2014/05/31

隣のおばさんの死

こんばんは。

朝早く父から連絡があり、実家の隣のおばさんが前夜に亡くなったと。


長いこと入退院を繰り返していて、先日、お見舞いに行くと父からわざわざ連絡があり。
一家総出で行くのも、死期を悟らせるような…
私自身体調がすぐれないので、そのときは控えておきました。



(以前伯父が危篤になったと連絡を受けたとき、呑気にしている父に「ボヤボヤしてる場合じゃないでしょ!」と文句を言い、父と私と妹は仕事を早退して母と池袋で合流し(母が引きこもりがちな上方向音痴なので合流が大変だった)埼玉のホスピスに行きました。

伯父はまだ意識はあって、
『こんなにみんなが俺に会いにくるということは、オレはもう死ぬのか』
と言ったのが、おじさんらしいような、不安な思いにさせてしまったかと悔やむような、複雑な思いでした。
私の親戚の多くは九州にいるのですが、佐賀の伯父はその日が近いと分かってからは数日前から都内に住む従兄のところにいました。
父は兄弟のなかでも年齢がかなり離れた末っ子で、もう兄姉を数人亡くしているからか、呑気でした。「せっかくだから呑みに行こう」と佐賀から来てる伯父さんを誘って「兄貴が死にかけてるのに酒飲んでる場合か!」と怒られたそうです。。。そりゃそうだ。。

伯父は私たちが訪れた翌日の未明に亡くなりました。



そのことを思い出してしまうので、お見舞いに行かなかったのですが。
最期だったのか…

私が住む団地は35年前くらいにできた新興住宅地のなかの団地で、新築の時からのお隣でした。
うちは必要なものも不要なものも「まあとっとけ」と、収納エリアのキャパと収納したいものの量を考えずにギューギュー押し込む親たちなのですが、隣のおばさんは、必要なものだけ、美しく、いつお客さんが来てもあがってもらえるくらい奇麗にしていました。
庭も、うちはどちからというと樹木や多年草をもしゃもしゃさせてるのですが、お隣は、一年草を季節ごとにキレイに植えていました。
それも、朝ササさっと5分10分かけずに手入れをします。
父は半日くらい庭でえっさえっさと何かをしているので、「はやっ!」といつも驚いてたそうです。

一人息子のM君は小さい頃からピアノを習っていて、それもどんどん本格的になってきて部屋を防音室にしたり(とても上手なので聞こえててよかったんですけど)、ピアノがやりたいのかと思ったらたしか吹奏楽部でトランペットやったかな。なんか金管楽器だった気がする。で、中学校ではコントラバスをやり、高校は、音大受験に強い公立高校に行き、大学は音楽で最高峰のところに行き、大学行ったら今度は指揮とか声楽とかもやって、イタリア留学したというものすごい子です。
最近は地元の公民館で自主イベントでオペラを披露したりもしてるそうです。
もうちょっと規模が大きくなればテクニカルのお手伝いができるのですが、公民館では…ガンバッテクレー。。

うち、ほんとに、いかにも昭和な団地なんです。
イタリア留学するまで音楽を追究するって、かなり費用がかかります。
ほんとにやりくりがうまかったんだなあと思います。

数年前におじさんが亡くなりました。
だいぶ長いこと病気をしていて、胃を半分切除したとか(母は勝手に話を盛るので事実はよく分からないのですが)たいへんななか、おばさんも病気になり。
おばさんが通ってた病院に近所の私の一個上の先輩も行ってたので心配していました。
先輩も同じ棟なので(お嫁に行ってますが結構近いのでちょくちょく帰って来てるらしい)
『あそこのお庭荒れちゃってるわね、やっぱり具合悪いのかしらね。』
とお母さんと話していたそうです。
M君はいったいどうやって収入を得ているのかよくわかりませんが、たぶんそれは私も同じことを言われるでしょう…
おじさん。おばさん。
2人とも亡くなってしまいました。


うちは母が社会性がないというか、自分の世界の中だけで生きてる人なので、がんじがらめにされて逃げ場がなくなったときおばさんに「困ってるの。」と訴えたことがあります。
真夜中に喘息の酷い発作を起こして、私は絶対言ってないんだけど「namiが救急車は呼んでほしくないと言うから」と言ってお隣のおばさんを叩き起こし(うちに車が無かったので。何故タクシー呼ばなかったのかも分からない)文句も言わずに送ってくれて、点滴や吸入の処置の様子を見ていてくれました。
こんな真夜中に、いくらお隣でも、迷惑過ぎるだろ、おばさん、ごめんなさいね。
と、いつも思っていました。




私は実家から逃げるように都内に住み。
いろいろあって戻ってきて。
おばさんに今までのお礼をしなくちゃとか。
思ってて。
見かけたら声かけてくれて。
彼と一緒にいるのをいつのまにか見られてて『namiちゃん結婚したの?』と母に聞いたとか。
そのあたりの話もきちんとしたかったのに。

妹は幼少期、よく、学校に行ってる間とか外で遊んでる間に母が鍵を閉めて出かけてしまったので家に入れずピーピー泣いてるところをおばさんに話しかけられて、庭のフェンスを越えられるように抱き上げてもらって、ベランダに出る硝子戸を開けてみたら入れた。ありがとうございます。というのが一度や二度じゃなかったそうです。
ベランダの硝子戸にカギかけてなかったのもどうなのよと思いますが、一度や二度迷惑をかけたら改善策考えようよという考えをうちの母はできません。

ほんとうに、こんな変な一家に、よくしてくれました。
病気で動けなくなってからは庭の手入れができないので、父がお願いされたそうです。
Mくん一人ではとても…
なので、父は自分の家の庭とお隣の家の庭と私の家の庭、3つ手入れしてます。
うほほほほ。

