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2017/02/12

おもいでばなし。つづきの4。

四半世紀前の思い出話。
まだ続きます。

私は中学生の頃まではまあまあ勉強ができていたのですが、塾に行ってる子と比べると差があるなあと思ってきていました。
うちは父がバリバリの理系なので、教えてもらおうと思って聞いても「なんでこんなもんがわからんか!」とぶっとばされたり(わかんないから聞いてるのに...)「おっぱい大きくなったか」と胸を弄られたりするので父のことが大嫌いになりました。
それもあって男性不信になったのですがその話はまたいつか。

で、私も塾に行きたいと言い。
近所の子とか、大勢が行ってたから許してもらえたのかなあ。Y君も通ってる進学塾の入塾テストを受けて。Y君と同じレベルのクラスに合格しました。
女友達と一緒に通って、塾の行き帰りにお喋りするのが楽しみだったので(オイ、勉強は...)しかもその子...Mちゃんは(も)Y君のことが好きだったので、放課後の唯一の楽しみとして通塾していました。
Y君とは違う曜日だったのですが、都合によって同じレベルの違う曜日のクラスに行くこともできました。
Y君会いたさに他クラスすることはありませんでしたよ!私はそんなマメな女じゃありません。

で、女子には延々女子トークがあるように、男子にも延々男子トークがあるのでしょうか。
Y君が塾に通う曜日、男子たちもチンタラと集団で帰宅します。
当時は最寄りにバスが通っていなかったので、ほぼみんな自転車です。
男子軍団の中、Y君は中心人物ではなかったのですが、いつもなんとなく群れの外縁にいます。
そのときだったか、別の休日だったか。
あれ?
と思ったことがありました。
バッグです。
あの頃の中学生男子の私用バッグって、なんて言ったらいいんだろう。
Y君が持っているのとはとにかく違ったのです。
200mくらい離れたところから見たものですが、Y君は、黒の、たぶん合皮の、A4サイズくらいのクラッチバッグを持っていました。
今でこそクラッチバッグはおしゃれアイテムかもしれませんが、当時の中学生男子が好んで持つものではありませんでした。
あれ?
お父さんのを借りてるとしか思えない。
あれ?

その疑問は、修学旅行のときに更に明らかになりました。
学校的に過去に何かあったらしく、校外学習という名の修学旅行でした。
私たちの母校は校庭が校舎より低いところにありました。
校庭に一旦全員集合してからバスに乗るために階段を昇るのですが、私のクラスより先に昇ったY君のクラスの中に、明らかに浮いてるバッグが。

...小学校の校外学習のとき、いわゆる、昭和後期の小学生がキャンプで背負っていく多機能大型リュック。というのがあったと思います。
パステルカラーの子供らしい色の無地やチェックやツートンで、メインと、左右に四角く出っ張ったサイドポケット、メインの下部にはA5サイズくらいのポケット。
私はたしか小学生の時、白と薄緑のチェックのを買ってもらいました。
(コールマンとかアディダスとかがお手頃価格の子供用バッグを出してなかった頃だと思います。なんか総合スーパーで売ってるやつ。)
私はたぶん、九州への帰省にも使ったと思います。
中学校の修学旅行は、私はどのバッグで行ったか完全に忘れましたが、下着と肌着と寝巻以外は制服で過ごす2泊3日でしたので、化粧道具もないし、簡素なリュックサックでした。
ボストンバッグの子は、いたかなあ...。いたかも。
今現在大荷物で、いつでも一週間くらい泊まれそうなバッグを担いでまわってる私ですが(仕事道具だい!)結構簡素な荷物を、黒の合皮のリュックに入れてました。
今思えばすっごい軽装だったなあ。何持って行ったんだっけ。

自分のクラスが進む順番を待ちながら、先行組を見送りつつ...

...今、バスに向かって階段を昇っている、小学生が持つような白と水色のリュックサックを右肩に乗せて昇って行くのはY君...
黒の学ラン、紺ブレ女子がほぼ全員黒いバッグで進んでいく中、小学生が使う水色のリュックサックは目立ちました。

...え?
...と、いちばん思ってるのは本人だろうな...
どうして?
お姉さんと妹がいるのは知ってる。お姉さんがいくつ上なのかはわからない。
中学生男子が学ランでこのリュックで修学旅行に行くのは浮くって、分かってるおうちのはず。
学習塾やスイミング、その他いろんな課外活動をさせてるおうち。だから団地の子供会に参加してなかったはず。お金がないという理由じゃないはず。
何かが起きている。
...何が??

意を決して聞いたところで、家庭の悩みが原因で得体の知れぬ病気をしまくってた私が解決できることではない。答えてもらえたところで、私の好奇心を満たす以上のことはできない。
けど...

Y君がどんな想いであの修学旅行を過ごしていたのか。
もう、想像すらできない年月を生きました。


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2017/02/11

おもいでばなし。つづきの3。

四半世紀前の思い出話をしています。

中学校は、私もY君も公立中学校に進みました。
Y君の家はどうか知らないけど、私は中学受験の存在を6年生の3月まで知らなかったので、引越し以外で違う学校に行くお友達がいると気づいてませんでした。

私たちは団塊ジュニア世代なので、中学校のクラス数はmaxでした。
私たちの小学校からは、公立中学校に行く人は全員同じ中学校でした。
近隣小学校から半数と、別のところからは3分の1くらいかな。合流して、9クラスありました。
クラス替えは1年から2年になるときだけ。2年から3年はクラス替えはありませんでした。
私とY君は中学で同じクラスになることはありませんでした。
2年3年の時、隣のクラスになりました。

1年生の時。
お掃除の時間に割り振られるエリアはたしか1年間固定だったと思います。
クラスの半数は自分の教室内。
何人かは、理科室とか技工室とか他の教室。
単独行動させてもちゃんとやりそうな私のようなタイプは、ひとりでエリア担当させられていました。
1年生の時に私が担当させられたのは、体育館へ行く通路の一区画。
ひとりかよ!
あたしひとりかよ!
なんだよこれ!みんなは大勢で仲良くやってるのに!!
と、配分の理不尽さに無言でぶーたれていたら、校舎側の一区画を担当するのは、全然違うクラスのY君ひとりでした。
えええ〜!
4組と9組がなんで隣なの!
いいけどさ!

少し話は戻って。
私が小学生の頃は、卒業するときに「サイン帳」を集めるのが流行っていまして。
A6サイズより大きいくらいのバインダーに、写真を貼るところとか、自己紹介とか、メッセージを書くところがあってね、卒業前にクラスのみんなに配って書いてもらって、マイアルバムにするんです。
Y君はちっとも書いて返してくれなくて。
小学校卒業するまで「サイン帳書いたのちょうだい!」とずっと言っていたのですが、なんかもう虚しくなっちゃって。もらえてないのは私だけじゃなくて誰にも渡してないっぽかったし、中学生になっちゃって、お掃除が隣のエリアになったものの、いまだに「小学校の記念のサイン帳!何か書いて早く返して!」と言い続けるのもバカらしくなり、言いたいけど、言うのをやめました。
やっぱりY君はまだ子供だったのかなあ。
私がまた「サイン帳!」と言うのを待っていたような気配は少なからずありました。
小学生の延長をするのがバカらしくて、けど、シャイなんだか人見知りなんだか(今更...)ムッツリなんだか分かりませんが、Y君エリアの砂埃をこっちに吹っ飛ばしてきたり、あら、あっちはもう終わったんだ〜私も終わるよ〜と思って道具を片付けていたら、私エリアに砂埃と綿ぼこりの山がこんもりとできていたことがありました。
おい。
言ってやろうかとなんども思いましたが、この人は私がこう言うのをわかってやってるから、言っても無駄だし、教師の耳に入る大事にしてもとてつもなくくだらないので何も言いませんでした。
今思えば、言い方のバリエーションはあったんですけどね。
当時の私にはできないことです。

続きます。

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2017/02/10

おもいでばなし。つづきのつづき。

四半世紀前の思い出話を書いています。

出戻ってきて、トンデモ担任になって、今だったら裁判沙汰になってるであろうことも多々起こり。

私は酷い喘息持ちでしたので、体育の授業は内容や体調によっては見学が多かったです。
みんながマラソンさせられてる中、一人で、焼き芋焼いてる焚き火番させられたこともあります。
今じゃ無いんだろうなあ。
学校の敷地の端っこの方に、大きな穴があって、枯葉とかそういったものを溜める場所があったんですね。
で、冬になると、燃やすんです。
ただ単に燃やしてもつまらないからと、各自家からさつまいもをアルミホイルで包んだものを持参させられ(じゃがいもの子もいた気がする)その中にぶっ込んで、焼き芋作るんです。
で、体育見学の私はひとり、火の番です。
「そこにいた方が暖かいでしょう。」
一瞬、担任の優しさを見た気がしましたが、小学生に一人でこんな大規模な焚き火番させるって、ありえないでしょ〜。
生真面目な私は、ボケーっと見つめることはなく、無意味に周囲をウロウロ歩いて過ごしました。
で、詳細はさすがに覚えていないのですが、体育の授業の後、火を消して(...消したのかなあ?)アルミホイルに包まれた芋を発掘し、給食の時に食べたんだっけなあ。
給食と体育が大嫌いだったので、速攻忘れました。

そんなんで、運動できない、給食食べきれず居残り、転校で鍛えられて口が悪い、気が強い割には病弱。という私を、なんでY君が好きになるの?と、不思議でした。
本人からは聞かずじまいでしたが。

Y君は、男の子からも人気者でした。
勉強はたぶん当時の私よりできて(私は幼少時は才女だったんです!見る影も無くなりましたよ!!)、運動神経抜群で。
たしか児童会役員に立候補して、なった気がします。
漠然とした記憶で自信がありません。

けど、彼がクラスの中で率先して何かを言いだしたりした印象はありません。
もしかしたらあれはY君だったんじゃないかなあ。と思ってることは、二つ。

蚊に刺されると異常に腫れ上がる体質の私。
腕かどこかを刺されて「わー。」と痒がり。
細い腕を半周くらいする腫れ方が私の通常営業で、みんながわーわー言うなかでひとり
「キンカン塗れば治るよ!」と言ったのが、たぶん、Y君。
当時私の家ではキンカンではなくムヒだったので、CMでは知ってたけど、キンカン?誰が言った?え、あなた?
と、たしか、Y君をきっかけにキンカンの存在を知った気がします。
その場にはキンカンもムヒもなかったので耐えるのみでしたが。

あと、詳細を全く覚えていないんだけど、何だったんだろうあれ。文化祭?そんなのあったか??クラスでお化け屋敷を作ろうということになり、何をどうやって作ったのか全く覚えてないんだけど「こんにゃくが落ちてきたら気持ち悪いよ!!」と言ったのがY君だった気がするのです。
しらたきだったかも。
なんなんだそれは。
と思いながら、なんか、できて。
こんにゃくだかしらたきだかが本当に、落ちてきたんだか触らないといけないイベントだったのか全く覚えてないけど「正体を認識していないブニブニしたものを触るとちょー気持ち悪い!」と知ったのは、Y君きっかけだった気がするのです。

さすがにここまでくるとY君も覚えていないでしょうね...

