2015/01/26

メンタル#3…小学生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
の続きです。


小学生の時の私は、体育と音楽以外はオールAあるいはオール5をとれてました。ほぼ。
音楽は、ピアノ弾けないし楽譜読めないのでしょうがないです。頑張ってる。ってことでBか3でした。
体育も、徒競走は万年ビリだしなんだかんだ。リレーの選手なんて私とは完全無縁でした!
でも、体重が軽かったせいか逆上がりは普通にできてたし(空中逆上がりは無理でした)跳び箱も6年生のとき5段は飛べてたし(当時は身長が平均以上あったので6段は行きたかったけど身体能力が無理でした。)マラソンは割と好タイムだったのと、真面目さだけで3かBを死守してました。
あと嫌いだったのは給食。
好き嫌いはほとんどないんだけど、食べきれないんです。
アラフォーの最近になって気付いたのは、家で食べさせられすぎだったんです。
夕食はステーキかお刺身かハンバーグか豚カツがそのあたりが必ずあるし(豚カツは3枚から4枚食べさせられます)朝食はその残りをがっつりです。
そうすると、お昼におなか空かないんです。
で、給食食べきれなくてお昼休み無し。お掃除の時間も食べて、5時間目になってやっと開放される。

音楽の時間は、転校前は、楽譜読めなくてもメロディー覚えちゃえば歌えるし、とりあえず右手でリコーダー吹けてるみたいだし、自信は全く無いんだけどまあついていけてるのかなって思ってました。成績はBだからまあ、音楽教室とか行ってないんだからCじゃなくてよかったよね。くらいな。

ただ、転校先の小学校とは音楽の進み具合が全然違って、転校先ではみんな当たり前に両手でリコーダー吹いてました。
転校前は右手だけで「たこたこあがれ」とかを延々とやってたのですが、転校先はみんな両手で普通に「エーデルワイス」を吹いてるんです。
デタラメにリコーダー吹いてる私を見かねて放課後に音楽室で音楽の先生に特別指導をされました。
分からないなら吹かなきゃいいのに…と、クラス中大騒ぎさせました…あはははは〜。。。
特別指導で習ってみたら、なんだ、簡単じゃん。。
なんでこれをさっさと進めなかったんだろうか、転校前の学校は…。
とりあえず左手の音階とエーデルワイスを覚えたら特別指導から解放されました。
一部の子には再転校間際まで、私がデタラメリコーダー吹いてたことをど〜のこ〜の言われてましたが、そういえば、私をせっせといじめてた女の子たちはそこら辺全く触れてこなかったなあ…私のデタラメリコーダーに気付いてなかったのかなあ…

…今思い出した。転校前にピアニカでやってたことは転校後の学校はハーモニカでやってたんです。鍵盤ハーモニカじゃなくてハーモニカ。ピアニカ何それ状態な転校先の学校の子たち。
あれはたしか、転校直後に知り、そもそもハーモニカを持ってないので入手し(させられ?覚えてない。)音程の配置が鍵盤ハーモニカと同じだと分かって、吹いたり吸ったりする法則も速攻で覚え、ヨシ来い!!と思ったらもうハーモニカを吹く必要はなくなりました…。
そのかわりというか、アコーディオンを弾く機会を得ることができました。
『音楽わかんないのにこんなの弾けって言われたって!!
しかも和音もやるの!?
そんなのやったことないよ!!』
と泣きそうでしたが、
『ピアニカを縦向きにして、左手はジャバラを動かしてれば音が出る。そんだけ。指使いはとりあえず隣の人のを真似しましょう。』
と分かったら、とりあえず授業や音楽祭をこなす程度にはついていけました。。たぶん。
左手にボタンがあるのだったら絶対無理でした。。小学生じゃやらないのかな。

