2015/03/10

集合住宅の騒音

私がメンタルを病んだ過去の話をむちゃためまくり続けてるところへ、雑談エントリです!
シムズの話全然してなくてごめんなちゃい!


今私が住んでるのは、3LDKで、上の子供が中高生くらいまでの、家族4人か5人が限界な団地です。
たぶんそもそものコンセプトが新婚家庭とその数年後、って感じの団地です。
そのコンセプトから最早30年以上。

私が住んでるのも、実家も、その団地の1階なので自分たちはともかく、もう、同級生の実家のおじさんおばさんとかは、結構大変なのです。
5階建てで、エレベーターがないのです。
当時は法令上それで良かったんですって。
5階ってかなり大変です。
最近はネットスーパーが発達してきたし、そう遠くないところにコストコがあるので、買い物上手なお宅ではそういったサービスを利用しているようですが、そうでないお宅では、お米買うだけで大変です。
徒歩10分圏内にスーパーもコンビニもなんです。
酒屋はあるけど。

そんな現状ではありますが、新婚家庭が買うには大変お手頃価格になっていて、近隣に実家があって家庭を持った同級生が「実家近いし安いし広いし友達いっぱいいるし、いいんじゃね?」って感じで私の住む団地に部屋を買ってるのが数人います。
私はそんな中で、いまだ独身で、3LDKに1人で1階に住んでます。
両親は違う棟にいながら!わたし1人で別棟に住んでるの!文句ある!?(言わせない)

両隣は私を幼少時から知ってる人ですし、ふたつ上は幼なじみですし、近くの酒屋は同級生の実家なので私の行動は実家や近所に筒抜け。という、ある意味安心な環境です。

私はあまり家にいないのでね〜。
回覧板がうちで滞っちゃったら先にまわせる人が見てくれてます〜。
実家がどこかも知ってるので「お父さんかお母さんに聞いといてね♪」とか言われます〜。

んで。
いま、ひとつ上に、小さい子供のいるご家庭がいるらしいんですね。
最近は引っ越しのご挨拶をするとかえって問題があったりするので、挨拶無しが多いそうですし(私は親が勝手に近隣に挨拶終えてた。棟が違うだけで近隣顔見知りなので「娘が単身来ますヨロシク〜」な感じだったらしい。)気にしてなかったんですね。
で、わたし、仕事してるとホントにマトモな時間に家にいないので全く気付かなかったんです。
今年に入ってホントに暇になってしまい。
そしたらまー!
午後の、ある時間から、上の階で走り回る走り回る。
行き止まりになったら元来た道に戻る。
また行き止まったら(エンドレス)。
って感じのドスドス音が延々。

…子供は24時間走ってるわけじゃないですからね。
力尽きれば終わるんです。今日のところは。
こんなに走り回る年齢も、たぶん、永遠に続くわけじゃないんです。
たぶん。たぶんね。
あの元気さからして男の子かな。と勝手に思ってます。
幼稚園や小学校に入ってグアーっと体力使うようになれば、2時間も3時間も走り回ることは終わると思ってるんです…
私自身、必ず毎日家にいるわけでなく、最近仕事がなくて暇でどうしようもなくてずっと家にいて、音がうるさいだけですから。。
自分の家族が迷惑被ってたらともかく、私だけ、暇なときだけなら…
我慢…
今日は、した。うん。
我慢してたら終わった。
そんなもんだよね。きっと…


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メンタル#11…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

進路のことは本当に行き詰まりました。
最初に消去法で。
教師にはならない。いままで尊敬できる教師に出会ったことがないから。
幼稚園や保育園の先生とかになりたい。
でもピアノが弾けない。
習って練習すればいいよ、と言われるのだが予備知識があまりにもなさすぎ。
習って練習すれば、という人は幼少期に若干でも何かしらを習ったことがある人なんですね。そう簡単に習得できる気はしないし、ピアノのコンプレックスが引っかかってほかのことが伸びなくなりそうだから諦めました。
(これは後に同じ理由で妹も諦めていました…)
好奇心としては、私はSF作品が好きなので、天文台とか、航空宇宙学とかにと〜っても興味がありました。
地学はともかく…数学が…物理が…
頑張るにも、どうにも、頑張ろうと思って教科書や参考書を広げてもアタマが全く動かなくなる。
地学は教科書を読めばサッサと理解できて、公式もパッパと覚えて、地震の伝わる速度とか惑星の距離の計算とか一発正解すぐできるのに(もうできません)、数学や物理になると何故こんなにも分からないんだろか。何故なんだろか。
生物も割と理解できるんだけど…
化学は父が専門なんだけど、専門家の人は、分からない人が何故分からないのかが分からないので、教えてもらおうと思って聞いても「なんで分からないんだこのバカ何を勉強してるんだ!」と怒られるのでもういやだ。


