2015/03/22

メンタル#13…高校生時のことなど

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと
メンタル#9…高校生時のこと
メンタル#10…高校生時のこと
メンタル#11…高校生時のこと
メンタル#12…高校生時のこと

の、続きです。

少し話が遡りますが。
子供は、学校で起きたこととか、遠足や修学旅行でどんなことがあったとか、お友達の誰ちゃんはこんななんだよ!とか、いろんなお喋りをしてくると思います。

私も例に漏れず、中学校の卒業旅行(と、いう名目ではなく、校外学習という名前でしたが)に会津に行ったときのいろんな話を聞いてほしくて、帰宅後母にいろいろ喋っていました。
全然聞いてくれてないなあ。
とは感じつつも、聞いてほしいので話していたのですが、ある瞬間

「うるさい!!私はあんたの話を聞くために存在してるんじゃない!!そんな話いちいちするな!!」

と、怒鳴られました。

え。そうなんだ。

聞きたくないんだ。
話しちゃいけないんだ。
私が何を感じたか、何に驚いたか、何が嬉しかったのか。
聞きたくないんだ。

その瞬間に、わたしのまわり全体にシャッターが降ろされて、何を感じても何を伝えたくてもその気持ちを受け止めてくれるところなんかどこにも無いのだ。わたしはわたしのこの中だけで喜びも哀しみも感動も悩みも一人で処理しなくてはならないのだ。
もう、なにも、話さないようにしよう。
何を願っているか。何を想っているか。
この人に話しても、聞きたくもないし、聞くために存在している『親』でもないのだと。

それより前に、中学生以前のとき
「誰に食わせてもらってると思ってるんだ、衣食住与えてやってるんだから相当額の金払え!」
と怒鳴られたことがあります。

わたし、普通に実子です。
中学校は義務教育です。
当時私はちょっと頭の回転の速い、言われたら言い返す子供でしたので

「何言ってるの?わたしまだ義務教育中だよ!大人は子供に教育を与え守り育てる義務があるんだよ。働くことも許されない中学生に何言ってるの??」

と普通に言い返したら、

「育てる価値もないわ!!自分の面倒は自分で見ろ!!理屈ばっかり主張してなにもしないくせに義務とか語る権利は無い!!」

と、意味の分からない罵倒をされました。

高校生くらいのときは

「今まで育ててやった衣食住と教育費と手間賃全部払え!!」

と言われました。

うち、貧乏じゃないんです。
食事がやたら毎日豪華で、衣は不十分(いつ着るんだよっていうドレスとかは結構ある。)教育は学校以外の何かを望んでも叶えられず。
ペットを飼ってみたくても、私の喘息を理由にNG。
中学生の時やっとハムスターを買ってもらって妹と一緒にお世話していました。
ハムスターの寿命は短いですので、寿命相応の年月で死んでしまうと、「気が済んだだろ」と言わんばかりにケージも何もかもすぐさま処分されてしまいました。


《すぐさま処分》で思い出しました。
幼稚園くらいから、母の日にお母さんに絵を描きましょうとか、ねんどでプレゼントを作りましょうとか、あると思います。授業で。
私も絵を描いたり、ねんどに色塗って紐を通して「ペンダント〜!」とかいって、喜んでくれるのを期待して、渡しました。
渡したときは
「なにこれ。フン。どーも。」
と、何かの引き出しとかに突っ込まれ、数日後にはゴミ箱に突っ込まれています。

「こんなペンダントして出かけられるわけ無いでしょ。」

と、ゴミ箱行き。

私の気持ちとか、そんなの、いらないのか。
ダイヤモンドもプラチナも買えないから、ねんどで気持ちを伝えましょ。って主旨の授業で作った作品。
もうゴミ箱行き。

もう、気持ちを伝えるためのプレゼントを作るのなんか止めよう。
そう思ったのはまだ小学生のときでした。

プレゼントでなくても、工作の授業で作ったもの。
小学生の時、筒型の、貯金箱になるプラスチック素材のまわりに紙粘土で造形をして色を付けてニスを塗って、オリジナル貯金箱を作りましょう。という授業がありました。

