2014/06/19

日田に行ってきた その3

日田に行ってきた その1
日田に行ってきた その2

の、続きです。

日田では屋形船に乗れます。
お台場の屋形船みたいなキラキラではありません。
レトロなあれです。

川がこんなふうになったところ(↓の地図はGoogleマップにリンクしてません)のまわりにたくさん旅館がありまして、そこから乗ることができます。
詳しくは日田温泉旅館組合 屋形船 のページをご覧ください。


私は幼稚園か小学校低学年くらいの時に乗った記憶があります。それ以来でした。
22人だったかな?貸し切り!

ビアガーデンみたいな椅子とテーブルのプランもあるそうです。
足はあっちの方が楽だなあ…


川沿いの各旅館からすぐに乗り場に行けるようになってます。
集合前に時間があったので乗り場の辺りを散歩しました。各旅館の方々がせっせと支度中でした。

乗船!!

これはよそんちの船ですが、だいたいこんな感じです。





サクっと夜景撮るのってムズカシイ!!
こんなふうに、たくさんの屋形船が出ます。
うちは大人数なので貸し切りでしたが、乗り合いもあるそうなので是非是非!

ちなみに…小声で…
『トイレ』があったので、安心しておりましたらば、『おまる』でした…ハズカシイ…
飛行機とかみたいに少量の水でどこか見えないところへ流してくれるのかと勝手に思い込んでいたら、おまるでした…
『小専用』と書いてるので、何故かなあ?と思ってたら…
ハズカシイ…
みんな親族だし私は下から二番目だから、気付かれてもスルーしよう…
父方の親族はみんなべらぼうに酒飲みだし、お酒飲むとどうしてもトイレが近くなるので不可抗力だったんだよ!!
といろいろ自分で自分を励ましたり落ち込んだりしました…
前日まで私のオナカは長いことグルグルピーピーで大変なことになってたのを漢方で前日の夜くらいにナントカもちなおしてきたところだったので、ギリギリセーフでした…
オナカの調子が一日ズレてたら悲劇になってた…

で!
日田でも鵜飼いが見られるのですよ!


鵜飼いの写真をカッコ良く撮るのは素人にはとっても難しいので、何枚か撮ったらあとは肉眼で鑑賞することをお勧めします!


屋形船に寄せて、鵜匠さんが解説をしてくださいます。
海鵜を訓練するんですって。
餌は、新鮮なお魚しか食べないんですって。
でも鮎は高級魚だから、何をあげるって言ってたかなあ…。。
なんか、鵜同士で地位とかなんとかがあるそうですよ!
興奮して半分以上忘れました!!また聞きに行かなきゃ!!


父方の親族は底なしに飲むので、旅館の広い部屋を取ってあったのでみんなで2次会でした。
私は下から二番目なんですけど、みんなペースも顔色も変わらないので、帰るに帰れず(私たちは近くの別のホテルだったので)ちょっと気が遠くなりました…
最後まで残ってた父は1:30くらいに帰ってきたそうです。
宴は19時からだったんですよ。。。


翌日は、父と妹は飛行機で帰り、私と母は湯布院に行ってきました。
私は一日一人でブラブラするつもりだったのですが、母も来ると言い…
私はとにかく温泉に入りたくて。
母は温泉とか公衆浴場が苦手なようなので、レンタサイクル借りて遊びに行きました。
普段はこんなふうに一人で動く人じゃないので、LINEで父と妹に報告したら驚いてました…

湯布院、初めて来ました。
なんかものすごく英語が飛び交ってるのに、西洋人はあまりいなくて、見かけはすごく日本人!な方が観光案内所で英語で問い合わせしまくり、係の人も英語で答えまくりでした。

お風呂はどこに入ろうかなにも考えてなくて、適当に散策して、「香椎荘」という、香椎中将の別荘だったところに行ってみました。
値段とかいろいろ分かんないんだけど、立寄り湯OKと看板があったので、そんなバカ高いことはないだろうと思って聞いてみた。


