2018/08/10

フリーランス...激忙でも負けてらんない!!!

なにがどうしてこうなってしまったのか
思い切って専業フリーランスになって数年。
私は喧嘩っ早い方なので、嫌いな人とのご縁をザックリ切りました。
(お客さんの前ではブチ切れられないので、裏で「あんたのこと信用できないからもう関わりません〜宣言。)
それから数ヶ月。

拾う神あり。
まさに。
そして旧知の人々が経験を積んできて、私を呼んでくれる。
...のが、続いております。

倒れそうよ...

私は婦人科系の悩みは全然なくて、月のものが来ても痛みに苦しむことはほぼなく、とてつもない眠気と怠さとやる気のなさが一気にかぶさってきて、
「ねむいよ〜。」
「なんもできないよ〜。」
って感じです。
月のものがくる前日から眠気の傾向があって、「ダメだ、眠すぎるしアタマ動かない!!」と思ったらすぐに十中八九、月のものが来てます。
不眠症の私ですが、この日だけは、とんでもなく延々と寝ます。
寝そうだから睡眠薬減らすこともあります。

今月は、来週の怒涛現場の準備と、来月のオペラ仕事の準備が重なって、更に野外現場とかとかとかあって、わけわかりません。
今この瞬間も、月のものの影響でパタンキューできるくらいフラフラなのですが、協力してくれる方々の現場での苦労を減らすために四苦八苦...

土曜日は5時起き。
わたし、割と聖徳太子できるタイプなのですが。

さすがに今回全然自信ない...

(バタンキュー)


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2018/07/31

人生設計...女の場合

何がどうしてこうなってしまったのか、四柱推命などに詳しい方によると、私は今年そういう年らしく。

忙しい!!!

仕事においては、思いきって自分から絶った縁もあるのですが、たくさん仕事を取ってくる知人からまるごと頼まれたり、年齢一桁からの幼なじみから相談を受けたり、20年来の先輩からカンパニーに巻き込んでいただいたり。
知人たちにも変化があり、それで私に仕事が回ってきたり。
で、自分でもわけがわからない忙しさになっている夏。
で、あります。

私は40代半ば子ナシ独身です。
時代が時代だったら非難されるんでしょうけども、こういう時代ですので、社会人経験20年を過ぎた今、フリーランスで生きていけそうになってます。

私は育ちに問題があって、生まれてきたことと、この世での存在を肉親に全否定されてきました。
誰かに大切にされる価値がなく、むしろ社会に悪影響を与えているという位置だと念仏以上に唱えられて大人になり、とはいえそう言われても生きていかないといけないから自分の考え方を変えたり、自分の立ち位置を変えたり、試行錯誤しての現在です。

たぶん社会的には異端なんだとは思います。
時代的には増えていても、私の育った家庭の経済状態と私の学歴からすると、少なからず異端サイドだと思います。

女性に限らず男性にもいるのでしょうけれども。
進学に際して、将来安泰が期待できそうな結婚相手と出会える学校、というのを前提に学校を選んだり、サークル活動でも、学内に同様のサークルあるのにわざわざ別の大学のサークルに入る友人たちの心境が当時は全くわかりませんでした。
それなりの大学に合格したけど本命ではないから浪人し、女子大とかに入学して、わざわざ東大や慶應早稲田とかのサークルに入るって。
そのサークルだったら、自分が入った大学にもあるんじゃないの?
なんで浪人して入った大学じゃないところのサークルに入るの。
授業終わって移動は相当めんどくさいんじゃないの??

と、思ってたら。

彼女たち、勉強のためにその大学に入りたかったんじゃなくて、その大学に入ったら東大とか慶應早稲田とかのサークルから歓迎されるからであり、そのサークルでは、未来有望な彼氏を見つけるために入るのね〜
そうなのね〜。
そういうことなのね〜。

そもそも小・中学生くらいの時から、進路においての考え方が全く違う人がいたんだな〜。
と、思ったものです。

私はたぶん根本的な性格が男性的だったっぽく。
育った環境の事情で恋愛がめんどくさくて色目で寄ってくる男は排除。
ご縁がなく、未婚のままミドルフォーティー。
友人たちの子は成人してる子もいる。
そんな嫁としての悩みや母としての悩みを持たず、自分で自分を養うために試行錯誤してミドルフォーティー。
そしてありがたいことに忙しい今年。
(たいして稼げないんだけど)

