2017/02/12

おもいでばなし。つづきの4。

四半世紀前の思い出話。
まだ続きます。

私は中学生の頃まではまあまあ勉強ができていたのですが、塾に行ってる子と比べると差があるなあと思ってきていました。
うちは父がバリバリの理系なので、教えてもらおうと思って聞いても「なんでこんなもんがわからんか!」とぶっとばされたり(わかんないから聞いてるのに...)「おっぱい大きくなったか」と胸を弄られたりするので父のことが大嫌いになりました。
それもあって男性不信になったのですがその話はまたいつか。

で、私も塾に行きたいと言い。
近所の子とか、大勢が行ってたから許してもらえたのかなあ。Y君も通ってる進学塾の入塾テストを受けて。Y君と同じレベルのクラスに合格しました。
女友達と一緒に通って、塾の行き帰りにお喋りするのが楽しみだったので(オイ、勉強は...)しかもその子...Mちゃんは(も)Y君のことが好きだったので、放課後の唯一の楽しみとして通塾していました。
Y君とは違う曜日だったのですが、都合によって同じレベルの違う曜日のクラスに行くこともできました。
Y君会いたさに他クラスすることはありませんでしたよ!私はそんなマメな女じゃありません。

で、女子には延々女子トークがあるように、男子にも延々男子トークがあるのでしょうか。
Y君が塾に通う曜日、男子たちもチンタラと集団で帰宅します。
当時は最寄りにバスが通っていなかったので、ほぼみんな自転車です。
男子軍団の中、Y君は中心人物ではなかったのですが、いつもなんとなく群れの外縁にいます。
そのときだったか、別の休日だったか。
あれ?
と思ったことがありました。
バッグです。
あの頃の中学生男子の私用バッグって、なんて言ったらいいんだろう。
Y君が持っているのとはとにかく違ったのです。
200mくらい離れたところから見たものですが、Y君は、黒の、たぶん合皮の、A4サイズくらいのクラッチバッグを持っていました。
今でこそクラッチバッグはおしゃれアイテムかもしれませんが、当時の中学生男子が好んで持つものではありませんでした。
あれ?
お父さんのを借りてるとしか思えない。
あれ?

その疑問は、修学旅行のときに更に明らかになりました。
学校的に過去に何かあったらしく、校外学習という名の修学旅行でした。
私たちの母校は校庭が校舎より低いところにありました。
校庭に一旦全員集合してからバスに乗るために階段を昇るのですが、私のクラスより先に昇ったY君のクラスの中に、明らかに浮いてるバッグが。

...小学校の校外学習のとき、いわゆる、昭和後期の小学生がキャンプで背負っていく多機能大型リュック。というのがあったと思います。
パステルカラーの子供らしい色の無地やチェックやツートンで、メインと、左右に四角く出っ張ったサイドポケット、メインの下部にはA5サイズくらいのポケット。
私はたしか小学生の時、白と薄緑のチェックのを買ってもらいました。
(コールマンとかアディダスとかがお手頃価格の子供用バッグを出してなかった頃だと思います。なんか総合スーパーで売ってるやつ。)
私はたぶん、九州への帰省にも使ったと思います。
中学校の修学旅行は、私はどのバッグで行ったか完全に忘れましたが、下着と肌着と寝巻以外は制服で過ごす2泊3日でしたので、化粧道具もないし、簡素なリュックサックでした。
ボストンバッグの子は、いたかなあ...。いたかも。
今現在大荷物で、いつでも一週間くらい泊まれそうなバッグを担いでまわってる私ですが(仕事道具だい!)結構簡素な荷物を、黒の合皮のリュックに入れてました。
今思えばすっごい軽装だったなあ。何持って行ったんだっけ。

自分のクラスが進む順番を待ちながら、先行組を見送りつつ...

...今、バスに向かって階段を昇っている、小学生が持つような白と水色のリュックサックを右肩に乗せて昇って行くのはY君...
黒の学ラン、紺ブレ女子がほぼ全員黒いバッグで進んでいく中、小学生が使う水色のリュックサックは目立ちました。

...え?
...と、いちばん思ってるのは本人だろうな...
どうして?
お姉さんと妹がいるのは知ってる。お姉さんがいくつ上なのかはわからない。
中学生男子が学ランでこのリュックで修学旅行に行くのは浮くって、分かってるおうちのはず。
学習塾やスイミング、その他いろんな課外活動をさせてるおうち。だから団地の子供会に参加してなかったはず。お金がないという理由じゃないはず。
何かが起きている。
...何が??

意を決して聞いたところで、家庭の悩みが原因で得体の知れぬ病気をしまくってた私が解決できることではない。答えてもらえたところで、私の好奇心を満たす以上のことはできない。
けど...