基本的に旅館とお食事処のようで。
お風呂だけでもいいですか〜。と聞いたら、500円ですと言われ、上の写真の裏側に案内され、「はいどうぞ〜。」って感じでした。

建物自体がお食事処になってるところなどとは別棟で、質素だけど時代を感じる作りでした。
あまりにも誰も来ないので写真撮っちゃったのですが、公開は控えます…
ガラス戸も鏡も水垢だか湯垢だかで曇っちゃって拭いても見えないし、蛇口からのお湯は、かなり長い時間出してないとお湯にならなかったし、洗い場の広さと洗面器の数のバランスがおかしいし(ケロヨンもあったよ!)ひのきの内風呂は熱すぎて足も入れられなかったのですぐ露天に行きました。
なんとなく無防備な柵のようにも思えましたがたぶん大丈夫。
枯れ葉が底に数枚落ちてる、けど不潔ではない、古い趣を独り占めしました。
ほんとに誰も来ませんでした。
500円で実質貸し切りしちゃいました。
タオルとかは無いので持っていきましょう。
すっかり忘れていたのでどこに入るか決める前に、香椎荘のすぐそばのセブンイレブンで買いました。


セブンイレブン、茶色かったです…

湯布院には公衆温泉もあって、200円とか300円とかで入れるところもあり、そこには「タオルあります」と書いてありました。
どうしようかなあ…と悩み、せっかくだから情緒も味わいたいと思って旅館の立寄り温泉にしました。

そのあとは金鱗湖へお散歩。



のどかでした。


引き続き母のことは放っといて、ごはん!おひるごはん!
とり天丼を食べようと思って入った店内メニューで団子汁を見てしまったらもう団子汁以外ありえない!と、なってしまい。


どーん!
七味をかけたり粉末の柚子胡椒をかけたりして、味の変化も楽しめました(^ ^)


そのあと、『何故こんなところにこんなエリアが??』と思いつつ行きには通り過ぎた「湯布院フローラルビレッジ」が気になったのでチラ見しようとしたら。
あらまー!!
不思議の国のアリスの原作の挿絵グッズのお店があって、動けなくなってしまいました!!
どーしよ!
どーしよー!!

悩んでる間に豪雨が降り出して、レジは屋根の無いところを通らないといけないので、雨宿りだわ!と言訳をしつつ店内ぐるぐるぐるぐる…
悩みに悩んで、自分には3月ウサギのエコバッグ。妹も原作アリス大好きなので、絵はがき2枚と、フラミンゴを抱いたアリスの巾着を買いました。
お皿やマグカップは、食器棚の肥やしになるからねえ…
お茶会の絵とか(アリスむっつり顔)、帽子屋のアイテムはたくさんあるんですけど、アリス単独のは売れちゃってるのかあまりなかったんです…
帽子屋はジョニー・デップのならともかく、原作の挿絵を知らない人にはクレイジーな二頭身ですよね…
10年ちょっと前、コッツウォルズのバートン・オン・ザ・ウォーターのマッドハッターというお店でジャケットポテトを食べました。机と椅子がぎゅーぎゅー詰めで、カーテンとか壁紙とかのカワイイ素敵なお店だったなあ…

雨がやんだのでようやくレジに行き会計をし、駅方面へ歩いてると、お土産屋さんの店頭で母発見。合流。
雨が降り出したので自転車を返し、コーヒーを飲み(普段は一人でコーヒー飲みに行ったりできない人なのです)足湯に浸かり(こんなことも普段は一人じゃ絶対しません)雨が止んだのでお土産屋さんをぶらついてたらマシンガントークの店員さんに捕まって出るに出られなくなってたんだそうで。
合流してすぐ「んじゃ!」と去りました。。。

帰りの電車までまだ時間があり、今回私が気になってた「やせうま」というスイーツがどうしても食べてみたかったため、甘味&喫茶のお店へ母とともに。
いまwikipediaを見たら、各地にあるんですね。やせうま。
日田辺りでは、おなかをすかせたおぼっちゃまに「やせ」さんがこれを作って食べさせたら、おぼっちゃまが「やせ。うま(いよ♥)。」と言ったのが由来らしいです。
wikiで書いてあるのはちょっとニュアンスが違うけど…

でも、ちょっと、このお店のは、甘味のボリュームじゃありませんでした。


多いし!!
あんこも乗ってるし!!
白玉もあるし!!
黒蜜もついてるし!!
さっき団子汁食べてきたばかりなのに、味付けが違うだけじゃね!!
おいしいんだけど多いよ!!
普通のうどん一杯分以上のボリュームあるよ!!

