2019/08/17

近況の一部分

毎日、あついですね〜...。

ブログに書きたいと思ってることが溜まってるんです。

●アニプレックスで劇場版シティーハンターのグッズを購入したり

劇場版 シティーハンター | ANIPLEX+

●『ポーの一族展』を見に行ったり

デビュー50周年記念 萩尾望都 ポーの一族展

●「みんなのミュシャ」を見に行ったり

みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ― 線の魔術


インドカレーを食べたり、いろんなところでモーニングセットを食べたり。

だけども〜

つかれました...。

仕事に行くとお弁当をいただくので、家で何か食べたい時はキムチばっかり食べてます。
食物繊維と、塩分と、乳酸菌も摂れるの?
あとはビールか発泡酒ばっかり。

8年くらい前から、無糖の炭酸水を好んで飲むようになりました。

なかでも私のいちばんのお気に入りは、ゲロルシュタイナー


 ←楽天に飛びます。

  ←Amazonに飛びます。


水なのにゲロって名前はどーなのさ!
...と言ったところでドイツ語だからしょうがない。
私は硬質の水は苦手だと思い込んでいて、更に強炭酸も苦手だったはずなのですが。
何のきっかけだったか完全に忘れましたが、飲んでみたら、しゅわしゅわ感からくる清涼感がたまらなく。
糖分のあるサイダーではないから飲んだ時も後味もずっと爽やかで。
しばらく常温に放っておいても美味しく飲める。
ただし。
高い!!
高いんだよ!!!

まあ、しょうがない。
強炭酸だから、ペットボトルも強めに作らないといけないだろうし。

話題の炭酸水メーカーも気になりますが、逆に面倒なので、導入しません。
ネットで日用品を購入するついでにゲロルシュタイナーも注文しています。

キムチの塩分と乳酸菌と、炭酸水の水分とミネラルで。
熱中症予防、できてるかしら。
かしら??

ぐったりしながら着付けのお稽古へ。
今年は浴衣を着る機会を作れなかったので、特に意味もなく浴衣を着る日を作り。
そのまま着付けのお稽古に行きました。

お稽古(教室的にはレッスンと言うのですが、和物の習い事はお稽古と言った方が自分的にしっくりくるのです。)の内容は、やったことある内容なのだけどもっと便利にアレンジされてるところ。
......覚えてしまえば超絶便利なのだとおもいますが、そこに至るまでの手順をなかなか覚えられず、じたばたじたばた。

「わかんなくなりました〜!!」
「なんか違ってる気がします〜!!」

と申すと

「なんかどころじゃなくて全然違うわよ。」

と、何度も教わる始末です...。

そして浴衣を着て帰るときに、先生に帯を結んでいただきました。



この浴衣、倖田來未さんプロデュースのものでした。
全然知らずに買ってました。
蝙蝠柄なんて誰が着るんだよ!
あたし似合うよ!!
と思って購入して一年ほったらかしてました。
着てみるとそれほど奇抜でもないものですね(当社比)。


これ着て帰宅途中。
なんか汚らしいおばさんに話しかけられました。
普段は私自身が汚らしいおばさんなのでこういうふうに言いたくないんだけどさあ。

白髪混じりのボサボサあたま(人のこと言えない)。
たるんだ皮膚(おばさんだからしょうがない)。
すっぴん(私も普段は見た目ほぼすっぴん)。
ヨレヨレのTシャツ(私も普段はヨレヨレTシャツ。)

なんかジロジロ見られてて、何なんだ、と思ったら話しかけられ。

私は知らない人によく話しかけられるのですが、日本人じゃないと思われて話しかけられるのが9割以上なので、日本人らしく浴衣着てるのに今日は何なんだ?と思いながら聞くと

「おねえさんそれ誰が着せたの?」

「(はぁ?仕上げは先生だけど)自分で。」

「それ左前だよ?死装束だよ??」

「(はああああぁ??はあああああああぁぁぁあ??)いいえ、これであってます。」

「えええ??」

「これは右前です。あってます。あってます!!!」

「はぁぁ(どっかいった)。」

あったまきたね。
花火大会とかないのに浴衣着てるのも珍しいでしょうし、蝙蝠柄なんてそりゃもっと珍しいでしょうけども、ただ単に見られる分には何にも気にしませんが、こんなわけわかんないこと言われたらあったまきますね。
もっと絡んできたら先生に電話して言い返してもらおうかな、それとも近くにある別の和装の学校に駆け込もうかなと覚悟したくらいです。
そしたらかなりあっけなくどっかいきました。

