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2018/07/31

人生設計...女の場合

何がどうしてこうなってしまったのか、四柱推命などに詳しい方によると、私は今年そういう年らしく。

忙しい!!!

仕事においては、思いきって自分から絶った縁もあるのですが、たくさん仕事を取ってくる知人からまるごと頼まれたり、年齢一桁からの幼なじみから相談を受けたり、20年来の先輩からカンパニーに巻き込んでいただいたり。
知人たちにも変化があり、それで私に仕事が回ってきたり。
で、自分でもわけがわからない忙しさになっている夏。
で、あります。

私は40代半ば子ナシ独身です。
時代が時代だったら非難されるんでしょうけども、こういう時代ですので、社会人経験20年を過ぎた今、フリーランスで生きていけそうになってます。

私は育ちに問題があって、生まれてきたことと、この世での存在を肉親に全否定されてきました。
誰かに大切にされる価値がなく、むしろ社会に悪影響を与えているという位置だと念仏以上に唱えられて大人になり、とはいえそう言われても生きていかないといけないから自分の考え方を変えたり、自分の立ち位置を変えたり、試行錯誤しての現在です。

たぶん社会的には異端なんだとは思います。
時代的には増えていても、私の育った家庭の経済状態と私の学歴からすると、少なからず異端サイドだと思います。

女性に限らず男性にもいるのでしょうけれども。
進学に際して、将来安泰が期待できそうな結婚相手と出会える学校、というのを前提に学校を選んだり、サークル活動でも、学内に同様のサークルあるのにわざわざ別の大学のサークルに入る友人たちの心境が当時は全くわかりませんでした。
それなりの大学に合格したけど本命ではないから浪人し、女子大とかに入学して、わざわざ東大や慶應早稲田とかのサークルに入るって。
そのサークルだったら、自分が入った大学にもあるんじゃないの?
なんで浪人して入った大学じゃないところのサークルに入るの。
授業終わって移動は相当めんどくさいんじゃないの??

と、思ってたら。

彼女たち、勉強のためにその大学に入りたかったんじゃなくて、その大学に入ったら東大とか慶應早稲田とかのサークルから歓迎されるからであり、そのサークルでは、未来有望な彼氏を見つけるために入るのね〜
そうなのね〜。
そういうことなのね〜。

そもそも小・中学生くらいの時から、進路においての考え方が全く違う人がいたんだな〜。
と、思ったものです。

私はたぶん根本的な性格が男性的だったっぽく。
育った環境の事情で恋愛がめんどくさくて色目で寄ってくる男は排除。
ご縁がなく、未婚のままミドルフォーティー。
友人たちの子は成人してる子もいる。
そんな嫁としての悩みや母としての悩みを持たず、自分で自分を養うために試行錯誤してミドルフォーティー。
そしてありがたいことに忙しい今年。
(たいして稼げないんだけど)

今は本業フリーだけで活動できてるから、割とこういうタイプの女性も多いんだけど、いわゆるふつうの社会の環境と思想の人は

『そんなに大変な思いして働かなくても、誰かいい人みつけて結婚すればいいじゃない。』

って、言うんですよね。

誰かいい人はたぶん既に誰かの夫です。
今更出会いを求めて活動して結婚したところで、もはや子供産めなそうな高年齢の女を専業主婦にして、たっぷり稼いできて安楽な人生を与えられるほどの男が、どこにいる〜!!
相手が病気やケガしたらどーすんねん。
高額な保険をあらかじめかけてあれば?
そこまで聞くのか?

「どんなお仕事をされてらっしゃいますの?」
「年収は?」
「貯金は?」
「ボーナスは?」
「資格は?」
「生命保険・医療保険の内訳と支払額は?受取人は私にしてください!!」

聞くんかいな。

今更。

結婚すれば仕事なんかしないで家でおせんべボリボリとご近所さんや親戚と雑談してればいいもんね!
...と、思ってる人が結構多くて驚いています。
まあ、私と近い考えの人は、ブログとかにいちいち書かないだけなんでしょうけどね。

生物的には雌は子を産む使命を全うすればいいんでしょうけども、人間はちょっと違いますので。
...なんて書いてるのも、異端な自分を正当化したくて主張してるだけでもあるのでしょうね。


なんかね。
ひどい女だと言われてもしょうがないんですけども。
結婚出産を理想的にこなして、子育てが一段落した人たちがね。

暇だから働こうと思って。」
「なかなか大変だね。」
「時給安いね。」
「人間関係が嫌ねえ。」
「Namiは自営業で自由に稼げて羨ましいわ。」

とかなんとか言われてもですね。
あなたがたが恋愛問題や家族問題や子育てで忙しい間に、20年かけて試行錯誤で構築した私の現在の仕事環境ですのでね。
勘違いされがちだけど自営業って全然自由じゃないしね。
あなたがたには「おかえりなさい」と言ってくれる家族がいるでしょうけども、私にはないからね。
ないものねだりかしらね。

結婚すれば夫が自分を養ってくれるって思ってる確信が私には理解不能。

人って、自分に都合の悪い考え方はただただ排除するのかしら。
だったらお互い様ですかね。


私の人生、結構辛かった。
けど、その時々で全力で立ち向かったし、逃げたし、すがったし、捨てたし捨てられたし。
肉親に対しては、右から左。
もう、無神経な牙をたてられても右から左、左から右へかわして、軽蔑するだけ。


笑顔の裏の苦しみを悟られる必要はない。
ただ、軽蔑するだけ。


尊敬できる数人の仲間がいれば、それでいい。


そういう女も生きていける今の時代に感謝です。

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2018/07/21

こどもはこども

Yくんのことと、私の話をします。

小学校の時に出戻り転校で戻ってきて、もともとのお友達と2年と数ヶ月ぶりで再会して、帰ってきていきなり学級委員か何かをやらされました。
転校前からそういうタイプだったので、学級委員といえばNamiちゃん。みたいな感じでみんなが推薦した感じ、だったかな?

転校前に私を好いてくれてる男の子がいたらしくて、転校したのは小学3年生の時ですのでまだ9歳か10歳?
色白で小さくて、おぼっちゃまな感じだけど、素直で、一緒に遊んだりおしゃべりして本当に楽しかった子です。
Kくん。
転校から戻ってきて、転校前から私を知ってる、主に男の子たち数人に言われまくりました。

「Kくん覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。色白でそばかすで、わたし地黒だから羨ましかったんだ〜。」
「転校しちゃったんだよ。」
「そうなんだ...。」

それを数人の男の子たちに言われて。
これだけ何人もの男の子たちが言うってことは、Kくんも転校する前に話してたのかなあ。
K君は私のように出戻りすることなく転校したっきりでした。
10歳くらいの子供の淡い恋心?