昆布の佃煮がついててよかったです。。。

このあと、日田に戻り、母方の叔父叔母が蛍の見られるところに連れて行ってくれました。
7匹くらい見られました!!
本当はもっと大群が見られるんですって。
川辺を工事していたので、その影響なのか…
叔父叔母は「しょぼくてわるかったねえ…」というようなことを言っていましたが、本物の蛍なんて私30年ぶりくらいですよ見たの!!
感動でした。
4匹くらいいると、明滅がシンクロするんです。あれは何蛍でしたっけ。
あれが大群でシンクロしたらすごいでしょうねえ!


こんなかんじで、久々の九州を楽しんできました。
なかなか、いつも帰省の用事ばかりで他に足を伸ばせないので、初の湯布院体験もできてよかったです。

ああ。
はやくまた遠くへ行きたい…


にほんブログ村 その他日記ブログ その他アラフォー女性日記へ 

2014/06/16

日田に行ってきた その2

行ってきてからだいぶ経ちましたが…日田に行ってきた の続きです。

母の実家へ。おばあちゃん…は亡くなったので、叔父叔母のいるおうちに行ってお仏壇にご挨拶。

そして近くの薫長さんで試飲&買い物&吟醸酒アイス。
豆田町にあります。

豆田は私が子供の頃はただの古い街だったのですが、最近とても観光地化しています。
最近はおひなさまで有名ですね。
赤司の日田羊羹、いた屋のうるかは外せないお土産です。
うるかって知らない人が多いと思います。鮎の塩辛です。
内臓だけで作ったのが、苦くて甘くておいしいんです。
お酒もすすむし、あったかいごはんにちょっと乗せるとペロッといけます(^ ^)



薫長の杉玉でかっ。
いつもよりでかくないですか??
ここには資料館もあって、昔使われていたお酒を造る道具などが見られますよ。
試飲は運転する父には我慢してもらって…(姉妹してペーパードライバーで(- -;;))


吟醸酒アイス。
赤米が入ってて、良いアクセントになってます。
これは運転する人も食べられますよ!

この日は小鹿田焼(おんたやき)の里に行きました。
日田市街地からずっと北の山奥にあります。
ソフトバンク携帯は電波入りません…。

バスも出てます。
小鹿田焼のwikipediaはこちら
小鹿田焼陶芸館というのができてます。入館無料ですので、ここでざっと予習してからまわるといいです。


10軒の窯元が密集しています。
長子相伝で、伝統を守り、窯元の銘を入れたりせずあくまで『小鹿田焼』として作っているのが特徴的です。


土を漉したりする仕事は女性がやるそうです。
ろくろをまわすのは男性だそうです。


唐臼という、川の水の流れを使ったしかけで土を砕きます。



朝鮮系登り窯だそうです。


この日は晴れていたので、形成した器を干しているところが多かったです。



各窯ごとに作品を展示即売しているので、気に入ったものがあれば、近くにある呼び出しボタンをピンポ〜ン。と押して、購入することができます。
窯元から直接なので、お土産屋さんで買うよりもかなりお安い値段で購入できます。
技術、製法はどの窯元も同じなのですが、それでもそれぞれ微妙な違いがあってとても面白いです。
私は今回、梅干しとか佃煮とか入れるのによさそうな小さな壷を購入しました♪
柳瀬さんのところです。が、ここは柳瀬さんと黒木さんと坂本さんだけなので、どの柳瀬さんか忘れました…
柳瀬さんは福岡の小石原(こいしわら)から招かれたそうで、小石原にも柳瀬さんという窯元がたくさんあります。


これがせんにひゃくえんで買えます。
お土産屋さんだともっとだいぶすると思います。
こういうものは一期一会。ビビッと惹かれたら購入を決めないと、どの窯元だったか忘れたりとか(^ ^;; 既に購入されてたりしますね。。

このあと小石原にも行きました。
ものすごい山道を車でず〜っと行きます。
対向車が来たらどうするんだろうってくらい狭い山道です。
途中、野生の鹿に出会いました。お互いビックリしちゃいました。
ぶつからなくてよかったぁ…

小石原の方がエリアは広いのですが、窯元と窯元の距離が離れてるので、いちいち車を止めて見学するにもなあ…というのと、こちらではそれぞれ個性を出して作品を作っているので、根本の技術は小鹿田と同じだと思うのですが仕上がりには《小石原らしさ》という共通点がないなあ…という印象でした。
普段使う器を選ぶ、という意味では、仕上がりのセンスの幅が広いので選び甲斐はあると思います。