そのとき私はリスの貯金箱を作りました。
リスの後頭部から小銭を入れるのです。
私は自分でこれをとても気に入って、家に持って帰った時「上手にできたと思うの!」と自慢をして、自分の部屋に飾って、嬉しくてときどき手に取って自画自賛していました。

それから間もなく。ほんとうに間もなく。
ものを捨てられないタイプの母に珍しく捨てスイッチが入ったらしく、なんかいろいろ捨て始めてました。
すると私の部屋にもやってきて、ほんの数週間前に持って帰ったばかりのそのリスの貯金箱を勝手にゴミ袋に入れました。

「どうして!!どうしてこれを捨てるの!?気に入っているのに!!」
「こんなガラクタに価値はないだろ!!」
「(…ガラクタ!!!)」

私は言い返すことはすれどかなり聞き分けのいい子供だったと思いますが、このときはさすがにショックで、何時間も泣いていました。
こんな酷いことも我慢しないといけないのだろうか。
おかしすぎる。
と、泣きながらゴミ袋を漁って、貯金箱を救出して、枕元に置いてやはり泣きながら寝ました。

どんなに私が大切だと思っていることを伝えても、あの人にとってゴミなら、私の気持ちなんか無関係なんだ。
そう気付いたのは小学生のときでした。


いつだったか忘れましたが。
誰かお友達の家に遊びに行った時。
折り紙で作ったブローチとか、クレヨンで描いた家族の絵とかを、額に入れてリビングに飾ってるおうちがありました。

私はそれを見た時、心が凍り付きました。
うちでは数日後にゴミ箱に突っ込まれてたこういった拙い、けど思いを込めたものを、わざわざ額に入れてリビングでいつでも見られるように飾ってくれてるおうちがあるんだ。
捨てるどころか、額に入れて何年も大切にしてくれるんだ。

私の気持ちがどれだけ《いらないもの》扱いをされているか、痛いほど自覚しました。
本当に、痛かったです。


こんなふうに少しずつ、自分が日常的に親にされている辛いことごとは、普通のおうちでは幸福エピソードとして大切にされているという違いを現実として認識し始めました。

さんざん罵倒された数分後には「一緒にリビングで過ごそうよ〜」としつこいので、なんでさっきあんだけ私の存在を完全否定したのに今これなの??と思いつつリビングに行っても、火サスのエロシーンを見させられるだけなのです。

一人で見てればいいじゃん。
しかも寝てるし。
全然意味分かんない。
あ、歌舞伎やってる。見たい。
チャンネル変えると起きてきて殴られる。

今思えば、母は更年期障害だったんだと思います。
でもそのせいで私の人格を全否定し、理不尽な虐待が許されるとは今でも思えません。
「更年期だからしょうがなかったの。ごめんね。」
と、もし今更言われても、それで私の人格がメチャクチャになった現実は変わらないし、それを開き直られてもおかしな話です。

のちに医師たちに言われました。

「自分で自分を育ててきたのね。それだけの目に遭ったら普通はもっと捻れてしまうのに、あなたはそれを自分一人で乗り越えてきて、ここまで真っ当な、もしかしたらそれ以上の誠実な人間としてここまで頑張ってきたのね。」

そうなのか。
そうなのか。
と、涙が止まりませんでした。
私が辛かったことは、異常なほどのことだったんだ。
普通の人はこんな苦しみ知らぬまま優しさと愛に包まれて大人になっているんだ。

次からは、時系列の記憶がはっきりしなくなってくる、高校卒業以降のことを中心に書いていこうと思います。

辛かった記憶を思い出して文字にするのは、かなりヘビーな作業です。
けれど、最近、かなりナアナアな感じで両親に接しられてることと、もうそろそろだいぶ老齢な両親と今後どう向き合えばいいのか、心を整理するためにも、私のためになると思って書き始めました。



