2014/06/03

告別式にいってきました

こんにちは。

昨日に引き続き、実家の隣のおばさんの告別式に行ってきました。
繰り返しになりますが、子供の頃何度も救急車代わりみたいに病院に送ってもらったり、かなりおマヌケな母に私たちが振り回されてムギャーってなってた時に何度も助けてもらいました。

今日は告別式。
私は昨夜なかなか眠れず。4時くらいには寝たのかなあ。
2時間くらい寝て起きて、飲むヨーグルトを買ってあったので飲みました。
ほかには何も食べられる状態じゃありませんでしたし…
そんな大量には飲んでないんですけども、バスで駅に行くまでにおなかがキケン。
になり。
最寄り駅のトイレが改修工事のため仮設トイレが改札外にできてるので、直行しました。
わたし普段はよっぽどのことが無い限り仮設トイレとか使わないんですけど、その『よっぽど』でした。

なんとか落ち着き、両親と、駅からすぐ近くの斎場へ。

普段は絶対自分に許さないことなんですけど、参列者のご焼香をしたあとにも続くお経の最中におなかに限界がきました。
どこまでもつか。。
と、何度か山は越えたのですが、

「無理だ…喪主挨拶の前までには回復せねば。ごめんなさい!!」

と中座。。。。
いつもの私には絶対に許さないことですが、そうもいかないときってあるんですね!!
それが、

『今でしょ!!』

ほんとに、眠れてないとはいえ、飲むヨーグルトをちょっと飲んだだけで朝に2回も限界が来るの??
冷や汗をかきながら隣にいる母に声をかけてトイレへ…

またもやシモの話でスミマセン。
さっきあんだけ排出したのに何故またここまで!!
という状態。。。
どこでケリを付けて戻るか悩みつつ…
今だ。
と会場に戻りましたが、ちょうど御導師様退場のタイミングだったので、両親の席の横に戻るとなると御導師様の前を横切ることになってしまうので、係の方に手前側の列へ誘導されました。
そのあと喪主挨拶。
両親の横に戻るタイミングはあったんですけど、まあいいやとそのまま聞くことにしました。

喪主のMくんは前日からずっと笑顔でした。
頑張ってるなあ。と思っていましたが、その理由はちょっと違いました。

おばさんは、いつも笑顔で明るく、愚痴を言わず、おうちをいつも奇麗にして、いつでも前向きな人でした。

『母はそんな明るいひとでしたから、最後まで明るく見送りたいと思っています。
太陽のような人でしたから、この歌を贈りたいと思います。』

(Mくんは音楽家で、声楽でも活動しています。どれが専門なのかよく分からないくらいいろいろやってます。)

Mくんはおばさんのお顔を見ながら、オー・ソレ・ミオを歌いました。
イタリアでも修行した声ですから、すごいです。

そしてその声はおばさんのお顔に向けて奏でられています。
涙が止まらなくなりました。
オー・ソレ・ミオを泣きながら聴くなんて想像したこともありませんでした。
今も思い出しただけで涙が止まりません。

そのあとも、おばさんの顔に触れたり、話しかけたり、おばあさまでしょうか。一緒に話しかけ、『○○さん(先に亡くなったおじさん)が向こうで待ってるからね、また仲良くできるね。』と語りかけていました。
私が見られる間は、Mくんは決して泣かず、ずっと笑顔でした。

こんなにも故人を愛おしみながら笑顔で見送る喪主を私は見たことがありません。
どれだけ大切にされてて、どれだけ大切に想っていたのか。
この三十数年のなか、お隣の一家がどれだけ愛に溢れた日々を送っていたのか。

隣で私は怒鳴られ殴られ「この世の恥」と罵られてたわけですが。

なんて、なんてすばらしいお別れ。
私には、絶対にできない。
私なんか、いつか喪主になったら

「せいせいしたわ!!ぜってー戻ってくんなよ!!」

と言いそうです。いやマジで。

うちは隣人なのに、Mくんのコンサートを聴きに行ったこともありません。
日付が分かれば私一人でも行くんですけど、日付すら聞いてこないんです。会場なんか、もちろん聞いてきません。ひどくね?話題に出たならそれくらい確認しろよ礼として。
音楽なんか興味ないですって言ってるようなものじゃん。まあ本気で興味ないんですけどねあの人たち。

なのに、

『うちはお隣だから特別な関係なの。』

みたいな態度に昔から心底イライラしていました。
私が演劇部で主役をやる文化祭も来ないひとたちですから。
朝イチの舞台だって言ってるのに午後にノコノコ来て
「いつやるんだ!」
「とっくに終わったわい!!もうみんな涙流しながらお花いっぱいくれたわい!!」
そんな親です。映画館じゃねーんだぞボゲ。

