何度も書いてる、Y君のこと。
私が小学校を転校して戻ってきたクラスにいた、近所に住む、文武両道のY君。
私が転校から帰ってきて初めて同じクラスになった。
ほどなく、誰かが、Y君はNamiちゃんのこと好きなんだよと言った。
なんでまた私なんか。
そこから何をどうしたらそういうことになったのか、私がY君を好きだということになり。
文武両道、私が知ってるY君は11歳くらいから15歳まで。
自己評価が低く、親にも
「今すぐ*ね、この穀潰し!!」
と、母に言われまくったり、男親には体を弄られまくってて嫌で嫌で暴れてたわたし。
「私はこの世に生きてる価値がない、消え去るべきできそこないなんだ。」
と、刷り込まれながら同時に
「Namiはそれなりに美人に育ったけどおっぱいが小さいからお父さんが揉んでやる。大きくなるはずだ。」
というアホ父に触られ続けて男嫌いになり、まだ小・中学生の時から週刊ポストとか(エロ写真とエロ記事だらけ)、表紙で女の人が薄着で悶えてる小説を読まされてきたわたくしです。
結婚する気がないのは、親による英才教育で、自分にはこの世に生きてる価値がなくて、お友達と一緒に食事に行ったり、お友達の家にお泊まりするのも
「うちの恥さらしになる!誰が行かせるか!今すぐ*したいほどのこの世の恥なのに!!こっちが*にたくなるわ!絶対許さん!!!!」
と、言われ続けたのを守ってるからでーす。
誰に顔を褒められたって、私のめんどくさい性格を知ったらどうせみんな去っていくから彼氏いらな〜い。
そんなわけで今後も子供を持つ機会もないでしょう。歳も歳だし。
子供は好きです。
けど、私には家族を持つ資格はない。
そう刷り込んだのは他ならぬ私の親です。
私の友人知人の子供たちの多くが、中学生以上になってきました。
環境や性格の違いはあるでしょうが、
「中学生男子ってこんなにママにべったりなの??」
と、驚くこともあります。
数ヶ月後には反抗期に入ってるかもしれないけどね。
何度も書いていますが、私の優しい思い出は、Y君のことばかり。
完全におばさんになった今思うと、Y君は少なからず私に興味があったのかもしれないな。
と考え始めました。
当時の私は静かに発狂を始めていて、精神科に入院したいと心底思い始めていました。
当時の精神科は今より差別的な扱いが強かったですし、田舎育ちの両親には、自分の娘が精神科に入院なんかしたら人生終わる。みたいな感じでした。
四面楚歌。
味方は誰もいない。
そんな毎日を、Y君の顔を見ることで乗り越えられた。
見てくれてたから。
私を。
声はかけなくても、ギリギリまで振り返って私を見ながら去って行ってたから。
今更分かってきたこと。
Y君の家族の中でも多分ゴタゴタがあった。
中学卒業と同時に私とはもう会えなくなることになった。
そして、第2ボタンを残していた。
当時は、そう思うのは私の思い上がりだ。と、思ってた。
けど、最近は。
15歳の少年。
想いと態度は、少女たちよりかなり単純でシンプルなはず。
「ひらきなおる」ことでショックをやり過ごすことにしたと書いた少年は。
40代半ばになった私には、なんていじらしい。
遠くに行く理由を誰にも話さず、「出会いと別れ」と開き直り、第2ボタンだけは誰にも渡さず、もしかしたら、もしかしたら私を待っていた。
それを、完全におばさん目線から考えると。
15歳の学ラン姿の彼を抱きしめて
「寂しい?寂しいよね。今日は男が泣いても許される日だから、泣いてしまえ!」
と、泣かせてしまいたい。
もしY君が一大決心をして私に何かを伝えても。
「いますぐ*ね」
と言われ続け殴られ続けてた私では、受け止められなかった。
私の命尽きる前に、会いたいよ。
もし今のY君の心のどこかにまだ私がいたら。
「尊敬してたよ。大好きだったんだよ。」
と、伝えたい。
いつかその日が来ると信じながら、今日を生きて、来年を想ってる。
15歳。
わたしたち、ずいぶん辛い想いを抱えて15歳を過ごしたんだね。
1秒でも早くY君と再会して、とにかく何を言うよりも先に抱きつきたい。
ず〜っと会えてなくても、Y君がいなかったらわたし、何も頑張らずさっさと消えていたよ。
どうしてこのネットの時代に、再会に届かないんだろう。
居場所はわかってる。
けど、そこに突撃なんかしたら警察に通報されちゃうからね。
自分の個人的な情報をSNSに何も出してないんだもの。
いつか。
いつの日か再会できた時。
誰が言ったか知らないけど本当か嘘か知らないけど、私のことを好きだったという幼かったY君が、40代半ばになった私を見て、同世代の他の女性より綺麗だと思ってもらえたら、いいなあ。
...と、いっても、舞台業界は裏方の人でも年齢不詳がちなので、頑張らなくても現在既に10歳は若く見られてるんですけども...
