2017/02/10

おもいでばなし。つづきのつづき。

四半世紀前の思い出話を書いています。

出戻ってきて、トンデモ担任になって、今だったら裁判沙汰になってるであろうことも多々起こり。

私は酷い喘息持ちでしたので、体育の授業は内容や体調によっては見学が多かったです。
みんながマラソンさせられてる中、一人で、焼き芋焼いてる焚き火番させられたこともあります。
今じゃ無いんだろうなあ。
学校の敷地の端っこの方に、大きな穴があって、枯葉とかそういったものを溜める場所があったんですね。
で、冬になると、燃やすんです。
ただ単に燃やしてもつまらないからと、各自家からさつまいもをアルミホイルで包んだものを持参させられ(じゃがいもの子もいた気がする)その中にぶっ込んで、焼き芋作るんです。
で、体育見学の私はひとり、火の番です。
「そこにいた方が暖かいでしょう。」
一瞬、担任の優しさを見た気がしましたが、小学生に一人でこんな大規模な焚き火番させるって、ありえないでしょ〜。
生真面目な私は、ボケーっと見つめることはなく、無意味に周囲をウロウロ歩いて過ごしました。
で、詳細はさすがに覚えていないのですが、体育の授業の後、火を消して(...消したのかなあ?)アルミホイルに包まれた芋を発掘し、給食の時に食べたんだっけなあ。
給食と体育が大嫌いだったので、速攻忘れました。

そんなんで、運動できない、給食食べきれず居残り、転校で鍛えられて口が悪い、気が強い割には病弱。という私を、なんでY君が好きになるの?と、不思議でした。
本人からは聞かずじまいでしたが。

Y君は、男の子からも人気者でした。
勉強はたぶん当時の私よりできて(私は幼少時は才女だったんです!見る影も無くなりましたよ!!)、運動神経抜群で。
たしか児童会役員に立候補して、なった気がします。
漠然とした記憶で自信がありません。

けど、彼がクラスの中で率先して何かを言いだしたりした印象はありません。
もしかしたらあれはY君だったんじゃないかなあ。と思ってることは、二つ。

蚊に刺されると異常に腫れ上がる体質の私。
腕かどこかを刺されて「わー。」と痒がり。
細い腕を半周くらいする腫れ方が私の通常営業で、みんながわーわー言うなかでひとり
「キンカン塗れば治るよ!」と言ったのが、たぶん、Y君。
当時私の家ではキンカンではなくムヒだったので、CMでは知ってたけど、キンカン?誰が言った?え、あなた?
と、たしか、Y君をきっかけにキンカンの存在を知った気がします。
その場にはキンカンもムヒもなかったので耐えるのみでしたが。

あと、詳細を全く覚えていないんだけど、何だったんだろうあれ。文化祭?そんなのあったか??クラスでお化け屋敷を作ろうということになり、何をどうやって作ったのか全く覚えてないんだけど「こんにゃくが落ちてきたら気持ち悪いよ!!」と言ったのがY君だった気がするのです。
しらたきだったかも。
なんなんだそれは。
と思いながら、なんか、できて。
こんにゃくだかしらたきだかが本当に、落ちてきたんだか触らないといけないイベントだったのか全く覚えてないけど「正体を認識していないブニブニしたものを触るとちょー気持ち悪い!」と知ったのは、Y君きっかけだった気がするのです。

さすがにここまでくるとY君も覚えていないでしょうね...

なんだか、関わりたそうなんだけどシャイみたいで、どう接したらいいのかわからないなあ。
と思ったのが、私が出戻ってきてから1年くらいの印象でした。

まだ続けちゃいます。


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2017/02/09

おもいでばなし。つづき。

前にも書いてると思いますが。
思い出を書きます。

私は小学校を2年ほど中抜け転校していたので、戻ってきたときは
「あ!namiちゃんだ!!おかえり!何組?」
「まだわかんない〜。」
という感じで、面白かったです。
「○○君のこと覚えてる?」
と、何人かに聞かれました。
小柄で色白でそばかすで、素直で優しい子でした。
私が転校する前に、たしか彼も転校してきて、結構仲良く過ごしていました。
昭和時代の小学生の男女って、変に意識しちゃって普通に喋らなかったりしたものですが、○○君はとても素直で、慕ってくれているのがわかりました。
私は子供の頃は姉御肌というか、面倒見がいいほうだったらしく、片思いしてくれてた子はたくさんいたらしいのですが、鈍感な私がそんなことに気づくわけがなく。
昭和の小学生男子はムッツリというか天邪鬼ですので、私には尚更わかりません。