どうして、こんなに文化的にすぐれた日々を送るひとたちの隣に住んでいながらうちの母はいつまでも引きこもりなんだろか。お隣のMくんの晴れ舞台よりテレビを見ることの方が大事だったんでしょうね。

と、比較するのは今は愚かなことです。

私はみんなに好かれる人になろうとは思わない。
でも、明るく前向きで愚痴を言わない人であることは心から尊敬するし、目指すべきだと思った。
わけです。

オー・ソレ・ミオ。
日本語では「私の太陽」というそうです。
wikiから引用しても大丈夫かなあ。
歌われたのはナポリ語かイタリア語かわからないけど、日本語の歌詞は以下です。

晴れた日は何て素晴らしい、
嵐の後の澄んだ空
まるで祭日のような爽やかな空
晴れた日は何て素晴らしい
だけどもう一方の太陽
尚一層輝かしい
私の太陽
君の顔に輝く!太陽、私の太陽
君の顔に輝く!君の顔に輝く!
夜が来て、太陽が沈み切った時、
憂鬱が蟠り始めた。
君の窓の下に私は留まる
夜が来て、太陽が沈み切った時。
だけどもう一方の太陽
尚一層輝かしい
私の太陽
君の顔に輝く!太陽、私の太陽
君の顔に輝く!君の顔に輝く!

こんな歌を、お母さんに最期に捧げることができるなんて、なんという、深い愛情なのでしょう。
今このブログを打ってても涙が止まりません。

おばさん。
何度も助けていただいて。
ありがとう。
ちゃんと自分で直接言えなくてゴメンナサイ。ありがとう。

実家のお隣のMくんはまだ独身なので(ヒトのこと言えませんが)ひとりぽっちになっちゃいました。
お庭は、うちの父が庭いじり好きなので、故人に頼まれたことでもあるので、今後もお手入れすると思います。
(私の住んでる家の分もやってるので庭3つです。。)
でも、あんなに笑顔でおばさんを見送れているMくんを見て少し安心しました。

私は今週末に生まれ故郷に帰るのですが、体調が悪くて…とくにおなか。
どうしてここまで緩いんだろう。あと吐くのも頻繁になりすぎだし。。
明日神経科の診察なので相談しますけども、胃カメラとか大腸内視鏡とかはやだなあ。。
絶対ストレスのせいだと思うんですけども。。
とりあえず神経科としては薬強くしてもらっても眠れないのを相談しなくちゃ。
ほんとにぜんぜん眠れない。仕事してないからかなあ。でも今はまだしばらく休んでいたい。

おばさん。
私はまだそっちに行かないからね!


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お通夜にいってきました

実家の隣のおばさんのお通夜に行ってきました。
私は高校卒業から家を出たけれども、35年来の隣人でした。
小さい頃から何度も何度も、助けてもらいました。

世話好きで明るくて社交的なおばさんはお友達も多かったのでしょう。
近所の方々もたくさんいらしてました。

私は…仲良しだったお友達の、よく顔を見てたお母さんとかなら、今見てもよーく考えれば分かると思いますが、そうじゃない方はもう誰が誰だか全く分からず。。

余談ですが母の話によると、なんだかんだ団地内でもおば樣方の派閥があるそうで、「この確認は私が!」「なんとかさんには言わなくていい!」「あの人はこのときこうだったから私たちが声かける義理は無いわ!」とかそういうバトルが繰り広げられていたそうです。
うちの両親は、今回喪主となったMくんと直接マメにメールをしあってたそうで。
容態が悪化したとき、お見舞いを遠慮してたうちの両親に
「今すぐにでも来て会ってあげてください。もう危ないです。」
と連絡をくれたので、行ってきたそうです。
両親が行った時はまだ会話ができたそうです。
翌日にはもう話せなくなって、すーっと、いってしまったそうです。


ご両親の看病が続いて、お父さんを亡くし、お母さんも亡くしてしまったMくん。
私は中学生くらいのMくんまでしか覚えてないので、ものすごく背が高くなってチャキチャキ動くMくんを見ても「あれ?でかっ。」と思ってしまいました(- -;;
ちょっと前にも見たんだけど、父に「Mくんだよ」と言われなきゃ絶対分からなかった〜。。

Mくんはまだ独身なので、一人で喪主をやってましたが、なにもかも斎場のスタッフの方がしてくださってて、お手伝いの出番はありませんでした。
親族やお知り合いの方々をチャキチャキと笑顔で案内していました。



