2015/02/01

幼年期の終わり

こんばんは。

私のメンタル歴の話はちょっとお休み。

今日、夜明け前に仕事現場へ向かう電車を待つ駅舎のなか、スマホが表示した速報に体中が凍りつくような気持ちになりました。


まさか。

まさか。

まさか。

私はあまり政治・国際的な話はしたくないのです。
私はあまりにもその分野に無知なので、無知なくせに今分かってるつもりのことだけをひけらかして旗は振れないと思っているのです。
だけど。
だけど今回は違いました。

知らない方です。
親族でもありません。
けど、私の親族には同音異字の人がいます。
それもあり。
それまで全く知らなかったこの方のこれまでの行動、そしてお写真などを見て。
この方はきっと帰ってくる。
帰ってこなくてはならない。
そう想っていました。


私は、衝撃的な経験やヴィジョン、伝聞を自分のなかに取り込みすぎてしまう癖があります。
現実に目を向けなくてはいけない。
私はそのせいで自分の健康を損ねて身近な人に迷惑をかけがちなので、今は、敢えて、映像に向き合わないことを選択しています。

なので、公開されたという動画+ブラックアウト+静止画は見ていません。
仕事中に事務所のテレビで見たあれは、その一部だったのかもしれません。
けど、帰宅しても、追いかけないことにしました。
しばらくはテレビニュースをじっと見ることも控えようと思います。

そうしないと、私が勝手に一人で潰れてしまうから。

映像は見ないように気をつけても、文字は追ってしまう。

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どうして?
どうしてこんなにわけのわからないことになってしまうのでしょうか。
かつて栄えて滅びた文明の存在を知ってる今の地球人類なのに。
戦争をしないと決めた国なのに。

わけのわからない組織に自国民が捉えられていることを知りながら、彼らを刺激する発言をした人。
表沙汰になったら速攻帰国した人。
帰国しても新年会に参加して飲み食いしてたらしい人。
捉えられた方のお母様との面会を拒否したらしい人。

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どうしてね。
人間は、世界を牛耳ってるわけではないことを、忘れちゃうんでしょうか。

人間世界が今ここにあるのは、宇宙のなかで起こっているとんでもない偶然のおかげなのです。
ちょっと環境が変われば、氷河期。
または、その逆。

ちょっと大きな隕石が地球にぶつかっちゃったら、国がいくつか消えるでしょう。
少し前に、ロシアにちょっと大きな隕石が落ちました。
あれが日本に落ちてたら、どのくらいの市町村が消えていたでしょうか。

ほんの少しの違いなのです。
ほんの少しの違いで、ロシアの方には被害がありましたが、たまたま人が少ないところに落ちただけ。
隕石の落下地点が予測できたところで、誰がどうそれを、地球に影響無いよう破壊できるでしょうか。
自力でできないなら、力のある国が助けてくれるようにお願いするか、お祈りするしかありません。
どれほどの国に、その力があるでしょうか。

地球はひとつ。
一カ所が汚染されたら、完全ブロックなんかできるわけがありません。
地球は一日一回転してるんです。
みんなが見てる空は、ひとつなんです。
ぜんぶ、つながっているんです。
大気圏まで包囲するほどの完全密閉ドームもなしに、どうやって完全ブロックするつもりなのでしょうか。
そんなことも忘れる人。

国民の安全を絶対に守る。
みたいなことを言ってたはずですが、何故そんな人が、何ヶ月も前から国民が異国で窮地にいて家族が脅迫されているのを知りながら、脅迫者を刺激するような言動をするのでしょうか。
窮地にいる方の母親に会って、勇気づけることさえできない人が、何をのたもうているのでしょうか。

きもちわるい。
心の底から、きもちわるい。

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私の愛読書。
A.C.クラーク
「幼年期の終わり」

   

SF好きには最早古典ですが、決して色あせない、すべての人に読んでほしい本です。
あるとき地球にやってきた「上帝(オーバーロード)」
彼らは何故、何のために地球にやってきたのか…

SF好きな人にはもはや常識のようなこの物語。
すべての人に読んでほしい。
我々がここにこうして生きているのは、何故。誰が?

Kindle版にもなってます。



なんだかアフィ目的のエントリみたいになってしまいますが、ほんとうに、すべての人々に読んでいただいて、今自分がここで生きているのは、どれほどの偶然なのか、どれほど拙いものなのか、どれほど小さく、どれほど貴重で、どれほど奇跡なのかを。
皆で、自覚をしましょうよ。

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私はまだ、文字の情報だけなのに、悲しみを抱えきれずにいます。
きっと今夜、夢にうなされると思います。
けど、私の願いは「夢オチ」ですが、その映像は、夢なんかでオチなくて、それこそがただ唯一の現実なのかもしれない。
現実を受け止めるには、現実として配信されたというそれを見なくてはならない。
そして判断をしなくてはならない。

現実だと判断したら、いや、しなくても、私はしばらくうなされるでしょう。
それは、受け止めなくてはならないもの。

受け止めきれないと判断して見ないのも、ひとつの、強さ。
けど、心は、配信された現実の映像があるのなら、それごと受け止めたい。
それは私を潰すかもしれない。
私自身を潰さないための選択。それこそが「強さ」では?

これは、ただひたすらに、エゴなのかもしれない。
自分可愛さになんとなく悩んで、そんな気になってるだけなのかもしれない。

いづれにせよ。
あれほどの苦しみに遭った人がいる。
愛する人があんな目に遭ったことを知り、苦しんでいる人たちがいる。
私の血縁ではなくても。
知らない人でも。
それは、生きるもの全てにとってのあまりにも惨い苦しみ。

生きるものとして、私はいつまで目を反らしていよう?
私はいつまで、他人事のつもりでいよう?

そうして、どういう方法で反旗を揚げようか?




幼年期はもう、終わりにしようよ。




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