とりあえず数学のないクラスに入ったし。
でも、文学部行って何するかなあ…
経済とかも全然興味ないんだよなあ…就職に有利って言ったって、そういう業界に全く興味がないのに、勤まらないだろうし、そもそも興味ないとこ行っても続かないだろうしなあ…商業とか政治とかにも全く興味がないんだよなあ…
外国語は、興味ある人と分かる人に任せる。私はいいです。
音楽はもちろん無理。
声量がちょっとばかしあったので、声楽科を目指してるクラスメイトに「歌はクラシックだけじゃないんだよ!こんな学部もあるんだよ!こういう人が出身なんだよ!」勧められましたが、いやいやいや…ちょっと現実的でなさすぎる…リトミックって何?って状態から追いつく時間が全くないっす…

だいぶ前から私は絵を描く人になりたいと思っていました。アニメーションにも興味があって。
で、美大に行きたいと思い、美大受験用の予備校に行きたくて母に相談したのですが

「お母さんだって習いたかったのにやらせてもらえなかったんだから、自分で稼げるようになってから習いなさい。」

と、意味の分からない言い方で一蹴されました。

「美大に行きたいの。」
「勝手ばっかり言って通用すると思うな!」

もう、相談するだけ自分がどんどん惨めになってゆく。
進路のことなのに。

私は高校の3年間、芸術科目は美術を専攻していました。
美術の先生がいろいろなことをさせてくれる方だったので、デッサンは一年の初期の頃だけで、あとはコラージュとか日本画とか、油絵でキュビズムとか、陶芸とか、七宝焼とか、鎌倉彫とか、自由手法でシュールレアリズムとかを楽しませていただきました。
日本画と鎌倉彫は次の学年へのお手本として美術室に展示してもらえました。
シュールレアリズムは最後の作品となったのですが、アタマのおかしい私があちこちからガラクタを集めてきて明らかにアタマのおかしい作品を作って呆れられました…

私が美大受験用の予備校に行かせてもらえない理由で美大受験を諦めようとしていることをクラスの友人に話したら、美術部で、美大受験組の先頭を走っていたような同級生が美術の先生にその話をしてくれたそうで。
放課後に美術の先生に呼び出されました。

「…って聞いたんだけど、本当?」
「…はい…。」
「お前はきっとそういう道を選ぶと思ってた。」
「……そうですか?」
ま、あのアタマのイカレタ作品作った時点で私が家庭でどんな目に遭ってるのかは美術の先生にはなんとなく想像がついてたと思います。。。

美術の先生から言われたことは、《落ちる人は何年習って何年浪人しても落ちるし、受かる人は習わなくても受かるもんだ》ということでした。
習わせてもらえなくても、放課後に美術室に通って練習すればいけるかもしれないぞ。
という内容でした。
ほんとうに、ほんとうにありがたいことだなあと思って、確かあの時泣いてしまったと思います。
でも、ずっとプロに習いながら絵の練習を何年もし続けている人と、私が、もし万が一受験で同時に合格してしまっても、そこから先追いつけるとはとても思えなかったのです。
うちでは浪人は絶対に許されないし…穀潰しって殴り殺されそう…

その頃美大に行ってそれで何するのかとか具体的な考えはまだありませんでした。
ただとにかく、ビジュアルで何かを見せることについて学んでいきたい、それが私にできること。なのか。したいこと。なのか。わからないんだけども。
目標をそっちに定めてみよう。
とりあえずそれだけ決めました。

続きます。


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2015/02/25

メンタル#10…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

高校のときの精神状態は、本当に、無茶苦茶でした。

同級生達のほとんどは、はつらつとした健康的な家庭で、愛されて、大切にされて、情操教育をたっぷり受けて、すこやかに賢く美しく育ってきた子達がたくさんいました。
文武両道、部活動でも良い成績をおさめ、成績優秀。