ちょっと余談を。
過去の話。
昨年祖母が亡くなった時は、ド田舎なので、結婚してすぐ地元を離れた母でさえ全く分からない慣習が多く、父もほとんど同じところの出身なのですがこっちの家系は人数が多すぎるせいか父がぼんやりしてるだけなのか、父も就職と同時に九州地方を離れたからか、そういうことはおおざっぱなので全然知らず。
普通に御霊前を持っていったのですが、このときはこういう表書きでお坊さんに渡す、とか、毎日毎回違う表書きを包まないといけないらしいのですが、母は知らず。。
この不祝儀袋の表書きがこれの人に渡す会葬御礼はこっち、これの人にはこっちを渡す。
とかあるらしいんですが高校まで地元育ちの従弟たちもそこまでは理解できず、受付を頼まれた孫4人は突っ立ったまま全部式場の人がやってくれました。

私「ねえねえこれ理解できた??」
従弟「全く分かりません!!」

母はずっとここの地で過ごしてきた叔母に叱られ…
(叔母は私たちには優しいけど結構ガミガミ系だし、老いた祖母の面倒をずっとみてたのは叔母なのと、本来なら喪主は長女の婿がやるべきなのにあんたんおらんき仕方なく代行すっばい!的なことを言われずっと怒られっぱなしだったらしい)

で、とばっちりをうけるのは父…

母「(父に)○○もってきてくれた?」
父「??あれ朝渡してカバンに入れたでしょ。」
母「ちがうのほかにもいるの、別に渡さなきゃいけないのよ。」
父「知らんがな…」
母「田舎の慣習は違うのよ、今日も別に渡さなきゃいけないのにどうすればいいの!」
父「知らんがな…」
私「表書きは何なの??」
母「わかんない。」

ど〜ん

とりあえず現金は親たちが持ってるみたいなので袋と筆ペンがあればいいんでしょ。
まだ親族だけの集合時間前だったので

私「じゃまだ時間あるから買ってくるよ。何て表書きだったらいいの?」
母「わかんない。なんにでもできるの買ってきて。なんか表書きいっぱいついてるのがいい!!終わるまでに結局いくついるのか全然分かんないから3つくらい!!いや、5つくらい!!」
私「合点招致!15分から遅くても30分で戻るぜ!」

と言ったものの。

15分から30分で戻る根拠。ゼロ。

わたしらここまでタクシーで来たし。
どこに文具屋なりコンビニなりがあるのか全く知らないし。
でも僻地ではないので何かあるはず。
斎場の前の大通りに出て立ち尽くす。
右見て。左見て。Googleマップ見て。
iPhoneのGoogleマップでもさすがに今すぐ不祝儀袋を買いたいんですという希望を満たしてくれる情報が出てこなくて。
なんとなく左方面に本屋さんのにおいがしたのでいってみた。
ここは…ないわけないぞ!!この程度の文具のある本屋で不祝儀袋がないわけがない!!
と、グルグル3週くらいしたらやっと発見!!!
これこれこれ。
薄墨筆ペンは家から持ってきてたのにまさかまた出先で必要と思わなかったからホテルに置いてきたし!!もー!それも購入。

で、早歩きで斎場に到着。

叔母「namiちゃん今来たとね?なんで一緒にこらなんだ??」
私「父が忘れ物をしたので調達してきてました〜。近くにあってよかったです〜。」(父さんゴメン)
叔母「おとうさんん忘れもんためにかいにいかされたとか。まーおとうさんしっかりせい言わんいかんばい。」(方言の表現に多大なるミスがあると思われることはご容赦ください)
(ひそひそと)「よく売ってるところ分かったね??」
私「野生の勘よ!!」
妹「そんな勘があるんだ!!」

方向音痴ですけどね。ええ。
裏方スタッフとして20年行きてくると鼻が利くようになるようです。
はっくしょん!

そういうこともあったので今回も気にはしていたのですが、昭和の新興住宅地エリアにある斎場ですので、最近の、都市部近郊の割と大ざっぱな慣習でよさそうでした。
受付も何もかも式場の方がしてくれるので、喪主のMくんは親族席へのご案内に専念できてた雰囲気です。
ってか、身長でかくなりすぎて誰だか分かんないよ…ずっとピアノやってるせいか手がすごいでかいし指が長い…
とても気丈に笑顔で喪主を務めていました。


2年前、一緒に派遣で仕事してたAさんは、超偶然なんですけど、そのおばさんの弟の子なんです。
おばさんからすれば甥。Mくんからすれば従兄弟。
いないなあ。縁切ってるってってたから来ないのかなあ。あっちの一族からのお花はあるんだけどなあ。
と思ってたら、親族のご焼香中に到着!親族席にすべりこみ!
私がお焼香する時、親族へ頭を下げるとき、MくんもAさんも私を分かってくれました。


読経のあと三々五々っぽくなったタイミングで、Aさんに挨拶したいなあと待ってました。
母と妹はMくんにしか用はないし隣人だからすぐ会えるけど、私はAさん2年ぶりなんだよ。挨拶したいのよさ。
しかも、婚約保留中の彼とも深く関わってた人です。
(彼に怒られまくってたのがAさん)
私が挨拶に行くタイミングを悩んで式場を覗き込んでどうしようかなぁ〜と考え込んでる間に母が