私は子供の頃から性格は男っぽく、大人たちの采配によりリーダーポジションにずっといたので、なんなんだろ。頼もしい女の子、だったのかなあ。
転校する3年生くらいまでは、自分の家庭の異常さに気づいていなかった、かな。

出戻りしてきてからは、私はしばらく、転校していた神戸の学校と、2年ちょっと離れていた母校のあらゆるギャップについてゆけず、「神戸はこうじゃなかった〜!」とかいろいろ言ってました。
別の話になりますが、そんななか、出戻ってきて初めて同じクラスになったHくんは
「そんなに神戸がいいなら神戸に帰れ!」
と、私に言いました。
私はショックではなく猛反省しました。
「...ごめんなさい。神戸には帰りません。」

Hくんは、たぶん甘え上手でした。
私に厳しいことを言いながらも、バレンタイン前には「チョコちょうだい♪」と堂々アピールし続けていたので、特に好きだからチョコあげる相手もいなかったので、家の近くの酒屋で板チョコ買って、わざわざラッピングしてもらって、あげました。
ホワイトデーにはクッキーか何かもらったような、何もなかったような...
覚えてないです。

そんなHくんが、学校に来なくなりました。
6年生になったら、担任が異常でした。
今だったら裁判になるくらいの異常さでした。
私たち、特に女子は、何故Hくんが学校に来ないのか全然わかりませんでした。
授業を潰して、H君の家までクラス全員で走って行って
「Hくん、学校に来て!!」
と、言いに行かされました。
今でもさすがにこれはやっちゃいけないことだったと思います。
玄関先に出てきたお母さんが
「ごめんなさいね。まだしばらく行けないの。今日は帰ってくれる?」

今思うとあの時お母さんはまだ30代だったと思います。
年齢はともかく。
前後関係は忘れましたが、走ってHくんの家に行かされた前後、女子だけ自習になって、男子だけが、社会科準備室だったかな?に詰め込まれました。
学級委員かつ気になることはほっとけない私は自習を勝手に抜け出して、社会科準備室のドアの通風口というのか、ドアの隙間から四つん這いで覗きに行きました。
20人くらいの男子が正座させられてて、端から順に平手打ちをくらっていました。
それは、やんちゃ君たちや、そういう理不尽に耐えられそうな子以外にも、まだ6年生には見えない小柄で、かついじめなんかに関わらなそうな子も関係なく全員平手打ちを受けていました。
担任のことは、転校前、入学した当初から「この先生大嫌い!!」と思ってた超絶パワハラ教員で(女性です)5年生の途中で帰ってきた時は違う先生で安心したのですが、6年生になってこのパワハラ担任になって半分以上絶望しました。
その絶望が、本気の絶望になりました。
覗き見から帰ってきて(その時のクラスの女子たちは私の本質を分かっていたので、自習を抜け出して偵察に行ったことを「Namiちゃんの役割。」みたいに思ってたのかどうなのか、ほっといてくれてました。)女子たちに小声で

「...ヤバい。全員平手打ちくらった...。泣きながら帰ってくる子もいると思う....。」

と伝えると
「私たちには何もできないんだから、知らないふりして普通に自習を続けようね。」
という冷静な子のおかげで、怖いもの知らずで担任に文句言おうと思ってた私にストップかけてくれたのが現実だと思います。

そしてHくんは、同じ公立中学校に進学し、同じクラスになり。
偶然だけど同じカンペンケースを使って。
(今で言う所のジェダーフリーなデザインだったので男の子が使ってても問題なかった。)
Hくんも「あはは〜お揃いだね〜。」
と、私としてはHくんとは楽しく過ごしていたのですが。
やはり学校に来なくなってしまい。
2年生の時に、転校してしまいました。


それから10年後くらいに、幼稚園から一緒だった男子に聞いてみたら、H君へのいじめは、実際にあったそうです。
何をどういじめたのかはわからない。
いじめてみたら、勢いがついてしまって、どんどんエスカレートしたのだそうだ。
端から全員平手打ちされるほどのいじめをしたのだそうです。

自意識過剰ですが、私と親しげにお喋りしてるからかな?と思ったこともありました。
それが要因のなかでゼロではないかもしれません。

いじめられてる子が、親しくお喋りできる異性の子に相談なんて、今の時代は知らないけど、できないよね。
相談したことでまたいじめられる。
私も神戸でいじめられました。
すぐ引っ越すとわかってたから耐えました。
いじめのエスカレートはとてつもなく。
私以外のいじめられっ子は、ここでは書ききれないことをされていました。



Hくんをいじめたことになっていたメンバーに含まれたYくん。
本当のところはわかりません。
いちいち神戸の話をする私にツッコミを入れたり、バレンタインにチョコをせがむHくんのピュアさは、彼らにとって面白くないところもあったのかもしれません。
逆に、そんな話とは全く関係ないのかもしれません。


小学生の時。
健康診断の一環で、学校に提出しないといけない検査用品を一人一人渡されている時。
Yくんはちょっと手間取ってました。
「自分でできる?」
「...。」
勉強も運動もできるY君が、何故そんなに悲しげな顔をしているんだろう?

考えてみたら、11歳とか12歳です。
あの無慈悲な異常な担任が、Yくんの家庭の心配をしている?

一時的な家庭の事情なのかな。
小学生同士では、性別が違ったら特に、そこまで突っ込んで聞けません。
ただの好奇心での質問で終了です。
だから聞きませんでした。
聞けませんでした。
聞けるわけがない。
40過ぎた今の私ならともかく。


公立中学校に入って、Y君はモテてました。
スポーツがとてもできるので、男の子でも「Yすっげー。」と言ってました。

うちの中学は過去になんかやらかしたらしく、当時は、卒業旅行は校外学習という名前で行われました。
当時は、散策時用のナップサックと、お泊まり用品を入れるスポーツバッグのふたつ持ちの子がほとんどのなか、小学生の林間学校で使うような水色のリュックサックを背負ってきたYくんは、いろんな意味で目立っていました。

どうして??

Yくんにはお姉さんと妹がいました。
お姉さんはだいぶ年上だったと思います。
けど、リュック、あれ??

私も普通のものは買ってくれない家庭だったけど、今回、これ??

クラスが違ったし、クラス数が9クラスですので、イベントがあってもうっかりばったりなんて、計画しないと無理ですね。

それ以降の話はまた今度します。

私が知ってるYくんは15歳まで。

どれほど不安で、どれほど孤独だったのか。

子供を持たない私でさえ、想像つきます。

何故?

塾と習い事、運動部、子供を海外体験させる船の旅に参加して作文が市報に載ったような。
教育熱心な家庭だと思うのに。
リュックサック、小学校の時に使ったそれで来たんだ。
機能性は抜群だよね、うん。

何があったの?
なにがあったの???

この疑問は多分もう解かれることはありません。

Yくんが本当は私以外の誰かを好きだったとしても。

卒業式が終わって、第二ボタンだけ死守してほか全部奪われてたというYくん。

15歳。

私の友人たちが、Yくんの第二ボタンがまだ残ってると何人もが教えてくれた。
それが私のためではなくても。

15歳のYくんが、受け取ってもらいたかった第二ボタンを渡したい人が現れず。

15歳で、知ってる人が誰もいない遠い地に進学することが決まった15歳の子が。

寂しかったかな。
悔しかったかな。

15歳の子がいておかしくない私は、15歳だったYくんをいまだに想っているのです。
私が15歳の頃に優しい気持ちになれたのは、お掃除の時間に違うクラスで隣のエリア担当の私のところにゴミを積み上げてさっさと教室に帰っていた子供らしい構ってちゃんなYくん。
2年生の時だったかな。私がよくわからない病気になって、週に一回の通院で遅刻するときにちょうど体育の授業で外に出るYくんのクラス。
すれ違い様に見てくれてる気がして1日を頑張れた。

ほんの先日のことのようなのに、14歳、15歳の頃のことで。

子供を持たない私は。

傷だらけだった私より、優しくピュアだったYくんの、年齢的にも実際もの幼さに今更気づき。

Yくんの家庭事情は、もし今知ることができても、ただ、それだけ。
何も癒すことはできない。

私は...。
男はもういらない。
めんどくさい。

家族は...。
1人で生きていけるとおもうから、なくていい。

こどもとして愛されたことがない私は、親にはなれない。

Yくん。
会いたいよ。


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2018/07/06

幼い頃の夢を食べて今を生きてるおばさんの話。

あのねー。
おばさんは、疲れてます。

先週は、小劇場の仕込み(知らない人の現場へ、知人の代理で参戦)、宅配便受け取り、ダンス公演の打ち合わせで片道1時間半で打ち合わせ場所へ行き、40分くらい話して終電とタクシーで帰宅、通院、着付けのお稽古、翌日の現場の近くへ移動して自前で前泊、したのに結局夕方まで暇になったので、食事→カフェで仕事→食事→カフェで仕事→現場へ。そしてカラオケ大会ほぼ12時間コース。

