2018/07/21

こどもはこども

Yくんのことと、私の話をします。

小学校の時に出戻り転校で戻ってきて、もともとのお友達と2年と数ヶ月ぶりで再会して、帰ってきていきなり学級委員か何かをやらされました。
転校前からそういうタイプだったので、学級委員といえばNamiちゃん。みたいな感じでみんなが推薦した感じ、だったかな?

転校前に私を好いてくれてる男の子がいたらしくて、転校したのは小学3年生の時ですのでまだ9歳か10歳?
色白で小さくて、おぼっちゃまな感じだけど、素直で、一緒に遊んだりおしゃべりして本当に楽しかった子です。
Kくん。
転校から戻ってきて、転校前から私を知ってる、主に男の子たち数人に言われまくりました。

「Kくん覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。色白でそばかすで、わたし地黒だから羨ましかったんだ〜。」
「転校しちゃったんだよ。」
「そうなんだ...。」

それを数人の男の子たちに言われて。
これだけ何人もの男の子たちが言うってことは、Kくんも転校する前に話してたのかなあ。
K君は私のように出戻りすることなく転校したっきりでした。
10歳くらいの子供の淡い恋心?

私は子供の頃から性格は男っぽく、大人たちの采配によりリーダーポジションにずっといたので、なんなんだろ。頼もしい女の子、だったのかなあ。
転校する3年生くらいまでは、自分の家庭の異常さに気づいていなかった、かな。

出戻りしてきてからは、私はしばらく、転校していた神戸の学校と、2年ちょっと離れていた母校のあらゆるギャップについてゆけず、「神戸はこうじゃなかった〜!」とかいろいろ言ってました。
別の話になりますが、そんななか、出戻ってきて初めて同じクラスになったHくんは
「そんなに神戸がいいなら神戸に帰れ!」
と、私に言いました。
私はショックではなく猛反省しました。
「...ごめんなさい。神戸には帰りません。」

Hくんは、たぶん甘え上手でした。
私に厳しいことを言いながらも、バレンタイン前には「チョコちょうだい♪」と堂々アピールし続けていたので、特に好きだからチョコあげる相手もいなかったので、家の近くの酒屋で板チョコ買って、わざわざラッピングしてもらって、あげました。
ホワイトデーにはクッキーか何かもらったような、何もなかったような...
覚えてないです。

そんなHくんが、学校に来なくなりました。
6年生になったら、担任が異常でした。
今だったら裁判になるくらいの異常さでした。
私たち、特に女子は、何故Hくんが学校に来ないのか全然わかりませんでした。
授業を潰して、H君の家までクラス全員で走って行って
「Hくん、学校に来て!!」
と、言いに行かされました。
今でもさすがにこれはやっちゃいけないことだったと思います。
玄関先に出てきたお母さんが
「ごめんなさいね。まだしばらく行けないの。今日は帰ってくれる?」

今思うとあの時お母さんはまだ30代だったと思います。
年齢はともかく。
前後関係は忘れましたが、走ってHくんの家に行かされた前後、女子だけ自習になって、男子だけが、社会科準備室だったかな?に詰め込まれました。
学級委員かつ気になることはほっとけない私は自習を勝手に抜け出して、社会科準備室のドアの通風口というのか、ドアの隙間から四つん這いで覗きに行きました。
20人くらいの男子が正座させられてて、端から順に平手打ちをくらっていました。
それは、やんちゃ君たちや、そういう理不尽に耐えられそうな子以外にも、まだ6年生には見えない小柄で、かついじめなんかに関わらなそうな子も関係なく全員平手打ちを受けていました。
担任のことは、転校前、入学した当初から「この先生大嫌い!!」と思ってた超絶パワハラ教員で(女性です)5年生の途中で帰ってきた時は違う先生で安心したのですが、6年生になってこのパワハラ担任になって半分以上絶望しました。
その絶望が、本気の絶望になりました。
覗き見から帰ってきて(その時のクラスの女子たちは私の本質を分かっていたので、自習を抜け出して偵察に行ったことを「Namiちゃんの役割。」みたいに思ってたのかどうなのか、ほっといてくれてました。)女子たちに小声で

「...ヤバい。全員平手打ちくらった...。泣きながら帰ってくる子もいると思う....。」

と伝えると
「私たちには何もできないんだから、知らないふりして普通に自習を続けようね。」
という冷静な子のおかげで、怖いもの知らずで担任に文句言おうと思ってた私にストップかけてくれたのが現実だと思います。

そしてHくんは、同じ公立中学校に進学し、同じクラスになり。
偶然だけど同じカンペンケースを使って。
(今で言う所のジェダーフリーなデザインだったので男の子が使ってても問題なかった。)
Hくんも「あはは〜お揃いだね〜。」
と、私としてはHくんとは楽しく過ごしていたのですが。
やはり学校に来なくなってしまい。
2年生の時に、転校してしまいました。


