知能テスト1位で入学した(らしい)第一期1年生。
普通の公立小学校です。
あんまりいろいろ覚えてないです。
ちょっと前まで、忘れていいことまで何でもかんでも覚えてて邪魔だったんですけど、年かしら。どんどん忘れてきました。
出身幼稚園によっては、幼稚園で既にピアニカは習っていて、持ってる子が半分くらい。
小学校に入って初めてピアニカに触れる、私が行ってた幼稚園の子が学校経由で買ったピアニカの方が鍵盤数が少ないと言うよく分からないことに。
保育園からの子はうちの学校の場合結構少なかったのですが、たぶん楽器屋さんで買ったっぽいのを持ってきてました。
小学1年生のとき。
たぶん知能テストの結果を見て教師が児童の扱いを振り分けるんでしょうね。
順序は忘れたけど、班長さんとかなんとかそういうのをいつのまにかいろいろやらされてました。
あと、何だったのか未だに分からないんだけど、授業中に、他のクラスに行って、やはり授業中のところへお届けものをする。
って仕事がしょっちゅう与えられていました。
授業から多少抜けても勉強に追いつけないことはないとでも思われてたんでしょうか〜。
んでも私も人並みに幼かったので!
1年生の初期の頃。
「みんな〜!ランドセル背負いますよ!さあ並んで!!」
と言われ、何の訓練だろうか?
と、からっぽのランドセルをとりあえず背負って列に並んだら、集団下校でした…
そんなこととはつゆ知らず、ランドセル以外なんにも持って帰らないまま帰宅したわたし…
「おかーさーん…おうちに帰るんだとは思わず、ランドセル背負いなさいって言われたから背負って列についてきたら、お帰りだった…全部学校に置いてきた…」
とても覚えてるエピソードです。
結局どうしたのか覚えてないです。
自分で取りに行った記憶はないし、学校は近くだけど、その頃確かまだ給食がなくて(新設校で給食室の設置が間にあってなかったらしい)1年生だからまだお昼前に帰宅してた気がします。だからたぶん、取りに行く必要のあるものはなかったんだと思います。
そんなんで、よく覚えてないですが、年がら年中班長さんは当たり前。
気がついたら年がら年中学級委員もやるようになってました。
親としては、あたりまえの状態だったらしいです。
両親は高校の先輩後輩の関係なのですが(結婚したのはかなり後のこと。結婚までずっとつきあってたわけではないらしく、そんなに空白期間があった理由はよく分からない。)父はなんかとにかくず〜っと主席。大学だけはたしか1科目負けて次席で卒業だったと聞いた気がします。
母はずっとテニスをやっていて、試合試合試合。
同時にずっと学級委員長だったそうです。
だから私が知能テスト1位なのも学級委員常連になちゃうのもあたりまえだったっぽいし、逆に私も、学級委員くらいできないと家で人格否定されちゃうので、当然だと思ってました。
教育ママパパかと思われると思いますが、親はド田舎生まれド田舎育ちですので、「勉強なんか自分ひとりでやるもんだ」ってかんじで、私はなんにも習ってませんでした。
文化芸術の教養にうちの親は1ミリも興味がないのでそういうお稽古事は一切させてもらえませんでした。
唯一、お習字とそろばんは、それぞれ2年くらいさせてもらいました。
お習字は、団地内の同級生のお母さんが自宅でお習字教室をやってたので、なんとなくの流れで。なかなか上達しませんでした。
そろばんは、関西に転校してたときみんなが習っていて、そのカルチャースクールのある建物に行けば入学案内とか申し込み窓口とかがあるのですんなり手続きしてもらいました。たぶん公営の、お稽古事に特化した施設だったんだと思います。
隣でやってるバレエ教室に行きたかった…
でも2年でまたもとの学校に転校するって分かってました。
戻った先には、近くにそろばん教室が無くて、続けられませんでした。
暗算が超苦手で、暗算のせいで4級を3回くらい落ちました。それっきりです。
音楽関係を習いたかったのですが、「うちはお父さんもお父さんも音痴だから無理」。
バレエに興味を持っても、私は猛烈に体が硬いので「あんたには無理」。
…習ってみたら案外できるかもしれないし、レッスン受ければ体柔らかくなるかもしれないのに〜!!
たぶんレッスンに連れて行ったり面倒見るのがめんどくさかったんだと思います。
ちなみに私たち姉妹は学校に行ってる間に突然の豪雨に見舞われても、一度も傘を持ってきてもらったことはありません。
お友達たちが親に持ってきてもらった傘で帰るなか、まだ低学年で体も小さい妹を昇降口で探して、「雨雨降れ降れかあさんは〜 蛇の目でお迎え来てくれない〜♪ぴちぴっちじゃっぶじゃっぶずぶ濡れだっ!うははは〜!」と上着を妹の頭から被らせながら帰りました。
帰宅すると大抵、母は昼寝しています。んで、起きません。
また、先の話しですが、塾や高校通学で駅方面から帰ってくる時にも突然の雨だと、多くのおうちでは車でお迎えにきてもらったり、車じゃなくても傘くらい持ってきてくれるそうですが、うちの場合、ダメ元で電話で頼んでも
「眠いし雨だし寒いしめんどくさいから濡れて帰ってきなさい。」
この返事のみです!
他所のおうちでは夜道が危ないからってお迎えにきてくれるそうですが、そんな理由で迎えにきてもらったことは一度もありません〜。
「子供のために送り迎えをする」「子供の教育・成長のために情報収集をする」「子供の気持ちを考える」ということが全く無い家でした。
このため、後年、妹は
「他人の気持ちを思いやるとか、気を遣うってことがなんなのか全然分からない。思いやりをもって優しくしてもらう、接してあげるってどういうこと?」
と、悩んでいました。
冗長になってきちゃったので一旦ここまで。
続きます。
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