で、疲れ果て。

今週の月火はフリーだったのでとりあえず休もうと思ったら、二日間死んだように寝ていました。
生理周期のせいもあるかもしれません。

私は生理痛とかPMSの悩みがほぼありません。
40代半ばになって、この悩みが未だかつてほぼないっていうのは、女としてかなり楽してると思います。
男性ときちんとしたおつきあいをほぼしたことがないと言っていいくらい男っ気のない私ですが、数少ない元彼には、PMSによって「あ、Namiは今、生理中なんだな。」と気づかれることがなかったようです。
なんかだるい〜。
とてもねむい〜。
下半身が鬱陶しい〜。
くらいですので、自己申告しないとわからないみたい。
不眠症なので、眠くなるのは、タイミングが合えば助かるんですけどね。
鼻のいい男にはバレてたかもね。
血の匂いって、わかるよね。


元彼は子ありバツイチなのである程度は分かってくれるんだろなと思ってましたが、話を聞いてるとPMSだけで言い訳するには苦しい(であろう)くらい女性特有の苦労があった元嫁だったっぽく。
怠けてるわけではないけど動けない。とか?
知らんけど。
その元嫁にかなりひどい扱いをしてたっぽく。
本人は善意の行動だったようですが、夫婦としては、あかんやろ。そら離婚に持ってくわな。って思いながら話を聞いてました。

すごーくシモの話をします。

女性の下半身って、結構、汚れっぱなしです。
私は本当に理想的に正常な方です。
この年になっても。現状は。
とはいえ突然肌着を汚したりしますのでパンティーライナーは常備です。
とてもとてもデリケートな部分です。

そこを、大人な大人ならわかると思いますが。
結婚歴あり、子持ちの男が。
お風呂の垢すりタオルでゴシゴシ洗ってきました。
こいつ、ありえねえ。

で、

「Namiのお風呂上がりを仕上げてあげてる僕ってイケメン。」

風に悦に入るタイプでしたので、お風呂上りに体を拭いてくれる時にも、私のシモをタオルでガシガシ拭いてきて。
「いたい!」
と言っても、
「Namiが悶えた♪」
と、満足するバカでした。
恋愛初心者ならともかく、子持ちバツイチがこれじゃ、私も無理です。
と思いました。




このバカとは別件で、私の精神状態が無茶苦茶で、高額なカウンセリングを受けてた時にカウンセラーに言われました。
誰かに恋をしてウキウキドキドキするのは、

『こんなに素敵な人のそばに居られるワタシって、いけてる〜!!』

という、ナルシスト思考なんですって。
私にはそういう感情が全くないので、「なんかがすごーく欠けてるんでしょうか。」と質問した答えがこれでした。
おー。
私は恋愛体質ではないのでほぼありませんでしたが、寄ってきた男どもは十中八九これで、とりあえずまだ...という態度にしたらほぼほぼカットアウトでしたにゃ〜。



今日は長いです。

あのね。
Y君の夢を見たんです。
3日連続で。
Y君と離れ離れになったのは、15歳の時。
家の都合で、遠くの高校に行ってしまった。
お母さんは近くに住んでたままだったから、離婚?
わからないけど。
Y君と仲良しだった子たちもみんなY君の行き先を知らなかった。
誰にも話してなかったみたい。

夢の中のY君はね。
髪型は当時のまま。
私が今、前髪を7/3くらいにしてるのが、右寄りなのは、15歳の頃のY君の真似です。
最近担当してもらった美容師さんに
「逆の方がいいかも?」
と言われましたが、30年以上これなの。
考えてみたら私のつむじは左巻きなので、逆の方がいいんだよね。
たぶん。
???
よくわかんないけど。
もう、変えようかなあ...。

夢の中でY君は。
おかしいね。
どこかで会った時に突然地割れが起きて、そこにハマってしまった私を吊り上げて助けるために地割れに飛び込んできてくれました。
なんなんでしょ、このシチュエーションww
夢の中の私は、Y君に抱えられているのなら、救助のクレーンなりヘリコプターなりが到着するまで永遠に待つ。
と、思ってました。
そして翌日は、もうよく覚えてないけど、私の職業的にあるあるシチュエーションで、子どもたち世代主体の同窓会。
パパ友・ママ友会?

私には子がいないし、今後も可能性は皆無なので、遊び相手に徹していたら誰かの話の振りで。
誰か『Yは子供そろそろどうなの。』
Y君『子供たちは子供たちで既に忙しいからね。どうしようね。』
私『Yくん、子供いるんだ...。』
Y君『うん、でも保護児童?そういうね。実子じゃないけど、数人。』
私『そうなんだ〜。』

Y君と離れ離れになってあと1年で30年。
どんだけ捉えられてるんでしょうかわたし。

夢って、心を狂わせます。
夢の中のY君に会いたくて、空き日は半分以上、夢を見るために処方指導外の飲み方をしました。
Y君がどこで働いてるかは知ってる。
SNSは尽く、決定的情報を書いていないので本人かどうかがわからない。
『半分、青い』のスズメのように、親しい幼馴染ではなかった。
SNSでは探し尽くした。
っぽいのは複数あれど、本人という確信は皆無。
それに、15歳の時にもしかして私に好意を抱いてくれていたとしても、お互い50歳目指してまっしぐらの時に、もう子供も産めない私を見てくれるわけがない。

でもね。
それでもね。
Y君がいたから、私は今でも生きているんだ。
Y君に奥さんも子供もいたらショック。
ってか、いないほうがヤバい?

Y君がいたから、DVで無茶苦茶だった中学生時代も学校に行った。
Y君に会いたいから。
通院で遅刻する日も、楽しみがあった。
私の部屋のブラインドの隙間から、学校に向かうY君が見えた。
病院から学校に着いた時、体育の授業のため校庭へ向かうY君のクラスとすれ違えた。

50歳目前のおばさんが、15歳の頃のY君に恋してときめいてる。
なんて情けない。
なんて...。

夢の中のY君は言ってくれた。
『何かあったら連絡して。』

リアル世界の私はY君の連絡先を知らないから、今日も、心で呼ぶ。

「このまま夢を見たまま人生を全うしてもいい?それがないなら、せめて現実を私に教えて。」

目をあけると、かなしみばかり。

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2018/05/09

『半分、青い。』を見ながら思う、虐待児だったおばさんの、こころ。

今日はちょっと重い話。
ゴールデンウィークって私の専門職種は案外暇だから。
と、ゆっくりしてたら、やっぱりいろいろ考えてしまって。
そんな話を書きます。


今私は、実家のある団地の、実家とは2棟離れたところに一人で暮らしています。
私は母との折り合いが悪く。
折り合いというのか常識とかいろいろがあわず。
まあたぶん母は病気なんです。

前にも書きましたが、発掘する気力がないのでリンクは貼りません。
母は転勤族の妻になっちゃったからか何だか知りませんが、子育てが余程負担だったようで、長女の私は毎日罵詈雑言。
この世の恥。
今すぐ死ね。
こんな恥さらし他所に見せられるか!

