2014/06/03

お通夜にいってきました

実家の隣のおばさんのお通夜に行ってきました。
私は高校卒業から家を出たけれども、35年来の隣人でした。
小さい頃から何度も何度も、助けてもらいました。

世話好きで明るくて社交的なおばさんはお友達も多かったのでしょう。
近所の方々もたくさんいらしてました。

私は…仲良しだったお友達の、よく顔を見てたお母さんとかなら、今見てもよーく考えれば分かると思いますが、そうじゃない方はもう誰が誰だか全く分からず。。

余談ですが母の話によると、なんだかんだ団地内でもおば樣方の派閥があるそうで、「この確認は私が!」「なんとかさんには言わなくていい!」「あの人はこのときこうだったから私たちが声かける義理は無いわ!」とかそういうバトルが繰り広げられていたそうです。
うちの両親は、今回喪主となったMくんと直接マメにメールをしあってたそうで。
容態が悪化したとき、お見舞いを遠慮してたうちの両親に
「今すぐにでも来て会ってあげてください。もう危ないです。」
と連絡をくれたので、行ってきたそうです。
両親が行った時はまだ会話ができたそうです。
翌日にはもう話せなくなって、すーっと、いってしまったそうです。


ご両親の看病が続いて、お父さんを亡くし、お母さんも亡くしてしまったMくん。
私は中学生くらいのMくんまでしか覚えてないので、ものすごく背が高くなってチャキチャキ動くMくんを見ても「あれ?でかっ。」と思ってしまいました(- -;;
ちょっと前にも見たんだけど、父に「Mくんだよ」と言われなきゃ絶対分からなかった〜。。

Mくんはまだ独身なので、一人で喪主をやってましたが、なにもかも斎場のスタッフの方がしてくださってて、お手伝いの出番はありませんでした。
親族やお知り合いの方々をチャキチャキと笑顔で案内していました。



ちょっと余談を。
過去の話。
昨年祖母が亡くなった時は、ド田舎なので、結婚してすぐ地元を離れた母でさえ全く分からない慣習が多く、父もほとんど同じところの出身なのですがこっちの家系は人数が多すぎるせいか父がぼんやりしてるだけなのか、父も就職と同時に九州地方を離れたからか、そういうことはおおざっぱなので全然知らず。
普通に御霊前を持っていったのですが、このときはこういう表書きでお坊さんに渡す、とか、毎日毎回違う表書きを包まないといけないらしいのですが、母は知らず。。
この不祝儀袋の表書きがこれの人に渡す会葬御礼はこっち、これの人にはこっちを渡す。
とかあるらしいんですが高校まで地元育ちの従弟たちもそこまでは理解できず、受付を頼まれた孫4人は突っ立ったまま全部式場の人がやってくれました。

私「ねえねえこれ理解できた??」
従弟「全く分かりません!!」

母はずっとここの地で過ごしてきた叔母に叱られ…
(叔母は私たちには優しいけど結構ガミガミ系だし、老いた祖母の面倒をずっとみてたのは叔母なのと、本来なら喪主は長女の婿がやるべきなのにあんたんおらんき仕方なく代行すっばい!的なことを言われずっと怒られっぱなしだったらしい)

で、とばっちりをうけるのは父…

母「(父に)○○もってきてくれた?」
父「??あれ朝渡してカバンに入れたでしょ。」
母「ちがうのほかにもいるの、別に渡さなきゃいけないのよ。」
父「知らんがな…」
母「田舎の慣習は違うのよ、今日も別に渡さなきゃいけないのにどうすればいいの!」
父「知らんがな…」
私「表書きは何なの??」
母「わかんない。」

ど〜ん

とりあえず現金は親たちが持ってるみたいなので袋と筆ペンがあればいいんでしょ。
まだ親族だけの集合時間前だったので

私「じゃまだ時間あるから買ってくるよ。何て表書きだったらいいの?」
母「わかんない。なんにでもできるの買ってきて。なんか表書きいっぱいついてるのがいい!!終わるまでに結局いくついるのか全然分かんないから3つくらい!!いや、5つくらい!!」
私「合点招致!15分から遅くても30分で戻るぜ!」

