2015/03/12

萩尾望都原画展に行ってきた

銀座で行われている『萩尾望都原画展』に行ってきました。
2010年に単行本『銀の船と青い海』が発行されているのですが、今回はその文庫版の発売記念にともなう展示会のようです。
会期15日間と短いですが、なんとか行ってきました。


↑は、単行本版です。
既に持ってるんだけど、会場で文庫版買っちゃった…

入場は完全に無料でした。
会場の場所がよく分からなくて、だいぶ銀座散歩をしてしまいましたが、プランタン正面入り口を見てそのままちょっと左に行けばありました。
とりあえず銀座2丁目に行けば見つけられるんじゃね?と行ってみたら、散々散歩して結局むっちゃ分かりやすい場所にあったという…
iPhoneにナビしてもらえばいいんですけど、そんな必要は無いって思って結局散歩しちゃいました(^ ^;;)



これは会場に貼られてたポスター。
お天気がよかったので、小学館からのお花も置かれていました。
ほかのお花は店内にいくつか。

入場はフリーです。
ほんとうに、いかにも銀座の狭い画廊での展示でした。
平日の真っ昼間に行ったので、混んではいませんでしたが、やはりじっくり見たい方が多いので、動きはゆっくりでした。

展示されていた原画は、萩尾望都作品目録を運営なさってる永井さんの記事でご確認ください。
思ってたより原画は小さくて、細かく描きあげた細密さに驚きました。
細かい中で、インクの濃淡を使い分けています。
こんなに細かくて、なんで滲まず塗れたの??
私は素人ですので拙い感想だと思いますが、これほどに細かい画角にこれほどとは思っていませんでした。
油絵なら上からどんどん乗せられますが、インクでこれほどとは…
グッズ情報も、萩尾望都作品目録のページでご確認ください。
ポーの一族の紺のTシャツは全サイズ完売だったので、注文してきました。
トーマのグレーも買おうかかなり悩んだのですが、パジャマ候補として箪笥の肥やしになりそうなので我慢しました…
ちょっと、色と絵柄セレクトが実用的でなさすぎて…
メッシュとミロンとか、マニアックだけど銀の三角とかあったらよかったのになあ…
ちょっとあのピンクと緑は、マニアでもパジャマか箪笥の肥やし一直線…
メッシュや銀の三角だったら、作品を知らない人でも(あそこに行く人でこれらを知らない人はいないと思いますが)買おうかな。と思えたと思うんだけど…
トーマのグレーは未だ名残惜しいんだけども…
きっと、箪笥の肥やし…

結局購入したグッズは


トーマの心臓トートバッグ。
これ、普通に使うつもり満々なんですけど、何も知らない若い方はきっとBL作品のグッズだと思うんでしょうね。
違うから!
そんなことで怯むおばさんじゃないから別にいいんだけどね!!



クリアファイル2枚セット。
クリアファイルは何かと使うので、こういった催事のお土産によく買います。
上のエドガーとアランの『ポーの一族バレンタイン・カード』は原画も展示されていて、業界人っぽいおじさまおばさまが「原画こんなに小さいんだね!B5かA4くらいあるのかと思ってた!」とお話しされていました。


会場で買った本は2冊。
「銀の船 青い海」は単行本を持っていますがまた買っちゃった!
あと「マンガのあなた SFのわたし」
この対談集は全部欲しかったのですが、とりあえず年代が古い順に…
この帯になってる絵の複製原画「セレナーデ」が欲しくて欲しくて欲しくて…
結局我慢しました…
買えない値段ではないけど我慢するのが大変でした…
展示されてた複製原画、本当に、ものすごかったです。


書籍を購入すると1冊に1枚もらえるポストカード。
2冊購入したので2枚入手できました。
萩尾さん大好きな九州の従姉に今度会う時に1枚あげようと思います。

グッズは基本的に入り口前のレジ清算で、Tシャツ注文書もそこで記入します。
カード払い?と聞かれたので、できるなら。と答えると、奥の店舗レジに案内されました。
この画廊、普段は全然知らないのですが、奥には丸尾末広モノがたくさんありました。

萩尾さん大好きすぎて、ファンレターを書きたいとず〜っと思っているのですが、好きすぎてお手紙にならないのです。文章にできないのです。
文章作成は得意なはずの私が、お手紙に気持ちをまとめられないのです。

だいぶ昔ですがいちどトークショーに行きました。
ステキなネックレスとマニキュアをしてた萩尾さん。
とってもマイペースで、マイクを離すたびに
「どうもどうも。」
と言うのがツボにはまって、もっと大好きになったのです。

会期、短いよう!!

