2014/06/03

告別式にいってきました

こんにちは。

昨日に引き続き、実家の隣のおばさんの告別式に行ってきました。
繰り返しになりますが、子供の頃何度も救急車代わりみたいに病院に送ってもらったり、かなりおマヌケな母に私たちが振り回されてムギャーってなってた時に何度も助けてもらいました。

今日は告別式。
私は昨夜なかなか眠れず。4時くらいには寝たのかなあ。
2時間くらい寝て起きて、飲むヨーグルトを買ってあったので飲みました。
ほかには何も食べられる状態じゃありませんでしたし…
そんな大量には飲んでないんですけども、バスで駅に行くまでにおなかがキケン。
になり。
最寄り駅のトイレが改修工事のため仮設トイレが改札外にできてるので、直行しました。
わたし普段はよっぽどのことが無い限り仮設トイレとか使わないんですけど、その『よっぽど』でした。

なんとか落ち着き、両親と、駅からすぐ近くの斎場へ。

普段は絶対自分に許さないことなんですけど、参列者のご焼香をしたあとにも続くお経の最中におなかに限界がきました。
どこまでもつか。。
と、何度か山は越えたのですが、

「無理だ…喪主挨拶の前までには回復せねば。ごめんなさい!!」

と中座。。。。
いつもの私には絶対に許さないことですが、そうもいかないときってあるんですね!!
それが、

『今でしょ!!』

ほんとに、眠れてないとはいえ、飲むヨーグルトをちょっと飲んだだけで朝に2回も限界が来るの??
冷や汗をかきながら隣にいる母に声をかけてトイレへ…

またもやシモの話でスミマセン。
さっきあんだけ排出したのに何故またここまで!!
という状態。。。
どこでケリを付けて戻るか悩みつつ…
今だ。
と会場に戻りましたが、ちょうど御導師様退場のタイミングだったので、両親の席の横に戻るとなると御導師様の前を横切ることになってしまうので、係の方に手前側の列へ誘導されました。
そのあと喪主挨拶。
両親の横に戻るタイミングはあったんですけど、まあいいやとそのまま聞くことにしました。

喪主のMくんは前日からずっと笑顔でした。
頑張ってるなあ。と思っていましたが、その理由はちょっと違いました。

おばさんは、いつも笑顔で明るく、愚痴を言わず、おうちをいつも奇麗にして、いつでも前向きな人でした。

『母はそんな明るいひとでしたから、最後まで明るく見送りたいと思っています。
太陽のような人でしたから、この歌を贈りたいと思います。』

(Mくんは音楽家で、声楽でも活動しています。どれが専門なのかよく分からないくらいいろいろやってます。)

Mくんはおばさんのお顔を見ながら、オー・ソレ・ミオを歌いました。
イタリアでも修行した声ですから、すごいです。

そしてその声はおばさんのお顔に向けて奏でられています。
涙が止まらなくなりました。
オー・ソレ・ミオを泣きながら聴くなんて想像したこともありませんでした。
今も思い出しただけで涙が止まりません。

そのあとも、おばさんの顔に触れたり、話しかけたり、おばあさまでしょうか。一緒に話しかけ、『○○さん(先に亡くなったおじさん)が向こうで待ってるからね、また仲良くできるね。』と語りかけていました。
私が見られる間は、Mくんは決して泣かず、ずっと笑顔でした。

こんなにも故人を愛おしみながら笑顔で見送る喪主を私は見たことがありません。
どれだけ大切にされてて、どれだけ大切に想っていたのか。
この三十数年のなか、お隣の一家がどれだけ愛に溢れた日々を送っていたのか。

隣で私は怒鳴られ殴られ「この世の恥」と罵られてたわけですが。

なんて、なんてすばらしいお別れ。
私には、絶対にできない。
私なんか、いつか喪主になったら

「せいせいしたわ!!ぜってー戻ってくんなよ!!」

と言いそうです。いやマジで。

うちは隣人なのに、Mくんのコンサートを聴きに行ったこともありません。
日付が分かれば私一人でも行くんですけど、日付すら聞いてこないんです。会場なんか、もちろん聞いてきません。ひどくね?話題に出たならそれくらい確認しろよ礼として。
音楽なんか興味ないですって言ってるようなものじゃん。まあ本気で興味ないんですけどねあの人たち。

なのに、

『うちはお隣だから特別な関係なの。』

みたいな態度に昔から心底イライラしていました。
私が演劇部で主役をやる文化祭も来ないひとたちですから。
朝イチの舞台だって言ってるのに午後にノコノコ来て
「いつやるんだ!」
「とっくに終わったわい!!もうみんな涙流しながらお花いっぱいくれたわい!!」
そんな親です。映画館じゃねーんだぞボゲ。

どうして、こんなに文化的にすぐれた日々を送るひとたちの隣に住んでいながらうちの母はいつまでも引きこもりなんだろか。お隣のMくんの晴れ舞台よりテレビを見ることの方が大事だったんでしょうね。

と、比較するのは今は愚かなことです。

私はみんなに好かれる人になろうとは思わない。
でも、明るく前向きで愚痴を言わない人であることは心から尊敬するし、目指すべきだと思った。
わけです。

オー・ソレ・ミオ。
日本語では「私の太陽」というそうです。
wikiから引用しても大丈夫かなあ。
歌われたのはナポリ語かイタリア語かわからないけど、日本語の歌詞は以下です。

晴れた日は何て素晴らしい、
嵐の後の澄んだ空
まるで祭日のような爽やかな空
晴れた日は何て素晴らしい
だけどもう一方の太陽
尚一層輝かしい
私の太陽
君の顔に輝く!太陽、私の太陽
君の顔に輝く!君の顔に輝く!
夜が来て、太陽が沈み切った時、
憂鬱が蟠り始めた。
君の窓の下に私は留まる
夜が来て、太陽が沈み切った時。
だけどもう一方の太陽
尚一層輝かしい
私の太陽
君の顔に輝く!太陽、私の太陽
君の顔に輝く!君の顔に輝く!

こんな歌を、お母さんに最期に捧げることができるなんて、なんという、深い愛情なのでしょう。
今このブログを打ってても涙が止まりません。

おばさん。
何度も助けていただいて。
ありがとう。
ちゃんと自分で直接言えなくてゴメンナサイ。ありがとう。

実家のお隣のMくんはまだ独身なので(ヒトのこと言えませんが)ひとりぽっちになっちゃいました。
お庭は、うちの父が庭いじり好きなので、故人に頼まれたことでもあるので、今後もお手入れすると思います。
(私の住んでる家の分もやってるので庭3つです。。)
でも、あんなに笑顔でおばさんを見送れているMくんを見て少し安心しました。

私は今週末に生まれ故郷に帰るのですが、体調が悪くて…とくにおなか。
どうしてここまで緩いんだろう。あと吐くのも頻繁になりすぎだし。。
明日神経科の診察なので相談しますけども、胃カメラとか大腸内視鏡とかはやだなあ。。
絶対ストレスのせいだと思うんですけども。。
とりあえず神経科としては薬強くしてもらっても眠れないのを相談しなくちゃ。
ほんとにぜんぜん眠れない。仕事してないからかなあ。でも今はまだしばらく休んでいたい。

おばさん。
私はまだそっちに行かないからね!


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