今は本業フリーだけで活動できてるから、割とこういうタイプの女性も多いんだけど、いわゆるふつうの社会の環境と思想の人は

『そんなに大変な思いして働かなくても、誰かいい人みつけて結婚すればいいじゃない。』

って、言うんですよね。

誰かいい人はたぶん既に誰かの夫です。
今更出会いを求めて活動して結婚したところで、もはや子供産めなそうな高年齢の女を専業主婦にして、たっぷり稼いできて安楽な人生を与えられるほどの男が、どこにいる〜!!
相手が病気やケガしたらどーすんねん。
高額な保険をあらかじめかけてあれば?
そこまで聞くのか?

「どんなお仕事をされてらっしゃいますの?」
「年収は?」
「貯金は?」
「ボーナスは?」
「資格は?」
「生命保険・医療保険の内訳と支払額は?受取人は私にしてください!!」

聞くんかいな。

今更。

結婚すれば仕事なんかしないで家でおせんべボリボリとご近所さんや親戚と雑談してればいいもんね!
...と、思ってる人が結構多くて驚いています。
まあ、私と近い考えの人は、ブログとかにいちいち書かないだけなんでしょうけどね。

生物的には雌は子を産む使命を全うすればいいんでしょうけども、人間はちょっと違いますので。
...なんて書いてるのも、異端な自分を正当化したくて主張してるだけでもあるのでしょうね。


なんかね。
ひどい女だと言われてもしょうがないんですけども。
結婚出産を理想的にこなして、子育てが一段落した人たちがね。

暇だから働こうと思って。」
「なかなか大変だね。」
「時給安いね。」
「人間関係が嫌ねえ。」
「Namiは自営業で自由に稼げて羨ましいわ。」

とかなんとか言われてもですね。
あなたがたが恋愛問題や家族問題や子育てで忙しい間に、20年かけて試行錯誤で構築した私の現在の仕事環境ですのでね。
勘違いされがちだけど自営業って全然自由じゃないしね。
あなたがたには「おかえりなさい」と言ってくれる家族がいるでしょうけども、私にはないからね。
ないものねだりかしらね。

結婚すれば夫が自分を養ってくれるって思ってる確信が私には理解不能。

人って、自分に都合の悪い考え方はただただ排除するのかしら。
だったらお互い様ですかね。


私の人生、結構辛かった。
けど、その時々で全力で立ち向かったし、逃げたし、すがったし、捨てたし捨てられたし。
肉親に対しては、右から左。
もう、無神経な牙をたてられても右から左、左から右へかわして、軽蔑するだけ。


笑顔の裏の苦しみを悟られる必要はない。
ただ、軽蔑するだけ。


尊敬できる数人の仲間がいれば、それでいい。


そういう女も生きていける今の時代に感謝です。

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2018/07/28

わかんない祭り( ̄▽ ̄) 別章

完全フリーランス6年目くらいなのかしら。
わたし。

だいぶ前から個人ブログ読むのは好きで、今でもいろいろ読んでます。
特にフリーランサーの方や、巨大企業勤務のなかでプライベートの生活やブログを会社とは切り離して丁寧に楽しんでいる方のブログは本当に興味深いです。

(そいでもね〜、貧乏ブログでスマホもない人や借金地獄と離婚危機の人が毎日それなりの長文を更新してるのはなんなんでしょね〜。たぶんモバイルwi-fiの類もなく、スマホ壊れて電話もできない人がなんでブログ更新できてるのかしら〜。。。
ああいうのがネタブログ??)