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2015/03/17

メンタル#12…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

私を教育するためにお金を工面したりしてくれる親ではありませんでした。そもそも子供に情操教育が必要だと考えたこともない親ですし、勉強なんか自分でやれと放置する人でしたので(で、できないと怒られ聞いても怒られ殴られる)教育にお金を使うアタマがなかったんでしょうね。
なのに、音楽やスポーツで頭角を現している身近な人々や有名人と私を比較しては
「それに比べてうちの子はなんにもできない。情けないやら恥ずかしいやら。」
とヌカすので、とうとう私はブチ切れて

「習いたいって言っても尽くやらせてくれないのはあなたでしょう、何もさせないでいて比較するってなしでしょ?そんなこと言うなら私がやりたいと思ったことに興味を持つなりさせるなりしてよ、家に閉じ込めて何もさせてくれないのに何言ってんの!」

と、思わず言ったら予想通り殴りかかってきたので反撃して腕を捻りあげてやりました。
反対側の腕を使って私の側頭部めがけて拳が飛んできたので、当たる前に掴んで突き飛ばしました。
初めて堂々と反撃しました。
これで更に殴り続けてきたらもう警察に保護してもらおうという覚悟をして、部屋に戻って、出ていける用意をしました。
…まあとにかく当時本当に喘息が酷くて、高校の時にもそのまま気管支炎になって一週間くらい入院して、吸入器がないと不安で外出できないくらいで、階段を昇るだけでも大変で、中学2年くらいからずっと体育のマラソンはドクターストップだったくらいなので、家出はそれこそ命取りになるので我慢してきましたが、もう限界でした。
出ていけるように荷物をまとめていても、なかなか部屋に突入してきません。
その日はもうそのまま放っといて部屋に閉じこもり、その後どうしたのかよく覚えていないのですが、母は何事もなかったようにケロッとしてました。
その後、また殴ろうとしてきたらすぐに私が反撃の姿勢をとるようにしていたら、殴ろうとすることが減っていきました。
…なんだ、わたし、積木くずしみたいに、さっさと家で暴れる子になってたほうが早かったのかなあ。とつくづく思ったのでした…。


家が貧乏ではないのは分かってました。
医学部とかになっちゃうとわからないけど、私がターゲットを絞り始めた分野での学費が払えない経済状態ではないくらいは、日々の無駄な浪費生活を見ていればわかります。
今までの恨みを晴らすような気持ちを抱いて、その後の進路決定を強行しはじめました。

で、うちの高校は進学校だったのもあり、そもそもそういう考えがなかったので、友人と進路について話しながら「おお!」と思ったのが、専門学校という選択肢でした。
そういう学校もあるのか!
当時はインターネットなんて便利なものはないので、進学情報誌みたいなのをいろいろ集めて、なんだ、別に大学じゃなくてもいいじゃん。ほっほー。いっぱいあるねー。
そう思い始めている時に珍しく家に父がいて進路のことを聞かれたので、専門学校を考えていることを話すと「どこでもいいから大学に行ってほしい。」と言われました。
大学だったら私は美大に行きたいと何度も言ってた。けど美大用予備校に行かせてもらえないので、美術の先生も相談に乗ってくれた。今から独学で追いつくのは自分では無理だと思う。絵を描かずに行ける興味のある大学はA大とかB大とかC大とかだ。そこ以外の大学の勉強には興味がない。だから専門学校を選択肢に入れている。
と言うと「どこでも好きなところでいいから大学に…」と父は言いました。
言ったな!言ったな!聞いたぞ!!