と言ったものの。

15分から30分で戻る根拠。ゼロ。

わたしらここまでタクシーで来たし。
どこに文具屋なりコンビニなりがあるのか全く知らないし。
でも僻地ではないので何かあるはず。
斎場の前の大通りに出て立ち尽くす。
右見て。左見て。Googleマップ見て。
iPhoneのGoogleマップでもさすがに今すぐ不祝儀袋を買いたいんですという希望を満たしてくれる情報が出てこなくて。
なんとなく左方面に本屋さんのにおいがしたのでいってみた。
ここは…ないわけないぞ!!この程度の文具のある本屋で不祝儀袋がないわけがない!!
と、グルグル3週くらいしたらやっと発見!!!
これこれこれ。
薄墨筆ペンは家から持ってきてたのにまさかまた出先で必要と思わなかったからホテルに置いてきたし!!もー!それも購入。

で、早歩きで斎場に到着。

叔母「namiちゃん今来たとね?なんで一緒にこらなんだ??」
私「父が忘れ物をしたので調達してきてました〜。近くにあってよかったです〜。」(父さんゴメン)
叔母「おとうさんん忘れもんためにかいにいかされたとか。まーおとうさんしっかりせい言わんいかんばい。」(方言の表現に多大なるミスがあると思われることはご容赦ください)
(ひそひそと)「よく売ってるところ分かったね??」
私「野生の勘よ!!」
妹「そんな勘があるんだ!!」

方向音痴ですけどね。ええ。
裏方スタッフとして20年行きてくると鼻が利くようになるようです。
はっくしょん!

そういうこともあったので今回も気にはしていたのですが、昭和の新興住宅地エリアにある斎場ですので、最近の、都市部近郊の割と大ざっぱな慣習でよさそうでした。
受付も何もかも式場の方がしてくれるので、喪主のMくんは親族席へのご案内に専念できてた雰囲気です。
ってか、身長でかくなりすぎて誰だか分かんないよ…ずっとピアノやってるせいか手がすごいでかいし指が長い…
とても気丈に笑顔で喪主を務めていました。


2年前、一緒に派遣で仕事してたAさんは、超偶然なんですけど、そのおばさんの弟の子なんです。
おばさんからすれば甥。Mくんからすれば従兄弟。
いないなあ。縁切ってるってってたから来ないのかなあ。あっちの一族からのお花はあるんだけどなあ。
と思ってたら、親族のご焼香中に到着!親族席にすべりこみ!
私がお焼香する時、親族へ頭を下げるとき、MくんもAさんも私を分かってくれました。


読経のあと三々五々っぽくなったタイミングで、Aさんに挨拶したいなあと待ってました。
母と妹はMくんにしか用はないし隣人だからすぐ会えるけど、私はAさん2年ぶりなんだよ。挨拶したいのよさ。
しかも、婚約保留中の彼とも深く関わってた人です。
(彼に怒られまくってたのがAさん)
私が挨拶に行くタイミングを悩んで式場を覗き込んでどうしようかなぁ〜と考え込んでる間に母が

「なんなの、誰待ってるの、なんとかかんとか。そういう段取りなの私聞いてないブーブー(段取りはあるようでも、軍隊のようにいかないからタイミングを待ってる状況をうちの母は理解できません)誰が来るの、どっちから来るの、どこに行くの、そこまでついて行くの??私聞いてないのにいつも勝手に私だけが知らないことしてるし私だけ仲間はずれでいつもブーブー!!」

と空気読まずやかましいので、父が

「最期にお顔を見るってことで話しかけに行っちゃえば?司会者がそう言ってるし。」
と言いました。
「じゃお父さんもなにげに同行してっちゃいましょ。」
と父を道連れにおばさんのお顔をもういちど見に行きました。
ちょうどAさんがお焼香をしてる横につけたので、挨拶ができました。
父も、婚約保留中の彼が怒鳴りつけてた人を見られて、しかも結構部分的にMくんに似てるので少なからず面白かったようです。。。
世間は狭いですね。ほんとに。
悪いこと出来ませんよ!!

Mくんも、私とAさんが一緒に仕事をしてたことをどこらから聞いてたそうです。
こんなところで再開…

せつないですね。

明日は告別式にいってきます。
おばさんに私の命を助けてもらったことが何度もある。
最期のお礼を、しなくちゃ。

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