このあと日田市街に戻り。
親族で屋形船に乗るのです。

それまで時間があるので、私が好きな《むらくもの松》を見に行きました。




パノラマ写真がうまくアップできるかしら…
高さ1メートルで、枝が左右にものすごい長さで伸びています。
小さい頃はこれの上を歩きたくて歩きたくて…(天然記念物ですから。できません。)
改めて、すごいなあと思いました。

つづきます。


にほんブログ村 その他日記ブログ その他アラフォー女性日記へ 




2014/06/10

日田に行ってきた その1

こんにちは。
久々の更新です。

親族の集まりがあるので、日田に行っていました。
うちは両親とも日田出身です。住んだことはないです。

大分県ですが、大分空港からだと山越えなどが大変なので福岡から行きます。
とちゅう、白木原駅のすぐそばにある豆香洞コーヒーに寄りました。
2013年のコーヒー豆焙煎世界大会チャンピオンのお店です。


身バレに繋がっちゃいますが、ここの店長さんと親族なんです。
更に身バレに繋がりますが、店長さんのお父さんと私が従兄妹です。
すごーく年齢が離れた従兄なので、うちの父と従兄がおないどし。
従兄の子である店長さんと私が一歳違いです。

従兄さんとは何度かお会いしているのですが、店長さんとは会ったことがなく、昨年の世界チャンピオン獲得の報せが従兄から父などに伝わり。漸く訪れることができました。
事前に父が従兄に行くことをメールしていたのですがタイミングが悪く店長さんには伝わっていなくて、アポ無し状態でした。
店長さんはちょっと打ち合わせに出てるけれどすぐ戻るそうなのでコーヒーをいただきながら待っていました。

とてもたくさんの種類のコーヒーがあって、どれにすればいいのかわからないので、浅煎り(ハイチ)、中煎り(マイルドブレンド)、中深煎り(豆香洞ブレンド。おすすめ。)、深煎り(フレンチブレンド)を頼んで4人で飲み比べ。


左上から時計回りに、フレンチブレンド、マイルドブレンド、ハイチ、豆香洞ブレンド。
豆によって使うカップの形が違っています。
ハイチは軽くて紅茶のような味わいなので、紅茶カップのようなのを使っているようです。
全部全然違いました!あたりまえですが〜
同じコーヒーでもこんなに違うのか〜!
2杯目からは違う種類でも210円で飲ませていただけるそうです。この日は1杯ずつで。。
そこへ店長さんが戻ってきたのでご挨拶!!
「えっ、えっ、親族?えっ??」
となりながらも爽やかな、親族に言うのも手前味噌でアレかもしれませんがすごいハンサムさん!
うちの父が天保時代まで遡る家系図の作成を、亡くなった伯父から引き継いでるとかでせっせとしているのでそれを渡して、
「私はここ。あなたのお父さんがこれ。この娘たちはこれ。あなたがここ。」
と説明していました。
いきなり自分の父親の叔父一家がやってきて(しかも叔父という人が父親とおないどしという…)ヤアヤア言われてもナンノコッチャで驚かせたと思います。。
おすすめの豆香洞ブレンドの豆を購入しました。


豆の入ってる麻袋も300円かそのくらいで売っていました。


とっても丈夫です。
豆によってイラストなどが違い(そりゃそうか)大きさも入ってた豆の容量によって、とても大きいのもあります。
植木鉢カバーとか、加工してバッグにしたりとか、タペストリーにしたりできそうです。
妹はサイズが大きくてもっと鮮やかな色で鳥の絵と思われるものが描かれたものを購入し、和室の、カーテンをつけていないカーテンレール(普段は障子だけ)に着けられるように加工して飾ろうかなあと言っていました。
私は、木枠を作ってパネルにしてどこかに立てかけたりして置こうかなあと思ってます。



お店の外から焙煎の様子が見られます。
下の写真は中から撮らせていただきました。
建物の外側に煙突が出ています。煙突の高さは8mが丁度いいそうで、それにあうテナントを探すのも結構大変だったようです。


店内の席数はあまり多くなく、シンプルな作りです。
けどもうひっきりなしにお客さんが入れ替わり立ち替わりで、常に満席状態でした。すごい。
みなさんチャチャッと飲んでサッと出ていく感じ。

お店からすぐ近くに伯父の家があるので、お散歩コースにちょうどいい!と従姉が言っていました。
豆は通販でも買えるので、今回買ったのを飲み切っちゃっても豆は買えるな!