出戻ってきた私に
「〇〇君覚えてる?」
「転校しちゃったんだよ。」
と数人が別のタイミングで言いました。
転校した子は彼だけじゃないのですが、これだけ私に伝えてくるということは。
「そうなのか...。」としか言えませんでした。
淋しかったです。またあのそばかす顔と楽しく過ごせるかなあ、と少なからず思っていたので。

5年生の3学期の途中というすさまじく中途半端な時期に戻ってきて、実質1ヶ月半くらいしかそのクラスにいないわけですから、先生方が扱いづらそうにしてたことをよく覚えています。
6年生には、クラスの面子は同じまま、担任が変わりました。
転校前から《あの先生が担任になりませんように...》と思っていたそいつでした。
私は根アカなんだかポジティブシンキングなんだかバカなんだか《けど、あの先生も、いい人に変わってるかもしれないよね》と、最初は思いました。
思った私がバカでした。
学校燃やしてやりたい。とか、明日になったら担任死んでますように〜。とか相当本気で思ってました。
6年生の時の、今すぐ死んでほしかった担任の所業の話はすさまじく長くなるのでおいといて。

そのとき、Y君の存在を認識しました。
ああ、そういえば近所の。
習い事か何かで、団地の児童会には入ってないけど。たぶん。
その頃のY君は、背の順で前から数えて何人目。って感じの小柄で、ぼっちゃん刈りの、ちょこまかした子でした。
私は小学生の頃は背が高くて後ろから4番目くらいよりノッポだったので、かなりの身長差がありました。
まあ、それから10センチ以下しか伸びなかったんですけどね、わたし。。。

転校前から私を知ってる子も、戻ってきて初めて同じクラスになった子も、なにかしら話しかけてくれたのですが、Y君は遠巻きにそれを見てるばかりでした。
だから、「Y君はnamiちゃんのことが好きなんだよ。」と何人かに言われても「...は?」って感じでした。

長くなりそうなので、次にします。

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2017/02/08

おもいでばなし。

今日は、メンタル病んでる人の話です。

夢を見ました。
Y君の夢です。
Y君は、小中学校の同級生です。
同級生といっても、私が小学校転校して戻ってきたのち、卒業までの1年数ヶ月同じクラスだっただけで、中学校はずっと違うクラスでした。
家が近いので同じクラスになる前から知っていました。
(Y君のことはだいぶ前に書いてますけどね。)

まだ小学生でしたので、誰かが
「Y君はnamiちゃんのことが好きなんだよ〜」とか言ってました。笑。
Y君はその頃はまだ小柄で、ホントに「ガキ」って感じでしたが、スポーツできるし勉強もできる。
私も当時は才女だったのですが、塾に行ってないので、中学受験者向けな問題とかは解けませんでした。偶然解けちゃう問題もありましたが。
Y君はそういう問題も解けていました。塾に行っていたのか、家での指導なのか、ただひたすら賢かったのかはわかりません。
そんなY君に好かれてるとか、本当だったら、光栄だなあ。
と思っていました。

中学校に入ってから、私は、テニス部だった母がうるさいので軟式テニス部に入ってみました。
私はスポーツがからきしダメだったので、なんとかみんなに追いつけないかしらと、夕方、家の近くの公園の広場で練習をしていました。
ボールに紐と錘が付いていて、一人でパコーンパコーンとやり続けるあれです。
あれだと地面に跳ね返る高さから返ってくるので、対人間とやるラリーとは全然違うんじゃないだろか。と虚しくなって30分くらいやって帰ってました。
広場は、子供が野球できるくらいの広さで、私は3塁側からバッターボックスにあたるところでやっていましたが、始めてしばらくすると、サッカーボールのリフティングの練習をしているような音が聞こえ始めることが増えました。
下手くそな練習を見られてると思うと、サッカーの練習をしているのが誰なのか確かめるのも恥ずかしく情けなく、暗がりの中そそくさと小走りで帰っていました。

今思うと、あれはY君でした。
日が暮れて夕ご飯の前か後の時間、中学生がちょっと出てこられる距離の公園。
小柄な人影。
私から遠くに、けれども遊具などのある別エリアに行くこともない、公園の出入り口近くという至近距離に陣取り。