私は有名無名の芸能人と切った張ったのバトルもあったりしますが、それをわざわざこういう個人ブログでは書きません、ってか書けません。

普段は、テクニカル対応できる増員で呼ばれることが多いのです。

が。
今年はテキトーにはこなせない仕事がぼこぼこ月一ペースで来てます。
テキトーにこなさざるをえない現場もあり、名前を聞いただけで<私が>白目をむくような方が観に来てくださるどころかゲスト出演するかもしれない現場もあり。

売れてないフリーランスの仕事としては手にあまる仕事がどんどん増えてきたので、懇意の会社に機材とかトランポとか相談しつつの依頼しーの、詳細は直前にならないと決まらないので、機材的に時期的に出払いそうもない機材はキープしておいてもらいつつの、劇場入りしたら一番パニクり続けるのは私なので、増員メンバーが《見ればわかる》ようにデータを揃えつつ〜の、最も重要なのは私のオペレートの段取り。
ど〜しよ。
お〜ぱっきゃま〜お〜。

と、遊んでる場合ではないの。

自宅作業を能率的にこなす。
心が強くないと、できないね〜...。

技術は技術であり。
そこに至るまでの手間暇人件費は、たとえコンピュータを使っていても、制御するのは人間ですのよ。

私はLEDを含むデジタル機器でアカリを作るつもりはなかったのですが、使わざるをえない!!

時間もない!!!


やっちゃうから、できるんだと思われるんですけどね。
赤字、つっても「うちもお金ないんです。」
そこで折れちゃおしまいよ。

みんな赤字なんです。

今回は、機材費と人件費は相場で請求。
劇場に払うお金は当然主宰者持ち。

私のデザイン費ナドナドは、相手は決められないんだから指定しなさいと助言いただきました。
...んでも、どうしよう。。。

自分を安売りしちゃいかん!!
かといって、自分で自分に値段がつけられない・・・

ど〜〜
しましょ。。。
ミドルフォーティー、商売人ではないのでついついボランティア価格にしてしまう。。
ど〜〜
しましょ。。。

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2018/07/27

わかんない祭り( ̄▽ ̄)

8月の舞台に向けて、ちと遅すぎるペースで準備を進めております。
やっとこさ全貌がボンヤリと見えてきたのでスパートに入っております。

私にしては初の試みで、事前にデジタルデータを打ち込んで準備するつもりでいるのですが。

アプリケーションの使い方がわかんない(;  ;)。

もっと早くから勉強しておくつもりはあったのですが、機能が多すぎて何をするんだかしないんだかわからなくて、どこから手をつければいいのかわからず伸ばし伸ばしにしてたらこうなった( ̄▽ ̄)。

こういうときフリーランスだと、「教えて〜」とすがる仲間が常にそばにいるわけではありませんので、自分で調べるのと、知人友人たちに「ヘルプ!じぇんじぇんわかんねだ!!」と連絡してお手数おかけしてご教示いただくしかなく〜。

昨日稽古場に行って、内容が日替わりなもんでどーやってオペすればミスがないかしらと悶々と考え、機材を借りる会社にとりあえず現状をお伝えし、データの作り方を教わったものの林檎ユーザーの私はちょっと扱いが違って混乱と自信喪失。
んで、別の方法を教えてもらい、
「そうか〜。明日やろっと。」
と、思ったものの気になって眠れず。
丑三つ時に起き出して、インストールしたり設定したり調べたり試してみたりして、やっとこさ先が見えてきてホッとしてもう夜明け。
まだまだやることいっぱいあるんだけど...

うわ〜ん。

日替わり対応、どうやって整理しよう。

しばらく眠れない日が続きそうだ。
お盆明けまで。
...それは困る。

あ〜。
参った。


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2018/07/21

こどもはこども

Yくんのことと、私の話をします。

小学校の時に出戻り転校で戻ってきて、もともとのお友達と2年と数ヶ月ぶりで再会して、帰ってきていきなり学級委員か何かをやらされました。
転校前からそういうタイプだったので、学級委員といえばNamiちゃん。みたいな感じでみんなが推薦した感じ、だったかな?

転校前に私を好いてくれてる男の子がいたらしくて、転校したのは小学3年生の時ですのでまだ9歳か10歳?
色白で小さくて、おぼっちゃまな感じだけど、素直で、一緒に遊んだりおしゃべりして本当に楽しかった子です。
Kくん。
転校から戻ってきて、転校前から私を知ってる、主に男の子たち数人に言われまくりました。

「Kくん覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。色白でそばかすで、わたし地黒だから羨ましかったんだ〜。」
「転校しちゃったんだよ。」
「そうなんだ...。」

それを数人の男の子たちに言われて。
これだけ何人もの男の子たちが言うってことは、Kくんも転校する前に話してたのかなあ。
K君は私のように出戻りすることなく転校したっきりでした。
10歳くらいの子供の淡い恋心?