後日の親族の集まりには、ここの店長さんのお父さん(私とは従兄妹)がいらしたので、フランスのニースで行われた世界大会の時の様子をいろいろ聞くことができました。
すごいなあ…
福岡のあたりにお住まいの方は是非行ってみてくださいませ。



日田では初日はかんぽの宿に泊まりました。
日田天領水の工場の隣です。
昔はただの原っぱだったのになあ、このあたり…
しかも、このかんぽの宿、とてもキレイ。

まあ、景色はこういうかんじですが。。
田舎です。

川沿いを歩いて父の実家へ…。
伯父が継いでます。


「河川敷」って看板を何故つけないといけなかったのかわかりません。

伯父宅には5月に産まれたばかりの子猫ちゃんがいました!


ですが、先住猫の病気がうつるということで、近所のお家で預かられることになってたそうで、抱っこした直後にいってしまいました。およよよよ。。

伯父と、焼き鳥屋でごはん。
もつ鍋ウマい。


博多や日田で食べるもつ鍋は、都内とかで食べるのと全然味が違います。
とろっとろでふわっふわ。
焼き鳥たくさんと、うずらもいただきました。
骨ごと食べられます。ばりぼり。はじめて食べた。。
ってかいろいろ頼みすぎです。。私は胃腸の具合がイマイチで、先日漢方薬を処方してもらってきました。
腹具合と相談しながらもかなりたくさん食べました。。。

一日目はここまで。
つづきます。


にほんブログ村 その他日記ブログ その他アラフォー女性日記へ 

2014/06/03

告別式にいってきました

こんにちは。

昨日に引き続き、実家の隣のおばさんの告別式に行ってきました。
繰り返しになりますが、子供の頃何度も救急車代わりみたいに病院に送ってもらったり、かなりおマヌケな母に私たちが振り回されてムギャーってなってた時に何度も助けてもらいました。

今日は告別式。
私は昨夜なかなか眠れず。4時くらいには寝たのかなあ。
2時間くらい寝て起きて、飲むヨーグルトを買ってあったので飲みました。
ほかには何も食べられる状態じゃありませんでしたし…
そんな大量には飲んでないんですけども、バスで駅に行くまでにおなかがキケン。
になり。
最寄り駅のトイレが改修工事のため仮設トイレが改札外にできてるので、直行しました。
わたし普段はよっぽどのことが無い限り仮設トイレとか使わないんですけど、その『よっぽど』でした。

なんとか落ち着き、両親と、駅からすぐ近くの斎場へ。

普段は絶対自分に許さないことなんですけど、参列者のご焼香をしたあとにも続くお経の最中におなかに限界がきました。
どこまでもつか。。
と、何度か山は越えたのですが、

「無理だ…喪主挨拶の前までには回復せねば。ごめんなさい!!」

と中座。。。。
いつもの私には絶対に許さないことですが、そうもいかないときってあるんですね!!
それが、

『今でしょ!!』

ほんとに、眠れてないとはいえ、飲むヨーグルトをちょっと飲んだだけで朝に2回も限界が来るの??
冷や汗をかきながら隣にいる母に声をかけてトイレへ…

またもやシモの話でスミマセン。
さっきあんだけ排出したのに何故またここまで!!
という状態。。。
どこでケリを付けて戻るか悩みつつ…
今だ。
と会場に戻りましたが、ちょうど御導師様退場のタイミングだったので、両親の席の横に戻るとなると御導師様の前を横切ることになってしまうので、係の方に手前側の列へ誘導されました。
そのあと喪主挨拶。
両親の横に戻るタイミングはあったんですけど、まあいいやとそのまま聞くことにしました。

喪主のMくんは前日からずっと笑顔でした。
頑張ってるなあ。と思っていましたが、その理由はちょっと違いました。

おばさんは、いつも笑顔で明るく、愚痴を言わず、おうちをいつも奇麗にして、いつでも前向きな人でした。

『母はそんな明るいひとでしたから、最後まで明るく見送りたいと思っています。
太陽のような人でしたから、この歌を贈りたいと思います。』

(Mくんは音楽家で、声楽でも活動しています。どれが専門なのかよく分からないくらいいろいろやってます。)