私ときたら…

家に閉じ込められ、殴られ、罵詈雑言を浴び、養ってやってるんだから家賃を払えと言われ、じゃあバイトすると言うと「あんたみたいな恥さらしな子供を他所様に見せられない!」と罵倒され、お友達との外食外泊禁止、いきなり「死ね!」と叫んで部屋の中に突進してきて殴られ、「出ていけ!」と冬の寒空の夜中コートも着ないで家から押し出され(靴はなんとか蹴り出して確保)近くの公園の滑り台に座って、

「今日は隣の駅のお友達の家でお泊まり会やってるんだよな〜。呼ばれたけど親に許してもらえなかったの。家の恥を他所様の家に泊めさせるなんてできない。って。歩いてあそこまで行けるかなあ。途中の畑だらけのところ、どう歩けばあっち側に行けるのかなあ。お財布も何にも持ってないから電車に乗れないしなあ。どこかの交番に行って保護してもらおうかなあ。でも高校生だしなあ。カッコわるいなあ。それともこのまんま繁華街にいってブラブラして補導されちゃおっかなあ。でもその後きっと殴る蹴る死ねが激しくなるだけだなあ。」

と、本気で考えました。

1時間くらい寒さに耐えて、うんざりして家に戻ってみたら鍵が開いてました。
こっそり部屋に戻ってベッドに潜りました。

翌朝母が私の帰宅に気付いて

「どこに行ってたの?いくら待っても戻ってこないんだもの、心配したわよ。」

どの口が言うか。


本当に家にいるのが嫌で嫌で、勉強してても邪魔してくるし、母は専業主婦なんだから買い物くらい自分で行けばいいのにあれ買ってきて〜とかうるさいし、本気で拒否るとわーわー泣き、父も一緒になって私を責める。
ほんとに予習とかもっと根詰めてやらないと成績本気でやばいのに、なんでこの人たち邪魔するの〜!!ぎゃあああ。
と、もう、予習も復習も進まず理解も進まず、イライラは治まらず、無茶苦茶。
朝起きたら母が珍しく起きてきて、何か勝手に怒り狂ってる。
いつも通り勝手にお弁当詰めてたら、母の聖域の台所を私が使ってるのが気に食わないらしく更に怒り狂う。
「そんなに弁当作ってほしいならそれなりのことしろ!!」
と叫ばれるんだけど、全然意味が分からない。

とにかく台所から追い出されるので、詰めてる途中のお弁当箱を置いたまま、もう今日はコンビニで何か買おう。またお小遣いがなくなっちゃうなあ。
と支度を進めてると

「作ってやったぞ!文句あんのか!少しは感謝しろ!!」

と弁当箱を投げよこしてくる。

なんなの?
なんなのこのひと??

そんなお弁当食べたくないので、玄関に放置して学校に行きました。

帰宅すると
「お弁当持っていかなかったの?せっかく作ったのにぃ〜。」

なんだこいつ。

「私が自分で詰めてたのに横から入ってきて罵詈雑言叫びながら作った弁当なんか食べたくねえよ。」

と、言いました。
その後の母の反応は覚えていません。


のちに医師に言われたことですが、私が演劇とかそういった非現実の物語とかの中で生きたいと思ってそういう進路を選んだのは、耐え難い現実から逃避するため無意識のうちに逃げ込んだということかもしれない。そうです。
なるほどな〜。

演劇部は楽しかったです。
大会とかではブロック大会でさくっと敗退が毎回の結果でしたが、女子校というハンデもあり、顧問が指導するタイプの部活ではなく部員が自分たちで考えてあーでもないこーでもない。と、文化祭や新入生歓迎会などの校内発表会をメインに作っていました。
うちの高校には別にミュージカル部と英語劇部があったので、それらとは明確な違いが出るように注意していました。

私は全身刺だらけだったので、何かと口論になり、未だに友人達には「Namiと○○のバトルがすごかったよねえ〜。どっちも正論なんだけどさあ〜、どっちも譲らないのあれホント毎回今思えば面白いよねえ〜」と言われます。
お互い喧嘩してたつもりではないのですが…私の言葉が刺だらけだったのは認めます…

だって、刺でも生えさせなきゃ自分を守れなかったのですから。

続きます。



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2015/02/22

メンタル#9…高校生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと
メンタル#8…中学生時のこと

の、続きです。

高校に入ったら、私より優秀な人がドカドカたくさんいてびっくりしました。
まあ、合格の目安となる点数のギリギリだったので、あたりまえかぁ…。

それを自覚する以前に、授業の進み具合の容赦なさに唖然としました。
予習して、その日の授業内容を予め理解してから復習的に授業を受けるのが皆さん当たり前のようでした。
なんじゃこりゃ!!!