私は子供の頃から性格は男っぽく、大人たちの采配によりリーダーポジションにずっといたので、なんなんだろ。頼もしい女の子、だったのかなあ。
転校する3年生くらいまでは、自分の家庭の異常さに気づいていなかった、かな。

出戻りしてきてからは、私はしばらく、転校していた神戸の学校と、2年ちょっと離れていた母校のあらゆるギャップについてゆけず、「神戸はこうじゃなかった〜!」とかいろいろ言ってました。
別の話になりますが、そんななか、出戻ってきて初めて同じクラスになったHくんは
「そんなに神戸がいいなら神戸に帰れ!」
と、私に言いました。
私はショックではなく猛反省しました。
「...ごめんなさい。神戸には帰りません。」

Hくんは、たぶん甘え上手でした。
私に厳しいことを言いながらも、バレンタイン前には「チョコちょうだい♪」と堂々アピールし続けていたので、特に好きだからチョコあげる相手もいなかったので、家の近くの酒屋で板チョコ買って、わざわざラッピングしてもらって、あげました。
ホワイトデーにはクッキーか何かもらったような、何もなかったような...
覚えてないです。

そんなHくんが、学校に来なくなりました。
6年生になったら、担任が異常でした。
今だったら裁判になるくらいの異常さでした。
私たち、特に女子は、何故Hくんが学校に来ないのか全然わかりませんでした。
授業を潰して、H君の家までクラス全員で走って行って
「Hくん、学校に来て!!」
と、言いに行かされました。
今でもさすがにこれはやっちゃいけないことだったと思います。
玄関先に出てきたお母さんが
「ごめんなさいね。まだしばらく行けないの。今日は帰ってくれる?」

今思うとあの時お母さんはまだ30代だったと思います。
年齢はともかく。
前後関係は忘れましたが、走ってHくんの家に行かされた前後、女子だけ自習になって、男子だけが、社会科準備室だったかな?に詰め込まれました。
学級委員かつ気になることはほっとけない私は自習を勝手に抜け出して、社会科準備室のドアの通風口というのか、ドアの隙間から四つん這いで覗きに行きました。
20人くらいの男子が正座させられてて、端から順に平手打ちをくらっていました。
それは、やんちゃ君たちや、そういう理不尽に耐えられそうな子以外にも、まだ6年生には見えない小柄で、かついじめなんかに関わらなそうな子も関係なく全員平手打ちを受けていました。
担任のことは、転校前、入学した当初から「この先生大嫌い!!」と思ってた超絶パワハラ教員で(女性です)5年生の途中で帰ってきた時は違う先生で安心したのですが、6年生になってこのパワハラ担任になって半分以上絶望しました。
その絶望が、本気の絶望になりました。
覗き見から帰ってきて(その時のクラスの女子たちは私の本質を分かっていたので、自習を抜け出して偵察に行ったことを「Namiちゃんの役割。」みたいに思ってたのかどうなのか、ほっといてくれてました。)女子たちに小声で

「...ヤバい。全員平手打ちくらった...。泣きながら帰ってくる子もいると思う....。」

と伝えると
「私たちには何もできないんだから、知らないふりして普通に自習を続けようね。」
という冷静な子のおかげで、怖いもの知らずで担任に文句言おうと思ってた私にストップかけてくれたのが現実だと思います。

そしてHくんは、同じ公立中学校に進学し、同じクラスになり。
偶然だけど同じカンペンケースを使って。
(今で言う所のジェダーフリーなデザインだったので男の子が使ってても問題なかった。)
Hくんも「あはは〜お揃いだね〜。」
と、私としてはHくんとは楽しく過ごしていたのですが。
やはり学校に来なくなってしまい。
2年生の時に、転校してしまいました。


それから10年後くらいに、幼稚園から一緒だった男子に聞いてみたら、H君へのいじめは、実際にあったそうです。
何をどういじめたのかはわからない。
いじめてみたら、勢いがついてしまって、どんどんエスカレートしたのだそうだ。
端から全員平手打ちされるほどのいじめをしたのだそうです。