「なんなの、誰待ってるの、なんとかかんとか。そういう段取りなの私聞いてないブーブー(段取りはあるようでも、軍隊のようにいかないからタイミングを待ってる状況をうちの母は理解できません)誰が来るの、どっちから来るの、どこに行くの、そこまでついて行くの??私聞いてないのにいつも勝手に私だけが知らないことしてるし私だけ仲間はずれでいつもブーブー!!」

と空気読まずやかましいので、父が

「最期にお顔を見るってことで話しかけに行っちゃえば?司会者がそう言ってるし。」
と言いました。
「じゃお父さんもなにげに同行してっちゃいましょ。」
と父を道連れにおばさんのお顔をもういちど見に行きました。
ちょうどAさんがお焼香をしてる横につけたので、挨拶ができました。
父も、婚約保留中の彼が怒鳴りつけてた人を見られて、しかも結構部分的にMくんに似てるので少なからず面白かったようです。。。
世間は狭いですね。ほんとに。
悪いこと出来ませんよ!!

Mくんも、私とAさんが一緒に仕事をしてたことをどこらから聞いてたそうです。
こんなところで再開…

せつないですね。

明日は告別式にいってきます。
おばさんに私の命を助けてもらったことが何度もある。
最期のお礼を、しなくちゃ。

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2014/05/31

隣のおばさんの死

こんばんは。

朝早く父から連絡があり、実家の隣のおばさんが前夜に亡くなったと。


長いこと入退院を繰り返していて、先日、お見舞いに行くと父からわざわざ連絡があり。
一家総出で行くのも、死期を悟らせるような…
私自身体調がすぐれないので、そのときは控えておきました。



(以前伯父が危篤になったと連絡を受けたとき、呑気にしている父に「ボヤボヤしてる場合じゃないでしょ!」と文句を言い、父と私と妹は仕事を早退して母と池袋で合流し(母が引きこもりがちな上方向音痴なので合流が大変だった)埼玉のホスピスに行きました。

伯父はまだ意識はあって、
『こんなにみんなが俺に会いにくるということは、オレはもう死ぬのか』
と言ったのが、おじさんらしいような、不安な思いにさせてしまったかと悔やむような、複雑な思いでした。
私の親戚の多くは九州にいるのですが、佐賀の伯父はその日が近いと分かってからは数日前から都内に住む従兄のところにいました。
父は兄弟のなかでも年齢がかなり離れた末っ子で、もう兄姉を数人亡くしているからか、呑気でした。「せっかくだから呑みに行こう」と佐賀から来てる伯父さんを誘って「兄貴が死にかけてるのに酒飲んでる場合か!」と怒られたそうです。。。そりゃそうだ。。

伯父は私たちが訪れた翌日の未明に亡くなりました。



そのことを思い出してしまうので、お見舞いに行かなかったのですが。
最期だったのか…

私が住む団地は35年前くらいにできた新興住宅地のなかの団地で、新築の時からのお隣でした。
うちは必要なものも不要なものも「まあとっとけ」と、収納エリアのキャパと収納したいものの量を考えずにギューギュー押し込む親たちなのですが、隣のおばさんは、必要なものだけ、美しく、いつお客さんが来てもあがってもらえるくらい奇麗にしていました。
庭も、うちはどちからというと樹木や多年草をもしゃもしゃさせてるのですが、お隣は、一年草を季節ごとにキレイに植えていました。
それも、朝ササさっと5分10分かけずに手入れをします。
父は半日くらい庭でえっさえっさと何かをしているので、「はやっ!」といつも驚いてたそうです。

一人息子のM君は小さい頃からピアノを習っていて、それもどんどん本格的になってきて部屋を防音室にしたり(とても上手なので聞こえててよかったんですけど)、ピアノがやりたいのかと思ったらたしか吹奏楽部でトランペットやったかな。なんか金管楽器だった気がする。で、中学校ではコントラバスをやり、高校は、音大受験に強い公立高校に行き、大学は音楽で最高峰のところに行き、大学行ったら今度は指揮とか声楽とかもやって、イタリア留学したというものすごい子です。
最近は地元の公民館で自主イベントでオペラを披露したりもしてるそうです。
もうちょっと規模が大きくなればテクニカルのお手伝いができるのですが、公民館では…ガンバッテクレー。。