それから10年後くらいに、幼稚園から一緒だった男子に聞いてみたら、H君へのいじめは、実際にあったそうです。
何をどういじめたのかはわからない。
いじめてみたら、勢いがついてしまって、どんどんエスカレートしたのだそうだ。
端から全員平手打ちされるほどのいじめをしたのだそうです。

自意識過剰ですが、私と親しげにお喋りしてるからかな?と思ったこともありました。
それが要因のなかでゼロではないかもしれません。

いじめられてる子が、親しくお喋りできる異性の子に相談なんて、今の時代は知らないけど、できないよね。
相談したことでまたいじめられる。
私も神戸でいじめられました。
すぐ引っ越すとわかってたから耐えました。
いじめのエスカレートはとてつもなく。
私以外のいじめられっ子は、ここでは書ききれないことをされていました。



Hくんをいじめたことになっていたメンバーに含まれたYくん。
本当のところはわかりません。
いちいち神戸の話をする私にツッコミを入れたり、バレンタインにチョコをせがむHくんのピュアさは、彼らにとって面白くないところもあったのかもしれません。
逆に、そんな話とは全く関係ないのかもしれません。


小学生の時。
健康診断の一環で、学校に提出しないといけない検査用品を一人一人渡されている時。
Yくんはちょっと手間取ってました。
「自分でできる?」
「...。」
勉強も運動もできるY君が、何故そんなに悲しげな顔をしているんだろう?

考えてみたら、11歳とか12歳です。
あの無慈悲な異常な担任が、Yくんの家庭の心配をしている?

一時的な家庭の事情なのかな。
小学生同士では、性別が違ったら特に、そこまで突っ込んで聞けません。
ただの好奇心での質問で終了です。
だから聞きませんでした。
聞けませんでした。
聞けるわけがない。
40過ぎた今の私ならともかく。


公立中学校に入って、Y君はモテてました。
スポーツがとてもできるので、男の子でも「Yすっげー。」と言ってました。

うちの中学は過去になんかやらかしたらしく、当時は、卒業旅行は校外学習という名前で行われました。
当時は、散策時用のナップサックと、お泊まり用品を入れるスポーツバッグのふたつ持ちの子がほとんどのなか、小学生の林間学校で使うような水色のリュックサックを背負ってきたYくんは、いろんな意味で目立っていました。

どうして??

Yくんにはお姉さんと妹がいました。
お姉さんはだいぶ年上だったと思います。
けど、リュック、あれ??

私も普通のものは買ってくれない家庭だったけど、今回、これ??

クラスが違ったし、クラス数が9クラスですので、イベントがあってもうっかりばったりなんて、計画しないと無理ですね。

それ以降の話はまた今度します。

私が知ってるYくんは15歳まで。

どれほど不安で、どれほど孤独だったのか。

子供を持たない私でさえ、想像つきます。

何故?

塾と習い事、運動部、子供を海外体験させる船の旅に参加して作文が市報に載ったような。
教育熱心な家庭だと思うのに。
リュックサック、小学校の時に使ったそれで来たんだ。
機能性は抜群だよね、うん。

何があったの?
なにがあったの???

この疑問は多分もう解かれることはありません。

Yくんが本当は私以外の誰かを好きだったとしても。

卒業式が終わって、第二ボタンだけ死守してほか全部奪われてたというYくん。

15歳。

私の友人たちが、Yくんの第二ボタンがまだ残ってると何人もが教えてくれた。
それが私のためではなくても。

15歳のYくんが、受け取ってもらいたかった第二ボタンを渡したい人が現れず。

15歳で、知ってる人が誰もいない遠い地に進学することが決まった15歳の子が。

寂しかったかな。
悔しかったかな。

15歳の子がいておかしくない私は、15歳だったYくんをいまだに想っているのです。
私が15歳の頃に優しい気持ちになれたのは、お掃除の時間に違うクラスで隣のエリア担当の私のところにゴミを積み上げてさっさと教室に帰っていた子供らしい構ってちゃんなYくん。
2年生の時だったかな。私がよくわからない病気になって、週に一回の通院で遅刻するときにちょうど体育の授業で外に出るYくんのクラス。
すれ違い様に見てくれてる気がして1日を頑張れた。

ほんの先日のことのようなのに、14歳、15歳の頃のことで。

子供を持たない私は。

傷だらけだった私より、優しくピュアだったYくんの、年齢的にも実際もの幼さに今更気づき。

Yくんの家庭事情は、もし今知ることができても、ただ、それだけ。
何も癒すことはできない。

私は...。
男はもういらない。
めんどくさい。

家族は...。
1人で生きていけるとおもうから、なくていい。

こどもとして愛されたことがない私は、親にはなれない。

Yくん。
会いたいよ。


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