きりがないのでこれくらいにしておきますが。
大人になってからは乗り越えられるであろう罵倒も子供には絶望的でした。
そして父も、娘の体をまさぐる変人。

どこにも居場所がない。
親戚は飛行機か新幹線に乗らないと、いない。

小中学生の頃、私はお利口さんカテゴリだったようです。
学級委員とかをずーっとやらされてて、そうすると単独行動しないといけなかったりして、そしたら、トイレも一緒に行くのがお友達。な女子中学生。
namiちゃんに裏切られた!
と思うようで、口きいてもらえなくなったり。

私はたぶん、誰かに大切にされるとか、大切にする心が今でもないんだと思います。
なんで口きいてくれなくなったんだろ。
ま、いいや。さよなら〜。
で、いつもクラスをまとめる役割でしたが、特定の仲良しは、いなかったと言っていいかもしれません。
特定の仲良しはいなくても、クラスの意見をまとめたり、学校全クラス代表の話し合いの結果を報告するとか、それなりに忙しかったんです。
私は当時考えたこともなかったのですが、内申点狙いで生徒会に出張ってくるのが、いるんですね。
『生徒会選挙の2年生からの出馬が少なすぎて。Namiさん暇でしょ?出てちょうだい。』
と、担任に言われ。
私は入った部活の人間関係構築ルートをとんでもなく間違えてしまって、2年生になる時に部活をやめて帰宅部になったんです。
『Namiさん暇でしょ〜。2年生の生徒会立候補者が弱いのよ〜。namiさんだったら絶対受かるから立候補してくんない〜?暇なんでしょ〜。』

絶対やりたくないので頑張って落ちました。
2枠のうち3先生が3人立候補している副会長に立候補。
だって、同学年だけで競ってる役職に立候補したら、わたし、勝つ。
絶対勝っちゃう。
やりたくないもん。

副会長2枠のうち3人3年生。
ここなら2年生は落ちる。と思って。
書記や会計なら絶対行けるのに!と教師に言われても、たぶん私が勝っちゃう。
彼らは内申目的かもしれないけど、生徒会やりたくない私が蹴落としても嬉しくなーい!!

3年生1人を何故か抜いて次点で無事、落選。
ほっとした。
学校中に嘘をついたことに、どう謝ればいいのか、わからなかった。


過去のエントリを探して読んでくださった方、ありがとう。
すでに読んでた方。
お暇なの?(失礼な)

私にとって誰よりも大切なYくん。
勉強も運動もできて、ティーンズ向け雑誌に「バレンタインにチョコレート64個もらった先輩」と写真つきで載っちゃったYくん。
(あれ載ったの本人知ってるのかなあ?64個は盛りすぎだと思うけど。私は渡してないよ。)

中学校卒業までしか知らない。
もう30年も前のこと。
今の私にあの歳の子供がいてあたりまえなほど、当時は幼く。
けれど私は生きていることを実両親に否定された、この世の恥な生き物だから。
もしうっかり、Y君が私を好き。ってことになったら。
私のこの世の恥人生にYくんを巻き込んじゃいけないから。
なんにも言わなかった。

Y君が近道するために通っちゃってた植え込み。
公園の街灯の下、下手すぎるテニスの練習をしてた私の反対側でY君がリフティングの練習をしていた場所。
制服もなにもかも変わってしまった母校。
今でこそ微笑ましく聞く中学生の恋愛事情。
命短し恋せよ乙女。
なにもかもが昨日の事のようで、なにもかもが四半世紀以上前のことで。
植え込みの柵をくぐってたY君が今でも見える気がするのに。

いないんだ。

ここにいたのにね。
この土を踏んでいたのにね。

高校入学時に、地方へ行ってしまった。
家族はみんなそこにいるのに、Y君だけがいない。
(全寮制の進学校とかではない。たぶん。)

Y君の近しい友達のだれが聞いても理由を話さなかったそうだ。

Y君はその悲しみを卒業文集に残していた。
悲しいけど、カッコつけて平気なふりをすると書いてあった。

私は今その真相が気になって仕方がない。
もし今後再会する機会があっても、きっと彼は話さないだろう。
15歳の少年がどれほど悲しんだのだろうか。
なんて残酷な大人たち。


人の心配してる場合じゃない。
よくあのキチ親のもと生き延びたな。わたし。
うん。生きてるだけ。
死んでるみたいに生きてるの。
笑顔はみんな作り物。
ひとりで生きて行くための味方をつくるためのこと。
誰も私の根っこに興味はないから。
理想と違えばみな去ってゆく。それだけのこと。

Y君は、私の理想の部分だけ見ていなくなった。
私はボタンをもらいに行かなかった。
思い出だけでいい。
当時は本当にそう思ってた。

Y君の第2ボタンだけ残ってると、何人もの友人が教えてくれた。
いいの。
Y君にとっての特別な誰かになる資格は私にはないから。
私はこの世の恥だから。

40歳を過ぎたから思う。
なんなんだうちの親ども。お前ら児童虐待でつかまっちまえ!
児童虐待の時効って何年?

家族はいらない。
けどちょっと寂しいから、犬飼いたい。
だけど今の仕事の仕方じゃそれも無理なんだ。

10年くらい前に、同窓会という口実を使って(嘘でした)卒業文集に載ってるY君の家に電話した。
たぶんお母さんが出た。
Y君の名前を出すと、こちらが驚くくらい狼狽していた。

「えっと、あの、いえ、あの、えっと」
「そちらにはいらっしゃらないんですかね?」
「はい!!!」
差し支えなければ連絡をもらいたい。と、私の電話番号を伝えた。電話越しでもメモしてないのは明らかだった。
「あの、この番号をどちらで」
「小中の卒業文集に掲載されていた番号へお電話いたしました。失礼いたしました。」

自分の息子宛に電話がかかってきて、そこまで狼狽する親がそうそうあるだろうか。
女からだから?
わからない。

15歳で悲しみを抱えたY君。
気がつけば虐待児で、とっくに狂ってた私。

私に家族を持つ資格はないんだよ。

優しい思い出は、Yくんのことばかり。
シャイな中学生になったYくんは、家の近くで2人ですれ違う時も無言。
学校で顔が見える距離にいたら、こっちを見てる。
私はこの世の恥の生き物だから、私を好きにならないで。
私はYくんを好きだけど、私はこの世から抹殺すべき恥の骨頂である生き物だから。
私を好きになっちゃいけないの。

第2ボタンだけ残ってるよ!と、何人もの友人が私に伝えてくれるほど。
私は何も言っていないのに、私がYくんを尊敬していることは近しい友人たちには知られていた。
けどだめなの。
...当時の中学生男子は自分から「僕の第2ボタン受け取ってください!」なんて、言えないものね。

私がまともに愛情を受けて育っていたら。
卒業したらどこに行ってしまうの?
お手紙を書きたい。
ボタンを、ください。

きっとそう言えたでしょう。

今すぐ死ねという言葉が子守唄のようだった私には、できなかった。

25歳前くらいで私は死ぬんだろうなと思ってたら。
40歳とっくに過ぎちゃった。

ボタン、もらっておけばよかったなあ。
私のロザリオになったのに。

友人たちの子供、15歳の実情。
男の子だってまだとても幼いんだ。
そんな幼い中、自分の行く先を誰にも教えなかったYくん。
虐待されてたわたし。

会いたいなあ...。
けど、今のYくんにはきっと女房子供もいるんだよ。
会わずに妄想だけ見ていたほうが幸せかなあ。

辛くて苦しくて、学校を休みがち、通院で遅刻しがち、気が強すぎて問題起こしがちな私を、時間の限界が来るまで、クラスが違うのに見てくれていたのはYくんだけだった。

『半分、青い。』
のなかの、鈴愛にとっての律は、私にとってのYくんではない。
けれど、そっと。
私が見えなくなるまで見てくれていた。
家に帰ったら罵詈雑言と殴る蹴るだった私は、委員会活動と塾を理由に家にいる時間を減らした。
委員会活動をしながら、Yくんの部活動を見ていた。
塾は曜日が違ったんだけど。
お互い急用とかで違う曜日に変更した時、帰りの自転車で、男の子グループと一緒に近所で駄弁ってるのを見守るのが幸せだった。
14歳とか15歳。

大人たちは、どうしてこんなにも幼い子供達をこんな目にあわせたのだろう。
私は子供はもう持てないから。
理想だけで言う。

子供の自己評価を下げて、自分は人間の屑と刷り込む子育てをするほど、私の親は愚かでした。
会いたいなあ。
あそこでリフティングの練習してたよね。
あそこで植え込みに踏み込んでたよね。

30年前の幻が。
私を捉えて離さない。
Yくん。
幼い優しさ。
幼い孤独。


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2017/06/09

フリーランスで働くということ

フリーで働くようになって15年くらいになります。

けどなかなか専業で生きていける稼ぎは出せず、派遣OLとの掛け持ちをしながらの時期が長くて、専業フリーになってやっと5年くらいになります。

私はフリーになってからも技術も体力も知識も全然できてなくて、親切な方々や、辛抱強く鍛えてくれる方々のおかげでここまできました。
機材がどんどん進化するので、なんだかわからないけど設置、接続はできますよというのも増えました。

一応、専門分野の協会には所属しているのですが、そこが仕事を斡旋してくれるわけではありません。また、ギャラの値段が協会によって決められているわけではありません。
会社員だった時に所属させられただけで...