なんだか、関わりたそうなんだけどシャイみたいで、どう接したらいいのかわからないなあ。
と思ったのが、私が出戻ってきてから1年くらいの印象でした。

まだ続けちゃいます。


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2017/02/09

おもいでばなし。つづき。

前にも書いてると思いますが。
思い出を書きます。

私は小学校を2年ほど中抜け転校していたので、戻ってきたときは
「あ!namiちゃんだ!!おかえり!何組?」
「まだわかんない〜。」
という感じで、面白かったです。
「○○君のこと覚えてる?」
と、何人かに聞かれました。
小柄で色白でそばかすで、素直で優しい子でした。
私が転校する前に、たしか彼も転校してきて、結構仲良く過ごしていました。
昭和時代の小学生の男女って、変に意識しちゃって普通に喋らなかったりしたものですが、○○君はとても素直で、慕ってくれているのがわかりました。
私は子供の頃は姉御肌というか、面倒見がいいほうだったらしく、片思いしてくれてた子はたくさんいたらしいのですが、鈍感な私がそんなことに気づくわけがなく。
昭和の小学生男子はムッツリというか天邪鬼ですので、私には尚更わかりません。

出戻ってきた私に
「〇〇君覚えてる?」
「転校しちゃったんだよ。」
と数人が別のタイミングで言いました。
転校した子は彼だけじゃないのですが、これだけ私に伝えてくるということは。
「そうなのか...。」としか言えませんでした。
淋しかったです。またあのそばかす顔と楽しく過ごせるかなあ、と少なからず思っていたので。

5年生の3学期の途中というすさまじく中途半端な時期に戻ってきて、実質1ヶ月半くらいしかそのクラスにいないわけですから、先生方が扱いづらそうにしてたことをよく覚えています。
6年生には、クラスの面子は同じまま、担任が変わりました。
転校前から《あの先生が担任になりませんように...》と思っていたそいつでした。
私は根アカなんだかポジティブシンキングなんだかバカなんだか《けど、あの先生も、いい人に変わってるかもしれないよね》と、最初は思いました。
思った私がバカでした。
学校燃やしてやりたい。とか、明日になったら担任死んでますように〜。とか相当本気で思ってました。
6年生の時の、今すぐ死んでほしかった担任の所業の話はすさまじく長くなるのでおいといて。

そのとき、Y君の存在を認識しました。
ああ、そういえば近所の。
習い事か何かで、団地の児童会には入ってないけど。たぶん。
その頃のY君は、背の順で前から数えて何人目。って感じの小柄で、ぼっちゃん刈りの、ちょこまかした子でした。
私は小学生の頃は背が高くて後ろから4番目くらいよりノッポだったので、かなりの身長差がありました。
まあ、それから10センチ以下しか伸びなかったんですけどね、わたし。。。

転校前から私を知ってる子も、戻ってきて初めて同じクラスになった子も、なにかしら話しかけてくれたのですが、Y君は遠巻きにそれを見てるばかりでした。
だから、「Y君はnamiちゃんのことが好きなんだよ。」と何人かに言われても「...は?」って感じでした。

長くなりそうなので、次にします。

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2017/02/08

おもいでばなし。

今日は、メンタル病んでる人の話です。

夢を見ました。
Y君の夢です。
Y君は、小中学校の同級生です。
同級生といっても、私が小学校転校して戻ってきたのち、卒業までの1年数ヶ月同じクラスだっただけで、中学校はずっと違うクラスでした。
家が近いので同じクラスになる前から知っていました。
(Y君のことはだいぶ前に書いてますけどね。)

まだ小学生でしたので、誰かが
「Y君はnamiちゃんのことが好きなんだよ〜」とか言ってました。笑。
Y君はその頃はまだ小柄で、ホントに「ガキ」って感じでしたが、スポーツできるし勉強もできる。
私も当時は才女だったのですが、塾に行ってないので、中学受験者向けな問題とかは解けませんでした。偶然解けちゃう問題もありましたが。
Y君はそういう問題も解けていました。塾に行っていたのか、家での指導なのか、ただひたすら賢かったのかはわかりません。
そんなY君に好かれてるとか、本当だったら、光栄だなあ。
と思っていました。

中学校に入ってから、私は、テニス部だった母がうるさいので軟式テニス部に入ってみました。
私はスポーツがからきしダメだったので、なんとかみんなに追いつけないかしらと、夕方、家の近くの公園の広場で練習をしていました。
ボールに紐と錘が付いていて、一人でパコーンパコーンとやり続けるあれです。
あれだと地面に跳ね返る高さから返ってくるので、対人間とやるラリーとは全然違うんじゃないだろか。と虚しくなって30分くらいやって帰ってました。
広場は、子供が野球できるくらいの広さで、私は3塁側からバッターボックスにあたるところでやっていましたが、始めてしばらくすると、サッカーボールのリフティングの練習をしているような音が聞こえ始めることが増えました。
下手くそな練習を見られてると思うと、サッカーの練習をしているのが誰なのか確かめるのも恥ずかしく情けなく、暗がりの中そそくさと小走りで帰っていました。

今思うと、あれはY君でした。
日が暮れて夕ご飯の前か後の時間、中学生がちょっと出てこられる距離の公園。
小柄な人影。
私から遠くに、けれども遊具などのある別エリアに行くこともない、公園の出入り口近くという至近距離に陣取り。

今、その公園で遊ぶ子供達の声を聞くと、いつも思い出すのです。
あれが本当にY君だったなら。
Y君が本当に私を好きだったのなら。

なんて健気で、なんていじらしく可愛らしい少年の心。

そして、今の私なら「やだ〜超下手くそなの見られてるし〜。私苦手なんだよね球技!ってか運動全般!あはは。」とか言えますが、まだ中学生で、いろいろ病んでいた当時の私には無理なことでした。

最近になってその公園の常夜灯が増えて明るくなりましたが、当時はもっと暗かったのです。
あそこで私たちは、恥ずかしくて挨拶もできないまま、黙々と練習していたんだなあ...
と、もう四半世紀も前になることを幻に見て、切なく想うのです。
私はテニス部で友達作りに失敗し、変なグループに入ってしまって嫌な目にあったので1年で辞めました。

そんなY君が、やっと夢に出てきてくれて。
ちゃんと会話ができる。
ちゃんと目を見て話ができる。
どれほどこの日を夢見ていたことか。
夢見て...

夢でした。

どこでどんな仕事をしているのかはわかるのですが、SNSとかはやってないようで、見つけられないんです。
サッカー部だった子たちとは連絡が取れているのに。
あと一歩、見つからない。

Y君は、多分、両親が離婚したんだと思います。
高校受験で地方に行ってしまいました。
Y君と仲の良かった子たちも、どこに行ってしまうのか、何故なのか、教えてもらえないと悲しんでいました。
今だからわかります。
言えなかったんだと。

虐待の日々で壊れていた私にとって、Y君は救いでした。
一言も交わしていないけれど、視線が、立ち位置が、行動が。
私が得ていた唯一の優しさでした。
高校生になってからは、Y君がいなくて。
何もなくて。
崩壊していく心の中で、Y君の思い出だけがオアシスで。

今でも。

幼い優しさが、私を支え続けてくれました。
Y君を探す方法は幾つかあると思っています。
けれど、そんな方法で近づいても、ひたすら気味が悪いでしょう。
誰か、Y君を見つけだして。そして私と繋いでほしい。

夢で会えるなら。
ずっと眠っていたい。


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2015/12/31

大晦日と正月のトラウマ

大晦日。

みなさん今年はどんな一年でしたか?
私は、昨年初頭に婚約の口約束をして、うちの親に紹介と会食した翌週に婚約破棄し絶縁し、本業をフリーで専念し始めて2年目となりました。

いろいろな思いがあり、懐は寒くてもあそことは絶対に仕事はしない。と決めたり、私に対する態度がどう考えても許されざるものな人をほぼ常に外注で呼んでいるところに「あの人がいるなら行かない!」とNG宣言をしたり、まだ駆け出しの子や、舞台業界の裏方を目指す若い子たちの相談に乗ったり指導したり…
(私だってまだスッゲーヘタクソなんだよっ。。)

ブチ切れたら鬼も黙らせるnamiさんですが、仕事中はよっぽど危険なことだったり、危険だらけなのにナメてかかってるのか、ガンガン仕込み中の舞台でよそ見してスマホやってる若い劇団員に注意するのがよっぽどです。

「おいおまえさん、私の安全を守るために脚立を押さえてくれてるんだろうけど、そんな体勢じゃ、私が何かを落しても、私自身が落ちてきても、気付かないでしょ。
スマホが忙しいんだったら、そこにいられるほうが却って危ないから、楽屋でやって頂戴な。押さえてくれてなくていいから。」

そんなこともありました。
私が新米の頃はそんなふうに丁寧に言ってくれる人なんかいなかったよん。
丁寧だから逆に怖いとも言われますが、無駄に怒声あげて場を萎縮させる方が嫌じゃん。