うち、ほんとに、いかにも昭和な団地なんです。
イタリア留学するまで音楽を追究するって、かなり費用がかかります。
ほんとにやりくりがうまかったんだなあと思います。

数年前におじさんが亡くなりました。
だいぶ長いこと病気をしていて、胃を半分切除したとか(母は勝手に話を盛るので事実はよく分からないのですが)たいへんななか、おばさんも病気になり。
おばさんが通ってた病院に近所の私の一個上の先輩も行ってたので心配していました。
先輩も同じ棟なので(お嫁に行ってますが結構近いのでちょくちょく帰って来てるらしい)
『あそこのお庭荒れちゃってるわね、やっぱり具合悪いのかしらね。』
とお母さんと話していたそうです。
M君はいったいどうやって収入を得ているのかよくわかりませんが、たぶんそれは私も同じことを言われるでしょう…
おじさん。おばさん。
2人とも亡くなってしまいました。


うちは母が社会性がないというか、自分の世界の中だけで生きてる人なので、がんじがらめにされて逃げ場がなくなったときおばさんに「困ってるの。」と訴えたことがあります。
真夜中に喘息の酷い発作を起こして、私は絶対言ってないんだけど「namiが救急車は呼んでほしくないと言うから」と言ってお隣のおばさんを叩き起こし(うちに車が無かったので。何故タクシー呼ばなかったのかも分からない)文句も言わずに送ってくれて、点滴や吸入の処置の様子を見ていてくれました。
こんな真夜中に、いくらお隣でも、迷惑過ぎるだろ、おばさん、ごめんなさいね。
と、いつも思っていました。




私は実家から逃げるように都内に住み。
いろいろあって戻ってきて。
おばさんに今までのお礼をしなくちゃとか。
思ってて。
見かけたら声かけてくれて。
彼と一緒にいるのをいつのまにか見られてて『namiちゃん結婚したの?』と母に聞いたとか。
そのあたりの話もきちんとしたかったのに。

妹は幼少期、よく、学校に行ってる間とか外で遊んでる間に母が鍵を閉めて出かけてしまったので家に入れずピーピー泣いてるところをおばさんに話しかけられて、庭のフェンスを越えられるように抱き上げてもらって、ベランダに出る硝子戸を開けてみたら入れた。ありがとうございます。というのが一度や二度じゃなかったそうです。
ベランダの硝子戸にカギかけてなかったのもどうなのよと思いますが、一度や二度迷惑をかけたら改善策考えようよという考えをうちの母はできません。

ほんとうに、こんな変な一家に、よくしてくれました。
病気で動けなくなってからは庭の手入れができないので、父がお願いされたそうです。
Mくん一人ではとても…
なので、父は自分の家の庭とお隣の家の庭と私の家の庭、3つ手入れしてます。
うほほほほ。

偶然なことに以前、Mくんの従兄弟さんと一緒に仕事したことがあります。
ほんとに偶然です。従兄弟さんがスタッフである私の個人情報を見られる立場の職種だったのでそれを見つけて驚いて言わずにいられなかったそうで発覚しました。
なに!よりによってお隣よ!!まーじーでー!
相当驚きました。
事情あって縁を切ってるらしいです。
従兄弟さんから私が聞き、おばさんからは母が聞いてるので事実のようです。
お葬式は私は通夜と告別式両方参列します。お手伝いはいらないと言われてるそうですがいざというとき動けるポジションでいようと思ってます。


思い出すのは。
3.11の震災時。
仕事が無くて家にいた私は大きな家具とかは無いので無事でしたが、チェストが開いたり閉まったり。いろんなものがきしむ音。立ってられない揺れ。
うちの棟は結構地盤がしっかりしていて大きな破損は無かったのですが、実家に一人でいる母が気になって走って行きました。
母の安否が心配というより、母は冷静な判断とか客観的な判断とか当面の対応とかができない人なので、思い込みが先行してデマの根源になりそうだってことが心配でした。
実家に行くと(徒歩2分)玄関先で隣のおばさんと話してました。

N『心配だから見に来たよ』
母『水槽の水が溢れて大変〜と思ったらトイレのタンクから水があふれてびしょびしょよ〜』
おばさん『namiちゃんとこトイレ大丈夫だった?』
N『えっ、見てないっす!!見てくる!!』

そのあと、揺れのせいでガスの安全装置が作動して止まってしまったので復旧の仕方を教えにおばさんが走り回ってました。
うちは、たまたま上の階のメンテナンスに来てたガス屋さんが「あのー、皆さん今ガスでなくなってると思うんですけど、ここをこうしたらまた出ますから。またこの規模の揺れが来たらまた止まりますからね。」と教えてくれたので、屋外で怯えている近所の人に教えてまわってました。

実家は当時ブラウン管だったテレビが完全に落下して、配線ぐしゃぐしゃでわけわからなくなってるし、棚に戻しても余震で落ちるかもしれないから床に転がしたままNHKだけ見られるようにつなぎなおしてずっとニュースを見てました。
その横で私はずっとツイッターを追いかけてました。
父も妹もツイッターをやっていたので、
「電話が繋がらなくて家の様子が分からない!」
と混乱してる父に家の現状を伝えたり
「そこらじゅう水道管破裂かと思ったら液状化って〜。道路も階段もボロボロ。お友達の旦那さんのお友達という全く知らない人の車で送ってもらってるなう〜。」
という妹の状況も母に伝えていました。