美大に行きたいのに美大用予備校に行かせてもらえないから諦めた、という話は当時父にもしたはずなのですが、それから10年くらい経って私のアタマが完全におかしくなったときに、焦って右往左往する父に改めて怒りを込めて話したら、初耳だ、みたいな顔をして「えっ、そんな…」と言われました。
何なんでしょうかこの人たちは。

この人たちは、私が文化祭で演劇部で主役の一人(主役三人って感じの作品だったので)をやる、9時開演だ。と言ってるのに13時くらいにノコノコ学校に来てウロウロしてて。
「何やってんの。」
「あんたの演劇みにきた。」
「とっくに終わったし。」
「えっ?次何時から?」
「もうやんないよ。映画館じゃないんだから。」
「何時からだったの?」
「9時って言ったじゃん。」
「9時だけなの?」
「9時からって言ったら9時からだけです。」
うんざりしてもうほっときました。
この人たちはその後の私の実習発表公演なども観に来てません。
このときの公演では、台本が分かりやすかったおかげもあるのですが大好評で、終演後に、観てくれてた友人達が泣きながら抱きついてきて褒めてくれたものでした。

もうひとつ私が父を軽蔑するようになったきっかけ。
私は当時、同級生の影響もあってライトノベルの一部分野にハマっていました。
風の大陸、アルスラーン戦記、なんだ、かんだ、吸血鬼ハンターD。
ファンタジーとかですね。恋愛ものとかには全く興味無しでした。
アルスラーンとDで天野喜孝さんの絵に見とれ、え〜この人ガッチャマンとかタイムボカンとかハッチとかの人なの!え!え!タツノコプロで絵描いてた人がこんな絵も描くの!えっ、えええ!
と、図書室から借りたりお小遣いで買ったりして表紙や挿絵を模写したり、ベッドのアタマのとこに積み上げて、寝る前に眺めてうっとりしてました。
ビジュアルの業界に行きたいと思ったのは、これとか、あと萩尾望都さんや竹宮惠子さんの作品に夢中になり、こういうのを作る人の中に入りたい!と思ったからでした。

ある時何かで私は父に怒られて。なんでだったかな。なんで怒られてるんだろうと思いながら放っといたら

「そんな本ばかり読んでいてなんちゅ〜子じゃ。その作者がどんな本書いてるのかお父さん知ってるんだぞ!」

…何言ってるんだろう??

「恥ずかしげもなくそんなに積み上げて。もっとまともなもん読め!」

……ああ。
菊地秀行か。
菊地秀行さんがエロエロ小説を沢山書いてることくらい本屋さんでDとか探してたらわかります。
でもこれは朝日ソノラマじゃ。
ジュブナイルでラノベでターゲットはモロ私世代じゃ。
あんたが読んでるエロ小説以外にも書くんだよ菊地さんは。
あんた今の発言で自分の無知と、自分がエロ小説ばっかり読んでるって恥を一度に晒したんだよ?どんだけ恥ずかしいか自覚する必要があるでしょ、これ全部読んでから今私に何言ったのか考えて、それでも同じセリフを言えるなら言ってみなさい、私は既にあんたを軽蔑したけどね!それはもう拭えないよ!
何黙ってんのよ、言い返してみれば!!

と、全部言いました。
父はニヤ付きながらどこかにいきました。

きもちわるい。
あのおっさん、すっげーきもちわるい。
世間的にはエリートなんだろうけど、私はひたすら軽蔑する。
娘の胸を揉みたがり、それを拒むと手とかあちこち握ってくるあのおっさん、エロ小説ばっかり読んでて菊地さんがどういう作家かも知らずに偉そうに恥晒してる。

無理。

無理。

続きます。

長いって!?
すみません。気が済むまで続けます。


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2015/03/12

萩尾望都原画展に行ってきた

銀座で行われている『萩尾望都原画展』に行ってきました。
2010年に単行本『銀の船と青い海』が発行されているのですが、今回はその文庫版の発売記念にともなう展示会のようです。
会期15日間と短いですが、なんとか行ってきました。


↑は、単行本版です。
既に持ってるんだけど、会場で文庫版買っちゃった…

入場は完全に無料でした。
会場の場所がよく分からなくて、だいぶ銀座散歩をしてしまいましたが、プランタン正面入り口を見てそのままちょっと左に行けばありました。
とりあえず銀座2丁目に行けば見つけられるんじゃね?と行ってみたら、散々散歩して結局むっちゃ分かりやすい場所にあったという…
iPhoneにナビしてもらえばいいんですけど、そんな必要は無いって思って結局散歩しちゃいました(^ ^;;)