そういう調子で注意した別の若者が、急用を理由にバラシをバックレて、Facebookで私から名前が見えないように(直接繋がってはいなかったんだけど、タグ付けで見えてた)ブロックしやがったりね〜(- -;;

自分でもそのつもりでいましたら、友人や後輩もそう思ってくれてたらしく「namiさんが注意するってよっぽどアレだったんでしょ?その程度でそんなんじゃ、舞台の仕事無理だから。ってか、どの仕事もできないよww 気にすんなww」と言ってくれて、ああ、分かってもらえてたんだなあ…と思いました。


大晦日とお正月。
今年は、年越し蕎麦やお節に拘らず、気ままに過ごしています。
年越し蕎麦もお節も、季節の行事だから乗らなくちゃ。と思っていたのですが、私にとっては辛い過去を思い出させるばかりだと気づき、今年はやめました。

物心ついた頃から家を出るまで、大晦日に必ず母がわけのわからない発狂をしていたのです。
お正月に誰かが訪問してくるわけでもないのに10人分くらいのお節を作り、年越し蕎麦を茹でながら『ムギャ〜〜〜!!!』と叫びだし
『私は家政婦じゃない!!』
『人のことこき使ってギャ〜!!』
『誰のおかげで生きてると思ってるんだ、私は飯炊き女じゃないぞ!何様のつもりだ!家賃払え!!(小中高校生の頃から言われてました。でもバイトは「うちが貧乏と思われるじゃないか!」と完全NGでした。)

お節の準備なんて、言ってくれれば手伝う気200%だったのですが、台所は母の聖域で(隠れてタバコ吸ってるのを知られたくなかったからだと思われる)牛乳を飲みたいだけでも台所に入ると大騒ぎされ、別の話ですが部活かなにかのことでおにぎりを作っていきたかったのですが、

「おにぎりは炊きたての熱いのを素手でにぎらないと固まらずバラバラになる!!」
「あんたなんかにできるか!!家事を舐めてる!!」
「ラップを使っておにぎりなんかできるか!バカか!悔しかったらやってみろ!!」

と言われ、私も負けず嫌いですので炊けた瞬間のごはんを素手で握りました。
一応ね、家庭科の授業で何度もやってますからね。
でも、炊きあがった瞬間空気に1分でもさらしたらアウトみたいに煽ってくるのを浴びながら握ってたら、熱さよりも悲しさでいっぱいになりました。

なんで私はこんな悲しい思いをして塩おむすび作ってるんだろう…

そう思ったら涙があふれてきました。
それを見た母は、我が勝利!といった声色で
「言ったこっちゃない!熱くて泣きよる!みっともない!どけ!!」

…とまあ、普段からこんな目に遭っていまして。
大晦日こうですので、お正月なんか全然気持ちよくない。
理不尽に怒鳴られて存在全否定された翌朝じゃ、お節も全然おいしくない。
お屠蘇は「みりんで作っても美味しくない」という理由で日本酒100%のものを年齢一桁の頃から浴びるほど飲まされていました。
今でこそお酒美味しいと好んで飲みますが、当時は苦痛でした。
お年玉で欲しいものを買いたくても「そんな子供っぽいもの買うな!(子供なんですけど…)」で結局使えず、不本意な何かを買ってた、かな?


ホントにお正月にいい思い出はひとつもありません。
妹が結婚してお正月に母と二人きりになるようになった父は、この状況に耐えられず、ここ10年ほどは毎年お正月にどこぞへ旅行に連れて行っています。
私がカウンセリングを受けていた精神科医の話によると、母はピーターパン症候群で、なんだかんだを耐え続けている限界が、大晦日とお正月という節目に爆発するんでしょう。とのことでした。
更に質が悪いのは、母はそうやって自分が理不尽に大騒ぎしていると言う自覚が皆無なことです。
悪者はみんな自分以外。


自分なりの楽しいお正月を作ればいい。と思っていたのですけど、元彼は基本的に暗い人で、なんかもうとにかくめんどくさくて。
それから逃れられた昨年の年末年始。
何してたっけ。
今年はもう、いつもの休日として過ごします。

来年の抱負…
何日か考えたのですが、思いつきませんでした。
今と同等程度で。
ひとまず、2月からの旅行を楽しみに…

みなさまは、暖かくしあわせなお正月と新年をお過ごしください!



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2014/07/06

無為な日々…

こんにちは。

無為な日々を過ごしています…

仕事がこの一週間入らなかったので、なーんにもしていません。
請求書出さなきゃいけないのにまだやってません。
明日やる。うん。

なんかねー
生きてる目的がわからなくなるのですよ。
がっつり暇になると。

仕事は毎回違う場所違う内容違う人々とで、不安定だけれどもやり甲斐があるから嫌じゃないんです。

暇だと。
ホントに何もできないんです。

何もできないのはいつものことなんだけども、今回はちょっと胃腸を悪くしたのがまだ続いてて、食事をするといまだにオナカを下すので、飲み食いも気が重く、毎日ちょっとしか食べてません。
お酒のストックも切れたし、買ってきたらつまみと一緒に飲み食いしちゃうし、調子に乗って飲んで食べてるとまたすぐ下すのでついでに禁酒もしています。
胃腸の漢方はまたもらってきたので飲んでます。

なんのために
だれのために

私にはそれが何にも無いんですね。

3月までは、この部屋をスイートホームwwにするためにがんばるぞー。
と思っていましたが。

あんな男はもう無理なので。

なんでどいつもこいつも勝手に寄ってきて勝手に盛り上がって勝手に終了させて暴れるんだろう。

私はあまり恋愛に興味がない人なので、「ア、この人私に気があるな。」と思ってもメンドクサイのでほっとくか、とっとと離れます。
恋愛に興味がないというより、育ってきた環境による障害の一部だと思います。
いちばん信頼できるはずの人に心をズタズタにされて大人になったので。
そういう人は大抵、恋愛体質というか、常に人肌を求めるようになる傾向を聞きますが、私の場合は、
『信じて裏切られるくらいなら最初から信じない』
方向になってるそうなんですね。

でも極稀に現れるんですよ。
そんなに言ってくれるなら信じてみたいな。頼ってみたいな。と思う人が。
考えに考えて。
少しずつ心の扉を開こうとしても錆び付いて動かないのでせっせとオイルかけたり磨いたりしてギギギギーとようやく開いたら
「もうお前なんかイラナイ。こっち来んな。」
の態度に変わられています。

なんだよそれー。

そんなのばっか。

元カレは、私を女神サマ兼オカアチャマみたいに思っていて。
私は受け止める側であることに不満はないのですが、小さな悩みをいちいち幼稚園児以下レベルで泣きわめいて訴えられたりするのは究極にメンドクサイです。
今話題のどこぞの議員さんじゃないですけども。
電話越しだとあれの5分の1レベルくらいには泣きわめいてます。
「お金がないから実家に帰る!」と泣きわめいたので
「じゃあ帰りな。」と言っただけです。翌日になって
「足りる。だいじょうぶ。計算しなおしたの。ケロッ。離れないもん〜ベッタリ。」
ってさ。
何故冷静になって「足りる」という答えが出るまで考えない??
足りないというのが現状の経過報告なら泣かずにできないものなのか?
実家に帰ると断言したなら帰れや。

まだ放置しています。ずっと放置します。
早く誰か他にいい人…
と思っているのですが、何しろ恋愛体質ではないので、元カレみたいに物好きにしつこく寄ってこられるくらいしないとホントに男に興味がないんです。
じゃ〜やっぱ一人でいいや〜。

という考えをグルグル…

過去のムカつく男のこと思い出してイライラ…

そうして行き着いてしまう先はどうしても25年会ってないYくんのこと。
…だってね〜
ちゃんと知り合ったのは私が転校から帰ってきた5年生のときに編入になったクラスから。
5年生ですよ5年生。
11歳ですよ。ふふふ。
まだママやパパとお風呂に入ってるかもしれないお年頃ですよ。
Yくんは小柄で当時は私よりずっと小さかった(私は小さい頃は大きかったけどその後あまり大きくなれなかったタイプ)し、帰ってきてすぐの頃私は、転校前から知ってる子と知らない子をいっぺんに思い出したり覚えたりしながら、授業の進み具合の違いに追いついたり、6年生のときは担任がトンデモ教師だったのでそのバトルが忙しくて、
「Yくんはnamiちゃんのこと好きなんだよ〜」
と言われたところで
「えっ?あのちっさい子?なんで?おー、アタマいいなあ。へー、小さいけど足速いなあ。ちょこまかすごいなあ。運動できるなあ。へー。で、なんでわたしを?」
とかその程度でした。
小学生ですからね〜。

中学生になってからのことをいろいろ思い出して。
奇麗なままで終わってるこの思い出にしか行き着くところがなくて。
眠っていれば、夢にYくんが出てきてくれる。

という…もう、自分で完全に病気だって自覚はあるのですが今はここから抜け出せないのです。

目が覚めてしまった…
朝が来てしまった…

私は中学生のときは親からの言葉の暴力(時には殴られ)と喘息と原因不明の病気とで私生活は無茶苦茶でした。
たぶん医者は精神科の受診を母に勧めていましたが、母はそういうのに非常に抵抗のある世代なので断固拒否していたようです。
私は正直、精神科でもどこでもいいから入院するか、どこか施設に預けられたいと本気で思っていました。どうやったら福祉施設に保護してもらえるかを夜な夜な考えたりもしていました。
学校にしか居場所がなかったので、苦しくてもなるべく登校したし、授業が終わっても帰宅部だけどなんとか委員会だーあれやーこれやーにかこつけて校内をウロウロしていてなかなか帰宅しませんでした。
身長は3年間で6センチしか伸びませんでした。
お友達がどんどん見上げる大きさに…

友人「あんた最近小さくなったね!?

私「そうじゃな〜い!みんながでっかくなったんだぃ〜!