若く見られすぎて結構いろいろめんどくさいので最近は年齢を推測される場面になると自分から実年齢を言ってます。
同業者からは
「あ〜。そっち側か。だいぶ若く見えますね。」
というくらいの反応で済むのですが、一般の方からは態度を豹変されたり、あと、もうそういう状況に身を置かないようにしてるので最近はそれで悩むことはないのですが、女というものは本当にめんどくさいタイプが多くて。
「いい気になってる。むかつく。」
(いい気になるなんてそんなめんどくさい思考回路ないんだよ〜。ただ楽しく過ごしてるだけだよ〜。なんなんだよ〜。)
「媚びて贔屓されて、むかつく。」
(媚びるなんてそんなめんどくさいことしないよ〜。素の態度で接してたらなんか楽しんでもらえてるみたいだし自分も楽しいから普通にしてるだけなのにいちいち突っかかってくるなよ〜。楽しそうに見えるらしい会話の間にわたし相当毒吐いてるし〜。それで勝手に嫉妬してわけわからん喧嘩売ってくるなよ〜。売られた喧嘩は買うぞ?どうせ買ったほうが悪者にされるんだぜ、ああめんどくせ。)
ほんとに、こうなんです。
若く見られるって。
ネットでこういうこと書くと叩かれそうですけど、私はよく美人と言われてきました。
全然そうでもないんですけど...
地味顏ですし...
他人が言うのはお世辞だと完全スルーしてましたが、私の存在を完全否定する母。
「いますぐ*ねこの世の恥!!」
と、言葉の暴力と殴る蹴る。喘息発作などで何度も死にかけても
「あんたが救急車呼ばないでって言ったからご近所に迷惑かけたのよ!!」
という作り話を平気で吹聴する(そしてそれは母自身の信用を身近な方々から完全に消し去っていった原因であることに全く気づいてない。お気楽のようにも見えるけどあまりにも社会性に欠けた孤独で哀れな人。)
そんな母親が、私の顔だけは褒める。
面長、鷲鼻(魔女の鼻と言われたこともある)、広過ぎる額。小さな眼。
どこが美人じゃ。魔女の鼻なのに。
幼少期は地黒だった肌ですが、この業界に入って野外現場の仕事でない限りは暗闇に引きこもってるからか、幼少期に比べたらかなり色白になった顔。
(他の部位は日焼けはしなくても打撲と擦り傷切り傷が酷くて虐待でも受けてるみたいなのでもう生足はもちろん薄手のストッキングでもスカートはけない。)
こんな。
こんな。
11歳で出戻り転校してきた私のどこを、Y君は好きになったんだろか。
出戻りだったので転校前からの友達もたくさんいて、すぐに馴染んで、すぐに学級委員をさせられた、わけのわからない立場だった、わたし。
子供の頃は大人びた顔だったので、年齢相応の可愛さは全然なかった。
ただ、よく言えばハキハキ、別の言い方をすればズケズケものを言って、クラスを整列させるために、転校中に神戸で身につけた口の悪さで
「ゥオラ早く並べっつってんだろグズグズすんなホレホレホレ。さっさと行くぞついてこい。」
こんなかんじでしたのです。
ちなみにこの手法は中学校までは通用しましたが、県立女子校では、完全に無視する連中も数多く、すげーめんどくさかったです。
こんなに荒っぽい、時には誰かを無茶苦茶に傷つける言動をし、走ればビリ、運動会は地味に応援に専念。年がら年中学級委員長、時には生徒会に教師から無理やり立候補させられて超頑張って落選。
全校集会での何かの議題ですげームカつく内容があったので、意見を言いにマイクの前で喋ったら、早口すぎて聞き取れないので何言ってるのか全然わかりませんはい次!という扱いを受けた。
私の。
どこが。
よかったの???