Y君がどんな想いであの修学旅行を過ごしていたのか。
もう、想像すらできない年月を生きました。


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2017/02/11

おもいでばなし。つづきの3。

四半世紀前の思い出話をしています。

中学校は、私もY君も公立中学校に進みました。
Y君の家はどうか知らないけど、私は中学受験の存在を6年生の3月まで知らなかったので、引越し以外で違う学校に行くお友達がいると気づいてませんでした。

私たちは団塊ジュニア世代なので、中学校のクラス数はmaxでした。
私たちの小学校からは、公立中学校に行く人は全員同じ中学校でした。
近隣小学校から半数と、別のところからは3分の1くらいかな。合流して、9クラスありました。
クラス替えは1年から2年になるときだけ。2年から3年はクラス替えはありませんでした。
私とY君は中学で同じクラスになることはありませんでした。
2年3年の時、隣のクラスになりました。

1年生の時。
お掃除の時間に割り振られるエリアはたしか1年間固定だったと思います。
クラスの半数は自分の教室内。
何人かは、理科室とか技工室とか他の教室。
単独行動させてもちゃんとやりそうな私のようなタイプは、ひとりでエリア担当させられていました。
1年生の時に私が担当させられたのは、体育館へ行く通路の一区画。
ひとりかよ!
あたしひとりかよ!
なんだよこれ!みんなは大勢で仲良くやってるのに!!
と、配分の理不尽さに無言でぶーたれていたら、校舎側の一区画を担当するのは、全然違うクラスのY君ひとりでした。
えええ〜!
4組と9組がなんで隣なの!
いいけどさ!

少し話は戻って。
私が小学生の頃は、卒業するときに「サイン帳」を集めるのが流行っていまして。
A6サイズより大きいくらいのバインダーに、写真を貼るところとか、自己紹介とか、メッセージを書くところがあってね、卒業前にクラスのみんなに配って書いてもらって、マイアルバムにするんです。
Y君はちっとも書いて返してくれなくて。
小学校卒業するまで「サイン帳書いたのちょうだい!」とずっと言っていたのですが、なんかもう虚しくなっちゃって。もらえてないのは私だけじゃなくて誰にも渡してないっぽかったし、中学生になっちゃって、お掃除が隣のエリアになったものの、いまだに「小学校の記念のサイン帳!何か書いて早く返して!」と言い続けるのもバカらしくなり、言いたいけど、言うのをやめました。
やっぱりY君はまだ子供だったのかなあ。
私がまた「サイン帳!」と言うのを待っていたような気配は少なからずありました。
小学生の延長をするのがバカらしくて、けど、シャイなんだか人見知りなんだか(今更...)ムッツリなんだか分かりませんが、Y君エリアの砂埃をこっちに吹っ飛ばしてきたり、あら、あっちはもう終わったんだ〜私も終わるよ〜と思って道具を片付けていたら、私エリアに砂埃と綿ぼこりの山がこんもりとできていたことがありました。
おい。
言ってやろうかとなんども思いましたが、この人は私がこう言うのをわかってやってるから、言っても無駄だし、教師の耳に入る大事にしてもとてつもなくくだらないので何も言いませんでした。
今思えば、言い方のバリエーションはあったんですけどね。
当時の私にはできないことです。

続きます。

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2017/02/10

おもいでばなし。つづきのつづき。

四半世紀前の思い出話を書いています。

出戻ってきて、トンデモ担任になって、今だったら裁判沙汰になってるであろうことも多々起こり。

私は酷い喘息持ちでしたので、体育の授業は内容や体調によっては見学が多かったです。
みんながマラソンさせられてる中、一人で、焼き芋焼いてる焚き火番させられたこともあります。
今じゃ無いんだろうなあ。
学校の敷地の端っこの方に、大きな穴があって、枯葉とかそういったものを溜める場所があったんですね。
で、冬になると、燃やすんです。
ただ単に燃やしてもつまらないからと、各自家からさつまいもをアルミホイルで包んだものを持参させられ(じゃがいもの子もいた気がする)その中にぶっ込んで、焼き芋作るんです。
で、体育見学の私はひとり、火の番です。
「そこにいた方が暖かいでしょう。」
一瞬、担任の優しさを見た気がしましたが、小学生に一人でこんな大規模な焚き火番させるって、ありえないでしょ〜。
生真面目な私は、ボケーっと見つめることはなく、無意味に周囲をウロウロ歩いて過ごしました。
で、詳細はさすがに覚えていないのですが、体育の授業の後、火を消して(...消したのかなあ?)アルミホイルに包まれた芋を発掘し、給食の時に食べたんだっけなあ。
給食と体育が大嫌いだったので、速攻忘れました。

