印をつけました。
マッキーなんだなぁ〜。
医療現場でもマッキーなんだなぁ〜。
マッキーがないと世の中困るんだなぁ〜。
と、そんなことを考えてました。

10時くらいに点滴。やはり腕の良いところに血管がないので手首。わ〜ん。
この時点では、生理食塩水にちょっと栄養が入ったものを入れてるらしい。
これがあると編み物ちょっとしづらいけど、できないことはない。左だし。黙々と編み物。

お昼ご飯の時間だけど、私はかんけーないもんねー。スマホ見たり、鬼滅の刃読んでみたり。
Tさんのベッドがどこかへ運ばれていき、何かをセッティングする音がカチャカチャと。
ここでは病室のベッドに移して運ばれてくるのかと気づく。
12:55に出発の予定ではあったけど遅れそうという情報が届く。父にLINE。
同じフロアにいるのに顔を出しに行けないという矛盾したご時世。
何時だったかな。Tさんがベッドごと戻ってきました。心電図の音がなんとも、臨場感。
次はオレの番だぁぁ〜。。。

ところで、
3年前に別の病院で同様の手術を受けた友人は、
「T字帯が嫌なので産褥パンツを持って行った。」
と言っていて、ほう。そういえば父が前立腺の手術をする時(切除じゃなくて放射線を出す石を埋め込む手術)T字帯がどうの、ふんどし〜、とかそんなことを言ってた気もするけど、今回はT字帯というキーワードが一度も出てこないなあ。
手術室に向かう時は、ぱんつと、弾性ストッキングと、ねまきだけ。と言われ。
結果、この病院ではT字帯は使用せず、手術中はどうしてたのかわからないけどおむつを着けられて戻ってくるやり方でした。
そして、友人は手術着に着替えたらしいけどその説明はなく。
手術室に着いたらヘアキャップをつけて、手術内容と部位の確認がある、とだけ言われました。
あと友人は手術後に硬膜外麻酔が痛み止めになってたらしいのですがそのキーワードも出てこないので入院時に看護師さんに聞いたら、それは脊髄とか頸椎とか一部の患者さんに使うことはあるけど背骨のところに刺すので漏れてないかの確認が大変だし、患者がボタンで注入操作ができて、タイマーか何かで入れられる時間を管理しているみたいなのですがリスクが高いという考え方だそうで、私は点滴で痛み止めを入れられるとのことでした。
硬膜外麻酔の方が良かったと思われたっぽく、いやいや、そっちの方が怖いと思ってたので逆に安心しましたと申しました。

看護師さんが来て、手術室から、13:40に入るように連絡があったので、13:35にエレベーターに乗りましょう。と言われました。
きゃ〜。
父にLINE。
エレベーターに乗る前にラウンジを経由して、父に貴重品箱の鍵(パラマウントのユニット棚の引き出しの中に貴重品箱がくっついてました。大きさは、ほぼ日のひきだしポーチ姉がギリギリ入るサイズでした。ぱつんぱつんにモノ入れてたら入らないかも。がん治療が始まったのを機に追加購入したひきだしポーチ姉はお薬手帳が入るので何かと便利です。)を渡して、いってきま〜っす。と、出発。

私はもともとよく喋る方ですがま〜この状況なので麻酔が効いて寝ちゃうまでよく喋ったと思います。麻酔から覚めてもよく喋りました。



次回は、手術後の話を書きます。
どこまでかなあ。翌朝までくらいかなあ。


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