Mくんはおばさんのお顔を見ながら、オー・ソレ・ミオを歌いました。
イタリアでも修行した声ですから、すごいです。

そしてその声はおばさんのお顔に向けて奏でられています。
涙が止まらなくなりました。
オー・ソレ・ミオを泣きながら聴くなんて想像したこともありませんでした。
今も思い出しただけで涙が止まりません。

そのあとも、おばさんの顔に触れたり、話しかけたり、おばあさまでしょうか。一緒に話しかけ、『○○さん(先に亡くなったおじさん)が向こうで待ってるからね、また仲良くできるね。』と語りかけていました。
私が見られる間は、Mくんは決して泣かず、ずっと笑顔でした。

こんなにも故人を愛おしみながら笑顔で見送る喪主を私は見たことがありません。
どれだけ大切にされてて、どれだけ大切に想っていたのか。
この三十数年のなか、お隣の一家がどれだけ愛に溢れた日々を送っていたのか。

隣で私は怒鳴られ殴られ「この世の恥」と罵られてたわけですが。

なんて、なんてすばらしいお別れ。
私には、絶対にできない。
私なんか、いつか喪主になったら

「せいせいしたわ!!ぜってー戻ってくんなよ!!」

と言いそうです。いやマジで。

うちは隣人なのに、Mくんのコンサートを聴きに行ったこともありません。
日付が分かれば私一人でも行くんですけど、日付すら聞いてこないんです。会場なんか、もちろん聞いてきません。ひどくね?話題に出たならそれくらい確認しろよ礼として。
音楽なんか興味ないですって言ってるようなものじゃん。まあ本気で興味ないんですけどねあの人たち。

なのに、

『うちはお隣だから特別な関係なの。』

みたいな態度に昔から心底イライラしていました。
私が演劇部で主役をやる文化祭も来ないひとたちですから。
朝イチの舞台だって言ってるのに午後にノコノコ来て
「いつやるんだ!」
「とっくに終わったわい!!もうみんな涙流しながらお花いっぱいくれたわい!!」
そんな親です。映画館じゃねーんだぞボゲ。

どうして、こんなに文化的にすぐれた日々を送るひとたちの隣に住んでいながらうちの母はいつまでも引きこもりなんだろか。お隣のMくんの晴れ舞台よりテレビを見ることの方が大事だったんでしょうね。

と、比較するのは今は愚かなことです。

私はみんなに好かれる人になろうとは思わない。
でも、明るく前向きで愚痴を言わない人であることは心から尊敬するし、目指すべきだと思った。
わけです。

オー・ソレ・ミオ。
日本語では「私の太陽」というそうです。
wikiから引用しても大丈夫かなあ。
歌われたのはナポリ語かイタリア語かわからないけど、日本語の歌詞は以下です。

晴れた日は何て素晴らしい、
嵐の後の澄んだ空
まるで祭日のような爽やかな空
晴れた日は何て素晴らしい
だけどもう一方の太陽
尚一層輝かしい
私の太陽
君の顔に輝く!太陽、私の太陽
君の顔に輝く!君の顔に輝く!
夜が来て、太陽が沈み切った時、
憂鬱が蟠り始めた。
君の窓の下に私は留まる
夜が来て、太陽が沈み切った時。
だけどもう一方の太陽
尚一層輝かしい
私の太陽
君の顔に輝く!太陽、私の太陽
君の顔に輝く!君の顔に輝く!

こんな歌を、お母さんに最期に捧げることができるなんて、なんという、深い愛情なのでしょう。
今このブログを打ってても涙が止まりません。

おばさん。
何度も助けていただいて。
ありがとう。
ちゃんと自分で直接言えなくてゴメンナサイ。ありがとう。

実家のお隣のMくんはまだ独身なので(ヒトのこと言えませんが)ひとりぽっちになっちゃいました。
お庭は、うちの父が庭いじり好きなので、故人に頼まれたことでもあるので、今後もお手入れすると思います。
(私の住んでる家の分もやってるので庭3つです。。)
でも、あんなに笑顔でおばさんを見送れているMくんを見て少し安心しました。

私は今週末に生まれ故郷に帰るのですが、体調が悪くて…とくにおなか。
どうしてここまで緩いんだろう。あと吐くのも頻繁になりすぎだし。。
明日神経科の診察なので相談しますけども、胃カメラとか大腸内視鏡とかはやだなあ。。
絶対ストレスのせいだと思うんですけども。。
とりあえず神経科としては薬強くしてもらっても眠れないのを相談しなくちゃ。
ほんとにぜんぜん眠れない。仕事してないからかなあ。でも今はまだしばらく休んでいたい。

おばさん。
私はまだそっちに行かないからね!