そんなんで、運動できない、給食食べきれず居残り、転校で鍛えられて口が悪い、気が強い割には病弱。という私を、なんでY君が好きになるの?と、不思議でした。
本人からは聞かずじまいでしたが。

Y君は、男の子からも人気者でした。
勉強はたぶん当時の私よりできて(私は幼少時は才女だったんです!見る影も無くなりましたよ!!)、運動神経抜群で。
たしか児童会役員に立候補して、なった気がします。
漠然とした記憶で自信がありません。

けど、彼がクラスの中で率先して何かを言いだしたりした印象はありません。
もしかしたらあれはY君だったんじゃないかなあ。と思ってることは、二つ。

蚊に刺されると異常に腫れ上がる体質の私。
腕かどこかを刺されて「わー。」と痒がり。
細い腕を半周くらいする腫れ方が私の通常営業で、みんながわーわー言うなかでひとり
「キンカン塗れば治るよ!」と言ったのが、たぶん、Y君。
当時私の家ではキンカンではなくムヒだったので、CMでは知ってたけど、キンカン?誰が言った?え、あなた?
と、たしか、Y君をきっかけにキンカンの存在を知った気がします。
その場にはキンカンもムヒもなかったので耐えるのみでしたが。

あと、詳細を全く覚えていないんだけど、何だったんだろうあれ。文化祭?そんなのあったか??クラスでお化け屋敷を作ろうということになり、何をどうやって作ったのか全く覚えてないんだけど「こんにゃくが落ちてきたら気持ち悪いよ!!」と言ったのがY君だった気がするのです。
しらたきだったかも。
なんなんだそれは。
と思いながら、なんか、できて。
こんにゃくだかしらたきだかが本当に、落ちてきたんだか触らないといけないイベントだったのか全く覚えてないけど「正体を認識していないブニブニしたものを触るとちょー気持ち悪い!」と知ったのは、Y君きっかけだった気がするのです。

さすがにここまでくるとY君も覚えていないでしょうね...

なんだか、関わりたそうなんだけどシャイみたいで、どう接したらいいのかわからないなあ。
と思ったのが、私が出戻ってきてから1年くらいの印象でした。

まだ続けちゃいます。


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2017/02/09

おもいでばなし。つづき。

前にも書いてると思いますが。
思い出を書きます。

私は小学校を2年ほど中抜け転校していたので、戻ってきたときは
「あ!namiちゃんだ!!おかえり!何組?」
「まだわかんない〜。」
という感じで、面白かったです。
「○○君のこと覚えてる?」
と、何人かに聞かれました。
小柄で色白でそばかすで、素直で優しい子でした。
私が転校する前に、たしか彼も転校してきて、結構仲良く過ごしていました。
昭和時代の小学生の男女って、変に意識しちゃって普通に喋らなかったりしたものですが、○○君はとても素直で、慕ってくれているのがわかりました。
私は子供の頃は姉御肌というか、面倒見がいいほうだったらしく、片思いしてくれてた子はたくさんいたらしいのですが、鈍感な私がそんなことに気づくわけがなく。
昭和の小学生男子はムッツリというか天邪鬼ですので、私には尚更わかりません。

出戻ってきた私に
「〇〇君覚えてる?」
「転校しちゃったんだよ。」
と数人が別のタイミングで言いました。
転校した子は彼だけじゃないのですが、これだけ私に伝えてくるということは。
「そうなのか...。」としか言えませんでした。
淋しかったです。またあのそばかす顔と楽しく過ごせるかなあ、と少なからず思っていたので。

5年生の3学期の途中というすさまじく中途半端な時期に戻ってきて、実質1ヶ月半くらいしかそのクラスにいないわけですから、先生方が扱いづらそうにしてたことをよく覚えています。
6年生には、クラスの面子は同じまま、担任が変わりました。
転校前から《あの先生が担任になりませんように...》と思っていたそいつでした。
私は根アカなんだかポジティブシンキングなんだかバカなんだか《けど、あの先生も、いい人に変わってるかもしれないよね》と、最初は思いました。
思った私がバカでした。
学校燃やしてやりたい。とか、明日になったら担任死んでますように〜。とか相当本気で思ってました。
6年生の時の、今すぐ死んでほしかった担任の所業の話はすさまじく長くなるのでおいといて。

そのとき、Y君の存在を認識しました。
ああ、そういえば近所の。
習い事か何かで、団地の児童会には入ってないけど。たぶん。
その頃のY君は、背の順で前から数えて何人目。って感じの小柄で、ぼっちゃん刈りの、ちょこまかした子でした。
私は小学生の頃は背が高くて後ろから4番目くらいよりノッポだったので、かなりの身長差がありました。
まあ、それから10センチ以下しか伸びなかったんですけどね、わたし。。。