何をどういじめられてたかの話は、ここでは端折ります。


ここまでの話では、転校経験者の方からすれば特に、『よくあることじゃね?』と思われると思います。
うちがおかしかったのは、私は3年生の2学期の途中に関西に行き、5年生の3学期の途中で戻ってきました。
学年が変わるとき、せめて学期が変わるときとか、きりのいいところで移動させてくれよ!!
そもそも関西と関東で教育指針が全然違うし、教科書も全く違うし、なにより方言ですん〜〜〜ごいいじめられ、そんで、関東の小学校では体操服はブルマで、関西では男女共通の紺色短パンでした。

私は、すぐ関東に戻るからかなんか分かりませんが、結構長いこと関西の小学校の体操服を買ってもらえませんでした。
すぐといっても2年の予定ですから、小学生には永遠のような時間です。

うち、財閥系サラリーマンだったから、体操服買うお金くらいあったはずです。
今だから強く言います。
小学生の体操服買うお金がないほどの金銭苦労は当時全くなかったはずの家庭です!!

毎日胃に詰め込まれてるステーキ半切れのお金で体操服くらい買えます。
そんでも、「無駄だ!」つって、結構長いこと買ってもらえませんでした。
今までブルマなんて履いたことのない子たちのなかに突如私が現る。

「中学生になったらブルマだよ、信じられない、あんなのただのパンツじゃん、いやだいやだ!!」

と言ってる子たちのなかにいきなり登場する緑ブルマの転校生。わたし。

浮いた浮いた。

今思えば、子供だって人間関係に苦労するとか、そういうことを全く慮る心のない親たちでした。
少しの違いのせいで、ものすごい攻撃を受ける。
そんなこと、転勤族の親たちのほうがよっぽど気付いてたはずだと思うのですが、子供にはそんなの関係ねえと思ってたらしい。


その当時からうちの母は鬱っぽい状態で、朝はなかなか起きてきませんでした。
あ、あと、小学生のとき私たちの朝ごはんはパンが多かったのですが、飲み物はインスタントコーヒーでした。
おやつタイムもインスタントコーヒー、ときどき、サイフォンで入れたコーヒーでした。
嫌いじゃなかったから飲んでましたが、あれで私は最初に胃とメンタルを悪くしたんじゃないかなと思います。
お友達が「コーヒーは子供だから飲まない。紅茶とかミロとか飲んでる。」って言うのを聞いて、子供ってコーヒー飲まないの??なんで??カフェイン??なにそれ、刺激が強いの??それってよくないの??ちょ〜飲んでるんだけど…
と、呆然としたことを覚えています。

小学校に着ていく服を気にしてもらった記憶はありません。
服を買いに行っても、お嬢様が着るようなドレスばっかり見て、学校でドロンコになれるような服は絶対買ってくれないんです。
困って困って、親戚から送ってもらったお下がりの服のなかのワンピース、今日はこれでいいや!
と思って着てみても、合わせられるインナーがなくて、脇から上半身丸見え。
ブラウスを合わせてみたらお嬢さん過ぎて完全に浮く。
どうしたらいいのか分からなくて遅刻しそうになったこと何回かもう覚えてません。
もちろん、寝る前に<明日着る服を揃えて枕元に置いてから寝る>なんて躾は受けてません。
のちのち、知りました。
前の日の夜に、家族が、明日着る服について指導してるんだ、よそんちは!!
朝パニクって騒いでも他人事のように放置されるか酷く怒られるかで、指導なんかしてもらったことないよ!!
関西の学校は困れば体操服で行けばよかったので、そういうときは早々に開き直って体操服で行くことにしました。
冬はどうしたのか覚えてない…

靴も、運動靴を買ってもらえないのでカジュアルドレスシューズみたいなので体育に参加してたら先生に怒られました。たしか違うクラスの先生でした。運動会の練習の時だか何だかで。
『なんでこんな靴履いてくんの、体育なのに。』
って。
だ〜よ〜ね〜。
だ〜よ〜ね〜〜。
先生、それ、うちのおかーさんに言ってください。
運動靴買ってくれないんです。