Yくんは中学の3年間で、高くはないけどまあまあ大きくなりました。
卒業の頃にはなんとかちょっとだけ私より高くなってたんじゃないかなくらい。
男の子は高校でものすごく変わりますからね。どのくらいになったんだろう。
…と、10年くらい前にふと思い出してネット検索したことがあります。
いろいろ写真もありました。ゼミかなにかのホームページかな。
もうそのページはないです。
なんだかずいぶんモッサリしちゃったなあ〜!おっさん!ってあたりまえか!けど面影あるなあ。と。
あの画像とっておけばよかったなあ。あのときはそれで満足したのでした。

あと3年くらいはなぁ。
一緒にいたかったなぁ。
同じ高校じゃなくても、近くにいたかったなぁ。
会話をしたかったなぁ…。
…最後の挨拶に行かなかったのは私だけどさ。

そういう思考でグルグルグルグル…
また目を閉じれば会える…と、夜が来るのを待つ…。
中学生のときまで戻らなきゃいけないなんて、どんだけよ。
中二病の一種か?そのものか??

好きだと言ってもらった思い出は大学以降からいくつかありますが、好きっていうのは言葉以上のものはなにもないと考えていたので、ほとんどスルーでした。
ただ、大学以降のそういうのは、下心とか見栄とかなんかそういういやらしい感覚を含めて言われてることがほぼ全て。
中学まで戻ってしまえば、まだピュアなはずですから。
Yくんが私のことを本当はどう思っていたか分かりませんが、友人たちが言うのを信じたとすれば、どこがよくて好きになってくれたんだかずいぶん物好きねえという気持ちと同時に、セクシャルな意味合いをギリギリまで削り落とした、幼い透明な優しさだと感じるのです。
私は、そういう、透明な優しさが欲しいのです。

仕事が始まればそんなこと忘れちゃうんですけど。
私は、こういうなんにもない時間にもきちんとした生活を送れるような精神状態にならなきゃいけないんです。
今までずっと仕事の忙しさで誤摩化してきたから、暇な今こそ向き合わなくちゃいけない。
…とりあえずグズグズなら、グズグズの最底辺までいっちゃえばいい。
底を見たらもう上がってくるしかないんだから。
という、自分に甘い考え方で過ごしています。
せめて何かしらで繋がれれば気が済むんでしょうけど、今の時代のこれだけあってなかなか届かないのがもどかしく、グズグズから抜けきれません。



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2014/05/19

全力 or 自然体

こんばんは。

今日はシモの話がほとんどなので、トイレに出したものの話を読みたくない方はまた次回の更新の時にいらしてくださいませ…
m(_ _)m
ゴメンナサイ



体調不良が続いてましたが、ちょっと遠くの仕事場が連続だったので泊まりで行って、終わって帰ってきました。
何食べても吐くわ下すわで、下血までしてしまい、けど安易に穴をあけるわけにはいかない職種なので、

『食べたせいで吐いて下すなら、食べなきゃいいや!』

と、出すもの出してほぼサラになった状態で行ってきました。
一時は水を飲んでも数分後には吐いてしまってたので結構焦りました。
おなかがすいてるのに食べると吐く。喉が渇いてるのに水飲むと吐く。
且つ下す。
というのは本当に辛かったです。
けどある程度出しちゃえば、新たに摂取しない間はなんとかなりました。なのでたぶんウイルスとかではないと思うんです。。
ノロ経験者の方々の話に比べると、ケロッとしたもんだと思います。

今回の現場が体力的にも頭脳的にもユルくすむところだとわかってたのでできたことでした。
他所の現場だったら早々に力尽きてました…エネルギー不足で。
たぶんユンケル飲んでも吐いたと思います。

現場の方々には体調不良のことは隠しました。気を遣わせちゃうので。
けど、

《結婚の動きがあったけど当分やめた!スケジュールガラガラになっちゃってぎゃあ〜。》

というのはFacebookで伝えている方々のいるところでしたので、

「ちょ、ちょ、事情聴取!!何があったの!!」

と、心配されました。
…心配じゃなくて週刊誌的好奇心なのかなあ。どっちでもいいけど少なからず心配してくださったことに感謝します。
私はあまりプライベートのことを仕事関係の人に話さない方なので(話すネタがないともいう)なにもかもが初耳!!というところもあったと思います。
おかげさまといっていいのかどうか、

「そういう事情で暇になっちゃったならうちこのへんすげー忙しいから来て来て!○月○日からねえ○月△日まで全部とねえあとねえ…」

と数日分お仕事いただけました。
ありがたいことです…

もう10年以上おつきあいのある皆様だからか、なんなのか、吐き気はないまま過ごせました。
おなかはまだあまりよくはなくやや下し気味ですが、ほとんど出し切ってるところからのゴロゴロなのでトイレに籠って出られなくなるようなことは皆無で過ごせました。
よかった…
私はお酒を飲まないとトイレの回数がとても少なく、仕事だと特に、12時間くらい全くトイレに行かないことがしばしばです。

余談ですが、飛行機で12時間かけて移動する時も、全くトイレに立たないので隣の席の方に「気を遣わないでいつでも立っていいからね」と心配されるくらいです。
…数年前ロンドンから帰ってくる時はたまたま何かで酷く下して大変だったので、事情を話して通路側の人と席を替わってもらいました。あれはいったい何だったんだろう…マッシュポテトの食べすぎだろうか…パブランチの楽しさを覚えてほぼ毎日ランチにチップスかマッシュポテトかベイクドポテト、ビーンズかマッシュビーンズ、フィッシュかスカンピなどを食べてました。モーニングがコンチネンタルで、イングリッシュにするには追加料金がかかるのでその時はパブランチで一日分の食事をしてたかんじでした。

その前にロンドンに行った時は毎日イングリッシュブレックファスト付きだったので、お昼も夜もスナック程度でした。イングリッシュブレックファストをもりもり食べて紅茶をレストランでティーポッド1杯、部屋でまたティーポッド1杯飲んで、街に出かける前にトイレモリモリすっきりで、なんでここまで快腸なんだろう、ってかこんなにおなかに入ってたの??ってくらいでした。そのタイミングがズレて帰国時にパンクしたのかなあ…というのが自己見解。

ビールを飲むと中ジョッキ3杯目くらいからはすんごいペースでトイレに行きます。。


シモの話が続いてゴメンナサイ。もうちょっと続けます。

昨年、仕事中猛烈な精神的ストレスを感じた直後に、お客様の下見に対応しながら、脂汗が湧いて止まらないほどの腹痛に見舞われました。
私はそれまで腸は丈夫なはずだったので、腹痛の苦しみの経験があまりありませんでした。本当にそれまで経験したことのない痛みで、気温は暑くないはずなのに汗が全身から湧き出て額から汗の雫が何本も落ちるという、私だけが異常な状態であることに気付きました。
お客様は7名くらいのチームで、案内は私一人だけでした。
(ひどいブラック企業だったのでいろいろグチャグチャでそういうハメに何度もなってました。立場上においても本来私が一人でやるべきことではないのです。)
それぞれのセクションの方々が割と細かく確認をしているので、

『ああ、きっとこのエリアを皆さんが納得いく確認が終わるまで3分以上早くて5分程度はかかるな。』

と一方的に判断し、近くにいたお一人に

『ちょっと外します、すぐ戻りますのでしばらくご覧になっててください。』

と一人だけ汗だくになりながら平気なふりを全くしきれずにトイレに駆け込みました。
すぐ済むと思ったのですが、予想以上に大変でした。
やばい、やばい、次の場所のご案内、どこだっけ、勝手にどっか行かれてたらどうしようかな…
と思いとりあえずここまで!止まってくれ!!

と終えられたら。

たぶん自分で認識したはじめての下血でした。

『なんじゃごりゃ〜。』

と言ってる場合ではないので手洗いを念入りにして、手洗い場に備え付けの消毒液で念入りに消毒し、顔の汗をできるだけ拭い、続きのご案内をしました。
普段の私では絶対あり得ないのですが、お客様があちこちご覧になっている間にまた立っていられないほどの痛みと脂汗にみまわれたため、椅子に軽く腰掛けて待ってました。
気温が高いわけでもないのに額から脇から背中から汗がダラダラ垂れてくるのが我ながらいまだかつてない異常でした。

今思うと、あの時は吐き気はなかったなあ…

こんな雑なご案内で心から申し訳ないと思いつつお見送りをしました。

そのときの方々はその後も何度か追加の下見にいらしたので、汚名挽回とばかりに元気に陽気に明るくご案内しました。
却って変な人だと思われたかもしれませんが、しょうがないです。それはそれ。
その後大規模にご利用いただき、ご利用当日も担当者として立ち会いをさせていただき、評判もまあナカナカだったようでひとまず仕事上は安心したのでした。


そのとき以来の下血でした。
いや、でも、(以下自粛)。
な状態が、3回ありました。
以前あった時は少量が2回程度でした。
けど今回は、嘘でしょ?と思う量で3回きました。
色が同じ赤でも結構違ったのですが(以下自粛)。
精神的にもメゲそうでした。
でも仕事あるし、土日挟むし、ちょっと様子見るしかないよね(;  ;)
食べてないからもう当分出るものないよね?

と、仕事に行く用意をしつつ。
思うところあって検索しました。

トマトジュースカラー??
確かにトマトジュース飲みましたよ!!