転校前から私を知ってる子も、戻ってきて初めて同じクラスになった子も、なにかしら話しかけてくれたのですが、Y君は遠巻きにそれを見てるばかりでした。
だから、「Y君はnamiちゃんのことが好きなんだよ。」と何人かに言われても「...は?」って感じでした。

長くなりそうなので、次にします。

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2017/02/08

おもいでばなし。

今日は、メンタル病んでる人の話です。

夢を見ました。
Y君の夢です。
Y君は、小中学校の同級生です。
同級生といっても、私が小学校転校して戻ってきたのち、卒業までの1年数ヶ月同じクラスだっただけで、中学校はずっと違うクラスでした。
家が近いので同じクラスになる前から知っていました。
(Y君のことはだいぶ前に書いてますけどね。)

まだ小学生でしたので、誰かが
「Y君はnamiちゃんのことが好きなんだよ〜」とか言ってました。笑。
Y君はその頃はまだ小柄で、ホントに「ガキ」って感じでしたが、スポーツできるし勉強もできる。
私も当時は才女だったのですが、塾に行ってないので、中学受験者向けな問題とかは解けませんでした。偶然解けちゃう問題もありましたが。
Y君はそういう問題も解けていました。塾に行っていたのか、家での指導なのか、ただひたすら賢かったのかはわかりません。
そんなY君に好かれてるとか、本当だったら、光栄だなあ。
と思っていました。

中学校に入ってから、私は、テニス部だった母がうるさいので軟式テニス部に入ってみました。
私はスポーツがからきしダメだったので、なんとかみんなに追いつけないかしらと、夕方、家の近くの公園の広場で練習をしていました。
ボールに紐と錘が付いていて、一人でパコーンパコーンとやり続けるあれです。
あれだと地面に跳ね返る高さから返ってくるので、対人間とやるラリーとは全然違うんじゃないだろか。と虚しくなって30分くらいやって帰ってました。
広場は、子供が野球できるくらいの広さで、私は3塁側からバッターボックスにあたるところでやっていましたが、始めてしばらくすると、サッカーボールのリフティングの練習をしているような音が聞こえ始めることが増えました。
下手くそな練習を見られてると思うと、サッカーの練習をしているのが誰なのか確かめるのも恥ずかしく情けなく、暗がりの中そそくさと小走りで帰っていました。

今思うと、あれはY君でした。
日が暮れて夕ご飯の前か後の時間、中学生がちょっと出てこられる距離の公園。
小柄な人影。
私から遠くに、けれども遊具などのある別エリアに行くこともない、公園の出入り口近くという至近距離に陣取り。

今、その公園で遊ぶ子供達の声を聞くと、いつも思い出すのです。
あれが本当にY君だったなら。
Y君が本当に私を好きだったのなら。

なんて健気で、なんていじらしく可愛らしい少年の心。

そして、今の私なら「やだ〜超下手くそなの見られてるし〜。私苦手なんだよね球技!ってか運動全般!あはは。」とか言えますが、まだ中学生で、いろいろ病んでいた当時の私には無理なことでした。

最近になってその公園の常夜灯が増えて明るくなりましたが、当時はもっと暗かったのです。
あそこで私たちは、恥ずかしくて挨拶もできないまま、黙々と練習していたんだなあ...
と、もう四半世紀も前になることを幻に見て、切なく想うのです。
私はテニス部で友達作りに失敗し、変なグループに入ってしまって嫌な目にあったので1年で辞めました。

そんなY君が、やっと夢に出てきてくれて。
ちゃんと会話ができる。
ちゃんと目を見て話ができる。
どれほどこの日を夢見ていたことか。
夢見て...

夢でした。

どこでどんな仕事をしているのかはわかるのですが、SNSとかはやってないようで、見つけられないんです。
サッカー部だった子たちとは連絡が取れているのに。
あと一歩、見つからない。

Y君は、多分、両親が離婚したんだと思います。
高校受験で地方に行ってしまいました。
Y君と仲の良かった子たちも、どこに行ってしまうのか、何故なのか、教えてもらえないと悲しんでいました。
今だからわかります。
言えなかったんだと。

虐待の日々で壊れていた私にとって、Y君は救いでした。
一言も交わしていないけれど、視線が、立ち位置が、行動が。
私が得ていた唯一の優しさでした。
高校生になってからは、Y君がいなくて。
何もなくて。
崩壊していく心の中で、Y君の思い出だけがオアシスで。

今でも。

幼い優しさが、私を支え続けてくれました。
Y君を探す方法は幾つかあると思っています。
けれど、そんな方法で近づいても、ひたすら気味が悪いでしょう。
誰か、Y君を見つけだして。そして私と繋いでほしい。

夢で会えるなら。
ずっと眠っていたい。


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