右前とか左前とかの言葉だけだと勘違いする人もいると思います。
自分から見て右側の身頃が自分側にくるから右前。
とか、右を「先に付ける」から、時間的に右が先だから右前。
とか、いろんな覚え方があるようです。
私は中学生くらいのときに

「正面から見てカタカナのソの字」

と、覚えました。
改めてネットで確認すると。

「正面から見て「y」Yの小文字」

と、ありました。

まあ覚え方はいろいろあり。
私みたいにまだ下手くそであっても一応1年半以上習ってて今更そこは間違えませんて。
逆に左前に着ようと思ったら着られませんっての。

あ〜!!!!

あったまきた、あのババア。

わたし、めったに女性を蔑む具体的な言葉を発しないのですが。
今回はさすがに頭にきたね。
あれでとっとと相手がいなくならなかったら喧嘩買う気満々でしたが、もし相手がヤバい輩だったら危害を加えられてたかもしれないし。。。

もっとどっかで恥かきやがれってんだ。ババアめ。



はぁ。

それでも着物は楽しいよ。


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2019/08/13

namiあなた疲れてるのよ。

こんばんは。
ちょと疲れてるワタクシです。。。

今月はありがたいことに本業のお仕事をたくさんいただいてまして。。。
自分担当の現場はないんですけども。
技術系フリーランサーに、労働基準法とか働き方改革は関係ありませ〜ん!!
クライアントの方で働き方改革についてきちっと考え実践に進められているところは、稀ですがないことないです。
そういうところのお仕事だと、8時間勤務したら帰されたり、割り増し料金を請求できたりします。
が、この業界、個人事業主がウジャウジャしてるのもあり、そんな対応してくれるところは極々稀です。

ま、フリーランサーは自己責任でスケジュール組むわけで。
ちょっと辛いけど、この日の案件はかなり楽っぽいから、ここで疲れを取ろう。

...と思ってたところでやられました。
大元のクライアントが、馬鹿。
馬鹿という言葉を使うのには馬と鹿に失礼なくらい。
バカ。

つかれました...
いや、ね。
びっくりするくらい楽な現場もありつつではあるんですけど、楽とはいえ基本的に12時間拘束ですし、進行状況を確認しながら動くタイミングを常に伺いながら。

ですので。

結局疲れるのです...。

更に連日の熱帯夜。

不眠症のわたくし。
保冷剤と扇風機を活用しながら寝ておりますが。
(寝室にエアコンがないので隣のリビングのエアコンをタイマー利用。)

扇風機の音で目が覚め。
保冷剤が溶けきって温まったり、なんかどっかやっちゃって暑くて目が覚めたり。

もう15年近く使ってるベッドのマットレスは安物で、スプリングがゴリゴリ。
けど新しいマットレスを買うには、選んでる暇が全然ない。
なので、スプリング付きマットレスの上に敷くマットレスを買いました。
ゴリゴリ感は解消されたんだけど、枕も古いからか。

背中が痛いのよ〜。

そんななかの、みっちりスケジュールな8月。
ありがたいやら...。
お金は欲しい。
体が辛い。
仕事を受けたからには休めない。
当然遅刻もできない。

となかんとか書いてますが。
先日は超絶待機時間だらけの日があり。
Wi-Fiが飛んでたので、先日、不本意ながら月額使用料を徴収され始めてしまったので見ないと損するぞどーしましょと思っていたAbemaTVで「おっさんずラブ」を配信していたので、延々と見続けてしまった...
あと2話くらい見れてないんですけども。
面白いなこれ(今更)。

うわーん。
おばちゃん疲れたよう。

そんな最近だからか、キムチを大量に食べています。
カプサイシン!!!

ああ、せめて暑さが和らいでくれたなら...

(ポカリ一気飲みしつつ)


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2019/08/09

『バインセオ・サイゴン』で、フォー・ボー・ハノイ を食べた。

有楽町イトシアにある『バインセオ・サイゴン』で、フォー・ボー・ハノイを食べました。



フォーはまあフォーで、「ボー」というのは牛肉のようです。
んで、ハノイでは青ネギをどっさり乗せるそうです。

ねぎ〜!!
青ねぎ〜!!!
どっさりぃ〜!!!