私がいちばん危惧したのは。
うちの母は空気を読むとか客観的に考えるとか人の気持ちを考えるというところが欠落しているので、予想通り、津波の中継を見て
「すごーい全部波に飲み込まれちゃってたいへ〜ん映画より面白いわ〜」
という絶対他人に聞かせられない台詞を予想通り言いまくるので、これは事態が治まるまでは母を他人と接触させちゃいけないと思って張り付いてました。
私が仕事で外出する時は数字パズルとか塗り絵とかを与えて母が外に出ないように工夫しました。

でも、隣のおばさんは聞かされたと思うんです。
うちの母の無神経発言。
こんな母に30年以上ほんとによくしてくれてありがとう。
とも思っています。


いま、おばさんが亡くなったこともそうだし、自分の願いが届かないもどかしさが悲しくて、つらいです。

彼とのこともそうだし、いままで能力を買われてわざわざ呼ばれた職場で地位も報酬もないのに責任だけ押し付けられて板挟みで、責任者が責任とる気がなくて高校生のバイト以下な給料で丸投げされて、他部署の人とかが困ってるからなるべく相談は聞いて、地位のある人に改善策を具体的に提案しても「メンドクサイし分からないからボク知らない」と速攻逃げられちゃうのでにっちもさっちもいかず、この報酬でそこまで責任とれない!と辞めたことが数回。

私何やってるんだろ。


会いたくてたまらないYくん。25年も会ってないYくん。
メジャーなSNSでは見つけられないし(そもそも匿名のmixiとかtwitterで見つけるのは無理。)。
日本では全然知られてないであろう、ビジネスに特化したSNSをみつけました。
そこに、Yくんとおぼしき経歴の人を見つけました。
速攻登録するにも、私の仕事は特殊すぎてこういうのに書くこと無いよ…
でも書けるところだけ書いて、コンタクト?フォロー?申請したらすぐ承認されました。
あまりにも分野が違うので、なんだこいつ??と思ったでしょうが、承認してもらえて嬉しかったです。
でもそこはお友達の交流が目的ではなく、ビジネスでいい人材と繋がるためのものなので、安易にメッセージは送れません。
一応最初のメッセージは送ったけど。
返事。
来ないなあ。。

それも寂しくて。
四半世紀立っちゃったけど。
会いたいのになあ。
あの頃から私がこんなに心身ともに(心は薬漬けですが)元気だったら、めっちゃ話しかけて、お手紙送りたいからって住所聞くこともできたでしょうに。


おばさんは亡くなっちゃったし。
Yくんには会えないし。
婚約者に逃げられるし。
寂しいなあ…
涙がとまらまい。
Yくんが通り抜けてた植え込みを見るだけで寂しい。
Yくん一家が住んでたお家にいる知らない一家のベランダを見ても悲しい。
Yくんには、優しい思い出しか無い。

寂しいよ…
みんないなくなっちゃう…


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2014/05/29

壊れそう

こんにちは。

もう壊れそうです。
朝は毎日胃痛腹痛腹下し。
エネルギー切れで動けず。

胃腸の調子が少し良くなると、おなかはすいてるので食べる。
うちはコンビニとかは10分以上歩く遠くにしかないので家にある食材で何か作ります。
先日コストコで沢山買ってもらったので食材はたっぷりあります。

せめて茹で野菜を食べよう(電子レンジが無いのでさっと茹で)。
パプリカなんて贅沢だなあ〜と思いながらさっと茹で。
白アスパラガスもさっと茹で。
白アスパラガスの茎の方を4分くらい茹でてから、アタマの方を入れて更に4分くらい茹でます。
ブロッコリーは白アスパラのアタマの方を入れる時に一緒にすこしだけ入れて茹でます。
味付けはマヨネーズでじゅうぶん。

食べてみると。
おいしいなあ。

もうちょっと食べられそうだな、と思い、豚コマ肉を茹でてみます。
レモン醤油で。
食べられた。
まだ食べられそうだ。と思い、野菜と豚コマをゆでたお湯でうどんを煮てみます。
食べられました。おなかも痛くなりません。
けど満腹感が物足りない。インスタントラーメンも食べられるかも。
と思った瞬間、「それ以上食べたら間違いなく吐くぞ」
と自省しました。
私は呑気症もあるので、ときどき強制的にげっぷをしないといけないのですが、これは強制げっぷしたら間違いなく吐く。全部吐く。
と思ったので、やめました。

