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2014/05/12

愛する音楽の遍歴 二十代

おはようございます。

昨日は母の日でしたね。
私は毎年何もしません。
プレゼントはどうせすぐ捨てられるし、そもそも感謝をしていないので。


今日は私の好きな音楽の話をしたいと思います。
今回は二十代の頃。

Jポップスだと、私は歌詞の解釈に幅のある歌が好きです。
鬼束ちひろにハマりました。普通に『月光』からだったと思います。





奇麗な子だし、声も良いし、歌詞も深い。


そして、インソムニア。
私自身、不眠症ですし。


ずーっと聞いていました。
…私は二十代の頃精神的にどんどん崩壊し始めていて、音楽を聴いてなんとか社会的立場の一部分だけは持たせた部分が多くあります。

…それで。私がだいぶ腕を切らなくなり、夜な夜な発狂することも減り安らかな時間の過ごし方を徐々に身につけ始めた頃、鬼ちーはどんどん奇天烈ワールドに行ってしまいました。
でも私は彼女のファンをやめませんよ。
せめてSugar High あたり程度まで戻ってきてくれたらいいなあと思うのですが、いつかその時は来ると思います。
私はユーミンには全く興味がないのですが(すみません!!)彼女がカバーした『守ってあげたい』はすばらしかったです。
鬼ちーはストリングスとの相性が抜群だと思います。



カバーと言えば鬼ちーかカバーした"Smells like teen spirits"
…動画が見つかりません…
見た目も歌い方も完全に病んでる感じで、カートの音程を自分の声域に完全に取り込んで表現していたあれはすごかったです。
Smellsを歌ってる頃のカートよりこの鬼ちーの方がヤバい意味で病んでるとも思いましたが…
歌の前のトークとかホントに完全に病んでて放送禁止直前じゃね?と思ったくらいでしたがよかったんですよ。
動画どこかにあると思うんだけど、どこにいっちゃったのかなあ。。


鬼ちーのほかには、fra-foa。
ネットでfra-foaの存在を知りました。



アルバム2枚出しただけで解散してしまいましたのですよ…
ボーカルの三上ちさ子さんと私は同い年です。
この体が灰になってもいのちを生き尽くす。そんな、『ボロボロになっても生き抜いてみせる』という姿勢の歌詞と、爆音気味なバンドに魅せられて、これも聞きまくっていました。

何度かライブにも行きました。
ちさ子さんはライブではトリップしてしまうタイプの方のようで、CD通りの演奏には全然なりません(^ ^;;
なんじゃこりゃ。と最初の頃は思いましたが、同じ時間を同じ空間で同じ歌とともに過ごせることを楽しむようになりました。

…正直に言いますと、懺悔しますと、この頃の私は本当にズタボロで、腕には包帯グルグル、強めの向精神薬を処方されていて、軽度のパニック障害で、ライブ会場に行くだけでも、電車も音も人間もなにもかも怖くて、濁った空気、汚れた空気、狂ってる自分を動かすのに大げさに聞こえるでしょうが死にものぐるいでした。
軽度のパニック障害でこれなんだから、重度だとほんとに全く動けないんだろうなあと思ったものです。。
…そのため、ライブ会場で私自身がトリップしてしまってやかましくて会場の雰囲気を悪くしたような気がすることも何度かありました。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。。。


特に好きだったのは、シングル『小さなひかり。』のB面『踊る少年』でした。
『小さなひかり。』はfra-foaのなかでは明るくシンプルで万人受けしそうな、且つ美しく透き通った歌詞と音楽で、自分自身がこの音楽によって浄化されるような想いで聞いていました。
『踊る少年』は、叙景詩のような歌詞で、この『小さなひかり。』シングルジャケットのような熱帯のジャングルでスコールを浴びながら少年が踊ってる歌です。
これが本当にすごくいいんです。



順番が前後しましたが、『小さなひかり。』のPVがYouTubeで観られます。



ほかにも大好きなfra-foaの音楽が沢山ありますが、今回はここまでで。
ちさ子さんは同い年ですし、東北大学の才女ですし、すごい華奢だけど色っぽいのがすごいなー。と憧れていました。
華奢はともかく身長が私よりかなり高くて、美しい!
ステージで着てる服に刺激を受けて近い感じの服を探し求めた日々もありました…