にほんブログ村 その他日記ブログ その他アラフォー女性日記へ 

お通夜にいってきました

実家の隣のおばさんのお通夜に行ってきました。
私は高校卒業から家を出たけれども、35年来の隣人でした。
小さい頃から何度も何度も、助けてもらいました。

世話好きで明るくて社交的なおばさんはお友達も多かったのでしょう。
近所の方々もたくさんいらしてました。

私は…仲良しだったお友達の、よく顔を見てたお母さんとかなら、今見てもよーく考えれば分かると思いますが、そうじゃない方はもう誰が誰だか全く分からず。。

余談ですが母の話によると、なんだかんだ団地内でもおば樣方の派閥があるそうで、「この確認は私が!」「なんとかさんには言わなくていい!」「あの人はこのときこうだったから私たちが声かける義理は無いわ!」とかそういうバトルが繰り広げられていたそうです。
うちの両親は、今回喪主となったMくんと直接マメにメールをしあってたそうで。
容態が悪化したとき、お見舞いを遠慮してたうちの両親に
「今すぐにでも来て会ってあげてください。もう危ないです。」
と連絡をくれたので、行ってきたそうです。
両親が行った時はまだ会話ができたそうです。
翌日にはもう話せなくなって、すーっと、いってしまったそうです。


ご両親の看病が続いて、お父さんを亡くし、お母さんも亡くしてしまったMくん。
私は中学生くらいのMくんまでしか覚えてないので、ものすごく背が高くなってチャキチャキ動くMくんを見ても「あれ?でかっ。」と思ってしまいました(- -;;
ちょっと前にも見たんだけど、父に「Mくんだよ」と言われなきゃ絶対分からなかった〜。。

Mくんはまだ独身なので、一人で喪主をやってましたが、なにもかも斎場のスタッフの方がしてくださってて、お手伝いの出番はありませんでした。
親族やお知り合いの方々をチャキチャキと笑顔で案内していました。



ちょっと余談を。
過去の話。
昨年祖母が亡くなった時は、ド田舎なので、結婚してすぐ地元を離れた母でさえ全く分からない慣習が多く、父もほとんど同じところの出身なのですがこっちの家系は人数が多すぎるせいか父がぼんやりしてるだけなのか、父も就職と同時に九州地方を離れたからか、そういうことはおおざっぱなので全然知らず。
普通に御霊前を持っていったのですが、このときはこういう表書きでお坊さんに渡す、とか、毎日毎回違う表書きを包まないといけないらしいのですが、母は知らず。。
この不祝儀袋の表書きがこれの人に渡す会葬御礼はこっち、これの人にはこっちを渡す。
とかあるらしいんですが高校まで地元育ちの従弟たちもそこまでは理解できず、受付を頼まれた孫4人は突っ立ったまま全部式場の人がやってくれました。

私「ねえねえこれ理解できた??」
従弟「全く分かりません!!」

母はずっとここの地で過ごしてきた叔母に叱られ…
(叔母は私たちには優しいけど結構ガミガミ系だし、老いた祖母の面倒をずっとみてたのは叔母なのと、本来なら喪主は長女の婿がやるべきなのにあんたんおらんき仕方なく代行すっばい!的なことを言われずっと怒られっぱなしだったらしい)

で、とばっちりをうけるのは父…

母「(父に)○○もってきてくれた?」
父「??あれ朝渡してカバンに入れたでしょ。」
母「ちがうのほかにもいるの、別に渡さなきゃいけないのよ。」
父「知らんがな…」
母「田舎の慣習は違うのよ、今日も別に渡さなきゃいけないのにどうすればいいの!」
父「知らんがな…」
私「表書きは何なの??」
母「わかんない。」

ど〜ん

とりあえず現金は親たちが持ってるみたいなので袋と筆ペンがあればいいんでしょ。
まだ親族だけの集合時間前だったので

私「じゃまだ時間あるから買ってくるよ。何て表書きだったらいいの?」
母「わかんない。なんにでもできるの買ってきて。なんか表書きいっぱいついてるのがいい!!終わるまでに結局いくついるのか全然分かんないから3つくらい!!いや、5つくらい!!」
私「合点招致!15分から遅くても30分で戻るぜ!」