私は中学まで、ちょっとだけ勉強ができる方でしたが、ただなんとなく分かってただけでした。
勉強ができる子は、授業ではそれを悟らせず、どうにも授業が進まなくなった時に、塾とか英才教育を受けてる子が指されて答えるくらいでした。
それがまあ!
高校では、みんな前に出る出る!!
なんのこっちゃ?と思ってる間に授業は先に進む。
何の話してるのか分かんない。。。
分からないまま、授業が終わる…

成績も、実際、ほぼ最下位でした…ははは…
赤点とって追試受けても赤点でした。
特に理系。数学物理化学。
父が化学の専門家なので、この三つはできて当たり前とされていましたが、全く分からない。
何の話をしているのか全く分からない。
公式の意味が分からない。
だからなんなのか分からない。
何で分からないのと言われても何の話をしてるのか分からないので「何も分からない」しか言えないという…
わたし、ほんとに、よく卒業できたなあ…
地学と生物だけは教科書を読んだだけで理解できて、毎回ほぼ満点取れてたのですが、これは選択希望者が少なくて1年きりしか授業が受けられなかったのと、数学が分からないのでは理系に行きようがありませんでした。
なので、3年生になって進学希望先にあわせてクラスを選ぶときは、数学のない芸術系、短大・専門学校希望者向けのクラスを選びました。


完全に言訳ですが、その頃私は家で実のある勉強をする精神的余裕が皆無でした。

高校に入り、母から殴られるのは毎日になりました。
勉強のため、有意義なテレビ番組を録画して家で見ると必ず殴られました。
「教養としてこれは見ておくべきな番組なの!!」
なんて言葉は通じません。
母にとっては、濡れ場つきサスペンスドラマのほうが大事なのです。
というか、私が自由にテレビを使うのは許されないことだったのです。

学校の勉強は完全について行けなくなっても、せめて一般教養くらいついて行きたかったのですが、テレビという方法は、殴られるので無理になりました。
お友達と、興味深いとある番組の話題になり「録画してるの見たらまた話そうね!」と言っても、私は見ようとしたら殴られまして。

「…録画はしてあるんだけどね。見ようとすると殴られるの。」
「…え?えええ??なんで??」
「お母さんがテレビ見たいのに私が使ってると見れないから?みたい。」
「じゃあお母さんが見たい番組がない時に見ればいいんじゃないの??」
「そうしたんだけど、今お母さん見たい番組ないでしょ、だからビデオ見るねって言っても殴られるの。」
「…なんで…??」

わけがわかりませんでした。
妹や父は好きな時間に好きな番組を見ても絶対怒られないし、好きな時間にテレビゲームをしても全く怒られませんでしたが、私は何しても殴られました。


高校の部活に入るとき、いろいろ悩んで、演劇部に入りました。
ずっとのちに神経科に罹るようになり、主治医に言われたこと。

「現実の生活があまりにも辛かったから、無意識のうちに非現実の世界を生きられる、お芝居とかそういった世界に逃げて行ったのかもしれないね。自分を守るためにね。」

…そうなのかもしれません。

女子校の演劇部なので、男役もありまして。
何度かやらせてもらったのですが、華奢で背がちょっと低めで、声の高い私にはいくら女子校演劇部の世界でも限界があるなあと思いました。
そして、身体能力も低く、音楽の素養も、演劇の知識も全く無い自分を自覚し、私はいったい今まで何をして生きてきたんだろうかと呆然となりました。
そもそも、生のお芝居を見たことがなかったんです。
…いや、あるにはあったか。
中学生のとき学校の体育館で演劇鑑賞会をする劇団がまわってきて、何か見ました。
モンテ・クリスト伯だったと思います。うちの中学校には舞台面がないので仮設し、イントレ移動で情景を抽象描写したものでした。
…面白くなかったんだな〜これが。。
一応現在はそっち側の業界にいますが、客観的に回想してもあれは面白くなかったなあ〜。。。