今回のエントリで最後にご紹介するのは、結果的にアンチになったので控えようかとも思ったのですが、本音を隠せないわたし…

鬼ちーとか好きだったらきっと好きだよ!と勧められた、柴○淳。以下しばずんと書きます。


ふむふむ。いいねえ。
と結構聞いていました。ライブは行ってないけど。

ブログの女王と言えば眞鍋かをりかしばずんか。
という話題もあるほどしばずんのブログは長い。眞鍋かをりのを読まないので違いがよく分かりませんが。

しばずん、それはアーティストとして書いちゃいけないよ。
というネタが多すぎて。

『歌詞が浮かばない!!』
『メロディが浮かばない!!』
『でも締切が!!』

そんなことをブログに長々と延々と書かれてやっとこさできた新曲聞いてもね。
そんなにやりたくないし浮かばないのを無理クリひねり出したんだ。それでできたのがこれなんだ。
へー。
と思ったら、彼女の音楽を楽しもうと言うココロは消え去りました。
昼ドラの主題歌を歌うことが続いて、まあ、いいじゃん。と思った時もありました。
作品は良いのかもしれない。
でもね。

アーチストは余計なことは喋っちゃダメだよ。

作りたい形があって、そこに至るまでにぶつかった技術的問題や表現方法の葛藤ならともかくね。
彼女のブログには「できないよー」「やだよー」「頑張った私えらい」そればかりで…

で、ブログ読むのをやめました。

で、どこかのテレビ番組でしばずん特集をやってました。
まだ広末とどーこーなる前のキャンドルジュンのキャンドルが大好きだとか。
という話題もあり。
今まで関わってきた(つきあってきた?)男はみんな酷くて傷つけられてボロボロです的なトークもあり。

キャンドルについてはその時も今も、アートと言うほどのキャンドルじゃない気がしてるし和蠟燭の方が何倍もアートだし、あんな巨大なキャンドル家でたいてたら天井や壁紙ススだらけちゃう??
というのは別に良いんだけど。
私は買わないな。というだけ。

やたらな被害者意識とか。
私はこんなに頑張ってるのに!とか。
うぜえ。
こんなに無駄にブログなどなどでぎゃあぎゃあ言ってなければ、知らずに音楽だけ聞いてたかもしれないのにな。

と思って数ヶ月前に彼女のCD全部売りました。
全部でいくらになったか…捨てるよりマシかなくらい?

こんなめんどくさい女、友達でも距離置くわな。


と、悪口で締めちゃった。ごめんなちゃい。

その点ルルティアは、余計なことは絶対言わないし書かないしテレビに出ないしライブもしないし(なさすぎてちょっとさびしい。でも彼女の楽曲は多分ライブでは再現不可能かと。)彼女の楽曲の世界観を無駄な言葉で壊すことは決してありません。

せっかくアーティストとして良い作品を作ったのに、何故わざわざ個人的で自己中心的な雑談をネットに晒して作品の評価までもを落とすようなことするんですかね。
自分がブログで書いたことがそこまで作品に影響するって考えてないのかな。
そうなんだろうね。

今回はここまで。
次回の音楽カテゴリでは、それぞれの作品に掘り下げた話か、他のアーチストの話を書きたいと思います。


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2014/04/20

愛する音楽の遍歴 十代

やっと眠れたと思ったら2時間で目が覚めて、今日は(今日も)オフだから別の眠くなる薬を飲んだのにやっぱり眠れません。

音楽の話をしようと思います。

私は音楽にとても疎いですが、友人などが勧めてくれる音楽にドがまりすることがあります。
未だに有名どころは今度にして…

東京少年』というバンドの話を書きたいと思います。

中学生のとき、とても仲良くしてもらってた友人がいました。
Yちゃんといいます。

彼女とは確か小学校1年生のときから同じクラスだった気がします。
私は小学校で2年ほど転校していて、出戻ってきました。変なタイミングで転校して変なタイミングで戻ってきたせいもあるのか、私が中抜けしてて浦島タイムがあることを知らないのか忘れてるのか「え!?いなかった??うっそ。いつ??2年もいなかった??あれ??」と未だに言う友人も沢山います。。。
転校も転校している間も戻ってきてからも大変だったんだよこう見えて…。
戻ってきたらいろんなことが変わっててすごくオロオロしてたんだよ(^ ^;;
お友達は前からの友達と新しい友達がたくさんで、とても忙しく楽しかったです。ありがたいことです。

私は体育と給食が超苦手だけどほかの勉強とリーダーシップは抜きん出た優等生扱いだったのですが、戻ってきた早々早速、今ではあり得ないトンデモ教師にさんざんな目に遭いました。
けど理不尽な扱いは我慢せず相手が教師でも売られた喧嘩は正面から買う子供でした(^ ^;;
たぶん親はそれで呼び出しを何度か食らってると思います…しーらない。