それでどうやって仕事を取ってくるんだとよく言われます。
全部、知人とのつながりです。
知人に紹介されて、それで行ったところで知り合った人から紹介され...
で、その中にはすっげー変な人とか、全く信用できない人とか、態度やら何やらが納得できない人とか、もう関わりたくない人もいるので、いくら働きたくてもそういう人たちと関わっていたらいいことないので、なにげなーく縁を切ります。
逆に切られた縁もいっぱいありますけどね。そういう人とはお付き合いしないほうがいいんです。

40歳前後からかなあ。
あっちこっち行く中で、30代くらい、時にはもっと若い子がチーフをやらなきゃいけないところで、私は彼らの会社の上司ではないので指揮命令はできないなか、彼らは、外注さん(私みたいなの)にどうやって動いてもらおうかしら、あれやってって言ってもいいかしら、オロオロ。となってます。

私たちの世代は、そもそも女性がいなかった業界に進出してしまった時代だったのもあり、男性の先輩からはもちろん、女性の先輩たちにも理不尽に怒鳴られまくってました。
ボーッと指示を待ってたら怒られるのは当然。
指示が欲しくて誰かについていって回っても「自分で考えて動け!」と怒られ、右を向いても左を向いても怒られ、正しいことをしても怒鳴られる業界です。

最近は、そういう理不尽に怒鳴られる風潮にうんざりしてた世代が上の立場になってきたからかしら。
もう、あんまり怒号は飛びません。

そういう状況で、どうも最近の私は30代くらいの若い子たちから見て「怖くない人」と思われてるっぽくて、そうすると、若いチーフが仕事しやすい、ということは会社にとってもいちいち自分たちが面倒見なくても適当にやってくれるから便利。
みたいになってるっぽいです。
フリーの30代の人たちも、そういう理由で私を呼んでくれているようです。

30代の後輩ならともかく、知り合いに紹介されたなんだかよくわからないフリーの若い子の現場に呼ばれるようになりました。
なんでこの人は得体の知れない40代のおばさんをこき使えるんだろうか〜。
まあ無礼だったり理不尽だったりしないし、ちゃんとギャラ払ってくれるからいいけどさー。
と思いながら最近は仕事をしています。

私たちの仕事は危険がたくさんあって、不注意によって人を死なせたり自分が死んだり、死ななくても怪我をさせたりしたりします。
体力仕事なので、いろいろ結構辛いです。
ちょっとこれってどーなのよ。ということも、言える部分もあれば、外注の立場で口を出せない部分も多くあります。
あんまり無礼なところだと、自分から断ります。

そんなふうに仕事が広がっていって、若い子たちに特に重宝され気味な現状に、自分で驚いています。
私は何を目指しているんだろうか...と思うのはしょちゅうですが...。

なんでもウエルカムしていると自滅するので、適度に取捨選択しなくてはなりません。
取捨選択するほど行動範囲が広がったことに驚いてもいますが、断ることの難しさも感じています。
あと20年くらい、この業界で働くのかなあ。
けど足腰、目、腕、肩が動かないと仕事になりません。
つまり座ったままではできない仕事です。
万が一に向けてなにか対策しなくては...と思っています。


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2017/03/16

仕事の時のノートの取り方

食べ歩きブログみたいになってるので、今回はちょっと違う話をします。


私の仕事は舞台の裏方フリーランスですが、現在の状態まで技術と経験値がないときは、仕事がぜんぜん来ないので、派遣OLとの兼業をしていました。
平日は派遣OL、土日祝日は舞台の裏方さん。
忙しかったです。

派遣OLはいろいろやりましたが、いちばん長く、いちばん大変で、いちばん充実していた時のノートの取り方を、誰にも求められてないけど書いてみます。

便宜上、その時の会社のことをX社と書きます。

私がX社で派遣社員として働いていたのは2年半くらいです。
外資系だからか、業績が芳しくないタイミングで他の部署の派遣さんも含めて数人がサクッと契約終了になりました。
そこらへんの指示は本国命令で来たりしますので、日本の会社みたいにウジウジしないんですね。いろんな意味で私にあってた気がします。
うちの部署での首切りがなぜ私なのかは、全くわからないと所属部署の上司が言っていました。嘘じゃないの、本当にわからないの、namiさんにはいてほしいのに、何故namiさんなのか...と言っていただきました。
私は竹を割ったような性格で、口が悪く、猪突猛進なところもあるのでしばしば叱られましたが、いっぺんに多くの案件をこなすことと、締め切りより早く納品しちゃうことが多いのでその点では「なんでできたの??絶対無理だと思って覚悟してnamiさんに振ったのに!なんで〜wwしかも前倒しって、なんでwww」とも、よく言われました。
ホントにとんでもないスケジュールの案件をたくさん振られました。
同時に12案件、似た商品だけどそれぞれに関わる会社が全部バラバラとか。
【大量案件】【特急案件】を何故かこなしてしまう人でした。ふぉっふぉっふぉ。すごいだろ〜。
クビになったけどな。
入ってすぐの時は「派遣にやらせる責任とボリュームじゃない!!」と吠えてましたが、慣れたら楽しくなりました。

契約終了になる時、派遣会社の担当者も「くどいように言いますが、namiさんは何にも悪くないんです。ほんとに、ほんとにそれだけは信じてください。」と何度も言われました。
そこでの仕事はとても大変だったけど、やり甲斐があったし、成果はお給料に反映されることはありませんが達成感がすごかったです。
どのみち、そこにしがみつく気はなかったので、いつか辞めるつもりでいて、それをいつにしようかしら。と思ってたので、ウィンウィンではありました。
けど、関連部署の皆様やお世話になった業者さんには辞めることを当日まで言えませんでした。関連業者さんのほとんどは私たちがただの派遣であることを知りませんし、私は嘘が下手なので「なんかしらないけど契約更新してもらえなかったの〜!」以外何も言えないし、そんなこと言ったら社内騒然となるので辞めることに関しては全く話さず、最終日に「んじゃ!今までどうもでした!」と言ってお別れしました。
まあ、外資企業だからこそのドライさでしょうね。たぶん。
事情を知ってる同じ部署の仲間たちが、上司から「お昼休憩いつもより長くとっていいから、みんなでランチしてらっしゃい。」と言っていただけたそうで、仲良くしてもらってた同僚たちが送別会ランチをしてくれました。



主にその時に活用したノートの取り方です。
その時使用していたノートは、アスクルでまとめ買いしてる普通の大学ノートです。
いつからだったかなあ。私はノートを取る時に、右側のページだけ使います。
いくつか理由がありまして、全く不要になった情報とか、数ページ分だけ破いてレポート用紙に書いたみたいに別に保存しておきたい時に片面だけに書いてあれば便利なところ。
それと、右側に書いた後に追加情報、変更情報、重要情報などが加わった時は左側のページに書きます。
また、どこに書いたかを探す時に、左右両面だと大変ですが、右側だけに書いていれば右側だけ探せばいいので早いです。追加で左側に書いた情報はあくまでも追加情報なので、右側の情報と関係なければ不要なのです。