Tシャツが届くのが待ち遠しいです。


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2015/03/10

集合住宅の騒音

私がメンタルを病んだ過去の話をむちゃためまくり続けてるところへ、雑談エントリです!
シムズの話全然してなくてごめんなちゃい!


今私が住んでるのは、3LDKで、上の子供が中高生くらいまでの、家族4人か5人が限界な団地です。
たぶんそもそものコンセプトが新婚家庭とその数年後、って感じの団地です。
そのコンセプトから最早30年以上。

私が住んでるのも、実家も、その団地の1階なので自分たちはともかく、もう、同級生の実家のおじさんおばさんとかは、結構大変なのです。
5階建てで、エレベーターがないのです。
当時は法令上それで良かったんですって。
5階ってかなり大変です。
最近はネットスーパーが発達してきたし、そう遠くないところにコストコがあるので、買い物上手なお宅ではそういったサービスを利用しているようですが、そうでないお宅では、お米買うだけで大変です。
徒歩10分圏内にスーパーもコンビニもなんです。
酒屋はあるけど。

そんな現状ではありますが、新婚家庭が買うには大変お手頃価格になっていて、近隣に実家があって家庭を持った同級生が「実家近いし安いし広いし友達いっぱいいるし、いいんじゃね?」って感じで私の住む団地に部屋を買ってるのが数人います。
私はそんな中で、いまだ独身で、3LDKに1人で1階に住んでます。
両親は違う棟にいながら!わたし1人で別棟に住んでるの!文句ある!?(言わせない)

両隣は私を幼少時から知ってる人ですし、ふたつ上は幼なじみですし、近くの酒屋は同級生の実家なので私の行動は実家や近所に筒抜け。という、ある意味安心な環境です。

私はあまり家にいないのでね〜。
回覧板がうちで滞っちゃったら先にまわせる人が見てくれてます〜。
実家がどこかも知ってるので「お父さんかお母さんに聞いといてね♪」とか言われます〜。

んで。
いま、ひとつ上に、小さい子供のいるご家庭がいるらしいんですね。
最近は引っ越しのご挨拶をするとかえって問題があったりするので、挨拶無しが多いそうですし(私は親が勝手に近隣に挨拶終えてた。棟が違うだけで近隣顔見知りなので「娘が単身来ますヨロシク〜」な感じだったらしい。)気にしてなかったんですね。
で、わたし、仕事してるとホントにマトモな時間に家にいないので全く気付かなかったんです。
今年に入ってホントに暇になってしまい。
そしたらまー!
午後の、ある時間から、上の階で走り回る走り回る。
行き止まりになったら元来た道に戻る。
また行き止まったら(エンドレス)。
って感じのドスドス音が延々。

…子供は24時間走ってるわけじゃないですからね。
力尽きれば終わるんです。今日のところは。
こんなに走り回る年齢も、たぶん、永遠に続くわけじゃないんです。
たぶん。たぶんね。
あの元気さからして男の子かな。と勝手に思ってます。
幼稚園や小学校に入ってグアーっと体力使うようになれば、2時間も3時間も走り回ることは終わると思ってるんです…
私自身、必ず毎日家にいるわけでなく、最近仕事がなくて暇でどうしようもなくてずっと家にいて、音がうるさいだけですから。。
自分の家族が迷惑被ってたらともかく、私だけ、暇なときだけなら…
我慢…
今日は、した。うん。
我慢してたら終わった。
そんなもんだよね。きっと…


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メンタル#11…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

進路のことは本当に行き詰まりました。
最初に消去法で。
教師にはならない。いままで尊敬できる教師に出会ったことがないから。
幼稚園や保育園の先生とかになりたい。
でもピアノが弾けない。
習って練習すればいいよ、と言われるのだが予備知識があまりにもなさすぎ。
習って練習すれば、という人は幼少期に若干でも何かしらを習ったことがある人なんですね。そう簡単に習得できる気はしないし、ピアノのコンプレックスが引っかかってほかのことが伸びなくなりそうだから諦めました。
(これは後に同じ理由で妹も諦めていました…)
好奇心としては、私はSF作品が好きなので、天文台とか、航空宇宙学とかにと〜っても興味がありました。
地学はともかく…数学が…物理が…
頑張るにも、どうにも、頑張ろうと思って教科書や参考書を広げてもアタマが全く動かなくなる。
地学は教科書を読めばサッサと理解できて、公式もパッパと覚えて、地震の伝わる速度とか惑星の距離の計算とか一発正解すぐできるのに(もうできません)、数学や物理になると何故こんなにも分からないんだろか。何故なんだろか。
生物も割と理解できるんだけど…
化学は父が専門なんだけど、専門家の人は、分からない人が何故分からないのかが分からないので、教えてもらおうと思って聞いても「なんで分からないんだこのバカ何を勉強してるんだ!」と怒られるのでもういやだ。