有楽町店 新グランドメニュー! | ベトナム料理 有楽町イトシア バインセオサイゴン有楽町・銀座駅徒歩3分 アジアンフード

以下のサイトは、なんなんでしょか、よくわかんないけど、ベトナム料理情報を集めているサイトなのかな。
以下のサイトに示されているように、にんにくの入ったガッツリ系もあるそうです。

ねぎフォーが帰ってきました!

野菜が国産なのは嬉しいです。

ここはほんとに女性客が多いです。
この日は平日の、会社員の方はお仕事帰りな時間帯。
カウンター席もあるのでおひとりさまは自動的にそちらへ。
店員さんは多分みんなベトナム人さん?
店員さん同士の雑談が賑やかなこと。
うるさいほどw

伝票は席に置かれないので、食べ終わったらレジに行って「ごちそうさまでした〜」と言えばいいシステム。
いちおう何を打ち込まれてるか確認しましょう。

冷たいハス茶がおいしいんだなぁ!

わたし、ここではフォーしか食べたことがないので、今度はバインセオを食べたいです。
けどきっとちゅるちゅる麺を求めてしまいそう。

フォーのお店ってもっと増えたらいいのになぁ。
私の行動範囲では、最近はコムフォーとここばっかりです。
2ヶ月に一回くらい、ハノイのホイさんの近くを通りますが、とっとと帰りたいのでスルーしちゃいます。。。

むむむ。
夜中に更新してたらおなかすいてきた。
今食べちゃだめだっ!!

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2019/08/05

虐待児だった私が楽天家なフリーランスになったのは何故なのかしら〜。

自分語りが続いております。

分かってくれてる人は、今でも通ってる精神科の先生と、ぐちゃぐちゃだった時にお世話になったカウンセリングの先生。このお二人だけだと思います。

虐待児は、私以外とは接したことがほぼないんですけども。
破滅的な人生を送ってしまう方が多いのではないでしょうか。

私はそれなりに優等生でした。
幼い頃は。
もはや見る影もなく。

小学生時代はまあ普通に。
給食の時間と体育が嫌いで、出戻り転校した時の6年生の時の担任がクレイジーで、売られた理不尽にできる限りの反撃をしていました。
中学生の時は、たぶん両親からのストレスで壊れかけてて、喘息に加えて原因不明の病気(白血球が激増してるんだけど白血病ではなく、内臓疾患でもなかったらしい。医者と看護師が精神科の受診を勧めたらしいけど、例によって「うちの娘がキチガイ病院なんて!!今すぐ死ねば?この世の恥めが!!!」的な扱いを受けて放置されました。はい、通常営業で殴られてます。)。

口が悪いのと、大人にとって都合の悪い「素直」すぎて

「あんたキチガイ???」

とも担任に言われてました。
母からはずっと言われてました。

私は悪いことを言った気は全くないので、シレッとしてます。

家が嫌すぎて、何度も家出を考えましたが、当時は喘息が酷すぎてすぐ死にそうなのでどうしようかしらと思ってました。
親族はほぼほぼ九州にいるので、交通費がないよ。
ヒッチハイク探してる間に補導されるでしょ。
どうしましょ。
それに、家出して、捕まって、家に帰されたらもっと酷い目にあう...。

高校の時はなんとかやり過ごして...
大学に入って親から逃げて...
人間関係の作り方がわからずシクハクして...

んでね。
それ以前に、たぶん、辛すぎる日々を乗り越えるべく「よかった探し」をする性格になってたみたいです。

先生に怒られたけど、みんなが楽しかったならよかった。

失敗しちゃったけど、次回の教訓になるからよかった。

誰かに嫌われちゃったけど、なんで嫌われたのか全然わからないけど、変ないじめは受けてないから、いっか。

みたいな。

なんでもかんでもネガティブに捉えたり、うまくいかなかった人間関係から速攻逃げてたりなんかしたら、な〜んもできない。

それで、なーんもできない状況に自分を陥れて、他者を受け止める心が一切ないうちの母は、もう無理です。

私は「組織」が苦手なのでフリーランスをやっていますが、フリーランスは多種多様な人と関わらなくてはなりません。
そして私の本業は、時に、クライアントの脳内イメージをキャッチした瞬間にそれを再現できないと文句言われます。

