2014/07/06

無為な日々…

こんにちは。

無為な日々を過ごしています…

仕事がこの一週間入らなかったので、なーんにもしていません。
請求書出さなきゃいけないのにまだやってません。
明日やる。うん。

なんかねー
生きてる目的がわからなくなるのですよ。
がっつり暇になると。

仕事は毎回違う場所違う内容違う人々とで、不安定だけれどもやり甲斐があるから嫌じゃないんです。

暇だと。
ホントに何もできないんです。

何もできないのはいつものことなんだけども、今回はちょっと胃腸を悪くしたのがまだ続いてて、食事をするといまだにオナカを下すので、飲み食いも気が重く、毎日ちょっとしか食べてません。
お酒のストックも切れたし、買ってきたらつまみと一緒に飲み食いしちゃうし、調子に乗って飲んで食べてるとまたすぐ下すのでついでに禁酒もしています。
胃腸の漢方はまたもらってきたので飲んでます。

なんのために
だれのために

私にはそれが何にも無いんですね。

3月までは、この部屋をスイートホームwwにするためにがんばるぞー。
と思っていましたが。

あんな男はもう無理なので。

なんでどいつもこいつも勝手に寄ってきて勝手に盛り上がって勝手に終了させて暴れるんだろう。

私はあまり恋愛に興味がない人なので、「ア、この人私に気があるな。」と思ってもメンドクサイのでほっとくか、とっとと離れます。
恋愛に興味がないというより、育ってきた環境による障害の一部だと思います。
いちばん信頼できるはずの人に心をズタズタにされて大人になったので。
そういう人は大抵、恋愛体質というか、常に人肌を求めるようになる傾向を聞きますが、私の場合は、
『信じて裏切られるくらいなら最初から信じない』
方向になってるそうなんですね。

でも極稀に現れるんですよ。
そんなに言ってくれるなら信じてみたいな。頼ってみたいな。と思う人が。
考えに考えて。
少しずつ心の扉を開こうとしても錆び付いて動かないのでせっせとオイルかけたり磨いたりしてギギギギーとようやく開いたら
「もうお前なんかイラナイ。こっち来んな。」
の態度に変わられています。

なんだよそれー。

そんなのばっか。

元カレは、私を女神サマ兼オカアチャマみたいに思っていて。
私は受け止める側であることに不満はないのですが、小さな悩みをいちいち幼稚園児以下レベルで泣きわめいて訴えられたりするのは究極にメンドクサイです。
今話題のどこぞの議員さんじゃないですけども。
電話越しだとあれの5分の1レベルくらいには泣きわめいてます。
「お金がないから実家に帰る!」と泣きわめいたので
「じゃあ帰りな。」と言っただけです。翌日になって
「足りる。だいじょうぶ。計算しなおしたの。ケロッ。離れないもん〜ベッタリ。」
ってさ。
何故冷静になって「足りる」という答えが出るまで考えない??
足りないというのが現状の経過報告なら泣かずにできないものなのか?
実家に帰ると断言したなら帰れや。

まだ放置しています。ずっと放置します。
早く誰か他にいい人…
と思っているのですが、何しろ恋愛体質ではないので、元カレみたいに物好きにしつこく寄ってこられるくらいしないとホントに男に興味がないんです。
じゃ〜やっぱ一人でいいや〜。

という考えをグルグル…

過去のムカつく男のこと思い出してイライラ…

そうして行き着いてしまう先はどうしても25年会ってないYくんのこと。
…だってね〜
ちゃんと知り合ったのは私が転校から帰ってきた5年生のときに編入になったクラスから。
5年生ですよ5年生。
11歳ですよ。ふふふ。
まだママやパパとお風呂に入ってるかもしれないお年頃ですよ。
Yくんは小柄で当時は私よりずっと小さかった(私は小さい頃は大きかったけどその後あまり大きくなれなかったタイプ)し、帰ってきてすぐの頃私は、転校前から知ってる子と知らない子をいっぺんに思い出したり覚えたりしながら、授業の進み具合の違いに追いついたり、6年生のときは担任がトンデモ教師だったのでそのバトルが忙しくて、
「Yくんはnamiちゃんのこと好きなんだよ〜」
と言われたところで
「えっ?あのちっさい子?なんで?おー、アタマいいなあ。へー、小さいけど足速いなあ。ちょこまかすごいなあ。運動できるなあ。へー。で、なんでわたしを?」
とかその程度でした。
小学生ですからね〜。