とりあえず数学のないクラスに入ったし。
でも、文学部行って何するかなあ…
経済とかも全然興味ないんだよなあ…就職に有利って言ったって、そういう業界に全く興味がないのに、勤まらないだろうし、そもそも興味ないとこ行っても続かないだろうしなあ…商業とか政治とかにも全く興味がないんだよなあ…
外国語は、興味ある人と分かる人に任せる。私はいいです。
音楽はもちろん無理。
声量がちょっとばかしあったので、声楽科を目指してるクラスメイトに「歌はクラシックだけじゃないんだよ!こんな学部もあるんだよ!こういう人が出身なんだよ!」勧められましたが、いやいやいや…ちょっと現実的でなさすぎる…リトミックって何?って状態から追いつく時間が全くないっす…

だいぶ前から私は絵を描く人になりたいと思っていました。アニメーションにも興味があって。
で、美大に行きたいと思い、美大受験用の予備校に行きたくて母に相談したのですが

「お母さんだって習いたかったのにやらせてもらえなかったんだから、自分で稼げるようになってから習いなさい。」

と、意味の分からない言い方で一蹴されました。

「美大に行きたいの。」
「勝手ばっかり言って通用すると思うな!」

もう、相談するだけ自分がどんどん惨めになってゆく。
進路のことなのに。

私は高校の3年間、芸術科目は美術を専攻していました。
美術の先生がいろいろなことをさせてくれる方だったので、デッサンは一年の初期の頃だけで、あとはコラージュとか日本画とか、油絵でキュビズムとか、陶芸とか、七宝焼とか、鎌倉彫とか、自由手法でシュールレアリズムとかを楽しませていただきました。
日本画と鎌倉彫は次の学年へのお手本として美術室に展示してもらえました。
シュールレアリズムは最後の作品となったのですが、アタマのおかしい私があちこちからガラクタを集めてきて明らかにアタマのおかしい作品を作って呆れられました…

私が美大受験用の予備校に行かせてもらえない理由で美大受験を諦めようとしていることをクラスの友人に話したら、美術部で、美大受験組の先頭を走っていたような同級生が美術の先生にその話をしてくれたそうで。
放課後に美術の先生に呼び出されました。

「…って聞いたんだけど、本当?」
「…はい…。」
「お前はきっとそういう道を選ぶと思ってた。」
「……そうですか?」
ま、あのアタマのイカレタ作品作った時点で私が家庭でどんな目に遭ってるのかは美術の先生にはなんとなく想像がついてたと思います。。。

美術の先生から言われたことは、《落ちる人は何年習って何年浪人しても落ちるし、受かる人は習わなくても受かるもんだ》ということでした。
習わせてもらえなくても、放課後に美術室に通って練習すればいけるかもしれないぞ。
という内容でした。
ほんとうに、ほんとうにありがたいことだなあと思って、確かあの時泣いてしまったと思います。
でも、ずっとプロに習いながら絵の練習を何年もし続けている人と、私が、もし万が一受験で同時に合格してしまっても、そこから先追いつけるとはとても思えなかったのです。
うちでは浪人は絶対に許されないし…穀潰しって殴り殺されそう…

その頃美大に行ってそれで何するのかとか具体的な考えはまだありませんでした。
ただとにかく、ビジュアルで何かを見せることについて学んでいきたい、それが私にできること。なのか。したいこと。なのか。わからないんだけども。
目標をそっちに定めてみよう。
とりあえずそれだけ決めました。

続きます。


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2015/02/25

メンタル#10…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

高校のときの精神状態は、本当に、無茶苦茶でした。

同級生達のほとんどは、はつらつとした健康的な家庭で、愛されて、大切にされて、情操教育をたっぷり受けて、すこやかに賢く美しく育ってきた子達がたくさんいました。
文武両道、部活動でも良い成績をおさめ、成績優秀。