会話だって、とりあえず聞いてるふりして相打ちしてればいい人と、うんちくが長すぎる人と、無茶振りが酷すぎてたまにツッコミ入れてみるけど全く功を奏さない人、などなどいろんなタイプがいます。
どんなタイプなのかというのは話してみないとわかりません。

雇い主がしっちゃかめっちゃかすぎて、業界常識を完全無視して暴走するおじーさんとか、仕事が雑すぎる方とお仕事するのはもうやめようと思った今年度です。

んで本題。
私は、人間としての基本的マナーとか態度とか片付けのコツとか料理とかなんだかんだを親からは一切教えてもらえず、アルバイトも完全禁止され(学校が禁止してたのもあるけど、うちの親は、私のようなこの世の恥は他所様に見せると自分が恥かくという理由で籠の鳥以下のほぼ座敷牢で生きてきました)完全に籠の鳥でした。
それも、むっちゃ狭い籠ね。

私は27歳くらいの時から精神科の患者です。
私のようなタイプの虐待児は、、もう相当ヤバいらしいのです。
けどね、2人の医者も不思議がっていますが、私は何故かグレなかったんです。

なんなんでしょね。
対人的に、ムカつく事言う輩にはビシバシ言い返しまして、それを悪とする人もいるようですが、私は
「この程度で傷ついてって、どないすんねん。」
という姿勢が増えてきました。

それはね。
私が楽天家だからなんだと思います。
なんで楽天家になったかというと。
実の両親が思考も行動も融通が利かない人で、視野が狭く、とてつもなくつまらない人たちなので。
もう親に何かを愛うことは完全に諦めて、誰かの信用をひとつづつ、増やしていって、私の現在があります。
新しい出会いは楽しい。
けど、自分の得にならない(技術も金銭面も合わせた意味の「得」)関係は、ばしばし切っています。

そうしていくことによって、

「なんとかなるさ!」

な性格が構築されたんだと思います。

カウンセリングの医師に言われたこと。

「現実が辛すぎるから、演劇という架空の時間を自然に求めていったのかもしれないね。」

ああ〜
それだぁ。

どこかの会社に入ることは可能ではありますが、会社というコミュニティに縛られたら、やりたいこと、できない。

辛い仕事が待ち受けていて気持ちがダダ下がりの日、みなさんはどう過ごしますか?


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2019/08/04

家族愛を知らない私。少年の心を今、想う。

今日もまたY君の話を書きます。

...と言いつつ別の話から始めます。

高校野球のお兄さん達の年齢を超えて、20代の頃は、高校球児のことをまだ「お兄さん」と思っていました。
監督やチームの仲間達、練習をサポートする親御さん達、応援する吹奏楽部や応援団。
大勢の方々に支えられて甲子園にやってきた球児たち。

試合を生で見たことはないです。
近隣の高校が割と甲子園常連校なのですが、壮行会はまだしも(って見てないけど)あとちょっとのところで負けて帰ってきたとき、ショッピングモール前の広場で報告会が行われます。

まー、選手たち、泣いてます。
ベンチチームも泣いてます。

それを、私が20代の頃は、彼らは私より若いけど、心の強さは私以上だと思っていました。

それが、いつからでしょうか。

時々テレビで地区予選を見て、勝ち残れそうにないチームも全力で挑んでいる姿が、かわいいなあ。
と思えるようになってきました。
アナウンスで、選手の性格や背景を話したりしますよね。
それが、まだ未熟だけれどもその選手の存在をがっしりと認めている感じが。
まだ10代の青年たちなんだなあ。
悔しかったら泣くんだなあ。

って。

私は女子高だったので、そういう男子高校生をまぢかで見たことはありません。
もし私が共学の生徒だったとしても、たぶん彼らをとても俯瞰的に見ていて、勝ってこようが負けてこようがスルーしてたと思います。
自分自身が同世代だったらね。
めんどくせー男。
と、思ってたんじゃないかしら。