いろいろやばいです。
おなかだけは丈夫だった私がいまだに下し続けてるし、腹痛が治まってる時は過食気味だし、これ更に行くと絶対過食嘔吐になる。
それはいやだ。わたしべつに痩せなくていいし、吐くと体力も大変だし、食道烈孔ヘルニアなのにそんなに吐きまくってたらヤバそうだし。
ノイローゼ、不眠症、神経症、抑うつ状態、に加えて過食嘔吐が入っちゃったらほんとに困ります。
そしてアルコール中毒までではなくともアルコール依存の部分はあります。

だめじゃん
やばいじゃん
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

彼に優しくなんかしなければよかった。
そればかりが悔やまれます。
早くこの街から出ていって欲しいです。
昨日そうメールしました。
彼の家にある私の私物の、絶対返して欲しいものをまだ返してもらえてないのです。
(荷物取りに行ったとき、アタマがカッカしてたのと持って帰る袋が無くて忘れてた)
ラインもメールも電話も何もかも拒否してるので向こうは連絡しようがないんでしょうけど、知ったこっちゃありません。なんとでも方法はあるんだから自分で方法を考えないのが悪い。

いくら転職と手術後の痛みでイライラしてたとはいえ、『お金がないから実家に帰るからまた来年くらいに気が変わってなかったら一緒に暮らそうね』の文章のどこをどう読んだら相談と捉えられるのでしょうか。
どこをどう読んだら、逃亡でも裏切りでもなく相談と捉えられるでしょうか。

もうほんとうに気が狂いそうです。
やっと優しい家族ができると思ったのに。
彼が欲しかったのは「ヨシヨシしてくれる優しいママ」なんです。
本人は否定してるけど、実際そうなんです。
アタマが痛いのもおなかが痛いのも、添い寝したら翌朝には必ず治るんです。
40歳過ぎた子持ちのおっさんの添い寝を死ぬまでし続ける気はありません。

しつこいアプローチに負けた自分を心の底から悔やみます。

さっき、お素麺を食べたのですが、またムカムカしてきました。
もうこのまま消えたいです。
彼が近所にいると思うだけで外を歩きたくないのでこの街から出ていって欲しいとメールに書きました。

どうやっても許せません。
離婚騒動に巻き込まれて、飼ったことも無い犬を2頭も勝手に玄関先につながれて、裁判だの養育費だの私の知ったこっちゃない話も聞かされ、結婚して欲しいと言い、私の両親が漸く認めたらお金がないから無理です実家に帰りますって逃げる。

本人は逃げてないし裏切ってないと言い、私のせいみたいに言ってます。

私はあなたの保護者じゃない。

もうほんとうに嫌です。

心の底から嫌です。

どうやったらこの街から去ってくれるでしょうか。

また吐き気がしてきました。


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2014/05/28

握手会

こんにちは。

今日も朝からおなかの具合はイマイチです。
もういいかげんウジウジするのやめて行動をしなきゃと思いつつ、予定が何も無いとついグータラしてしまいます。
ニートです。

今朝はえのきとねぎとわかめのお味噌汁と、しいたけのおだしで作ったお粥を食べました。
それだけなのに下しました。どうしてなの…
わたしは朝ごはんをちゃんと食べると食後にすっきり快腸で爽やかに出かけられる、ほんとにおなかの悩みが無い人でした。
最近ちゃんと朝ご飯を食べてないせいかなあ。と思って食べても、ぐるぐる…
よくトイレで新聞や小説を読む人の話を聞きますが、そんなに長時間トイレにいないよ!というくらいワンツー快腸な人なのです。
それが、なかなかトイレから出られないようになってしまったのは、一人暮らしだからまだしも、家族がいたら困っちゃいますね。


またトイレの話から始めてしまいましたが…

握手会でのノコギリ男事件。
怖かったでしょうね。痛かったでしょうね。
傷が少しでも目立たなくなるように、骨折の後遺症が残らないことを心からお祈りします。

わたしはAKBとかに興味ないし、怪我をした子たちの顔も名前もわかりませんでしたが(まゆゆだけは何故かなんとか分かります。)握手会を含む、アイドルのファンイベントに数回関わったことがあるので、思うところを書きます。


はじめてそういうイベントに関わったのは、某タレント事務所のジュニアメンバーたちの、言い方はよくないですが、学芸会的発表会などなどでした。2回くらいしか一緒に仕事したことの無いチーフから当日いきなり台本渡されて「あと適当にヨロシク」
ちょっとまてよー
バック染めるのにBGRの一個死んでるのにどうしろって言うんだよ〜
パープル捨てるかアンバー捨てるかってどっちにしてもキツいよこれ何なの〜!