中学生になってからのことをいろいろ思い出して。
奇麗なままで終わってるこの思い出にしか行き着くところがなくて。
眠っていれば、夢にYくんが出てきてくれる。

という…もう、自分で完全に病気だって自覚はあるのですが今はここから抜け出せないのです。

目が覚めてしまった…
朝が来てしまった…

私は中学生のときは親からの言葉の暴力(時には殴られ)と喘息と原因不明の病気とで私生活は無茶苦茶でした。
たぶん医者は精神科の受診を母に勧めていましたが、母はそういうのに非常に抵抗のある世代なので断固拒否していたようです。
私は正直、精神科でもどこでもいいから入院するか、どこか施設に預けられたいと本気で思っていました。どうやったら福祉施設に保護してもらえるかを夜な夜な考えたりもしていました。
学校にしか居場所がなかったので、苦しくてもなるべく登校したし、授業が終わっても帰宅部だけどなんとか委員会だーあれやーこれやーにかこつけて校内をウロウロしていてなかなか帰宅しませんでした。
身長は3年間で6センチしか伸びませんでした。
お友達がどんどん見上げる大きさに…

友人「あんた最近小さくなったね!?

私「そうじゃな〜い!みんながでっかくなったんだぃ〜!

Yくんは中学の3年間で、高くはないけどまあまあ大きくなりました。
卒業の頃にはなんとかちょっとだけ私より高くなってたんじゃないかなくらい。
男の子は高校でものすごく変わりますからね。どのくらいになったんだろう。
…と、10年くらい前にふと思い出してネット検索したことがあります。
いろいろ写真もありました。ゼミかなにかのホームページかな。
もうそのページはないです。
なんだかずいぶんモッサリしちゃったなあ〜!おっさん!ってあたりまえか!けど面影あるなあ。と。
あの画像とっておけばよかったなあ。あのときはそれで満足したのでした。

あと3年くらいはなぁ。
一緒にいたかったなぁ。
同じ高校じゃなくても、近くにいたかったなぁ。
会話をしたかったなぁ…。
…最後の挨拶に行かなかったのは私だけどさ。

そういう思考でグルグルグルグル…
また目を閉じれば会える…と、夜が来るのを待つ…。
中学生のときまで戻らなきゃいけないなんて、どんだけよ。
中二病の一種か?そのものか??

好きだと言ってもらった思い出は大学以降からいくつかありますが、好きっていうのは言葉以上のものはなにもないと考えていたので、ほとんどスルーでした。
ただ、大学以降のそういうのは、下心とか見栄とかなんかそういういやらしい感覚を含めて言われてることがほぼ全て。
中学まで戻ってしまえば、まだピュアなはずですから。
Yくんが私のことを本当はどう思っていたか分かりませんが、友人たちが言うのを信じたとすれば、どこがよくて好きになってくれたんだかずいぶん物好きねえという気持ちと同時に、セクシャルな意味合いをギリギリまで削り落とした、幼い透明な優しさだと感じるのです。
私は、そういう、透明な優しさが欲しいのです。

仕事が始まればそんなこと忘れちゃうんですけど。
私は、こういうなんにもない時間にもきちんとした生活を送れるような精神状態にならなきゃいけないんです。
今までずっと仕事の忙しさで誤摩化してきたから、暇な今こそ向き合わなくちゃいけない。
…とりあえずグズグズなら、グズグズの最底辺までいっちゃえばいい。
底を見たらもう上がってくるしかないんだから。
という、自分に甘い考え方で過ごしています。
せめて何かしらで繋がれれば気が済むんでしょうけど、今の時代のこれだけあってなかなか届かないのがもどかしく、グズグズから抜けきれません。



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