中学生の時と同様、口が悪いので部活の仲間を何度も怒らせました。
家で毎日殴られながら死ね死ね言われてると、誰が何に傷つくかとかもう全く分からなくなってました。
みんなはそんな生温く、おうちで過ごせるのね。羨ましいわ。

それでも、うちの高校は、いじめとかはなかったです。たぶん。
こんな私でも、親しくしてくれる部活のお友達はいました。
ただ、日々理不尽に殴られてる私の悲壮感がオーラに出てたのか
「なんか背中に孤高な雰囲気がにじみ出てるよ!だいじょうぶ??」
と言われたことがあります。
全然大丈夫じゃなかったです。。


続きます。


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2015/02/19

メンタル#8…中学生時のこと

メンタル#1…幼少期のこと
メンタル#2…幼少期〜小学生時のこと
メンタル#3…小学生時のこと
メンタル#4…小学生時のこと
メンタル#5…小学生〜中学生時のこと
メンタル#6…中学生時のこと
メンタル#7…中学生時のこと

の、続きです。

さて高校受験だぞ。
という時期になりましたが、うちは田舎から出てきた転勤族なので、このあたりの高校のどこがどうなのかが全然分かりません。
うちから一番近い高校が、結構レベルが高くて、「近いからいいんじゃない!?」なんて親に言われましたが、世間知らずの私が電車にも乗らない高校に行ったら世間知らずが一生治らんわ!
と、拒否しました。
それ以前にその学校に合格するための学力が足りませんでしたが…

当時の私の学力は、とにかく数学がネックになっていました。
数学が他の教科くらいの点数取れればだいぶ上がるのに…という…
どうすればいいんだろ〜。
と思ってたら、塾の先生が、県立の女子校を勧めてきました。
えっ。女子校??
考えたこともなかったのですが、友人たちと志望校の話になると、その学校に憧れてる子が沢山いたのです。
そうなのか〜。


私はその頃から徐々に、男性恐怖症というか、大人の男性を気持ち悪いと思うようになり始めていました。
たまにしか帰ってこない父が、なにかと私に触ってくるのが、吐き気がするほど嫌だったのです。
いくら止めてと言っても「可愛がってるのに!」って、可愛いからって胸を揉む父親がどこにいるんだ!と言っても聞く耳持たず。
父の手が伸びてきた時点で叩き払うことが増えてきました。
母に殴られ、父に触られ…
地獄でした。

それもあり、先生は男もいるでしょうけど、女子校だったら、なんか、男をめぐっての女同士のドロドロとかなさそうで、いいんじゃん?
と思うようになりました。

それを両親に告げると
「お父さんとお母さんは高校で出会ったから、できれば共学に行ってほしい。」
と、父に言われました。
なんだそりゃ。
未来の夫を見つけに高校に行くわけではないんですけど。
と、完全に無視しました。

で。で。
当然、
「Y君はどこの高校を目指すんだろう。」
と、気になりますが、誰も何も知りませんでした。
Yくんと幼稚園くらいの頃から仲良しのOくんでさえ、「何も教えてくれないの…」と、しょんぼりしていました。
(社交的なOくんと、たしか3年間同じクラスだったんだっけな。いつ頃からか仲良くなり、実はYくんに憧れてるんだ。という話をしたのです。『Yくんはすっごくいいヤツなんだよ!なんでもできるし、優しいし、昔はよく一緒に遊んだんだ!オレ応援するよ!』と、Yくんの部屋の間取り図まで描いて教えてくれました。笑。)

どうにも情報が出てこなくて。
塾は同じだったけど、ランクは同じでも曜日が違ったので詳しいことは分かりませんでした。学力的には当時おそらくややYくんのほうが私より上だったんじゃないかと思います。数学の分…。涙。

なんだか、頼んでないのにいろんな友人がYくんの受験傾向情報を探ってくれて(汗)結局、受験が終わるまで誰にも分かりませんでした。


なんだかんだあり私は志望校にナントカカントカ合格しました。
ギリギリでした。。
当時は公立高校の受験チャンスは1回きりでした。
私は私立高校は滑り止めからチャレンジ校から尽く全滅して(涙)まだ願書受付してる都内私立高校に慌てて出願、受験、なんとか合格し、最後の最後の本命校に漸く合格しました…
高校浪人になってしまうかとヒヤヒヤでした…

Yくんですが、受験のために学校に来なかった日に試験があったのは、近隣では、私立のちょっと変わったところだけでした。
どういうことなんだろう…
と友人たちが心配してくれてました。

たしか、合格速報みたいなのが塾から配られて。
Yくんが合格したのは近畿地方の高校でした。

どういうこと?
引っ越しするの??