ないことないらしいです。そのまんま出てきちゃうことが。
でも、3回分も染めるほど飲んでないよ!!
私は夏場は食が猛烈に細くなって体力が落ちて大変なので、せめてもというココロで食塩無添加トマトジュースを箱買いして飲んでますが、こんなこと今までありませんでした。

そして、昨日からは、下血してないっぽいです。
吐き気も治まってるので、おなかすいてるしと思って調子に乗って食べてたらやっぱりおなかが痛くなりだしたので途中で食べるのをやめました。。
で、出すもの出したらとりあえず治まり、本番中にアワワなことになったら絶対にダメなのでそこからは何も口にしないで本番に挑みました。

まあ本番って言ってもなんてことない内容の短時間なので。。
でもわたし普段トイレに行くタイミングとリハや本番の時間を心配する必要がない人なので、結構焦りました。


とりあえず今は、下血なのかトマトジュースなのかの疑いの元は消えているっぽいです。
とはいえおなかの調子が健康とは言いがたく。
明日からまた当分暇なので、断食じゃないですけど余計なものは口にしないで様子を見たいと思います。トマトジュース何日も飲んでないのに明確に赤かったらマジヤバだろ??
ということで数日はトマトジュース断ちもします。ぐすん。
また暇になっちゃうと考え込んでアレかもしれません…
自分にとっていちばん自然体でいられることがいちばんの健康のモトだとは思うのですが、そういう場所を確保するのってとっても難しいですね。
いつも全力でいたら、燃え尽きるのも早いよね。きっと。
まだ自分自身の人生に於いてやるべきことをまだ全然やってない気がするから、まだ燃え尽きるわけにはいきません。

…でも、なにをやるべきだと思ってるのかなあ。


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2014/05/13

鬱鬱…

おはようございます。

参りました。

婚約者に完全に幻滅してからというもの、Yくんの夢をしばしば見るようになり、そこから自分の想いを制御できずYくんのことばかり考えてしまっています。

Yくんのことはこことかこことかに書きました。

40歳までとっくにカウントダウンを始めている白髪の激増したオバさんが、15歳の思い出に浸って抜け出せないんです。
バカだと思います。

Yくんは高校入学で地方に行ったあと(塾の合格者名簿で2校合格しているのは当時見たのですが、結局どこに行ったのかは知りません。)東京を中心としたら全く逆方向の大学に進学しました。
…というところは、お母様とかは引っ越しをしてなかったようなので、Yくんの家の近所の友人からの情報です。

私の進学先は奇天烈な感性の持ち主の集まりだということやらなんやで、一般的な進路選択を私自身が全くしていないものですから、Yくんは何故その大学を選んだろう?と不思議でした。
Yくんはそこで大学院まで行ったようです。
もう見られないけど、研究室?のプライベートタイムがネットで見られた時期もあったので、写真とともに確認できたのです。

それで、その大学院の時の専門分野や、論文の一部(私には何の話をしているのか全く分からない)から、Yくんが研究しているジャンルを知ることができました。
そして現在Yくんの名前を検索して確認できるのは、大学院で研究をしていた分野に関する開発部門で某企業に所属し、数々の特許を取得している代表者名にいくつも名前が載っていることです。

企業内で発明したら特許料とかはどこにいくんですかね。企業かなあ?

まあとにかく、話には聞くけどこれってYくんが開発したって事かしら??

と、呆然としています。

もう25年も会ってないのですから、どんなオッサンになってるかわかりません。
妻も子供もいることでしょう。

そんなことはともかく、大学で研究していた分野で今もなお開発を続けているストイックさ、専門性、などなどに私が勝手に25年分のフィルターをかけて、ほんとうに、Yくんに会いたいです。

婚約者のあのバカさ加減と、ヘラヘラとそのときの気分のままあとさき考えず突っ走ってあとで号泣するような無計画さはきっと、Yくんには、ないんだろうなあ。

と勝手に想像しては、なんとか、興信所とか使わずコンタクトを取りたくて悩んでます。
バカです。
いくら同世代でも、SNSを使わない人は本当に全く使わないことくらいよく分かっています。
どう探しても見つからない…

会社の近くで張り込みしようかしら。
でも事業所が多すぎてどこにいるんだかわからない。
たとえ前を通り過ぎても気付けるとは思えない。

想い焦がれて平穏に時を過ごせず、禁断の薬を引っ張りだして飲んでしまっています。
1錠だとやはりかなりきつかったので、2回目からは半分に割りました。

こんなことしてちゃダメだ。
アタマでは分かっているんだけど、婚約者であるバカ男と、15歳の憧れだったYくんの現在の地位を比較してしまい、バカ男のお嫁になんかいきたくないけど25年前に会ったのが最後なYくんに焦がれる自分の方がよっぽどバカだ。

壊れそう…

とあるネットサービスで、Yくんと同姓同名の人を見つけました。
詳細情報が全く無いので別人かもしれません。
けど逆に、別人だという確証もないので、メッセージを送ってみました。

こういうのって、登録だけして放置する人多いから…

くるしいです。

少女の頃、もっと素直でいられたら…
…それは無理だな。毎日殴られ蹴られ暴言だけ浴びて生きてた私が素直になんて、無理です。

つらい…

なんてバカバカしい悩み。

けどほんとうに、つらい…


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2014/05/10

十五の憧れ(長文)

こんばんわ。

病院に行ったり仕事に行ったりの、ここ数日でした。
フリーと言いつつ派遣OLと平行してやってきて10年を越えてきた本業。
自分の気持ちや、自分の立ち位置をどこに置けば良いのか、やっと見えてきたかもしれない。
技術的にも、対人関係としても。
やっぱり10年は続けないとわからないものだ。
そんなことを感じています。


この一週間くらい、中学生の頃憧れていたYくんの夢を何度も見ました。
これほどに醒めたくない夢があったでしょうか。
続きを見たくて目を閉じても、続きは見られませんでした。

Yくんのことはこのエントリの後半の方に少し書きました。

たぶん、結婚の口約束中の彼のアホンダラ具合にうんざりしている日々なので、幼いとき憧れていたYくんのことをココロの奥で想ってしまっているんだと思います。


Yくんと少なからず関わっていたのは、10歳か11歳の頃から15歳までです。
会話らしい会話はしたことないです。たぶん。
お互いの存在を知ってたのは6歳くらいからだと思います。近所の同級生とは男女やクラス問わず結構関わってたと思うし、私たち自身が関わってなくても親同士が関わってて母経由で何かしら同級生たちの情報が入ってきたものですが、Yくんに関しては、私の母から何かを聞いた覚えがありません…
地元の子供会とか入ってなかったのかな?そうかもしれないけどもはや分かりません。

繰り返しになりますがYくんは勉強も運動もできて、なのに出しゃばらず、今おもえばとても少年らしい無垢な顔をしていて、本当にモテました。
10歳から15歳までなんて、我々の世代だと、男子と女子があまり仲良くしていると冷やかすヤツがいたり、恥ずかしくて話したいのに話せないとか。

私がよく会話をしてた同じクラスの男子との、会話の内容は

『△組のなんとかちゃんの写真を入手してきて!!』

遠足だのなんだのの機会に不審がられつつなんとか友人を説得して速攻で『写るんです』で撮った写真がボケてると文句を言われたり…
彼らは私と会話がしたくて話しかけてるんじゃなくて、彼らの憧れの女子の情報が欲しくて話しかけてたわけなんですな。
そりゃ私は顔広いけどもね

『誰に頼まれたの!?』
誰に渡すの!?
わたし好きな人いるんだけど!勘違いされたくないんだけど!?

ってね。

…なにもかもみな懐かしい…

『写るんです』だと確認できないまま現像に出すしかないので出来上がりのクレームにも困った…
しかも頼んできた子と違う子が『なんとかちゃんの写真もってない??』と聞いてくると、持ってるけどこれはなんとかくんが…モニョモニョ。

男女逆で女の子から男の子の写真入手してきてって頼まれたのも多々。

じぶんでたのめ〜!
結構大変なんだぞ〜!

時代はずいぶん変わりましたね。

思い返せば。私が年がら年中学級委員やってるから、相手がたいして仲良くなくても私が頼めば全く地味且つ交流のない子が頼むより成功率が高いと想ったんでしょうね。

おそるべし十五の戦略。
バイクは盗まないし窓ガラスも壊さないおとなしい学年でしたけどね。


Yくんと同じクラスだったのは私が小学生のとき転校から戻ってきて卒業するまでの1年と1ヶ月くらいだけでした。中学校はずっと違うクラス。
6年生の時の担任が今じゃ絶対あり得ない横暴教師で、ビンタなんかあたりまえ。廊下に正座は真面目ちゃんカテゴリの私も何度もさせられました。
あと酷い依怙贔屓。このあたりを書くと本が一冊書けそうなくらいなので端折ります。

Yくんは、なんでもできるし、男の子からも女の子からも信頼されてるし、教師からも一目置かれてる子でした。
私は、運動は全くできないけどほかはざっくりいうとYくんと近いポジションでした。
私の方が口が酷く悪すぎましたが。

Yくんは何故かリーダーポジションにはあまり来ませんでした。
私は運動で全く活躍できない分、リーダーポジションで活躍させてもらえるのかもしれない。
ってかほかに取り柄がないから教師が気を遣ってやらしてくれてるのかもしれない。
…のほうが近いのかなあ。と思ってました。

でもめんどくさいよ〜。やりたくないんだよ〜。部活やめたのに学級委員長の会議が週2回か3回あってさっさと帰れないんだよ〜。
どうしてYくんはいつもシレッとしたポジションにいられるのかしら。部活で活躍してるからかしら。
とも思ってました。特に中学生のとき。

しょうがないので会議までの時間と終わって暫くの時間、Yくんの部活の様子を眺めていました。
どうせ家に帰っても罵倒され殴られ蹴られ過剰に食わされ嘔吐して喘息起こして…になるので、Yくんの姿を追いながら放課後を過ごす時間は、優しく癒されるとても貴重な時間でした。
Yくんのいる部活に見入ってて時間の感覚がぐるっと狂って、何度か帰りの放送を流す時間を派手に間違えました。
でも先生誰も「おい!違うぞ!」って言いにこなかったんですけど何故でしょう。
職員室の隣の放送室でやってたんですけど…。
今でもしらばっくれてます。もう時効かなあ。



今自分に中学生の子供がいて当たり前な年齢になったからこそ思うことがあります。
Yくんは少なからず私を気にしてくれていた。
登校ルートをわざわざすれ違うようにしていたり。
Yくんは団地の植え込みエリアを柵を無視してくぐって通り、私と接近してすれ違わないルートで、でもいつも決まった時間に、植え込みの中をYくん、歩道を私が、そこですれ違うようにして通っていました。
私が通院で遅刻する曜日には、自室のブラインドの隙間からYくんが通りすぎるのを待ってるのを、気付かれてた。Yくんはこっち見てた。
今だからこそ思う。それはもう確信に変えていいと。