ノートに書いてあることが諸々の証拠になったりするので、これはとても重要でした。
打ち合わせなどでそれをメモした日付は必ず記入。
それを誰が言ったかも書きます。
のちにそれが変更になったら、左側のページにその内容と、情報が届いた日付、情報源の人物名を書きます。
あと、自分の中で「忘れないようにしないと!」ってことがあったら、左のページにメモして色ペンや蛍光ペンでぐるぐる印をつけておきます。
打ち合わせの時のメモは、基本的に消しません。
書き間違いでも、二重線とかバッテンとかで別に書き直します。
こうすることで、ノートを見返した時に「...これなんだっけ?」と思ったら、二重線の内容から何故こうなったかを思い出すことができます。




今は完全に舞台の裏方だけで仕事をしていて、それも単なる増員オペレーターがほとんどなのでノートを取ることはほとんどないのですが、今度、とても久しぶりに私のプランでの公演があります。
主催者側からの要望などや、ホールとの打ち合わせ内容、追加人員の確保状況、用意する消耗品のこと、知人の会社から借りるもの、それの数量、金額、いつ引き取りに行っていつ返却に行くか、など、無くしたら死んでしまいそうな情報たっぷりのノートになる予定です。
これっぽっちの自分現場でこんななのに、世界ツアーとか、ホントに行くのかな...どうしよう。


ここ数年愛用しているのは、ベタですがロルバーンです。
リングタイプなので右利きの人は左側に書きにくいから私がやってた方法が楽だと思います。
それと私は方眼タイプが好きなのです。
おおざっぱなB型なので罫線通りになんて書かないんですけど、基準線があるとないとでは違いますね。
ビリビリ破いて誰かに渡すメモを作ったり、もう終わった案件のメモを捨てる時もドゥワ〜っと破いて終了。
若い頃は、なんで紙が黄色いの?と思ってましたが、見やすい!!
後ろに付いてるクリアポケットもなにげに便利です。
私がお勧めするまでもない銘品です。


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具体的にどういう書き方をしていたのかは、現物をお見せすることはできないので...
もしも、どうやって使ってるのかを見たい人がいたら、↓の【アラフォー女性日記】【40代女性日記】【人気ブログランキング】どれかをポチッとしてください。
票集め行為は避けていたのですが、リクエスト判断基準として使わせていただきます。
ポチッとしてくださる人が多かったら、ダミーノートを書いてお伝えしたいと思います。
新年度に向けて、少しでも参考になればと思います。
いないと思うけど、具体的な質問がありましたら、Googleアカウントを使ってコメントにてお願いします。
即答できないかもですがそのときはごめんなさいね。



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2017/03/03

フリーランスでの働き方

今回は予約投稿です。

この記事が更新されてるとき、私は国内リゾート地のどこかで仕事をしています。
知人がダブルブッキングをしてしまったとのことで、その代理です。
私は地方仕事とかツアーとかの仕事の経験は少ないです。
しかも今回はトラ(エキストラの略語で、代役、って感じの意味に使います。音楽業界でも使ってます。私がいろいろ教えていただいた恩師は年齢のせいもあるでしょうけれど、こういう業界略語やスラングを使うのを好まなかったので私もなるべく使わないようにしています。ついでに書きますとカツラのことをヅラというのは『鬘屋さんにぶっとばされるぞ!ちゃんとカツラと言いなさい!』と別の師に言われてましたので、テレビとかでヅラヅラ聞くたびにヒヤヒヤしています。鬘屋さんに対してとても失礼な言い方なのだそうです。)なので、ちょっと不安だなあ、でも、この人に頼む会社はたぶんあそことかあそことか...。性格的にどうかしてて頭にきてブチ切れてNGの人は伝えてあるので、その人はいないはず。
いたらお灸だ。すっげーあっついのを。
じゃ、いっか〜。
稼ぎたいし!!
と、お引き受けしました。
急なことなので、大元クライアントから用意されてる新幹線のチケットを転送すると言われても、大丈夫か?郵送事故とか遅延とか起きたら大損害だぞ?と思い、知人が使ってる事務所が私の自宅からそれほど遠くではないので、なんだったら事務所に取りに行くよと言ったところ、予想以上に早く、送付元と送付先が近いせいでしょうか、郵便局さんが頑張ってくれたのでしょうか、知人が投函した12時間後くらいにはうちに届きました。

テクニカルサイドのクライアントは私も3回ほどお会いしたことのある方で、あの年代の割には温和なおっさんで。
だったらなおさら、ま、いっか〜。
で、この業界の場合、対人関係は雇い主とだけでなく、その他増員との関係がややこしいのです。
変わってる人が多いからね。
私を含めて。

私は大学の専攻が今の専門分野なのですが、いろいろあって技術は相当遅れています。
しかも、パワーがないので力勝負の場では全く戦力外です。
そしてもう中年なので、様々な老化現象が始まり、新たな苦戦が始まりました。
そんなんなのに、フリーランスで現在仕事ができているのは、なんにもできないくせにフリー宣言した私を根気よく育ててくれた皆様のお陰です。
その皆様の倍以上の人々に縁を切られましたが、現在冷静に考えれば、尊敬に値しない人々なので、あちらから縁を切ってくれてありがとうという気持ちです。

変な人だらけの業界なので...
誰かの参考になるかはわかりませんが...

この業界のフリーさんは、基本的に人見知りをしません。
仲良くなったけど、あだ名は覚えたけど、本名が分からない人が沢山います。
一人前の仕事ができれば、名前なんかなんでもいいんです。
業界最前線の知人が私をトラで呼んでくれるってことは、信頼を得られたのかなあ。
と思ったりもします。

そんなことはお構いなく、無茶なことを押し付けてくる人もたくさんいるので、そういうときは毅然とした態度で断ります。
そして、ハナからギャラを値切ってくる人とはできるだけ関わらないようにします。
私が正しいのではないかもしれないから黙ってることもあれば、雇い主のやり方がグチャグチャなので裏で手を回すことも多々あります。

私はヘタッピだけど。
返事と挨拶は元気にします。
あたりまえすぎてくだらないんですけど...。

縁が縁をつなぎ、新たなご縁からお仕事をいただくことが増えました。
...けど、この業界、みんな暇な時はみんな暇だし、みんな忙しい時は1日に7件くらい依頼がいて困るんですけどね...。
肉体労働なので、掛け持ちはできないんです。

40過ぎて、やっと、自分の能力とご縁にある程度の自信ができてきたかなあ。と思っています。
肉体労働なので、何歳まで続けられるのか分かりませんが...。

某リゾート地でのお仕事から帰ってきて、なにかお話しできるネタや写真があったら後日更新しますね。
ここんとこ頑張ってきた連続更新が途絶えますが、ちょっと待っててくださいね。


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2017/03/02

PTSDに効く漢方

あっけらかんとした投稿を続けましたが、今回は私のメンタル治療についてです。

何度か書いていますが、私は酷い精神的虐待を受けて育ち、まあ殴る蹴る引っ叩くも普通に受けてましたけど、それなのにグレずに育ってしまった稀有な例のおばさんです。
投薬の医師と、カウンセリング担当医を決める時の医師と、カウンセリング担当医の3人に言われました。