私が行ってた小学校からは、中学受験とかしない子は全員同じ公立中学校に行きました。
Yちゃんとも同じ中学校になり、たしかクラスはずっと違ったけど塾の帰りなんかに長い時間立ち話とかしていました。
Yちゃんもだいぶ変わった子でした。
私みたいに正面から喧嘩を買うことはないけど、十代前半特有の反抗心というのか、そういうのを心の内の内に秘めていた子でした。

私は私で、家にいたくない。先生はムカつく。親も嫌い。
そういう思いでムギャムギャしてたので、彼女と話している時間が好きでした。

そんなYちゃんが教えてくれたのが『東京少年』です。
歌詞に込められた思いが心に響く。と。
私はテレビにしょっちゅう出てる歌手以外は全く知らなかったので、へー。と思いながら聴きました。最初の頃はカセットテープで。

なんでしょう。
じりじりとした、今思えばあどけない憧れや切なさや愛しさや、そういった想いが情景として目に浮かぶ音楽。
これは…

中学のときだったかなあ、高校に入ってからだったと思うけど。。
私が初めていったライブは東京少年でした。今はなき日清パワーステーション。
だったかな。

ライブってこういうのなんだ!!
今ここで歌ってるのを今ここで聴くんだ!!

アルバム『東京少年 』何度も聴きました。

男の子みたいな笹野みちる。
飾らないストレートな歌詞と歌声が大好きでした。

アルバム『東京少年 』で特に好きだったのはやはり『ハイスクール・デイズ』『れんがの学校』かなあ。



6時間目のベルが鳴り終わる Rin gon Rin gon 相談事に毎日来ては悩んでた 二人で 遅くまで卒業の日のベルが鳴り終わる Rin gon Rin gonこれからも友達でいようと誓ったのに 心から誓ったのに
(ハイスクール・デイズ)

Yちゃんとは違う高校に行きました。
家庭環境も何もかも違うので、目指す高校からして全く違いましたので。
それでもしばらくは会っていました。
彼女と一緒にライブに行けなくても一人で行くことを経験しました。高校生で。
お金は全然なかったのですがパワステとかでしたのでTM NETWORKとかの半分くらいの値段だったからなんとか頑張って行ったのかも。。おとしだまの残りなんかで…。
それ以来Yちゃんとは会っていませんが、お互いがお互いの向いてる方向へ進んでいるのだと思っていて、別れだとは思っていません。

当時から私の心は壊れ始めていましたので、みっちーの声と歌詞を聴きながら涙がでそうになってきてオールスタンディングのライブ会場の柱の横で涙目で立ちすくんでいたら、みっちーが私の顔をじっと見ながら、うんうん。て顔してくれた(気がして)やっぱり涙が出た時もありました。
決してつまらなくて立ちすくんでいたわけではなく、心にジンジンきてどうにもならなかったってこと、伝わってたらいいのですが…
ナマの音楽ってこんなに心を揺さぶるんだって、体感したのでした。

そして東京少年解散(卒業)。涙。涙。涙。
そして笹野みちる同性愛者カミングアウト。




私が高校生のとき、私が東京少年を好きだと知っていた友人が、スポーツ新聞かなにかで彼女が同性愛者だと報道されてると教えてくれました。
あのときどうやって記事を読んだんだっけ…誰かがお父さんからスポーツ新聞の古いのもらってきてくれたんだっけ…

けど私は驚きはしたけど、嫌悪感とかは一切なかったです。
後に上に載せた著書を読んで、そこまで書いちゃう?と驚きましたが。
そして彼女はそれをカミングアウトする強さを持っていると知り、もっと好きになりました。

私は女子校に行ったしどちらかというと男がメンドクサイし女の子は可愛いから好きだし(恋とか愛とか体の関係とかはよくわかってないので別の話で)高校生のときから憧れの女の子と勢いでキスするのとか大好きでしたので(あ、言っちゃった…)それでもいいよねえ。と思いました。
その後の彼女の音楽は…ちらっと聴いたりはしたけど、心に響くかというと、残念だけど私にはなかったのです。

それでもあの時期東京少年というバンドの音楽を聴いていた私と聴かなかった私とでは、今の私は間違いなく別人になっていたでしょう。

かといって今CDを引っ張りだして聴くかというと聴かないですが…
これらは絶対に売ったり手放したりしないです!!

尾崎豊の「卒業/15の夜 」を今でも何度も聴くかというと多くの私の同世代はたぶんそうではないと思う。けど名作として心のバイブルとしている人が多くいるであろうのと同じように、私にとっても東京少年の音楽はとても大切なものなのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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