って、もしかしたら言ったかもしれません。
よく覚えてない。。
靴のことは本当に困ってたので殴られるの覚悟で言い続けてたのですが、殴られたのかもしれないんだけどもう覚えてない。。
ある時突然、買い物先で「選びなさい」とうんざりした顔で言われました。
うひょ〜!!
本当は
『みんなが履いてるあれとかあれとかがいいんだけど、なんか値札の数字が大きいよ。
あんまり数字が大きいと、のちのち、あんな高価な靴を買ってあげたのにお前と言うやつは!!と、よくわからない理由で殴られる!』
という確信があったので、なにげなくノーブランドで数字が少ないのを選んで「これがいいです。」と言ってました。
大人になって思うと、大事大事に育てられた子が履いてた運動靴と、私が漸く買ってもらった運動靴。たぶん当時の価格としての違いは3,000円くらいだと思います。
これが高いか安いか。
安くていいんですけども、運動靴買ってもらうのに、お金がないという理由ならともかく『お前なんかに余計な金使いたくネエのに何ゴチャゴチャ言ってんだ!!』って態度を乗り越えて訴え続けないと運動靴一つ買ってもらえない。
でもお友達は、何の軋轢もなくすんなりと、私が履いてる運動靴が2つか3つ買えそうなのを買ってもらえるんだな〜。安くていいからバトル無しで買ってもらいたいのにな〜。
と、思ってました。


そんなこんなで。
私は妹と4つ離れていて、私が関西の小学生の時は妹は幼稚園生でした。
母が朝起きないので、パンを焼いてコーヒー入れて(今思うと幼稚園生にコーヒーはないよなあ。。お砂糖とミルク沢山いれたけど。)食べさせても、妹は食が細くてなかなか食べないし、私は妹を幼稚園に送ってからそのまま学校に行ってもまあ間に合うので、今日はお姉ちゃんと行こうね。と言っても「おかあさんと幼稚園行くの〜〜!!ギャ〜」
と、びくともしないので、起きない母に「お母さんとじゃないと幼稚園行かないって聞かないから、私もうどうにもできないからね?」と言うと「今日は休ませる〜。」

そんなんばっか。

で、鬱っぽい母は私が小学校から帰ってきても寝てる。
妹のお迎えに行かなくちゃ。(その日はどうやってか忘れたけど幼稚園に行ってた。)
「お母さん動けないからあなた行ってきて。」
まあ、そうはっきり言われれば行きますが。

で、行ったら。
お迎え遅めだったみたいで、クラスだったかお遊戯室だっかたでほぼひとりで妹が遊んでた。
…っていうか、普通お迎えに小学生のお姉さんは来ないので、私自身の存在が完全に浮いてました。。

「遅くなってゴメンネ〜。お母さん具合悪いからお姉ちゃんが来たよ。さあ、帰りましょう。」

と言うと

「いやだ〜〜〜おかあさんじゃなきゃいやだあああああ〜〜〜〜!」

と、号泣。
柱かなにかにしがみついて動かない。

こまったな。
たぶん先生の方が困ったと思いますが…
私も小学生ですのでこれ以上なだめる手段は持ち合わせていないですし、母が絶対に動けない状態ではないことも分かってますので、先生に

「母、たぶん来られますので、呼んできます。ただでさえ遅いのに更に遅くなっちゃいますけどすみません…。」

と謝りました。

「こちらは大丈夫よ〜。お母さん無理しないようにね〜。」
とかなんとか言ってくれた気がします。

帰宅して母に状況を説明すると、何も言わずむっくり起きて迎えにいきました。

動けるんじゃん。

もちろん、私に対する労いの言葉も、妹に対する、不安な思いをさせたことの詫びの一つもありませんでした。

続きます。

にほんブログ村 その他日記ブログ その他アラフォー女性日記へ
 

0 件のコメント :