ただの変人じゃないですか。
それでも。
家は超近所なのに、部活の朝練が関係なくなった(私は2年から帰宅部だったけど)3年生の時は登校時に2人だけですれ違う逆ルートで定時に。
帰りも、ときどき、すれ違ってた。
挨拶くらいすればいいのにね。
できなかったね。
15歳だもんね。
今の15歳よりシャイだったよね。
たぶん。
あれから30年が経とうとしている、私たちが1年間毎朝すれ違ってたあの場所。
今も私は毎日通る。
一応通っちゃいけない植え込み部分をくぐって出てきてたY君。
そっちのほうが近道だったからね。
それを横目で見ながら普通の道を迂回してたわたし。
ただ、それだけのこと。
ただ、それだけの優しい毎日。
今も、植え込みを抜けてくる学ランを着たY君の姿を幻に見る。
3年生の時だったかな。私は原因不明の白血球激増と黄疸で、通院のため、たしか火曜日はしばらく、毎週遅刻をしていた。
学校に行く時間より少し遅い時間に病院に向かうので、その時間を待ちながら、窓から、Y君が通るのを待って見ていた。
Y君は通り過ぎながら私の部屋を横目で見てくれてる。
と、思って幸せな気持ちで通院してた。
通院の日は、幸せな日だった。
検査と診察を終えて病院から学校へ直行すると、Y君のクラスは体育の授業のため移動で昇降口に大集合。
逆流して校舎に入る私。
Y君のクラスの明るい男子たちがときどき声をかけてくれる。
(当時、女子たちは体育館での授業だったので昇降口に来てなかった。)
某男子「あれ!?今来たの?」
私「うん、病院に行ってきたの。最近毎週なんだ。」
某男子「そうなんだ、早く元気になれよな!俺たち今から体育!」
私「うん、それはわかるw」
某男子「いってくるぜ〜!」
私「おう!怪我しないようにね!」
某男子「あたぼーよ!!」
そんな明るい会話を、Y君は横目で見てた。
たぶん...?
今の言葉で言うとY君はツンデレなのだろうか。いや、それは思い上がりが過ぎるだろうか。
普通のシャイな15歳だったのかな。
心の底から、優しい気持ちでほっこり笑顔が浮かび、体は辛いけど学校は楽しいな。だってY君がいるし、愉快な子たちもいるし。
なにより、家に帰ったら私の人間性を完全否定する罵詈雑言と突然の殴る蹴る。私は当時
かなり痩せていたので太らせるために大量に食べさせられ、更に宗教的な栄養剤を毎食後両手いっぱい飲まされ(これが体調不良の原因でもあったっぽい)父には体を触られまくる地獄しかなかったから。
塾の話も前に書きました。
Y君とはレベルは同じなんだけど違う曜日のクラスに通ってました。
ときどき都合でY君の曜日に行ったら、勉強した記憶がない。
(教室が違っても)
そして苦手だった数学の立方体とかの問題が全くわからず、とりあえず高校には行けたけど結局数学からは脱落。
あはは。
中学生の私に、生きよう。明日はY君に会える。
そうやって明日を生きる楽しみをもらって生き抜いた。
15歳で離れ離れになって。
いつか会える。
きっといつか会える。
と、願っても、成人式にも、某SNSで再会した母校の集まりにもなにもかもに、Y君は来たことがない。
会いたい。
会いたい。
少年はもうおじさんになってるでしょう...
私もすっかりおばさんです。
けど、再会できたら、15歳の時に、ほんの少しの間でいいから戻りたい。
15歳の少年の思い出を糧に生きてる40代のおばさん。
みっともないね...
けど。
本当のことだから。
遠くに行くことになった時、人知れず泣きましたか?
お友達と進路の話になったとき、Y君は誰にも何も言わなかったと、近しいと思われる同級生たちに聞きました。
だから、誰もY君の現在を知らないようです。
誰にも言わない決意の理由は...?
私自身も15歳の頃は理解できない、認めたくない現実ばかりでしたが。
今はもう。
15歳の少年が、ショックと悲しさと寂しさを紛らわせるためにとった手段が
「沈黙」
だったのだと、想像できます。
第2ボタンだけ残ってる。と、大勢の人が気づくようにしていたのは何故?
別に何を考えてたでもなく、第2ボタンをあげたい人って誰だろな〜。
と、ぼんやりしてただけかもしれない。
15歳だもの。
15歳。
子供です。
今となっては、いじらしい。
あいくるしい。
優しい、文武両道で、悲しみと寂しさをを1人で背負いながら一人ぼっちで進学した。
少年。
会いたい。
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