偶然なことに以前、Mくんの従兄弟さんと一緒に仕事したことがあります。
ほんとに偶然です。従兄弟さんがスタッフである私の個人情報を見られる立場の職種だったのでそれを見つけて驚いて言わずにいられなかったそうで発覚しました。
なに!よりによってお隣よ!!まーじーでー!
相当驚きました。
事情あって縁を切ってるらしいです。
従兄弟さんから私が聞き、おばさんからは母が聞いてるので事実のようです。
お葬式は私は通夜と告別式両方参列します。お手伝いはいらないと言われてるそうですがいざというとき動けるポジションでいようと思ってます。


思い出すのは。
3.11の震災時。
仕事が無くて家にいた私は大きな家具とかは無いので無事でしたが、チェストが開いたり閉まったり。いろんなものがきしむ音。立ってられない揺れ。
うちの棟は結構地盤がしっかりしていて大きな破損は無かったのですが、実家に一人でいる母が気になって走って行きました。
母の安否が心配というより、母は冷静な判断とか客観的な判断とか当面の対応とかができない人なので、思い込みが先行してデマの根源になりそうだってことが心配でした。
実家に行くと(徒歩2分)玄関先で隣のおばさんと話してました。

N『心配だから見に来たよ』
母『水槽の水が溢れて大変〜と思ったらトイレのタンクから水があふれてびしょびしょよ〜』
おばさん『namiちゃんとこトイレ大丈夫だった?』
N『えっ、見てないっす!!見てくる!!』

そのあと、揺れのせいでガスの安全装置が作動して止まってしまったので復旧の仕方を教えにおばさんが走り回ってました。
うちは、たまたま上の階のメンテナンスに来てたガス屋さんが「あのー、皆さん今ガスでなくなってると思うんですけど、ここをこうしたらまた出ますから。またこの規模の揺れが来たらまた止まりますからね。」と教えてくれたので、屋外で怯えている近所の人に教えてまわってました。

実家は当時ブラウン管だったテレビが完全に落下して、配線ぐしゃぐしゃでわけわからなくなってるし、棚に戻しても余震で落ちるかもしれないから床に転がしたままNHKだけ見られるようにつなぎなおしてずっとニュースを見てました。
その横で私はずっとツイッターを追いかけてました。
父も妹もツイッターをやっていたので、
「電話が繋がらなくて家の様子が分からない!」
と混乱してる父に家の現状を伝えたり
「そこらじゅう水道管破裂かと思ったら液状化って〜。道路も階段もボロボロ。お友達の旦那さんのお友達という全く知らない人の車で送ってもらってるなう〜。」
という妹の状況も母に伝えていました。

私がいちばん危惧したのは。
うちの母は空気を読むとか客観的に考えるとか人の気持ちを考えるというところが欠落しているので、予想通り、津波の中継を見て
「すごーい全部波に飲み込まれちゃってたいへ〜ん映画より面白いわ〜」
という絶対他人に聞かせられない台詞を予想通り言いまくるので、これは事態が治まるまでは母を他人と接触させちゃいけないと思って張り付いてました。
私が仕事で外出する時は数字パズルとか塗り絵とかを与えて母が外に出ないように工夫しました。

でも、隣のおばさんは聞かされたと思うんです。
うちの母の無神経発言。
こんな母に30年以上ほんとによくしてくれてありがとう。
とも思っています。


いま、おばさんが亡くなったこともそうだし、自分の願いが届かないもどかしさが悲しくて、つらいです。

彼とのこともそうだし、いままで能力を買われてわざわざ呼ばれた職場で地位も報酬もないのに責任だけ押し付けられて板挟みで、責任者が責任とる気がなくて高校生のバイト以下な給料で丸投げされて、他部署の人とかが困ってるからなるべく相談は聞いて、地位のある人に改善策を具体的に提案しても「メンドクサイし分からないからボク知らない」と速攻逃げられちゃうのでにっちもさっちもいかず、この報酬でそこまで責任とれない!と辞めたことが数回。

私何やってるんだろ。


会いたくてたまらないYくん。25年も会ってないYくん。
メジャーなSNSでは見つけられないし(そもそも匿名のmixiとかtwitterで見つけるのは無理。)。
日本では全然知られてないであろう、ビジネスに特化したSNSをみつけました。
そこに、Yくんとおぼしき経歴の人を見つけました。
速攻登録するにも、私の仕事は特殊すぎてこういうのに書くこと無いよ…
でも書けるところだけ書いて、コンタクト?フォロー?申請したらすぐ承認されました。
あまりにも分野が違うので、なんだこいつ??と思ったでしょうが、承認してもらえて嬉しかったです。
でもそこはお友達の交流が目的ではなく、ビジネスでいい人材と繋がるためのものなので、安易にメッセージは送れません。
一応最初のメッセージは送ったけど。
返事。
来ないなあ。。

それも寂しくて。
四半世紀立っちゃったけど。
会いたいのになあ。
あの頃から私がこんなに心身ともに(心は薬漬けですが)元気だったら、めっちゃ話しかけて、お手紙送りたいからって住所聞くこともできたでしょうに。


おばさんは亡くなっちゃったし。
Yくんには会えないし。
婚約者に逃げられるし。
寂しいなあ…
涙がとまらまい。
Yくんが通り抜けてた植え込みを見るだけで寂しい。
Yくん一家が住んでたお家にいる知らない一家のベランダを見ても悲しい。
Yくんには、優しい思い出しか無い。

寂しいよ…
みんないなくなっちゃう…


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