「あなたは自分で自分を育てたのね。」

これは、私の生い立ちを打ち明けた、信用したいと思った数名のうち何人かも、全く同じことを言いました。

やっぱりそうなのかぁ。

たぶんどこかで感覚がぶっ壊れてるんでしょうね。

私には寂しさという感情がほぼ無く、誰かに甘えるという心もたぶん無く、自分に自信がないということはあるけれど自分がダメな人間だと思うことも無く、壁に立ち向かうことになっても、ぶつかってみればなんとかなるかなあ。負けちゃったらそれまでだなあ。まあ、やってみっか。と体当たりしまくってきたおバカさんです。

20代中盤、酷かった時は枕に顔を埋めて絶叫したり、腕をザクザク切ったり、精神科に自分で行く前は頭痛が酷かったので筋緊張性頭痛薬としてもらった弛緩剤的なものをオーバードーズしてまっすぐ歩けなくなって家の中でひっくり返ってたりしました。

当時は、私がこうなった原因である両親と接触しないように!電話も禁止!どうしても用があったらFAX!縁切りなさい!家庭環境が異常な状態だと診断書書くから生活保護の申請しなさい!
と、言われてました。
その頃はまだ少し貯金があったのでなんとなく過ごしてしまい、妹の結婚と同時に実家の近くに来てしまいました。
妹が幸せになる節目の時に、私が家庭内の不和を理由に不在なのは気の毒だから、少しだけ我慢しようと思ってのことでした。

それから10年経ちましたが、未だに私は両親の近くにいます。
両親は、私がもう精神科に用はない健康体になってると思い込んでます。
全然違うんです。
実はまだグチャグチャなのです。

半年くらい前からか、何がトリガーになったのか分からないけれど、母に罵倒されていた時のことがフラッシュバックして日々が辛くなりました。
それを15年くらい診てもらっている主治医に伝えると、漢方薬を処方してくれました。
主治医は漢方で代替できるものは漢方で処方してくれる人です。夏バテとかでも漢方処方してくださって、だいぶ元気になりました。

PTSDに効く漢方の組み合わせというものがあるそうで、それを指名して受診する人も少なくないそうです。
それは

『桂枝加芍薬湯』(ツムラ60番)
『四物湯』(ツムラ71番)

です。
1日2回、朝食前と夕食前に一包ずつ。
めんどくさいなー。と思いながら飲んでいたら、3日目くらいで頭の中がスッキリしてきました。
なんだこれは!!
グジャグジャした思念が無くて、すっきりしていて、世界が明るく軽快に感じられる。
普通の人はこんなにスッキリした頭で毎日を過ごしているの??

そうして薬効を実感して数ヶ月過ごし。
これ、いつまで飲むのかな〜。ずっと続けるのかな〜。一時的なフラッシュバックだったらもういいんじゃないかな〜。
と思ったのと、とにかくめんどくさいので、飲む回数を減らし、そして一週間くらいやめてみました。

そして今悩んでいる状態。
私は生理に伴うイライラとか痛みはほとんどなくて、生理前にやたらと大食いになったりやたらと眠くなったりするくらいで、機嫌が悪くなることはほぼありませんでした。
鬱陶しいなあ〜。と思うくらいで。
それが、なんだか、イライラというかメラメラした気分になったり、過去の虐待が浮かんできてウワア〜となることが数回ありました。

奇跡的にグレずに耐えてる私は、医者から見ても「...なんで今そんなに普通の人以上にちゃんとしてるの?」って感じるらしいくらいなので、40過ぎて生理前後に多少イライラするのは当たり前なのですけれども。
なんかもう、今すぐ実家と完全に縁を切って遠くに行きたくて。
けど、今まで自力で築いてきた人脈を切ると仕事ができないから。
地元の友達も大事だし。
どうしよう。
と思いながらも、私にはもう悩みなんかないから大丈夫と思い込んでる両親が私の生活に踏み込んでくるのが嫌で嫌で。
もう構わないでくれ。
私の人生あんたがたに完全に潰されたのを奇跡的に生き延びてるだけで、あんたがたに恩はないんです。
という意味のことを、父と妹とのライングループに投稿しました。
母はメカ音痴というかバカなので、特に自分に都合の悪いことは真っ先に忘れて他人をキチガイと罵倒する変人なので、いちばんの疫病神はこいつなので、父に聞かされたところで右から左か「namiはやっぱりキチガイだ」で終わりです。
今の人生もそれなりに楽しんでますが、私の夢を潰した張本人たちが諸国漫遊贅沢食とクダラナイ土産物をどっさり買ってきて私たちに与えては満足げなのに、もう、ブチ切れました。
家にはお金があるのに靴を買ってもらえなくて先生に怒られたり。
苦手な勉強が親の得意分野だから教えて欲しかったのに「授業を聞いてろ!めんどくさいなあ、教科書読めばわかるだろ!」と、ぶたれたり。
わからないから聞いてるのに。
家にはお金があるのにお小遣いがもらえないなか靴下を買わなきゃいけなかったり。
家にはお金があるのに私なんかに習い事させるお金は払いたくないからと私の夢を尽く潰したのに。
持病の発作で死にかけてるのに「うるさい!寝られないだろう!迷惑千万!自分でなんとかしろ!」と罵倒されたり。
体をあちこち触られたり。
いろんなことがフラッシュバックして、もう、どうしようもなくて。

普通の両親に普通に育てられたら、Y君にお別れの挨拶ができたかもしれないのに。
普通の両親に育てられて自分の存在に意味があると思っていたら、好きな先輩が学校を辞めるんだって電話をくれた時、時々は会えますよね。って言えたかもしれないのに。
私はこの世に存在してはいけない人間だから、誰にも伝えられなかった。
寂しさの感情は殺した。
存在してはいけない人間が、愛を乞うてはならないと完全な暗示にかかったから。

それが辛くて辛くて、薬を多く飲んだり、以前飲んだ薬を引っ張り出してきたり(真似しないでください)グジャグジャになっています。
そんな時に急に泊まりの仕事が入ったので、こんな状態では仕事にならない、どうしよう。と思い、先の漢方をまたちゃんと飲んでみています。

この組み合わせがPTSD、フラッシュバックに効くという理論というか推察というかは、どれを提示すれば正式なのかよくわからないので、検索してください。けど、有名な組み合わせだそうで、いつもと違う処方が増えた時に薬剤師さんが「...フラッシュバックですか?」と心配してくれたくらいなので、これ飲んでる人は結構多いんだと思います。

過去に負けたくない。
けど、今の私を作ったのは過去なのです。
過去を消しては今の私はないのです。
忘れるのは、簡単なことではないのです。
一生の傷になっているのですから。
「忘れろ」と簡単に言う父が大嫌いです。
誰のせいだと思ってるんだ。

おまえのせいだよ!!!

あっけらかんと生きていても、根っこはズタズタなのです。
でも、原因である連中以外の人の前では、スコーンと明るい私でいたいのです。
おくすりさん。わたしを助けてください。



 
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2017/02/14

おもいでばなし。つづきの6。ひとまずおわり。

おもいでばなしシリーズ、今回で一旦終わります。
また書きたくなったら同じこと書くかも。
最近の私は少し不安定で。
思いがモヤモヤなときはとにかく書いて書いて、書いて捨ててをたくさんしてみなさい。と神経症が重症だった時に医師に言われました。
最近ココロは元気だったのに。どうしたのかな。

中学2年生になるときに、Y君とは隣のクラスになりました。
1年生の時は用もないのに離れたクラスまで覗きに行ってましたから(不審者!)。
休み時間とかに普通に顔を見られるのが幸せで、学校に行くのは楽しかったです。
お掃除の時間に、べつにベランダ掃除当番とかじゃなかったんだけど、何故いたんだっけ。友達とベランダで何かやってたら、Y君たちも、いつも一緒にいる小柄な子と一緒にベランダに出てきて何かしてました。
ホントに何やってたんだろか。