これは会場に貼られてたポスター。
お天気がよかったので、小学館からのお花も置かれていました。
ほかのお花は店内にいくつか。

入場はフリーです。
ほんとうに、いかにも銀座の狭い画廊での展示でした。
平日の真っ昼間に行ったので、混んではいませんでしたが、やはりじっくり見たい方が多いので、動きはゆっくりでした。

展示されていた原画は、萩尾望都作品目録を運営なさってる永井さんの記事でご確認ください。
思ってたより原画は小さくて、細かく描きあげた細密さに驚きました。
細かい中で、インクの濃淡を使い分けています。
こんなに細かくて、なんで滲まず塗れたの??
私は素人ですので拙い感想だと思いますが、これほどに細かい画角にこれほどとは思っていませんでした。
油絵なら上からどんどん乗せられますが、インクでこれほどとは…
グッズ情報も、萩尾望都作品目録のページでご確認ください。
ポーの一族の紺のTシャツは全サイズ完売だったので、注文してきました。
トーマのグレーも買おうかかなり悩んだのですが、パジャマ候補として箪笥の肥やしになりそうなので我慢しました…
ちょっと、色と絵柄セレクトが実用的でなさすぎて…
メッシュとミロンとか、マニアックだけど銀の三角とかあったらよかったのになあ…
ちょっとあのピンクと緑は、マニアでもパジャマか箪笥の肥やし一直線…
メッシュや銀の三角だったら、作品を知らない人でも(あそこに行く人でこれらを知らない人はいないと思いますが)買おうかな。と思えたと思うんだけど…
トーマのグレーは未だ名残惜しいんだけども…
きっと、箪笥の肥やし…

結局購入したグッズは


トーマの心臓トートバッグ。
これ、普通に使うつもり満々なんですけど、何も知らない若い方はきっとBL作品のグッズだと思うんでしょうね。
違うから!
そんなことで怯むおばさんじゃないから別にいいんだけどね!!



クリアファイル2枚セット。
クリアファイルは何かと使うので、こういった催事のお土産によく買います。
上のエドガーとアランの『ポーの一族バレンタイン・カード』は原画も展示されていて、業界人っぽいおじさまおばさまが「原画こんなに小さいんだね!B5かA4くらいあるのかと思ってた!」とお話しされていました。


会場で買った本は2冊。
「銀の船 青い海」は単行本を持っていますがまた買っちゃった!
あと「マンガのあなた SFのわたし」
この対談集は全部欲しかったのですが、とりあえず年代が古い順に…
この帯になってる絵の複製原画「セレナーデ」が欲しくて欲しくて欲しくて…
結局我慢しました…
買えない値段ではないけど我慢するのが大変でした…
展示されてた複製原画、本当に、ものすごかったです。


書籍を購入すると1冊に1枚もらえるポストカード。
2冊購入したので2枚入手できました。
萩尾さん大好きな九州の従姉に今度会う時に1枚あげようと思います。

グッズは基本的に入り口前のレジ清算で、Tシャツ注文書もそこで記入します。
カード払い?と聞かれたので、できるなら。と答えると、奥の店舗レジに案内されました。
この画廊、普段は全然知らないのですが、奥には丸尾末広モノがたくさんありました。

萩尾さん大好きすぎて、ファンレターを書きたいとず〜っと思っているのですが、好きすぎてお手紙にならないのです。文章にできないのです。
文章作成は得意なはずの私が、お手紙に気持ちをまとめられないのです。

だいぶ昔ですがいちどトークショーに行きました。
ステキなネックレスとマニキュアをしてた萩尾さん。
とってもマイペースで、マイクを離すたびに
「どうもどうも。」
と言うのがツボにはまって、もっと大好きになったのです。

会期、短いよう!!

Tシャツが届くのが待ち遠しいです。


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2015/03/10

集合住宅の騒音

私がメンタルを病んだ過去の話をむちゃためまくり続けてるところへ、雑談エントリです!
シムズの話全然してなくてごめんなちゃい!


