メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと
メンタル#9…高校生時のこと
メンタル#10…高校生時のこと
メンタル#11…高校生時のこと
メンタル#12…高校生時のこと
の、続きです。
少し話が遡りますが。
子供は、学校で起きたこととか、遠足や修学旅行でどんなことがあったとか、お友達の誰ちゃんはこんななんだよ!とか、いろんなお喋りをしてくると思います。
私も例に漏れず、中学校の卒業旅行(と、いう名目ではなく、校外学習という名前でしたが)に会津に行ったときのいろんな話を聞いてほしくて、帰宅後母にいろいろ喋っていました。
全然聞いてくれてないなあ。
とは感じつつも、聞いてほしいので話していたのですが、ある瞬間
「うるさい!!私はあんたの話を聞くために存在してるんじゃない!!そんな話いちいちするな!!」
と、怒鳴られました。
え。そうなんだ。
聞きたくないんだ。
話しちゃいけないんだ。
私が何を感じたか、何に驚いたか、何が嬉しかったのか。
聞きたくないんだ。
その瞬間に、わたしのまわり全体にシャッターが降ろされて、何を感じても何を伝えたくてもその気持ちを受け止めてくれるところなんかどこにも無いのだ。わたしはわたしのこの中だけで喜びも哀しみも感動も悩みも一人で処理しなくてはならないのだ。
もう、なにも、話さないようにしよう。
何を願っているか。何を想っているか。
この人に話しても、聞きたくもないし、聞くために存在している『親』でもないのだと。
それより前に、中学生以前のとき
「誰に食わせてもらってると思ってるんだ、衣食住与えてやってるんだから相当額の金払え!」
と怒鳴られたことがあります。
わたし、普通に実子です。
中学校は義務教育です。
当時私はちょっと頭の回転の速い、言われたら言い返す子供でしたので
「何言ってるの?わたしまだ義務教育中だよ!大人は子供に教育を与え守り育てる義務があるんだよ。働くことも許されない中学生に何言ってるの??」
と普通に言い返したら、
「育てる価値もないわ!!自分の面倒は自分で見ろ!!理屈ばっかり主張してなにもしないくせに義務とか語る権利は無い!!」
と、意味の分からない罵倒をされました。
高校生くらいのときは
「今まで育ててやった衣食住と教育費と手間賃全部払え!!」
と言われました。
うち、貧乏じゃないんです。
食事がやたら毎日豪華で、衣は不十分(いつ着るんだよっていうドレスとかは結構ある。)教育は学校以外の何かを望んでも叶えられず。
ペットを飼ってみたくても、私の喘息を理由にNG。
中学生の時やっとハムスターを買ってもらって妹と一緒にお世話していました。
ハムスターの寿命は短いですので、寿命相応の年月で死んでしまうと、「気が済んだだろ」と言わんばかりにケージも何もかもすぐさま処分されてしまいました。
《すぐさま処分》で思い出しました。
幼稚園くらいから、母の日にお母さんに絵を描きましょうとか、ねんどでプレゼントを作りましょうとか、あると思います。授業で。
私も絵を描いたり、ねんどに色塗って紐を通して「ペンダント〜!」とかいって、喜んでくれるのを期待して、渡しました。
渡したときは
「なにこれ。フン。どーも。」
と、何かの引き出しとかに突っ込まれ、数日後にはゴミ箱に突っ込まれています。
「こんなペンダントして出かけられるわけ無いでしょ。」
と、ゴミ箱行き。
私の気持ちとか、そんなの、いらないのか。
ダイヤモンドもプラチナも買えないから、ねんどで気持ちを伝えましょ。って主旨の授業で作った作品。
もうゴミ箱行き。
もう、気持ちを伝えるためのプレゼントを作るのなんか止めよう。
そう思ったのはまだ小学生のときでした。
プレゼントでなくても、工作の授業で作ったもの。
小学生の時、筒型の、貯金箱になるプラスチック素材のまわりに紙粘土で造形をして色を付けてニスを塗って、オリジナル貯金箱を作りましょう。という授業がありました。