高校球児たちが、私が子供を産んでたらとっくにそれくらいの年齢の子供がいるであろう、このようなおばちゃんになったら、そのあたりがすっかり変わりました。

強気に勝負に出るのもかわいい。
悔しくて泣いちゃうのもかわいい。
迷って動いた結果の是非に悩む表情もかわいい。

...完全に、おばちゃん目線ですな。

そのくらい、高校球児たちを、お兄さんではなく、まだ心も体も揺れている子供たちだと感じるようになりました。

かわいいねえ。
悔しければ泣いてしまえ。
そして余計なお世話かもしれないけど、マネージャーとか、応援の吹奏楽の生徒や、チアガールの生徒たちの誰かを、高校球児たちの誰かが好きだったら。
好きな誰かがわざわざ甲子園まで来て、灼熱の空の下、試合を細かく見てスコアをつけている姿や、吹奏楽部は灼熱の空の下楽器が火傷しそうに熱くなってチューニングがわけわからなくなってるというのに延々と演奏をし続けて。
チアガールなんて、先入観ですが、おめあての選手がいるからやってるんじゃないでしょか。
実は選手の誰かの彼女だったりして。
ないことないでしょ??

私はそういう恋って全くわからないけど。
ないことないんでしょ??

少しずつ、思い出してきたのです。
小学校を転校して、2年ちょっとで戻ってきたわたし。
戻ってきたクラスにいたY君。
近所なんだけど、Y君は子供会に入ってなかったのもあって、というかたぶんいろいろ習い事してて、クラスも違ったので、私が転校から戻ってきてはじめて接触したY君。
私は出戻り転校生だったので、7割ほどの同期生は記憶にあったんだけど、Y君はよくわからない子でした。
英才教育受けてるっぽいけど、見た目はみんなより幼い印象の。

まあたぶんみんな転校生は珍しいですよね。
私は出戻りなので、転校前からの友人たちが構ってくれて、転校生だっつーのに気がついたら学級委員にされてたり...。

戻ってきた環境で、誰が同じクラスで?
誰が転校しちゃったの?
誰それちゃんは何組なの?
そんなワチャワチャをしてるときに、転校前から私を知ってた男の子たちもいろいろ話しかけてくれて。

話は飛びますが、私はとても蚊に刺されやすくて。
刺されたらものすごく腫れて数日ひかないタイプ。

何かのときにまた蚊に刺されて。

「やられた〜!!かゆいよ〜。」
と、とりあえず腫れにバッテンつけたりしてるときに

「キンカン塗ればすぐ治るよ!!」

...と言ったのはY君だと思うんです。
うちは虫刺されにはウナかムヒだったので
「キンカン??」

と、驚いたものです。
すさまじくどーでもいいことです、はい...。
ただ、出戻り転校して、私のことを前から知ってる友人たちはともかく、Y君は転校前の私とは関わってないと思うんだけど、よくキャンキャン言ってるな〜と思ってました。
Y君、当時も、文武両道だったと思うのですがなにしろ小柄の坊ちゃん刈りで。

出戻ってきた私は中学生になっても問題児でした。
変に賢かったのと(当時に限る)、育った環境故。
口がとても悪く。

前にも書いたことがあると思いますが。
今だとプリクラ帳とかなのかなあ。
わかんないけど、私の頃は小学校を卒業する時「サイン帳」に何かを書いてもらうのが流行っていました。
A6サイズくらいの2つ穴バインダーに、名前とか、好きな食べ物とか、趣味とか、なんかそういうプロフィール的なものを書くフォーマットがあるやつで、それにいろいろ書いてもらってマイアルバムにするんです。
サンリオショップとかの雑貨屋さんで売ってました。
ほぼ女子に流行ったことですけどね。

フットワークの軽い男子は、ささーっと書いてくれて、気の利く連中は適当に写真探してきて(当時はチェキもないので、写ルンですで撮ったけどいらない、自分が写った写真を切り抜くとかが多かったのかな)すぐくれたんですけど、Y君はいつまで経ってもくれなくて。
私も結構しつこい女子だったので、小学校の卒業式くらいまで
「サイン帳ちょうだい!!」

と、言い続けてたのですが、Y君はニヒルに笑って(坊ちゃん刈りの小柄君だけど)スルーされてました。

なんか当時から私がY君のことを好きだということになっていたらしいのですが、文武両道で尊敬はしてたけど、なんにも言ってないし、そこらへんは未だに謎です。

そしてこれも以前書きましたが、中学校に入って私とY君は全然違うクラスになりました。
だけど、お昼のお掃除の時間の担当エリアが隣になりました。
たぶん、エリアを1人で任せてもちゃんとやるタイプが、1人1エリアを与えられ、集団でないと動けないタイプが教室内とかでチーム組んでやる担当になったんだと思います。