自意識過剰ですが、私と親しげにお喋りしてるからかな?と思ったこともありました。
それが要因のなかでゼロではないかもしれません。

いじめられてる子が、親しくお喋りできる異性の子に相談なんて、今の時代は知らないけど、できないよね。
相談したことでまたいじめられる。
私も神戸でいじめられました。
すぐ引っ越すとわかってたから耐えました。
いじめのエスカレートはとてつもなく。
私以外のいじめられっ子は、ここでは書ききれないことをされていました。



Hくんをいじめたことになっていたメンバーに含まれたYくん。
本当のところはわかりません。
いちいち神戸の話をする私にツッコミを入れたり、バレンタインにチョコをせがむHくんのピュアさは、彼らにとって面白くないところもあったのかもしれません。
逆に、そんな話とは全く関係ないのかもしれません。


小学生の時。
健康診断の一環で、学校に提出しないといけない検査用品を一人一人渡されている時。
Yくんはちょっと手間取ってました。
「自分でできる?」
「...。」
勉強も運動もできるY君が、何故そんなに悲しげな顔をしているんだろう?

考えてみたら、11歳とか12歳です。
あの無慈悲な異常な担任が、Yくんの家庭の心配をしている?

一時的な家庭の事情なのかな。
小学生同士では、性別が違ったら特に、そこまで突っ込んで聞けません。
ただの好奇心での質問で終了です。
だから聞きませんでした。
聞けませんでした。
聞けるわけがない。
40過ぎた今の私ならともかく。


公立中学校に入って、Y君はモテてました。
スポーツがとてもできるので、男の子でも「Yすっげー。」と言ってました。

うちの中学は過去になんかやらかしたらしく、当時は、卒業旅行は校外学習という名前で行われました。
当時は、散策時用のナップサックと、お泊まり用品を入れるスポーツバッグのふたつ持ちの子がほとんどのなか、小学生の林間学校で使うような水色のリュックサックを背負ってきたYくんは、いろんな意味で目立っていました。

どうして??

Yくんにはお姉さんと妹がいました。
お姉さんはだいぶ年上だったと思います。
けど、リュック、あれ??

私も普通のものは買ってくれない家庭だったけど、今回、これ??

クラスが違ったし、クラス数が9クラスですので、イベントがあってもうっかりばったりなんて、計画しないと無理ですね。

それ以降の話はまた今度します。

私が知ってるYくんは15歳まで。

どれほど不安で、どれほど孤独だったのか。

子供を持たない私でさえ、想像つきます。

何故?

塾と習い事、運動部、子供を海外体験させる船の旅に参加して作文が市報に載ったような。
教育熱心な家庭だと思うのに。
リュックサック、小学校の時に使ったそれで来たんだ。
機能性は抜群だよね、うん。

何があったの?
なにがあったの???

この疑問は多分もう解かれることはありません。

Yくんが本当は私以外の誰かを好きだったとしても。

卒業式が終わって、第二ボタンだけ死守してほか全部奪われてたというYくん。

15歳。

私の友人たちが、Yくんの第二ボタンがまだ残ってると何人もが教えてくれた。
それが私のためではなくても。

15歳のYくんが、受け取ってもらいたかった第二ボタンを渡したい人が現れず。

15歳で、知ってる人が誰もいない遠い地に進学することが決まった15歳の子が。

寂しかったかな。
悔しかったかな。

15歳の子がいておかしくない私は、15歳だったYくんをいまだに想っているのです。
私が15歳の頃に優しい気持ちになれたのは、お掃除の時間に違うクラスで隣のエリア担当の私のところにゴミを積み上げてさっさと教室に帰っていた子供らしい構ってちゃんなYくん。
2年生の時だったかな。私がよくわからない病気になって、週に一回の通院で遅刻するときにちょうど体育の授業で外に出るYくんのクラス。
すれ違い様に見てくれてる気がして1日を頑張れた。

ほんの先日のことのようなのに、14歳、15歳の頃のことで。

子供を持たない私は。

傷だらけだった私より、優しくピュアだったYくんの、年齢的にも実際もの幼さに今更気づき。

Yくんの家庭事情は、もし今知ることができても、ただ、それだけ。
何も癒すことはできない。

私は...。
男はもういらない。
めんどくさい。

家族は...。
1人で生きていけるとおもうから、なくていい。

こどもとして愛されたことがない私は、親にはなれない。

Yくん。
会いたいよ。


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