今私が住んでるのは、3LDKで、上の子供が中高生くらいまでの、家族4人か5人が限界な団地です。
たぶんそもそものコンセプトが新婚家庭とその数年後、って感じの団地です。
そのコンセプトから最早30年以上。

私が住んでるのも、実家も、その団地の1階なので自分たちはともかく、もう、同級生の実家のおじさんおばさんとかは、結構大変なのです。
5階建てで、エレベーターがないのです。
当時は法令上それで良かったんですって。
5階ってかなり大変です。
最近はネットスーパーが発達してきたし、そう遠くないところにコストコがあるので、買い物上手なお宅ではそういったサービスを利用しているようですが、そうでないお宅では、お米買うだけで大変です。
徒歩10分圏内にスーパーもコンビニもなんです。
酒屋はあるけど。

そんな現状ではありますが、新婚家庭が買うには大変お手頃価格になっていて、近隣に実家があって家庭を持った同級生が「実家近いし安いし広いし友達いっぱいいるし、いいんじゃね?」って感じで私の住む団地に部屋を買ってるのが数人います。
私はそんな中で、いまだ独身で、3LDKに1人で1階に住んでます。
両親は違う棟にいながら!わたし1人で別棟に住んでるの!文句ある!?(言わせない)

両隣は私を幼少時から知ってる人ですし、ふたつ上は幼なじみですし、近くの酒屋は同級生の実家なので私の行動は実家や近所に筒抜け。という、ある意味安心な環境です。

私はあまり家にいないのでね〜。
回覧板がうちで滞っちゃったら先にまわせる人が見てくれてます〜。
実家がどこかも知ってるので「お父さんかお母さんに聞いといてね♪」とか言われます〜。

んで。
いま、ひとつ上に、小さい子供のいるご家庭がいるらしいんですね。
最近は引っ越しのご挨拶をするとかえって問題があったりするので、挨拶無しが多いそうですし(私は親が勝手に近隣に挨拶終えてた。棟が違うだけで近隣顔見知りなので「娘が単身来ますヨロシク〜」な感じだったらしい。)気にしてなかったんですね。
で、わたし、仕事してるとホントにマトモな時間に家にいないので全く気付かなかったんです。
今年に入ってホントに暇になってしまい。
そしたらまー!
午後の、ある時間から、上の階で走り回る走り回る。
行き止まりになったら元来た道に戻る。
また行き止まったら(エンドレス)。
って感じのドスドス音が延々。

…子供は24時間走ってるわけじゃないですからね。
力尽きれば終わるんです。今日のところは。
こんなに走り回る年齢も、たぶん、永遠に続くわけじゃないんです。
たぶん。たぶんね。
あの元気さからして男の子かな。と勝手に思ってます。
幼稚園や小学校に入ってグアーっと体力使うようになれば、2時間も3時間も走り回ることは終わると思ってるんです…
私自身、必ず毎日家にいるわけでなく、最近仕事がなくて暇でどうしようもなくてずっと家にいて、音がうるさいだけですから。。
自分の家族が迷惑被ってたらともかく、私だけ、暇なときだけなら…
我慢…
今日は、した。うん。
我慢してたら終わった。
そんなもんだよね。きっと…


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メンタル#11…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

進路のことは本当に行き詰まりました。
最初に消去法で。
教師にはならない。いままで尊敬できる教師に出会ったことがないから。
幼稚園や保育園の先生とかになりたい。
でもピアノが弾けない。
習って練習すればいいよ、と言われるのだが予備知識があまりにもなさすぎ。
習って練習すれば、という人は幼少期に若干でも何かしらを習ったことがある人なんですね。そう簡単に習得できる気はしないし、ピアノのコンプレックスが引っかかってほかのことが伸びなくなりそうだから諦めました。
(これは後に同じ理由で妹も諦めていました…)
好奇心としては、私はSF作品が好きなので、天文台とか、航空宇宙学とかにと〜っても興味がありました。
地学はともかく…数学が…物理が…
頑張るにも、どうにも、頑張ろうと思って教科書や参考書を広げてもアタマが全く動かなくなる。
地学は教科書を読めばサッサと理解できて、公式もパッパと覚えて、地震の伝わる速度とか惑星の距離の計算とか一発正解すぐできるのに(もうできません)、数学や物理になると何故こんなにも分からないんだろか。何故なんだろか。
生物も割と理解できるんだけど…
化学は父が専門なんだけど、専門家の人は、分からない人が何故分からないのかが分からないので、教えてもらおうと思って聞いても「なんで分からないんだこのバカ何を勉強してるんだ!」と怒られるのでもういやだ。


