2019/08/04

家族愛を知らない私。少年の心を今、想う。

今日もまたY君の話を書きます。

...と言いつつ別の話から始めます。

高校野球のお兄さん達の年齢を超えて、20代の頃は、高校球児のことをまだ「お兄さん」と思っていました。
監督やチームの仲間達、練習をサポートする親御さん達、応援する吹奏楽部や応援団。
大勢の方々に支えられて甲子園にやってきた球児たち。

試合を生で見たことはないです。
近隣の高校が割と甲子園常連校なのですが、壮行会はまだしも(って見てないけど)あとちょっとのところで負けて帰ってきたとき、ショッピングモール前の広場で報告会が行われます。

まー、選手たち、泣いてます。
ベンチチームも泣いてます。

それを、私が20代の頃は、彼らは私より若いけど、心の強さは私以上だと思っていました。

それが、いつからでしょうか。

時々テレビで地区予選を見て、勝ち残れそうにないチームも全力で挑んでいる姿が、かわいいなあ。
と思えるようになってきました。
アナウンスで、選手の性格や背景を話したりしますよね。
それが、まだ未熟だけれどもその選手の存在をがっしりと認めている感じが。
まだ10代の青年たちなんだなあ。
悔しかったら泣くんだなあ。

って。

私は女子高だったので、そういう男子高校生をまぢかで見たことはありません。
もし私が共学の生徒だったとしても、たぶん彼らをとても俯瞰的に見ていて、勝ってこようが負けてこようがスルーしてたと思います。
自分自身が同世代だったらね。
めんどくせー男。
と、思ってたんじゃないかしら。

高校球児たちが、私が子供を産んでたらとっくにそれくらいの年齢の子供がいるであろう、このようなおばちゃんになったら、そのあたりがすっかり変わりました。

強気に勝負に出るのもかわいい。
悔しくて泣いちゃうのもかわいい。
迷って動いた結果の是非に悩む表情もかわいい。

...完全に、おばちゃん目線ですな。

そのくらい、高校球児たちを、お兄さんではなく、まだ心も体も揺れている子供たちだと感じるようになりました。

かわいいねえ。
悔しければ泣いてしまえ。
そして余計なお世話かもしれないけど、マネージャーとか、応援の吹奏楽の生徒や、チアガールの生徒たちの誰かを、高校球児たちの誰かが好きだったら。
好きな誰かがわざわざ甲子園まで来て、灼熱の空の下、試合を細かく見てスコアをつけている姿や、吹奏楽部は灼熱の空の下楽器が火傷しそうに熱くなってチューニングがわけわからなくなってるというのに延々と演奏をし続けて。
チアガールなんて、先入観ですが、おめあての選手がいるからやってるんじゃないでしょか。
実は選手の誰かの彼女だったりして。
ないことないでしょ??

私はそういう恋って全くわからないけど。
ないことないんでしょ??

少しずつ、思い出してきたのです。
小学校を転校して、2年ちょっとで戻ってきたわたし。
戻ってきたクラスにいたY君。
近所なんだけど、Y君は子供会に入ってなかったのもあって、というかたぶんいろいろ習い事してて、クラスも違ったので、私が転校から戻ってきてはじめて接触したY君。
私は出戻り転校生だったので、7割ほどの同期生は記憶にあったんだけど、Y君はよくわからない子でした。
英才教育受けてるっぽいけど、見た目はみんなより幼い印象の。

まあたぶんみんな転校生は珍しいですよね。
私は出戻りなので、転校前からの友人たちが構ってくれて、転校生だっつーのに気がついたら学級委員にされてたり...。

戻ってきた環境で、誰が同じクラスで?
誰が転校しちゃったの?
誰それちゃんは何組なの?
そんなワチャワチャをしてるときに、転校前から私を知ってた男の子たちもいろいろ話しかけてくれて。

話は飛びますが、私はとても蚊に刺されやすくて。
刺されたらものすごく腫れて数日ひかないタイプ。

何かのときにまた蚊に刺されて。

「やられた〜!!かゆいよ〜。」
と、とりあえず腫れにバッテンつけたりしてるときに

「キンカン塗ればすぐ治るよ!!」

...と言ったのはY君だと思うんです。
うちは虫刺されにはウナかムヒだったので
「キンカン??」

と、驚いたものです。
すさまじくどーでもいいことです、はい...。
ただ、出戻り転校して、私のことを前から知ってる友人たちはともかく、Y君は転校前の私とは関わってないと思うんだけど、よくキャンキャン言ってるな〜と思ってました。
Y君、当時も、文武両道だったと思うのですがなにしろ小柄の坊ちゃん刈りで。

出戻ってきた私は中学生になっても問題児でした。
変に賢かったのと(当時に限る)、育った環境故。
口がとても悪く。

前にも書いたことがあると思いますが。
今だとプリクラ帳とかなのかなあ。
わかんないけど、私の頃は小学校を卒業する時「サイン帳」に何かを書いてもらうのが流行っていました。
A6サイズくらいの2つ穴バインダーに、名前とか、好きな食べ物とか、趣味とか、なんかそういうプロフィール的なものを書くフォーマットがあるやつで、それにいろいろ書いてもらってマイアルバムにするんです。
サンリオショップとかの雑貨屋さんで売ってました。
ほぼ女子に流行ったことですけどね。