そのとき私はリスの貯金箱を作りました。
リスの後頭部から小銭を入れるのです。
私は自分でこれをとても気に入って、家に持って帰った時「上手にできたと思うの!」と自慢をして、自分の部屋に飾って、嬉しくてときどき手に取って自画自賛していました。
それから間もなく。ほんとうに間もなく。
ものを捨てられないタイプの母に珍しく捨てスイッチが入ったらしく、なんかいろいろ捨て始めてました。
すると私の部屋にもやってきて、ほんの数週間前に持って帰ったばかりのそのリスの貯金箱を勝手にゴミ袋に入れました。
「どうして!!どうしてこれを捨てるの!?気に入っているのに!!」
「こんなガラクタに価値はないだろ!!」
「(…ガラクタ!!!)」
私は言い返すことはすれどかなり聞き分けのいい子供だったと思いますが、このときはさすがにショックで、何時間も泣いていました。
こんな酷いことも我慢しないといけないのだろうか。
おかしすぎる。
と、泣きながらゴミ袋を漁って、貯金箱を救出して、枕元に置いてやはり泣きながら寝ました。
どんなに私が大切だと思っていることを伝えても、あの人にとってゴミなら、私の気持ちなんか無関係なんだ。
そう気付いたのは小学生のときでした。
いつだったか忘れましたが。
誰かお友達の家に遊びに行った時。
折り紙で作ったブローチとか、クレヨンで描いた家族の絵とかを、額に入れてリビングに飾ってるおうちがありました。
私はそれを見た時、心が凍り付きました。
うちでは数日後にゴミ箱に突っ込まれてたこういった拙い、けど思いを込めたものを、わざわざ額に入れてリビングでいつでも見られるように飾ってくれてるおうちがあるんだ。
捨てるどころか、額に入れて何年も大切にしてくれるんだ。
私の気持ちがどれだけ《いらないもの》扱いをされているか、痛いほど自覚しました。
本当に、痛かったです。
こんなふうに少しずつ、自分が日常的に親にされている辛いことごとは、普通のおうちでは幸福エピソードとして大切にされているという違いを現実として認識し始めました。
さんざん罵倒された数分後には「一緒にリビングで過ごそうよ〜」としつこいので、なんでさっきあんだけ私の存在を完全否定したのに今これなの??と思いつつリビングに行っても、火サスのエロシーンを見させられるだけなのです。
一人で見てればいいじゃん。
しかも寝てるし。
全然意味分かんない。
あ、歌舞伎やってる。見たい。
チャンネル変えると起きてきて殴られる。
今思えば、母は更年期障害だったんだと思います。
でもそのせいで私の人格を全否定し、理不尽な虐待が許されるとは今でも思えません。
「更年期だからしょうがなかったの。ごめんね。」
と、もし今更言われても、それで私の人格がメチャクチャになった現実は変わらないし、それを開き直られてもおかしな話です。
のちに医師たちに言われました。
「自分で自分を育ててきたのね。それだけの目に遭ったら普通はもっと捻れてしまうのに、あなたはそれを自分一人で乗り越えてきて、ここまで真っ当な、もしかしたらそれ以上の誠実な人間としてここまで頑張ってきたのね。」
そうなのか。
そうなのか。
と、涙が止まりませんでした。
私が辛かったことは、異常なほどのことだったんだ。
普通の人はこんな苦しみ知らぬまま優しさと愛に包まれて大人になっているんだ。
次からは、時系列の記憶がはっきりしなくなってくる、高校卒業以降のことを中心に書いていこうと思います。
辛かった記憶を思い出して文字にするのは、かなりヘビーな作業です。
けれど、最近、かなりナアナアな感じで両親に接しられてることと、もうそろそろだいぶ老齢な両親と今後どう向き合えばいいのか、心を整理するためにも、私のためになると思って書き始めました。
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