私ときたら…

家に閉じ込められ、殴られ、罵詈雑言を浴び、養ってやってるんだから家賃を払えと言われ、じゃあバイトすると言うと「あんたみたいな恥さらしな子供を他所様に見せられない!」と罵倒され、お友達との外食外泊禁止、いきなり「死ね!」と叫んで部屋の中に突進してきて殴られ、「出ていけ!」と冬の寒空の夜中コートも着ないで家から押し出され(靴はなんとか蹴り出して確保)近くの公園の滑り台に座って、

「今日は隣の駅のお友達の家でお泊まり会やってるんだよな〜。呼ばれたけど親に許してもらえなかったの。家の恥を他所様の家に泊めさせるなんてできない。って。歩いてあそこまで行けるかなあ。途中の畑だらけのところ、どう歩けばあっち側に行けるのかなあ。お財布も何にも持ってないから電車に乗れないしなあ。どこかの交番に行って保護してもらおうかなあ。でも高校生だしなあ。カッコわるいなあ。それともこのまんま繁華街にいってブラブラして補導されちゃおっかなあ。でもその後きっと殴る蹴る死ねが激しくなるだけだなあ。」

と、本気で考えました。

1時間くらい寒さに耐えて、うんざりして家に戻ってみたら鍵が開いてました。
こっそり部屋に戻ってベッドに潜りました。

翌朝母が私の帰宅に気付いて

「どこに行ってたの?いくら待っても戻ってこないんだもの、心配したわよ。」

どの口が言うか。


本当に家にいるのが嫌で嫌で、勉強してても邪魔してくるし、母は専業主婦なんだから買い物くらい自分で行けばいいのにあれ買ってきて〜とかうるさいし、本気で拒否るとわーわー泣き、父も一緒になって私を責める。
ほんとに予習とかもっと根詰めてやらないと成績本気でやばいのに、なんでこの人たち邪魔するの〜!!ぎゃあああ。
と、もう、予習も復習も進まず理解も進まず、イライラは治まらず、無茶苦茶。
朝起きたら母が珍しく起きてきて、何か勝手に怒り狂ってる。
いつも通り勝手にお弁当詰めてたら、母の聖域の台所を私が使ってるのが気に食わないらしく更に怒り狂う。
「そんなに弁当作ってほしいならそれなりのことしろ!!」
と叫ばれるんだけど、全然意味が分からない。

とにかく台所から追い出されるので、詰めてる途中のお弁当箱を置いたまま、もう今日はコンビニで何か買おう。またお小遣いがなくなっちゃうなあ。
と支度を進めてると

「作ってやったぞ!文句あんのか!少しは感謝しろ!!」

と弁当箱を投げよこしてくる。

なんなの?
なんなのこのひと??

そんなお弁当食べたくないので、玄関に放置して学校に行きました。

帰宅すると
「お弁当持っていかなかったの?せっかく作ったのにぃ〜。」

なんだこいつ。

「私が自分で詰めてたのに横から入ってきて罵詈雑言叫びながら作った弁当なんか食べたくねえよ。」

と、言いました。
その後の母の反応は覚えていません。


のちに医師に言われたことですが、私が演劇とかそういった非現実の物語とかの中で生きたいと思ってそういう進路を選んだのは、耐え難い現実から逃避するため無意識のうちに逃げ込んだということかもしれない。そうです。
なるほどな〜。

演劇部は楽しかったです。
大会とかではブロック大会でさくっと敗退が毎回の結果でしたが、女子校というハンデもあり、顧問が指導するタイプの部活ではなく部員が自分たちで考えてあーでもないこーでもない。と、文化祭や新入生歓迎会などの校内発表会をメインに作っていました。
うちの高校には別にミュージカル部と英語劇部があったので、それらとは明確な違いが出るように注意していました。

私は全身刺だらけだったので、何かと口論になり、未だに友人達には「Namiと○○のバトルがすごかったよねえ〜。どっちも正論なんだけどさあ〜、どっちも譲らないのあれホント毎回今思えば面白いよねえ〜」と言われます。
お互い喧嘩してたつもりではないのですが…私の言葉が刺だらけだったのは認めます…

だって、刺でも生えさせなきゃ自分を守れなかったのですから。

続きます。



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2015/02/22

メンタル#9…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

高校に入ったら、私より優秀な人がドカドカたくさんいてびっくりしました。
まあ、合格の目安となる点数のギリギリだったので、あたりまえかぁ…。

それを自覚する以前に、授業の進み具合の容赦なさに唖然としました。
予習して、その日の授業内容を予め理解してから復習的に授業を受けるのが皆さん当たり前のようでした。
なんじゃこりゃ!!!