ある日、Y君のクラスのやんちゃ君がなんかやんちゃしてて、シャドーボクシングっていうのか、なんかパンチしてふざけてて、距離感を間違えて窓ガラスに腕を突っ込んだことがありました。
ベランダはつながっているので、私やY君の目の前でそれは起きました。
ガラスは割れて、しばらくは何が起きたのかわからず呆然としていましたが、みるみる血が滲んできたのと、痛みが来はじめたのか、やんちゃ君の顔がみるみる泣き顔になり。
あれは痛いわ。
止血...なにか...はちまき...衛生面が不安だな...上腕に巻けば...? けど隣のクラスのことに、私が首突っ込むのも出しゃばりすぎ...って言ってる場合じゃないんだけど、どうしようかなあ。
と思ってる間にY君のクラスの子が先生を呼びに行って、うちのクラスの担任が来て「縛らなきゃ、タオル...はちまきでいいや。」(なんだ、いいのか。)と、上腕を縛って更に手で握って止血しながら保健室に連れて行きました。
やんちゃ君は確かそのあと、病院に行って刺さったガラスを抜いてもらったんだと思います。
Y君のクラスの子達はそのあと割れたガラスを片付けたり、何かで窓をふさいだりドタバタになりました。私のクラスは「なになに?なにごと?」って感じでした。

中二病なんでしょうかね〜。
私が見えるところにいるときはY君が必ず見てくれてると思い込んでました。
実際、離れていくときは一番最後まで残ってこちらを見ていることが多く、どうすればいいんだろう。と思っていました。

どうにもできなかったですね。
中学生ですし。
もっと私に自信があれば、話しかけたのに。
Y君はあまり積極的に女子に話しかけないタイプだったので、ほかの、友好的な子に話しかけるのとはちょっと違った壁がありました。
私という存在を親から完全否定されて育ったので、あんなに優秀なY君が私を好きになってくれるわけがない。本当の私を知ったら嫌われるだろう。だから、このままでいい。
そう思っていました。

高校生になる時に地方の学校に行ってしまうとわかって。
手紙を書いてもいい?と、聞きに行きたかったです。
けど、高校生の男の子が、手紙だけで全然会えない、当時は携帯もメールもスマホもないので本当に紙の手紙だけの私のことを想い続けるなんてありえないだろうな、と。
3年間、目の前にいる女の子に恋をしないでいるわけがないと思ったのです。
大学生になる時にそばに行くから、私のこと想って待ってて。
なんて、叶うわけがないと思って。
こういうところが、精神的虐待を受け続けた結果の自己評価の低さなのだそうです。

15歳という不安定な世代。
保護者に保護されず、愛されず、否定され、殴られ蹴られ。
まだ若すぎて、それに私は体が弱すぎて、家を出て自活できるわけでもなく、八方塞がりな時期を乗り越えさせてくれたのはY君の存在でした。
いま、自分に15歳の子供がいてもおかしくない、むしろいるのが普通な年齢になり。
街で見かける15歳くらいの子供たち。
15歳の自分の子供を心から愛してる友人たち。
大人になるまでのバックグラウンドの違いの残酷さ。

Y君と同じ部活だった同級生と連絡がとれたので、なにげなさを装って実際全然なにげなくない感じで、Y君のことを聞いてみました。
卒業以来全く連絡とってなくて連絡先もわからなくて。との返事。
やっぱりなあ。

40代になった大人の目線から、15歳の頃のY君を思うと。
かなり悩んでいたのだな、と感じます。
あの頃Y君の表情に陰りがあったのはそういうことか、と。
言いたくて、何かを伝えたくて、でも、できなかったのか、と。
私が鍵のひとつくらい開けられたかもしれないのに。
私に自信がなくて、できなかった。
15歳の少年の悩み、自分の子供だったらいじらしくくるおしく切ないことだろう。
15歳の私には何も気付けなかった。
自分の中の狂気を閉じ込める力しか残ってなかった。

あの頃の私に言ってやりたい。
将来、健康になって、今の悩みから解放される日が来るから。
受け止められなくてもいいから、想いは伝えておこうよ。
ありがとう。って伝えようよ。
Y君の背中をそっと押してあげたい。
一人で抱え込まないで。
あなたの心に支えられて狂気を乗り越える人間がいるんだよ。

他所の子供たちを見ては、感じるのです。
愛と優しさだけで育っている子はどれくらいいるのかな。
あの子たちが、幸せになりますように...。

ここで今回のおもいでばなしシリーズを終わりにします。


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2017/02/13

おもいでばなし。つづきの5。

思い出話を続けます。

私は中1で部活を辞めて、なんかよくわからない病気になって、欠席が増えました。
持病の喘息もあるのですが、月に一度は風邪をひくのと、原因不明の白血球増加、原因不明の黄疸など、いろいろありました。
今だから精神科の医師に聞いて分かりますが、私はあの頃明らかに精神を病んでいました。
どうやら、通ってた病院から精神科の受診を勧められたっぽいのですが、私の父母世代にとっては、自分の子供が精神病院に行くなんて恥!ありえない!みたいな感じで。
診察後、母だけ呼ばれて、戻ってきて
「精神病院に行けって言われちゃった。留年して入院する?」
と、言われました。
入院はしたかったです。
心の底から。
親と離れられるなら今すぐにでも入院したいとずっと思っていました。
児童養護施設でもいい。とにかく親がいないところで生活して、今の学校に通いたい。
中学校留年は、嫌だな...
親から離れた施設に入って今の中学校に通いたいな...。

「学校には行く。」

それしか言えませんでした。
本当のことを言ったらまた殴られて、存在全否定されて罵詈雑言、大変なことになりますから。

白血球増加は、内臓で何かしらの問題があるのだろうといろいろな検査をされましたが、何も見つからず。
毎週、火曜日だったかなあ。朝一で病院に行って、血液検査されて、遅刻して授業に加わる日々が、数ヶ月ありました。
教師には周知してもらってたので、2時間目くらいの途中ににヌルッと教室に入っていました。
検査とかの事情によって決まった時間に学校に行けるわけではなかったのですが、病院の受付開始時間に行くには、登校時間に家を出てもちょっと早くて。
いつも通りに支度を済ませて病院に向かうまで時間があったので、自室のブラインドの隙間から外を見ていました。
Y君が通るからです。

うちは谷間の団地だったので、小学校も中学校も直線距離は近いのですが、谷を登らないといけなくて、ショートカットのルートがありませんでした。
私とY君は、逆の方向から谷を登るルートを選んでいました。
Y君は、私の家のある建物の前を通るルートを使っていました。
私が普通に登校したら、すれ違うルートでした。
(近所で行き先同じなのに逆方向の登校ルートって、今思うと不思議だな。)
何時にそこを通るのかは分かっているので、暇を持て余しながらブラインドの隙間からY君が通り過ぎるのを見るのが週に一回の楽しみでした。
お花畑な私のアタマ。
私がブラインドの隙間から見てるのに気づいて、こっちを見た気がする。
それを感じて、元気が少しだけアップしました。

病院の診察を終えて、次の授業との合間の時間に学校に着くのがベストタイミングでした。
シレっと2時間目だったか3時間目だったかの授業の頭から「さっき来ました〜!」と言えるのが楽。
そして、そのタイミングだと、Y君のクラスの男子が体育の授業で昇降口から外に移動するのとすれ違えたのです。
Y君のクラスの社交的な男子の中には
「お!? namiさん今来たの?遅刻かよ?」
「うん、最近は病院に通っててね、この時間になっちゃうの。」
「そうなんだ。早く元気になれよな!」
「ありがとう。(^ ^)。がんばる。」
そんなフレンドリーな子もいました。
Y君はそれを少し離れたところから見ていました。
午前中に2回、Y君の顔が見られる。
幸せでした。
唯一の心の拠り所でした。
一言も言葉は交わさないんだけど、ちゃんと私のことを見てくれているような安心感がありました。

次くらいでしめます。


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