わ〜。Y君の隣が私の担当エリアなの??
なんでまた。
と思いつつ、サイン帳コンプリートを目指したかった私はお掃除場所の担当になって3回目くらいのお掃除の時間にY君に

「サイン帳書いたのちょうだい!」

と、言ったのですが、何も言わずにニヒルに笑うだけなので、もう諦めました。
もう、いいや。
無視してるんじゃなくて薄笑いでごまかしてるわけだから、くれる気ないんだろな。
もう、いいや。

それからは、お掃除の時間に会っても、何も言わないことにしました。
だってY君がだんまり続けるんですもの。
ばかばかしくなって。

ある時、私のいるクラスのお掃除エリアでささいなことがあって教室に戻るのがY君たちより遅くなった時。
Y君、自分の担当エリアで集めたゴミを円錐状にして、私の担当エリアに、とてもきれ〜〜〜いに積み上げてくれていました。

おい。

...。

その時は戸惑いしかなかったんですけど、もはやあの年齢の子供がいない方がレアなおばさんになったら。

Y君なりの「構ってアピール」だったのかな。

と、思うようになりました。

あのゴミどうしたんだっけな。

「おいこらあいつめ。優等生っぽいクセに悪さしやがって。」

と思いながらちりとりで回収して捨てたんだったかな。

青春ドラマ的には

「も〜Yくんっ!自分とこのゴミ、私のところに寄せて帰ったでしょう!なんでよっ!自分のところのゴミは自分で片付けてよね!ぷんすか!!」

が定石なのでしょうけど、13歳か14歳のY君に言ったところではぐらかされるだけだろうから無視しちゃいました。

Y君はどうして私に構ったんだろう。

私は口が悪いし。
私がY君を好きだという噂もどこから出たのか未だにわからない。
尊敬はしていた。
けど、尊敬するにあたるほどY君の行動を見るようになったのは、私がY君のことを好きだという噂で安定したらしき頃からでした。

中学2年生の時。
3年生の送別会で、2年生がちょっとした劇をやりました。
私は今でこそ舞台のお仕事をしていますが、当時はまさかそんな仕事につくとは一ミリも考えていなくて。
ただ単に、

「バラバラだったクラスが気持ちを一つにして美しい合唱を成功させる」

的なお話だった気がするんだけど記憶に自信がない。

9クラスの中の数十人が有志として集まってくれて、今も不思議なのですが私は演出のポジションで(当時はそんな仕事のこと全く知らない。)出演者は結構やんちゃ君が多くて人の言うこと全然聞いてなくて大変だったのですが、何故かそのやんちゃ君が多い出演者の中にY君がいて。
セリフはないです。完全にモブでした。
けど私の手に負えない制御をスルッと、大声を上げることなくしれっとこなしてくれてました。
私は当時は大声で叫びすぎるタイプだったことをなんとか修正したくて悩んでいたので、Y君みたいな人がいると助かるなあ。
と、思ったのでした。

15年前くらいはそんな、Y君の行動が理解不能だったのですが。

15歳の少年の、けなげな行動だと解釈したら。

お母さんとしては、そんな可愛い息子に変な女がくっついてきたら嫌だよね。
(バーチャルお母ちゃん妄想中。)

高校は遠くに行ってしまうのでもう会えない。
二度と会えないかもしれない。
その開き直りをY君がいつしたのか知らない。

Y君が第二ボタンだけ残して誰かを探していたという数人からの情報。


べつにね。
わたしがね。
言えない言葉を引っ張り出すためにがんばる必要はないんだよ。

伝えたいことがあるのなら。

自分で言いに来ればいい。

Y君は、来なかった。

ただ、それだけのこと。

親に心を殺された私は、Y君に「好き」と言える資格がなかった。

あれから30年。

Y君は私を探してない。

少年はすぐに新しい恋をする。

適齢期になれば結婚相手を決める。

それなりに稼いでいれば尚更。

私の中に生きている30年前の少年は、私の中にしかいない。


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