私は中学まで、ちょっとだけ勉強ができる方でしたが、ただなんとなく分かってただけでした。
勉強ができる子は、授業ではそれを悟らせず、どうにも授業が進まなくなった時に、塾とか英才教育を受けてる子が指されて答えるくらいでした。
それがまあ!
高校では、みんな前に出る出る!!
なんのこっちゃ?と思ってる間に授業は先に進む。
何の話してるのか分かんない。。。
分からないまま、授業が終わる…

成績も、実際、ほぼ最下位でした…ははは…
赤点とって追試受けても赤点でした。
特に理系。数学物理化学。
父が化学の専門家なので、この三つはできて当たり前とされていましたが、全く分からない。
何の話をしているのか全く分からない。
公式の意味が分からない。
だからなんなのか分からない。
何で分からないのと言われても何の話をしてるのか分からないので「何も分からない」しか言えないという…
わたし、ほんとに、よく卒業できたなあ…
地学と生物だけは教科書を読んだだけで理解できて、毎回ほぼ満点取れてたのですが、これは選択希望者が少なくて1年きりしか授業が受けられなかったのと、数学が分からないのでは理系に行きようがありませんでした。
なので、3年生になって進学希望先にあわせてクラスを選ぶときは、数学のない芸術系、短大・専門学校希望者向けのクラスを選びました。


完全に言訳ですが、その頃私は家で実のある勉強をする精神的余裕が皆無でした。

高校に入り、母から殴られるのは毎日になりました。
勉強のため、有意義なテレビ番組を録画して家で見ると必ず殴られました。
「教養としてこれは見ておくべきな番組なの!!」
なんて言葉は通じません。
母にとっては、濡れ場つきサスペンスドラマのほうが大事なのです。
というか、私が自由にテレビを使うのは許されないことだったのです。

学校の勉強は完全について行けなくなっても、せめて一般教養くらいついて行きたかったのですが、テレビという方法は、殴られるので無理になりました。
お友達と、興味深いとある番組の話題になり「録画してるの見たらまた話そうね!」と言っても、私は見ようとしたら殴られまして。

「…録画はしてあるんだけどね。見ようとすると殴られるの。」
「…え?えええ??なんで??」
「お母さんがテレビ見たいのに私が使ってると見れないから?みたい。」
「じゃあお母さんが見たい番組がない時に見ればいいんじゃないの??」
「そうしたんだけど、今お母さん見たい番組ないでしょ、だからビデオ見るねって言っても殴られるの。」
「…なんで…??」

わけがわかりませんでした。
妹や父は好きな時間に好きな番組を見ても絶対怒られないし、好きな時間にテレビゲームをしても全く怒られませんでしたが、私は何しても殴られました。


高校の部活に入るとき、いろいろ悩んで、演劇部に入りました。
ずっとのちに神経科に罹るようになり、主治医に言われたこと。

「現実の生活があまりにも辛かったから、無意識のうちに非現実の世界を生きられる、お芝居とかそういった世界に逃げて行ったのかもしれないね。自分を守るためにね。」

…そうなのかもしれません。

女子校の演劇部なので、男役もありまして。
何度かやらせてもらったのですが、華奢で背がちょっと低めで、声の高い私にはいくら女子校演劇部の世界でも限界があるなあと思いました。
そして、身体能力も低く、音楽の素養も、演劇の知識も全く無い自分を自覚し、私はいったい今まで何をして生きてきたんだろうかと呆然となりました。
そもそも、生のお芝居を見たことがなかったんです。
…いや、あるにはあったか。
中学生のとき学校の体育館で演劇鑑賞会をする劇団がまわってきて、何か見ました。
モンテ・クリスト伯だったと思います。うちの中学校には舞台面がないので仮設し、イントレ移動で情景を抽象描写したものでした。
…面白くなかったんだな〜これが。。
一応現在はそっち側の業界にいますが、客観的に回想してもあれは面白くなかったなあ〜。。。

中学生の時と同様、口が悪いので部活の仲間を何度も怒らせました。
家で毎日殴られながら死ね死ね言われてると、誰が何に傷つくかとかもう全く分からなくなってました。
みんなはそんな生温く、おうちで過ごせるのね。羨ましいわ。

それでも、うちの高校は、いじめとかはなかったです。たぶん。
こんな私でも、親しくしてくれる部活のお友達はいました。
ただ、日々理不尽に殴られてる私の悲壮感がオーラに出てたのか
「なんか背中に孤高な雰囲気がにじみ出てるよ!だいじょうぶ??」
と言われたことがあります。
全然大丈夫じゃなかったです。。


続きます。


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