けど、お母さんやお姉さんたちはその後も変わらずその家に暮らしていました。
当時は考えもしなかったけど、ご両親が離婚してYくんはお父さんについていくことになったのかな。と最近やっと腑に落ちてきました。
そうでなければ、卒業文集にあんな書き方はしないよな…


卒業を目前にして、喪失感がどんどん増してきました。
Yくんが遠くに行ってしまう。
私はこれからどこにココロを逃がせばいいんだろう。
高校に行けば新しい何かが見つかるかもしれない。
…って、何があるんだろう。

卒業式のあと、いろんな友人たちが「Yくんのボタンまだ第二ボタンだけ残ってるよ!!」と伝えに走ってきてくれました。
第二ボタンだけって、そんなネタみたいなことになってるなんて…
Yくんはとてもモテました。考えてみるとあまり喋ってるところを見たり聞いたりしたことないんだけども、文武両道で寡黙(ってほどでもないけど)で、ハンサムというか整った顔立ちなので、なんか誰かが投稿したらしくティーンズ向けの雑誌に『うちの学校のカッコイイ先輩♡』みたいなコーナーに載ったこともあるくらいモテてました。

私はボタンはもらいに行かないとだいぶ前から決めていました。
ボタンだけ手元に残ってYくんがいなくなったら、自分がもっと乖離してしまう恐怖心がありました。
万が一。
があったとしても、遠距離恋愛で満たされるにはまだ幼すぎましたから。


卒業間近のいつだったか、もう授業もないので自習時間なんだか自由時間なんだか、ただみんなでワイワイおしゃべりしてるだけのとき。
私は廊下への出入り口付近で何かボケッとしてました。
その時、隣のクラスのYくんが珍しく私のクラスのところに用があるらしく、人気のない廊下にトコトコ出てきました。
ああ。Yくんだ。珍しいなあ。一人でうちのクラスの誰かに用があって来るなんて。
うちのクラスを覗き込むYくんを横目で見ながら、私は本当にぼんやりとしていて、自分がYくんに声をかけられていることに全く気付きませんでした。
今思うと、乖離してたのかなあ。
誰かを呼んでるなあ。珍しいなあ。
と思いながら私は何かを思って、自分の席に戻ろうとしたんだっけな。
そしたら
「あっ、ねえちょっと待って!」
と声をかけられて、えっ、ええっ?
と我に帰りました。
えっ、私に声かけてたの??ごめん、ココロがどっかに消えてた。
「あっ、えっ、はい。なあに?」
同じサッカー部のMくんに用があったらしく、「Mくん呼んでくれる?」と言われました。
「Mくん?ちょっと待ってて。」
と言うとYくんは教室と反対側の壁にもたれてうつむき、壁を後ろ足で軽く蹴っていました。
珍しいなあ…
Mくんは、学年一と言っても過言ではないくらいモテる子でした。
けど当の本人は自覚が全然ないみたいで、誰にチョコレートをもらおうが誰に誕生日プレゼントをもらおうが誰に告白されようがどれもこれも華麗にスルー。だった不思議くんです。
ずっと同じ部活だったから何かしら用はあるだろうと思うけど、校舎内で会話をしているのを見たことがなかったので不思議だったのをよく覚えています。
Mくんは男子にも人気者で、10人近いかたまりでワイワイお喋りしてるので、私はMくんを見て「おーいおーい」と手を振って「呼んでるよ〜」と廊下を示してボディランゲージでやっとこさ使命を果たすことができました。

…中学校でYくんと言葉を交わした記憶は、今ではこれしか覚えていません。


こうして私はココロの癒しを失って、次のステップへと進んだのでした。

続きます。



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