私が何か…歓送迎会などの行事のため放課後にクラスをまたいで練習とかを指示しないといけないとき、私の言うこと聞きたくないわけじゃないんだけど授業や部活と全く違うシチュエーションのせいか男子たちが特にはしゃいで動いてくれなくて練習がいっこうに進まなくて
「どーすべかー。。。」

私は14歳くらいになってようやく

『怒鳴っても人は動いてくれない』

と学習したものですから、怒鳴らずにヤンチャ男子を誘導する方法について頭を抱えるようになりました。
ヤンチャくんたちは反抗したくて動かないんじゃないんです。楽しいから興奮してるだけなんです。
とはいえ…
練習時間は限られてるのにどうすべか…
私は合唱隊にも選ばれちゃったんだけど両方はできないから合唱隊の辞退を音楽の先生に申し出に行っても先生が忙しすぎて全然聞いてくれないので合唱隊の練習を毎日無断でバッくれてこっちやってるんだけどな〜。。

そんな私を理解してくれたっぽいYくんは、淡々と私の説明する段取り通りに黙って動いてくれました。
ヤンチャ男子たちは

『あっ。Yくんがそうしてるからオレらもそうするね〜、しないとね〜、うん、そうだよね〜。練習やらなきゃね〜。こうするのね〜。ごめんごめん。ヘイヘイ!!アイシーアイシー!!こういう段取りオーケイ!!それで次どうすんの〜。』

という態度にヤンチャ男子全体を導いてくれていました。
うちの同級生たちは基本的にいい子たちばっかりだったんですよ。ほんと。
男の子たち同士などではいろいろあったそうですが、『非行』なのは実質いなかったと思います。
近隣他校の非行生徒に絡まれて苦労したという話は数年前に聞きましたが、彼ら自身が非行に走っていたわけではないので別の問題だと解釈しています。

当時の私は、そういう動きをするYくんに対して

『あなたは私の指示提案に動く立場じゃなくて、みんなに指示して動かせる能力があるのに、なんでそっち側なのよ!!』

と思っていましたが、結果的にはみんなを動かしてくれていたのですから、反省して考えればもはや頭が上がりません。

今だからこそ分かりますが、人を動かす力というのは、まだ15歳に満たなかったYくんの行動のように、無言で示す方法があり。
それを思って現在私が裏方稼業をやっているわけでは全く無いのですが、あのときのYくんの行動と、Yくん自身は何も声を出してないのに十数人が彼の動きに追随した、あの現象はほんとうに今でも憧れています。


現在婚約中?微妙な状態の彼は、大勢に対して声を出して、説明をして、説得をして、叱って、褒めて、人を動かすタイプです。
一緒に仕事をしていた時は、そんな彼の態度に多くの仲間たちが彼を信じてついてきました。
それこそ老若男女でした。
『我々はあの人にどこまででもついてゆきますから。』と言った仲間たち。
『あのひとについていきたいから、namiさんはあの人を支えてね。』
とまで言われました。

人を引っ張るのは、それでもいいし。
(でもなんでプライベートだとあそこまでダメ男なんだ〜!!)


ティーンズの頃に憧れていた、<私の脳内では15歳のままのYくん>と、<40歳を過ぎた現在婚約中(?)の彼>を比べるのはとんちんかんなのは分かっているのですが、どうしても感じてしまうこと。

Yくんは、《自分がちょっと遠くに行ってしまうこと》、それが何故なのか、どこに行くのかを、竹馬の友とも言える幼なじみにさえ当時は話していなかったらしいこと。
卒業文集に、進路について告げられショックだったがカッコつけて気を紛らわしたと書いていた謎。
限られた文字数の中でYくんが書いていたのはそのことと、部活での最後の試合で自分の存在を見失い悔やまれる終わり方になってしまったことが書いてありました。
私はこの作文に込められたYくんの想いを解釈するのに結果的に25年かかりました。
この解釈は間違っているのかもしれません。
これまでも、解釈の仮定としては考えてました。
けど今は思うんです。
憧れのYくんだってまだ子供だった。
悲しい悔しい寂しいなか、カッコつけてスルーするという方法で誰にも詳細を告げず遠くに行ったYくんの意志の強さ。カッコヨさ。


一家まるごとでの引っ越しかと思いきや、お母さんやお姉さんは住まいを変えずにいたらしいこと(近所なのでそのあたりまでは分かったのです…妹さんもいたけどわからない…)

今自分がこの年齢になったからか最近勝手に確信してるのですが、ご両親が離婚したんじゃないかしら…
それでお父さんについてって遠くに行くことになったんじゃないかしら??
だから竹馬の友にも詳しいことを話してなかったんじゃないかしら??


10年くらい前。まだ私が人格崩壊から再形成をしていたころ。
思うところあってYくんの名前で検索したら。
たくさん出てきました。
ゼミのイベントの写真とか。ブログが発達する前の個人ホームページで。
ゼミのお友達が作ったのか、ゼミ名義なのか。
そのとき見つけた写真は明らかにYくんでした。
おそらく女っけの全く無いゼミで、大人になったYくんは、イケテナイ服装でネットの世界にいました。
制服じゃないと、こうなっちゃってるのか。
おっさんになったね。あたりまえだよね。私も人のこと言えないよね。



あの写真、保存しておけば良かったなあ。
でも会えないならその方が良いか。


私が今現在憧れているのは、Yくんそのものではなくて、
《Yくんの面影のあるおとぎ話の王子様》
だという確信があります。

でも、婚約中(?)な彼との比較をして。

ぎゃあぎゃあわめかない。
人前で泣かない。
悲しさも寂しさも悔しさもカッコつけてごまかしたと言い切った。15歳にして。

なんてクールなんだろう。

Yくんの名前で検索しても今はもう、写真はもちろん、SNSでも全く見つけられません。
これはきっと本人だ!という名前はあっても、連絡方法がありません。
所属会社名までは分かったんだけど、個人情報に厳しい今のご時世、関連会社に私の親族がいるのですが、これ以上たぐるわけにはいきません。

ただ、同窓生の集まりの中にちょっとだけ登場して欲しい。
いまや夢にまで見るYくんのクールな立ち振る舞いにもう一度だけでもいいからうっとりしたい。

興信所?

そこまでして…

そこまでして、見つけてしまったら、私は自分を止められなくなるかもしれない。

もしまた会えたら。
今のYくんはわからないけど、15歳のYくんを思い出して今でも憧れて夢に見て焦がれているの。
あのとき言えなかったから今言わせて。憧れていた。
と。

facebookでもgoogle+でもいいからどこかに出てきてくれないかなあ…
mixiは数年前地元で大盛り上がりして楽しかったんだけど、ピークは過ぎたのでもうあてにしてない。


ワンンツーで泣く婚約者。
いちいち「namiのため」であることを理由に努力を褒められたがるメンドクサイ婚約者。
自分に不利になるたびに「警察だ!」「弁護士だ!」「探偵だ!」と大騒ぎする婚約者。


15歳のYくんのなにげなさを見習って欲しい。


ひとことも言葉を交わすことなく、ボロボロだった私を癒してくれていた15歳のYくん。


卒業の少し前。
Yくんが珍しく、彼と同じ部活のMくんと話がしたい様子で私たちの教室を覗いていて(他クラスに無断で入室してはいけないルールがありましてね。今もあるんだろうか…)勝手にドキドキしながら気付いてたけど気付かないふりしてたのに

「ねえねえ、Mくん呼んでくれるかなあ?」

とわざわざ私が廊下近くを通った時に声をかけて言ってくれた。

ただそれだけがあれほど幸福だったあのころ。

(ちなみにYくんが呼んだうちのクラスのMくんも、Yくんを何倍も越えた超絶モテモテ君だったのですが、天然くんなんだかなんだかわかりませんが、猛烈アプローチしてくる女の子たちには完全スルーで、かといって好きな女の子がいるわけでもなさそうで、数年前mixi経由の同窓会で大盛り上がりしたときはMくん最新情報も聞こえてこなかったです…)

Yくんとは、いちおう、当時は同じ塾の同じランクのクラスに通っていたので(確か曜日が違った)そのついでに、高校受験どこ受けるの?なんて会話が、できたのにね。
できなかったんだ。

今こんなに旧友に会えるツールがあるのに。

こんなに毎日夢に見るほどYくんを想っているのに。

夢から醒めるのがかなしい日々。

Yくんに会いたいなあ。

十五の憧れのYくんじゃなくなっちゃってても、それはそれでいい。
なんでもできるのにスマートにこなしてた、遠くに行っちゃうのに幼なじみにさえも何も話さずにいってしまった、クールさ、あるいは強がりな15歳のYくんに、アラフォーの今でも憧れてる。
Yくんももうアラフォー。
どんな人になってるかわからない。
とはいえ私なんか完全に別次元な業界で活躍してるところまでは推測できた。
社名も多分、あそこだと思う。

いまは、Yくんがどんなおじさんになってるのかわからないけど。
十五のあなたに憧れ続けて私は今もあなたの夢を見る。
夢の続きを見たくて薬を飲みたい衝動を抑えてる。
それだけでいいから、伝えたい。
重いかなあ。
でも、25年重ねて来た想いです。
簡潔な一言ですますから、顔を見て、伝えたい。

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2014/04/22

反省を試みる…

やっぱり今夜もすぐ目が覚めてしまいました。しょんぼり。。。

中時間タイプのを出してもらって、一錠または二錠を、自分で調節して飲んでね。と言われ、初日は二錠がすっごくよく効いたのですが。
ううう。
二錠で2時間半…ううう。。。

眠れないのにわざわざ起きてパソコン触るのは良くないのですが、眠れないまま布団の中でウダウダやってるとネガティブなループから抜け出せなくなるので敢えて起きました。

愚痴エントリを続けてしまったので、たまには反省もしようと思います。




彼との大喧嘩についてです。
今まで何度も喧嘩しましたが、ほとんど私がプチーンとぶち切れるのが発端です。
私はオールオアナッシングなタイプなので、許せないことがあると即、関係を絶ちたがります。