とりあえず数学のないクラスに入ったし。
でも、文学部行って何するかなあ…
経済とかも全然興味ないんだよなあ…就職に有利って言ったって、そういう業界に全く興味がないのに、勤まらないだろうし、そもそも興味ないとこ行っても続かないだろうしなあ…商業とか政治とかにも全く興味がないんだよなあ…
外国語は、興味ある人と分かる人に任せる。私はいいです。
音楽はもちろん無理。
声量がちょっとばかしあったので、声楽科を目指してるクラスメイトに「歌はクラシックだけじゃないんだよ!こんな学部もあるんだよ!こういう人が出身なんだよ!」勧められましたが、いやいやいや…ちょっと現実的でなさすぎる…リトミックって何?って状態から追いつく時間が全くないっす…

だいぶ前から私は絵を描く人になりたいと思っていました。アニメーションにも興味があって。
で、美大に行きたいと思い、美大受験用の予備校に行きたくて母に相談したのですが

「お母さんだって習いたかったのにやらせてもらえなかったんだから、自分で稼げるようになってから習いなさい。」

と、意味の分からない言い方で一蹴されました。

「美大に行きたいの。」
「勝手ばっかり言って通用すると思うな!」

もう、相談するだけ自分がどんどん惨めになってゆく。
進路のことなのに。

私は高校の3年間、芸術科目は美術を専攻していました。
美術の先生がいろいろなことをさせてくれる方だったので、デッサンは一年の初期の頃だけで、あとはコラージュとか日本画とか、油絵でキュビズムとか、陶芸とか、七宝焼とか、鎌倉彫とか、自由手法でシュールレアリズムとかを楽しませていただきました。
日本画と鎌倉彫は次の学年へのお手本として美術室に展示してもらえました。
シュールレアリズムは最後の作品となったのですが、アタマのおかしい私があちこちからガラクタを集めてきて明らかにアタマのおかしい作品を作って呆れられました…

私が美大受験用の予備校に行かせてもらえない理由で美大受験を諦めようとしていることをクラスの友人に話したら、美術部で、美大受験組の先頭を走っていたような同級生が美術の先生にその話をしてくれたそうで。
放課後に美術の先生に呼び出されました。

「…って聞いたんだけど、本当?」
「…はい…。」
「お前はきっとそういう道を選ぶと思ってた。」
「……そうですか?」
ま、あのアタマのイカレタ作品作った時点で私が家庭でどんな目に遭ってるのかは美術の先生にはなんとなく想像がついてたと思います。。。

美術の先生から言われたことは、《落ちる人は何年習って何年浪人しても落ちるし、受かる人は習わなくても受かるもんだ》ということでした。
習わせてもらえなくても、放課後に美術室に通って練習すればいけるかもしれないぞ。
という内容でした。
ほんとうに、ほんとうにありがたいことだなあと思って、確かあの時泣いてしまったと思います。
でも、ずっとプロに習いながら絵の練習を何年もし続けている人と、私が、もし万が一受験で同時に合格してしまっても、そこから先追いつけるとはとても思えなかったのです。
うちでは浪人は絶対に許されないし…穀潰しって殴り殺されそう…

その頃美大に行ってそれで何するのかとか具体的な考えはまだありませんでした。
ただとにかく、ビジュアルで何かを見せることについて学んでいきたい、それが私にできること。なのか。したいこと。なのか。わからないんだけども。
目標をそっちに定めてみよう。
とりあえずそれだけ決めました。

続きます。


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