今、その公園で遊ぶ子供達の声を聞くと、いつも思い出すのです。
あれが本当にY君だったなら。
Y君が本当に私を好きだったのなら。

なんて健気で、なんていじらしく可愛らしい少年の心。

そして、今の私なら「やだ〜超下手くそなの見られてるし〜。私苦手なんだよね球技!ってか運動全般!あはは。」とか言えますが、まだ中学生で、いろいろ病んでいた当時の私には無理なことでした。

最近になってその公園の常夜灯が増えて明るくなりましたが、当時はもっと暗かったのです。
あそこで私たちは、恥ずかしくて挨拶もできないまま、黙々と練習していたんだなあ...
と、もう四半世紀も前になることを幻に見て、切なく想うのです。
私はテニス部で友達作りに失敗し、変なグループに入ってしまって嫌な目にあったので1年で辞めました。

そんなY君が、やっと夢に出てきてくれて。
ちゃんと会話ができる。
ちゃんと目を見て話ができる。
どれほどこの日を夢見ていたことか。
夢見て...

夢でした。

どこでどんな仕事をしているのかはわかるのですが、SNSとかはやってないようで、見つけられないんです。
サッカー部だった子たちとは連絡が取れているのに。
あと一歩、見つからない。

Y君は、多分、両親が離婚したんだと思います。
高校受験で地方に行ってしまいました。
Y君と仲の良かった子たちも、どこに行ってしまうのか、何故なのか、教えてもらえないと悲しんでいました。
今だからわかります。
言えなかったんだと。

虐待の日々で壊れていた私にとって、Y君は救いでした。
一言も交わしていないけれど、視線が、立ち位置が、行動が。
私が得ていた唯一の優しさでした。
高校生になってからは、Y君がいなくて。
何もなくて。
崩壊していく心の中で、Y君の思い出だけがオアシスで。

今でも。

幼い優しさが、私を支え続けてくれました。
Y君を探す方法は幾つかあると思っています。
けれど、そんな方法で近づいても、ひたすら気味が悪いでしょう。
誰か、Y君を見つけだして。そして私と繋いでほしい。

夢で会えるなら。
ずっと眠っていたい。


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2017/02/04

リンガーハットできくらげたっぷり塩ちゃんぽんを食べた。

リンガーハット、結構好き。
きくらげたっぷり塩ちゃんぽんを食べました。


国産きくらげってところが良いです。
もっとたくさん入っててもいいのに〜。きくらげ好き。
また食べよう。



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2017/02/03

『ニュー高円寺インディア』でカレーを食べた。

少し前のことですが、高円寺で用事があったので、高円寺に行ったらカレーを食べねば。という勝手な使命感から、『ニュー高円寺インディア』を選んで行ってみました。

ニュー高円寺 インディア | 高円寺中通り商店街

友人と「花菜」には行ったことがあるのですが、ホリデーランチはやってないっぽかったので、今回は『ニュー高円寺インディア』にしてみた。
インドなのかよ高円寺なのかよニューってオリジナルはどこだよ!って感じの名前のお店。
高円寺駅北口から見て左側のごちゃごちゃごちゃっとしたところにあります。

カウンターが4席か5席あったのですが、全部女性1人客でした!
私のあとに来た女性はナンおかわりしてました!


ホリデーランチAセット。
カレー2種類とライスとナンと(ライスかナンを選べて、ナンを選んだんだけどライスもちょこっとついてきた)ドリンクで、税込990円。
マトンとダルサグを中辛で。

美味しかった〜。
特にダルサグがとても美味しかった〜♪
辛さは私は中辛でちょうどいいくらいかな。
美味しいんだけども、なんで店内BGMが日本の演歌なの!
サブちゃん聞きながらナンをちぎってラッシー飲みましたよ。ここは一体何処なんだ。
ニューで高円寺でインディアなのか。そういうことか。

また別のお店も開拓したいけど、花菜にも行きたいなあ〜。
花菜のランチメニューはこちら↓↓

インド・ネパール料理 カナ・高円寺店 | Lunch Menu


 家庭で作れる南インドのカレーとスパイス料理  

  「ナイルレストラン」ナイル善己のやさしいインド料理

↑↑銀座、歌舞伎座そばのナイルレストランの三代目が出してる本です。
ムルギーランチが美味いんだ。


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