理不尽に都合よくこき使われすぎてブチ切れて仕事辞めたのも、一度や二度くらい…。。かな?
仕事の場合は、八方美人しながら全ての人間に対して当たり障りなくなんかできるか!ポリシーもプライドもないバカ上司をおだてつつ、暴走するお局となんとなくうまくやるなんてつきあいきれんわ!!暴走お局の方が大事なんだったらそっちを大事にすれば〜。わたしはもう嫌だし探せば仕事あるから辞めてやるよばいばーい。

という辞め方を何度かしています(^ ^;;
知人友人から呼ばれていった先とか、知人つながりで関わってしまったブラック企業とかでのことです。小規模の企業でのことですが、私の行動力と判断力と、時にはこの誰にも負けない口の悪さを利用したいから手伝ってくれと呼びつけておきながら、アホお局と対立するのが怖いからって私を楯に逃げられても、次にはわたしが、お局たちからバカバカしい嫌がらせされるハメになるし、嫌がらせには正面から苦情を言う私ですが、それさえもやめろというならもうあんたの手伝いなんかできない。矛盾をどうすんねん。アホいうな。自分でなんとかせい。知らんわい。

私はこういうタイプです…仕事に於いても。

彼との喧嘩はだいたい、
「namiに喜んでもらいたかったのにグズグズ」
「だってnamiと一緒にいたかったんだもん」
とか、『namiを大切にするあまり』という言訳に今はなっていますが、何かとあらゆる人に喧嘩腰になることに対して私が嗜めたり呆れたりすると泣くのでうんざりして私がキレます。
なんでそんなことで見ず知らずの人に喧嘩売るの?
なんで私たちに関係のないそこにいる見ず知らずの人のちょっと不思議な行動をバカにする発言をわざわざするの??人にはそれぞれ事情があるし、のっぴきならない状態でああなのかもしれないのに何故バカにするの??
そういう態度が続くと私はうんざりして別れたがります。

そうすると、号泣して、
「嫌われたくないから一緒にいたいから改善するから許して〜許してもらえないとボク生きていけない〜。」
と、なります。

この人の元嫁はトンデモな人だったと聞いてますが、こんなにいつでもどこでも喧嘩腰の人の妻なんて無理だよね。と最近は思ってました。

それで、今回の喧嘩。

私は私で、親と私の関係は、且つてはあまりにも酷すぎて私が発狂してもうマトモな人間の世界に戻ってこられないかもしれないくらいの窮地に陥ったのを奇跡的に這い上がり。とはいえ良好では全く無し。
にもかかわらず、そんな親に、
『あんたはさんざん大迷惑をかけられたその男と未だに付き合ってるのか…』
と同情されてたという。

彼との結婚を私自身が覚悟しても、父の持ち家に、印象最悪で始まった男を住まわせるなんて、相当、彼の『いいところ』例えば仕事は一応結構できる。目上の人に対する態度は体育会系なのでそれなり。
であることを、何段階か経由しながら話さないといけない。
一度の会食くらいではいくらなんでも判断できないので、今すぐ同居を開始したがる彼を嗜めなくてはならない。
大家は父だし、片付けないといけないし。
私は「片付けが済んでない」を大きな理由にしていましたが、片付けと言うのは、
『大家である親が私たちの結婚と同居を認めてくれないことには諸般の事案が片付いてない。』
という意味を含んでいるつもりでした。

そのあたり。彼の中では、私と私の親との話し合いの事情なんてモノは完全にすっ飛ばしていました。
一日も早く一緒に暮らしたい。という気持ちは分かりますが、
「ご両親と挨拶したのにちっとも同居の話を進めてくれない。ボクのマンションの更新料払えないから、片付けが終わってくれるまで実家に帰っちゃおーっと。一年待てば片付くよね。」
に、なったらしいんです。

彼と私の親を初対面させたあと、予想以上に親が好印象を持ってくれたので、具体的な話をするための会話のタイミングとか話題の誘導とか、同居準備のための説得作戦とか準備期間とか、彼がマンションの更新料を払わなくてすめばその方がいいけどどうなるか、親との会話のやりとりによっては間に合うかもしれない。ゴリ押しはできないけど。そういうやりとりに苦戦していました。

そういうことを考えて、なんとかゴールデンウイークまでには何かしら方向性が見えるようにしたいけど、成果の保障は一切できないので、できる限りのことをするつもりで、黙って着々と進めていました。
場合によっては間に合うかもしれない。でも間に合わないかもしれない。
間に合わなくても、残り20年か30年の人生の岐路に当たり5万円だかそこらの更新料のために大反対を受けながらゴリゴリやる必要はない。

そういう私の行動に対し彼は
「そういう話を進めてるなら状況をボクに言ってくれるべきでした!なんにも知らされてないし同居の話を全然進めてくれないから実家に帰ってお金を貯めて待ってるしかないと思ったんです!!」
と主張しましたが、こっちだって最大にスムーズに進めるための駆け引きみたいにしながら切った張ったにならない程度に、和やかに認めてもらえるようにじっくりと話を進めていたんです。

だのに。

「5月からボク実家に帰ります。お金ないから貯金しなくちゃ。だって一緒に暮らしてもらえないから。月一回くらいは結婚式場探しのために会おうね。気が変わってなければ来年くらいには一緒に暮らそうね。ウエディングドレス着せたいんだもん。」


すみません。
反省という主題で始めた今回のエントリでしたが、反省…??

親を説得しないといけないことは散々彼に言ってたし、初対面して2週間でいろいろ諦められてしまうなんて想像してませんでした。
家に呼べないのは『私が酷く散らかしてる』のは最早ただの言訳で、親の許可がまだ不足してるからだと何度も話してました。
私は35年前くらいからこのあたりに住んでいるので(だいぶ中抜けしてるけど)、実は結構顔が広いんです。
小中学生時代はいつもナントカ委員長とかやってたのもあり。
けど25年くらいは私を見てないはずの同級生のお母さんや近所のおばさん達がそこらへんをプラプラしてる私に気付いていて、うちの親に井戸端会議で噂話をしてると聞いて驚きました…なんでわかるの…なんでそこまで覚えてるの…いくらなんでも相当老けたと思うんですけど…
それで。彼が家の近くで私にやたらベタベタしまくっているのでそれまでもこのあたりで結構噂になってるそうで、両親が近所のおじさんおばさんに「namiちゃん結婚したの?」と聞かれまくってるそうです。
だから家の近くでは止めてってさんざん言ってるのに…

そんな環境なので、入籍してないけど同居してるとは、親は勿論言いたくないだろうし、私も嫌です。近所に友人ワラワラいるのに「あの男の人だあれ?namiちゃん結婚したの?」「ううん。」「え!?もしかしておなかに…?」「ううん。」
とか言いたくないです。やはり年齢一桁のころからの知人友人にはケジメのついた報告をしたいものです。
都内で一人暮らしをしてるときはどーでもいいと思ってたことですが、やはり幼い頃からお世話になっている方々へは特にきちんとしたことを報告したいという気持ちがあらわれてきています。

それも彼に伝えてるつもりなんですけど、全然分かってくれないんです。

「そんなの関係ネエし知らねえし。」

…プチーン。

…あんたは知らないでしょうけど、私は幼児の頃からこのあたりの方々に知られてるんだよう。運動ではなにもできなかったけど何らかの学年代表とかを何度もやってる「ちょっとした有名人」の私が帰ってきてまだ独身だってこと、結構有名になってるそうで結構大変なんだよう。

と、いう話も散々彼にしてるんですけど。
覚えてないというか忘れるというか、自分に都合が悪いから右から左で他人事なんでしょうね。
自分に都合の悪いことは全部スルー。
それで私を怒らせて号泣。
怒る私が悪いんですかね??彼に言わせるとそうらしいです。
別に私が誰とつきあおうと悪いことはないですが、旧知の方々への礼を思えば順序は大切です。
それを全く理解しようとしてくれません。




うん。やっぱり。
私は反省できないようです。

そして、彼も、私の気持ちを考えることは今後も出来ないんだろうなと再認識しました。

ああもう、また朝がきてしまいます。

怒ると彼が泣くから怒らないように??
こんなことされて怒らないって、何故??
許すって、どういうこと??
私の努力を「聞いてないもん」という理由で踏みにじってお金がないから実家に逃げ帰ると決めた人をどうやって許すの??

やっぱり反省は出来ませんでした。

ああどうしよう。また朝がきてしまう。

どうしてこんなに薬が効かないんだろう。ここ最近は○○○○○なんて飲んだら3分以内に気絶するように眠ってたのに、先週くらいから全然効かないんです。

気が狂いそう。
と彼は言いますが、私こそ狂いそうです。
腕を切りたくてしょうがないです。
アルコールが足りなくて大変です。すぐ飲み干しちゃう。
ボクが一生守るから。
と言ってる人がヘタレ大王だったんです。

ああ、反省じゃなくてやっぱり愚痴になってしまいました…


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2014/04/21

月曜日ですが今日もぼやきます…

おはようございます。または、こんにちは。

月曜日ですね。
今週も頑張っていきましょう!!
今回のエントリもかなり長くなっちゃいましたがまたもや愚痴ばかりなので、『愚痴ブログうぜーよ。』という方は今日は別ブログへの移動をお勧めします♪

私は土曜日には働いて、帰宅後からずっと眠れず、日曜日は眠れなかったことを含めた諸般のストレスで日中ずっとムギャーとなっていて、日曜日の夜からさっきまで、一時間半悪夢にうなされて目覚めて一時間半眠れず悶々とし一時間半また悪夢にうなされて自分のうめき声で目が覚め…悪夢の記憶で気持ち悪くてウゲウゲしててやっと微睡んだら悪夢の続きを見てモウイヤダーという自分の声で目が覚めて…