そのチーフはいろんなところで酷いらしいのでその後その人の仕事は受けてません。

握手会の最中は私は見守ってるだけです。
握手会に来る人のなかで以前いきなり抱きついてきたのがいたそうで、ジュニアタレントたちが並んでる前に長机をずらっと並べて、抱きつかれないようにしてました。
「ホントは動物園の檻みたいなので囲んであげたいんです…」とスタッフのお一人が話していました。
握手会の間は男性スタッフは総出で護衛です。
ブラックリストに入ってるファンもいるそうで、「あのときのあいつがあそこにいるから、○○ちゃんが危ないから張り付いて!」というやりとりもありました…たいへんだなあ…

で、そこの会場は楽屋口というものが無く、正面出入り口からしか入れませんし出られません。
ジュニアタレントたちを普通に外に出させたら大変なことになります。
ワゴン車を出入り口ギリギリにつけてあーしてこーして…
と、終演後にタレント事務所の方々が悩んでたので、なんだそりゃと思いました。
なんでこの会場にしたのさ…安いけどさ…先に考えとけよ…今悩むってどうなのさ…
と思いつつ、私のやることは終わったので「おつかれさまでした〜。お先で〜す。」と帰りました。
会場出入り口の自動扉が開くと、外にいるすごい数の人の視線がいっきにこちらに集まりました。

「うわっ!」

と思わず仰け反りました。
どう見ても裏方スタッフな私を認識すると

「なんだ。違った。けっ。」

と、また出待ちを続けました。
なんだよ失礼な。あたしで悪かったねえ!

けどタレントさんたちはあの視線の持ち主が一気にこちらへ向かって走ってくるんだろうなーと想像したら背筋がひんやりしました。
しかもみんなまだ未成年です。
こんな気持ち悪さ、慣れたのかなあ。嫌な子もいるんだろうなあ。。。

そのイベントには近年演技で評価の高いあの子とか、当時某番組で大活躍をしていたけど最近芸能活動してないっぽい(けど芸名変えてなんかやってるのかな?)あの子とかがいました。
可愛かった〜!
ほんと可愛かった。
みんな可愛かったけど、ずば抜けてましたね。
とにかく明るい!キラキラしてました。
みんな、キラキラする魔法の粉を身にまとっているみたいに輝いていました。


次に関わったのは、ローカルアイドルというのか自称アイドルというのかなんというのかなチームが大集合してあっちでライブこっちでもライブそっちでは物販こっちでは握手会。という大規模なものでした。
私が絡んでたのは物販と握手会のところでした。
まあ見守ってるだけなんですけど。

握手会にならんでるおにーさんたちの側を通るとね。
くちゃいんです。
夏だから汗はかくし、しょうがないけどとにかく、くちゃいんです。
アイドルちゃんたちは彼らと握手しないといけないんです。
笑顔で。
口臭もにおうんじゃないかしら。わー。想像しなければ良かった。無理無理。

参加グループが多すぎて全く何が何らやでしたが、小学生のいるグループもありますし、そこそこ売れてるならともかく、多分ある程度自腹をきってこういうくちゃいおにいさん達に愛想振りまくなんて、させちゃいかんだろと思いました。
やりたくてやってる子もいるでしょうけど、今大事なのはくちゃいおにいさんに我慢して握手することより、もっといろいろ勉強することとかあるでしょと。

暑いさなか、それなりの広さの会場でライブで歌って踊って、物販でグッズ買ってもらって手渡しして挨拶したり、くちゃいおにいさんたちと握手会。というのを1日ノンストップでやって、倒れて救急車で運ばれた子もいました。
緊張と脱水症状と熱射病と、そのあたりだったみたいで搬送後すぐ回復し、さっさと会場に戻ってきて握手会も頑張ったそうです。


自分で自分のやりたいことを良く考えてやってるならそれでいいと思いますが、売れないローカルアイドルやってても、正直、得るものは何も無いと思います。
そんなにタレントさんやアイドルさんになりたいなら、小さいうちは踊りや歌のお稽古とか、教養を深めてなさいと思います。
まだ幼い子や未成年の、特に芸もなければ演技もできず歌もろくに歌えずな子を商品として扱うのは、ほとんど風俗に近いんじゃないかと思うこともあります。
そうやって何年も活動してきた子のなかには、自分は一人でも売れる。と思い込んで、哀れな状態になってる子もいますよね。誰とは言わないけど。

それで、「メンバーのことは知らないけど暴れたかった」とかで変なのに襲われる。

もう、こういう、数で勝負みたいなのは今後廃れると思います。


怪我を負った子の痛みとショックもさることながら、仲間のメンバーたちのショックも相当なものだと思います。
適切な対応が行われることを望みます。
そして日本の芸能界がもっと、ちゃんと認められる作品作りやパフォーマンスができるアーチストが復活して欲しいです。
まだ若すぎる普通の子を商品としてドカ売りするのはもうやめて欲しいです。


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