と言ったものの。

15分から30分で戻る根拠。ゼロ。

わたしらここまでタクシーで来たし。
どこに文具屋なりコンビニなりがあるのか全く知らないし。
でも僻地ではないので何かあるはず。
斎場の前の大通りに出て立ち尽くす。
右見て。左見て。Googleマップ見て。
iPhoneのGoogleマップでもさすがに今すぐ不祝儀袋を買いたいんですという希望を満たしてくれる情報が出てこなくて。
なんとなく左方面に本屋さんのにおいがしたのでいってみた。
ここは…ないわけないぞ!!この程度の文具のある本屋で不祝儀袋がないわけがない!!
と、グルグル3週くらいしたらやっと発見!!!
これこれこれ。
薄墨筆ペンは家から持ってきてたのにまさかまた出先で必要と思わなかったからホテルに置いてきたし!!もー!それも購入。

で、早歩きで斎場に到着。

叔母「namiちゃん今来たとね?なんで一緒にこらなんだ??」
私「父が忘れ物をしたので調達してきてました〜。近くにあってよかったです〜。」(父さんゴメン)
叔母「おとうさんん忘れもんためにかいにいかされたとか。まーおとうさんしっかりせい言わんいかんばい。」(方言の表現に多大なるミスがあると思われることはご容赦ください)
(ひそひそと)「よく売ってるところ分かったね??」
私「野生の勘よ!!」
妹「そんな勘があるんだ!!」

方向音痴ですけどね。ええ。
裏方スタッフとして20年行きてくると鼻が利くようになるようです。
はっくしょん!

そういうこともあったので今回も気にはしていたのですが、昭和の新興住宅地エリアにある斎場ですので、最近の、都市部近郊の割と大ざっぱな慣習でよさそうでした。
受付も何もかも式場の方がしてくれるので、喪主のMくんは親族席へのご案内に専念できてた雰囲気です。
ってか、身長でかくなりすぎて誰だか分かんないよ…ずっとピアノやってるせいか手がすごいでかいし指が長い…
とても気丈に笑顔で喪主を務めていました。


2年前、一緒に派遣で仕事してたAさんは、超偶然なんですけど、そのおばさんの弟の子なんです。
おばさんからすれば甥。Mくんからすれば従兄弟。
いないなあ。縁切ってるってってたから来ないのかなあ。あっちの一族からのお花はあるんだけどなあ。
と思ってたら、親族のご焼香中に到着!親族席にすべりこみ!
私がお焼香する時、親族へ頭を下げるとき、MくんもAさんも私を分かってくれました。


読経のあと三々五々っぽくなったタイミングで、Aさんに挨拶したいなあと待ってました。
母と妹はMくんにしか用はないし隣人だからすぐ会えるけど、私はAさん2年ぶりなんだよ。挨拶したいのよさ。
しかも、婚約保留中の彼とも深く関わってた人です。
(彼に怒られまくってたのがAさん)
私が挨拶に行くタイミングを悩んで式場を覗き込んでどうしようかなぁ〜と考え込んでる間に母が

「なんなの、誰待ってるの、なんとかかんとか。そういう段取りなの私聞いてないブーブー(段取りはあるようでも、軍隊のようにいかないからタイミングを待ってる状況をうちの母は理解できません)誰が来るの、どっちから来るの、どこに行くの、そこまでついて行くの??私聞いてないのにいつも勝手に私だけが知らないことしてるし私だけ仲間はずれでいつもブーブー!!」

と空気読まずやかましいので、父が

「最期にお顔を見るってことで話しかけに行っちゃえば?司会者がそう言ってるし。」
と言いました。
「じゃお父さんもなにげに同行してっちゃいましょ。」
と父を道連れにおばさんのお顔をもういちど見に行きました。
ちょうどAさんがお焼香をしてる横につけたので、挨拶ができました。
父も、婚約保留中の彼が怒鳴りつけてた人を見られて、しかも結構部分的にMくんに似てるので少なからず面白かったようです。。。
世間は狭いですね。ほんとに。
悪いこと出来ませんよ!!

Mくんも、私とAさんが一緒に仕事をしてたことをどこらから聞いてたそうです。
こんなところで再開…

せつないですね。

明日は告別式にいってきます。
おばさんに私の命を助けてもらったことが何度もある。
最期のお礼を、しなくちゃ。

にほんブログ村 その他日記ブログ その他アラフォー女性日記へ