というのを繰り返してたら今日の朝になってました。

土曜日の仕事はたいして大変じゃなかったはずなのですが、なんだかやたらと筋肉痛になりました。
階段の昇り降りとはしごの昇り降りと高所でのアレコレとかではあるんですけど、何故ここまで。。久しぶりだからか??翌日来たからまだマシか?と思いつつ今日は更に痛くて靴下をはくのも「足がとても遠いです。」となりました。およよ。

今週は木曜日いっぱいまで暇なので、本来だと、親の承認を得たのでようやく彼に夕食を家で食べてもらったり、一緒に暮らすための間取りをあーでもないこーでもないと苦戦しながら楽しんでるつもりでした。そのために仕事の受注を減らしてました。

それが。

「お金がないから実家に帰るね〜。頑張って貯金するからnamiの気が変わってなかったら来年くらいには一緒に暮らそうね〜。」

と逃げ去られてしまったのでもうなにもかもやる気をなくしています。


いったいどの世界に何人くらい、2年間ずっと「結婚しようね!!」としつこく言い続けてた男が正式にプロポーズしてきてやっと親に紹介できた2週間後に

「お金がないから実家に帰って貯金してくる。月に一回くらいは会おうね。ばいば〜い。」

って逃げられた女がいるのでしょうか。
世界で探すのは大変なのでとりあえず日本でブログ書いてる人でそんな人がいるかしら。
と探してみようかと思ったけどブログ自体の数が多すぎて探すのをやめました。
初婚の若い男子なら百歩譲って「しょーがねーな」と思うかもわかりませんが、バツイチ子ありの40越えですよ。
んで私が激怒したら号泣ですよ。
「怒る前にnamiの状況を教えてよ。ボク知らなかったんだもん。」
ですって。

ここから先のことはあらかた先日も書いたので『もうそのネタいいから』って方はとばしてください。



「逃げてもいないし裏切ってもいないのにどうしてそんなこと言うの!!(号泣)namiと一緒に幸せになるためにお金を貯めてくるって言ってるだけなのに!今一緒に暮らしてもらえないんだからそうするしかないのに!(号泣)」

親にも会って結婚の許可を得ておいて、やっぱりお金がないから実家に帰る。来年までには頑張れるかなあ。なんて〜のの、どこがどう逃げでなく、どう裏切りでないんでしょうか。

自分が賃貸ワンルームマンションの更新料を払いたくないから、私の親に初めて挨拶した2週間以内に同居の許可と転居作業開始を認められると思ってたらしいです。

で、私がその辺りについてはずっと前から、

『うちには実家の荷物もあるからそれなりに親と話し合いつつ片付けないといけないし、なにより私が住んでいるのは親の持ち家だから、大家である親の許可を得ないと私の判断で今すぐOKとは言えないのよ。』

と口酸っぱく言ってたのにも関わらず、

「namiの片付けが全然終わらないって言うから、1年くらい待ったら片付くかもしれないから、お金ないからボクは実家に帰って貯金して待ってようっと♪」

と思ったんですって。
何がどうなるとそういう解釈になるのか…自分勝手にもほどがありません??
なにをもって1年なんでしょうか。
やっとやっと親へ顔合わせができて、それまで私の親をも巻き込んで彼がかけてきた大迷惑のわりに、初顔合わせでは私の予想以上に私の親は彼に好印象を持ちました。
そこまででも奇跡の一足飛びだと思ってたのに。
それまであまりにも迷惑男だったので、それまで数回顔合わせの場を設けようとしてもうちの親に拒否されてたんです。
それでやっと顔合わせできて、いい人そうで良かったと言ってもらえたのに。

「今ボクお金ないから来年くらいには一緒に暮らそうね♪ばいばい。」

もしこれを読んで怒りを覚えなかった方がいらしたら挙手してください。。。

「namiと一緒に幸せになりたいから、それにはお金が足りないし、一緒に暮らしてもらえないからボクは実家に帰るしかないと思ったんです!!(号泣)namiが怒るから泣いたんです!怒らなかったら泣きません(号泣)1年くらい経てば片付けが終わると思ったんです!逃げてなんていないし、別れるつもりも毛頭ありません!なんでそう思われたのか理解できません(号泣)」

話が無茶苦茶すぎて。

お金が足りないのにプロポーズするな。
足りないなら足りないで自分の立場考えろ。

んでもね。
金がない金がない言ってる割には、私には
「ボクの扶養に入って、たまにnamiの知人のお手伝いするくらいの専業主婦でいいからおうちでボクを待っててくれればいいからね。ボクが全部面倒見るからね。」
って態度なんです。
なんなんだよこれ。

あんたに初めて会ってやっと2週間経ったにすぎないうちの親が今すぐあんたとの同居を認めてるわけないでしょ、デキ婚でもないのに。
で、この人が
「お金がないからボク実家に帰る!ギャー!」
と言ってる間にやっと親と
「同居より先に入籍しなさいね。」
という会話ができたんです。

入籍が先というのは古いと言えば古い考えかもしれませんけども、それを振り切って、しかも大家が肉親である家に、入籍より先に同居する理由としては「彼のワンルームマンションの更新料を払いたくないから」以外の理由がありません。
そんなみっともない理由で、反対を押し切って同居を先にする必要はありません。
田舎の駅から遠い交通の便の悪いワンルームマンションの更新料なんて、40越えの子ありバツイチ男がギャーギャー騒ぐ値段ではありません。
(子供は元嫁のところにいて彼は毎月養育費だけを払ってて私は会ったことがありません。それ以前に元嫁も子供も私の存在を知りません。彼は子供と面会もしてないそうです。)

ちなみに妹夫婦は先に同棲をして、かなり反対されたそうですが、妹は私と違って一人暮らしをしたことがなかったし家事が何もできないので結婚する前に自分が家事とかやってみて妻になれるのかの自覚を持つというか、練習をしたいという理由がありました。それは事前に私も彼女に相談されて、とてもいいことだと思うと私は賛成をしました。やはり親の反対はかなりのものだったようですが、理由としてはきっちりしているし、結果としてとても良かったと思ってます。

妹夫婦のそれと、彼が「更新料払いたくないからとっとと同居したい」では、身勝手が過ぎます。
それが思い通りに行かなかったから「実家に帰るねまた来年くらい気が変わらなかったらね〜」

あほ。
あほ。
あほ。
何度言ってもたりません。あほ。くたばっちまえ。アーメンと言いたくもない。

彼は勝手に入籍日と披露宴日を妄想して決めてたらしいです。
入籍しないと同居はダメと言われたので入籍を夏にするなら同居は秋か冬だね。
と言うと

「入籍日は勝手に考えてただけなので相談させてください!!」

それはつまり更新料を払わないためにさっさと同居するためにさっさと入籍したいって意味じゃん。更新料を払わなきゃならなくなる前に入籍と転居を済ませたいってことでしょ。

ねえよ。

「気が変わらなかったら一緒に暮らそうねってことはあんたにはもうその気がないってことでしょうが。バカにするにもほどがあるだろボゲ!!!今すぐ実家に帰れ!!!」

「違う!!namiが30代のうちにって希望があったけど過ぎてしまいそうだから、40代に入っちゃってもよければって意味!!ボクは絶対にnamiと結婚する!!」

誰がそう解釈できるでしょう??


前にも書きましたが、もらった指輪も何もかも返してきて、向こうに置いてあった私のものはほぼ全部回収してきました。

そして更に意味が分からないのが、彼が実家に帰るのをやめたということです。

更新料払えないし金がないんだろ??
何言ってんのかいみわがんねぞ??

「namiの状況が分かったからには実家に帰りません!絶対に諦めません!!」

全く意味わかんね。。。



で、いろいろムカつくので、今日はこれからプランタンのセレクトブランドバーゲンに行ってまたお買い物してきちゃおうと思ってます。
私の中でね、40代に突入するにあたり、ワードローブにワンピースをどんどん加えないといけないと勝手に思い込んでるんです。
それで先月末に2着買っちゃって。レストローズ…セール品ですが…
それに加え、ネットショップで服って、私は普段買わないんですけど、先日かなりプライスダウンだったのと使いやすそうだし送料無料だからとついつい買っちゃったワンピース、実はレストローズ系列でした…
やっぱり、着たいなあと思う服って、ルートがつながっちゃうんですかね…
ほんとに次は靴がない〜。小足の悩み〜。

冬場は履きませんでしたが、春夏秋でカジュアル時に履く靴をクロックスで探したらジュニアでしたのよ!!レディスでも製造はあるみたいだけど店頭にないのでもういいやと、ちょっとデザインは不本意だけどジュニアサイズがぴったりだったし納得したので買ったらレジで店員さんが3回くらい靴と私を「ン?ン?ンン????」と見返しました。
『わたしがはきます。ぴったりでしたのよ!!』

でもねえ、西洋人って結構普段着ってスーツにスニーカーとかワンピにスニーカーとか、パーティーとか正式ビジネスでなければ移動中なんかは特に歩きやすいスニーカーなんですってね。

それはそれで。

私にお金はないのです。
仕事はフリーなのであったりなかったり、急に忙しくなったりならなかったりで無茶苦茶なのですが、結婚という最大の人生の節目でこんなバカ男にこんなに振り回されてココロがボロボロになって睡眠薬も効かなくなっちゃったわたし。
バーゲンなら着たい服があれば買っちゃえ月間。
仕事服はGパンと黒Tシャツと黒ジャージとスニーカーがあればいいし、黒TはいただきもののスタッフTシャツとかライブ会場で買ったのがあるからいいんです。

わたし、おかしいでしょうか。
怒りすぎでしょうか。
ブチ切れすぎでしょうか。

結婚して一緒に住むための親の相談説得と片付けとの進行計画をしていたのに「お金ないから来年までばいばーい」怒らない方がアタマおかしいと思うんですがどうでしょうか。
というわけで今からプランタンに行っても恥ずかしくない身だしなみします。
プランタン不発だったらほかのどこかでもセールやってないかなあ…。
ヤケ買い!!
予算は微小!!
でも買ってくるぞ!!


不毛な愚痴を最後まで読んでいただきありがとうございました。
次は何かもうちょっと楽しい話を書きたいと思います。

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