フットワークの軽い男子は、ささーっと書いてくれて、気の利く連中は適当に写真探してきて(当時はチェキもないので、写ルンですで撮ったけどいらない、自分が写った写真を切り抜くとかが多かったのかな)すぐくれたんですけど、Y君はいつまで経ってもくれなくて。
私も結構しつこい女子だったので、小学校の卒業式くらいまで
「サイン帳ちょうだい!!」

と、言い続けてたのですが、Y君はニヒルに笑って(坊ちゃん刈りの小柄君だけど)スルーされてました。

なんか当時から私がY君のことを好きだということになっていたらしいのですが、文武両道で尊敬はしてたけど、なんにも言ってないし、そこらへんは未だに謎です。

そしてこれも以前書きましたが、中学校に入って私とY君は全然違うクラスになりました。
だけど、お昼のお掃除の時間の担当エリアが隣になりました。
たぶん、エリアを1人で任せてもちゃんとやるタイプが、1人1エリアを与えられ、集団でないと動けないタイプが教室内とかでチーム組んでやる担当になったんだと思います。

わ〜。Y君の隣が私の担当エリアなの??
なんでまた。
と思いつつ、サイン帳コンプリートを目指したかった私はお掃除場所の担当になって3回目くらいのお掃除の時間にY君に

「サイン帳書いたのちょうだい!」

と、言ったのですが、何も言わずにニヒルに笑うだけなので、もう諦めました。
もう、いいや。
無視してるんじゃなくて薄笑いでごまかしてるわけだから、くれる気ないんだろな。
もう、いいや。

それからは、お掃除の時間に会っても、何も言わないことにしました。
だってY君がだんまり続けるんですもの。
ばかばかしくなって。

ある時、私のいるクラスのお掃除エリアでささいなことがあって教室に戻るのがY君たちより遅くなった時。
Y君、自分の担当エリアで集めたゴミを円錐状にして、私の担当エリアに、とてもきれ〜〜〜いに積み上げてくれていました。

おい。

...。

その時は戸惑いしかなかったんですけど、もはやあの年齢の子供がいない方がレアなおばさんになったら。

Y君なりの「構ってアピール」だったのかな。

と、思うようになりました。

あのゴミどうしたんだっけな。

「おいこらあいつめ。優等生っぽいクセに悪さしやがって。」

と思いながらちりとりで回収して捨てたんだったかな。

青春ドラマ的には

「も〜Yくんっ!自分とこのゴミ、私のところに寄せて帰ったでしょう!なんでよっ!自分のところのゴミは自分で片付けてよね!ぷんすか!!」

が定石なのでしょうけど、13歳か14歳のY君に言ったところではぐらかされるだけだろうから無視しちゃいました。

Y君はどうして私に構ったんだろう。

私は口が悪いし。
私がY君を好きだという噂もどこから出たのか未だにわからない。
尊敬はしていた。
けど、尊敬するにあたるほどY君の行動を見るようになったのは、私がY君のことを好きだという噂で安定したらしき頃からでした。

中学2年生の時。
3年生の送別会で、2年生がちょっとした劇をやりました。
私は今でこそ舞台のお仕事をしていますが、当時はまさかそんな仕事につくとは一ミリも考えていなくて。
ただ単に、

「バラバラだったクラスが気持ちを一つにして美しい合唱を成功させる」

的なお話だった気がするんだけど記憶に自信がない。

9クラスの中の数十人が有志として集まってくれて、今も不思議なのですが私は演出のポジションで(当時はそんな仕事のこと全く知らない。)出演者は結構やんちゃ君が多くて人の言うこと全然聞いてなくて大変だったのですが、何故かそのやんちゃ君が多い出演者の中にY君がいて。
セリフはないです。完全にモブでした。
けど私の手に負えない制御をスルッと、大声を上げることなくしれっとこなしてくれてました。
私は当時は大声で叫びすぎるタイプだったことをなんとか修正したくて悩んでいたので、Y君みたいな人がいると助かるなあ。
と、思ったのでした。

15年前くらいはそんな、Y君の行動が理解不能だったのですが。

15歳の少年の、けなげな行動だと解釈したら。

お母さんとしては、そんな可愛い息子に変な女がくっついてきたら嫌だよね。
(バーチャルお母ちゃん妄想中。)

高校は遠くに行ってしまうのでもう会えない。
二度と会えないかもしれない。
その開き直りをY君がいつしたのか知らない。

Y君が第二ボタンだけ残して誰かを探していたという数人からの情報。


べつにね。
わたしがね。
言えない言葉を引っ張り出すためにがんばる必要はないんだよ。

伝えたいことがあるのなら。

自分で言いに来ればいい。

Y君は、来なかった。

ただ、それだけのこと。

親に心を殺された私は、Y君に「好き」と言える資格がなかった。

あれから30年。

Y君は私を探してない。

少年はすぐに新しい恋をする。

適齢期になれば結婚相手を決める。

それなりに稼いでいれば尚更。

私の中に生きている30年前の少年は、私の中にしかいない。


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