2015/09/25

メメント・モリ

私は幼少時から酷い喘息で身体が弱く、且つ、喘息の発作で苦しんで真夜中にゼーゼーヒーヒーやってると、実母から
「うるさ〜〜い!!!自分でなんとかしろ!迷惑考えろ!!」
と罵倒されてました。
しばしば殴られてました。
ほとんど家にいないバリバリ理系の父に、理系の科目が分からなくて教えてもらいたくて話をすると
「こんな簡単なことが分からないなんて、オマエは何を勉強してるんだ!学校が教えてくれなくても自分で勉強しろ!!」
と、張り手くらってました。
わからないから教えてもらいたくて聞いたのに、怒られて、ぶたれてました。
未だに意味が分かりません。
教えてくれないなら塾に行かせてほしいと言ったら
「誰に向かって言ってるんだ!塾代払うのは誰だと思ってるんだ!それが親にモノを頼む態度か!?」
と、罵倒されました。
ちゃんと教えてくれる人に教わらないとついていけないもん。
おとーさんに教えてもらおうと思っても、バカ!バカ!教科書読めばわかるだろバカ!
ってそればっかりなんだもん。
教科書読んでも分からないから聞いてるのに…
わからないことをわからないと言って教えてもらいたくても罵倒されるだけじゃ、わかるわけないじゃん。
それなのに塾に行くのも駄目なんだったらもうこれ以上頑張れないよ。
うち、そこまで貧乏じゃないんじゃないの?
貧乏が理由で塾に行かせてもらえないんだったら、もっと丁寧に教えてください。
…とかとか、そんなふうに交渉しました。


結果的に、塾に行っても時既に遅しで、成績は伸びなかったんだけど、行きたかった大学にはなんとか行けたので、私としては良しとしてます。
学費の高い大学でした。
学費はともかく、母から逃げるために一人暮らしをした私には、仕送りが足りなくて大変でした。
当時はまだ喘息がかなり酷かったので、バイトどころか日常生活も苦しく、足りない仕送りで通院するのも大変でした。
奨学金の申請をしても、父の収入が平均以上なので、はじかれました。
いま、その話を父にしても、完全に他人事です。
「なんでお父さんに相談しなかった?」
「だってあんた相談できる場所でも態度でもなかったじゃんか。実家に帰れば私のカラダをベタベタ触るし下ネタ言いまくるし、気持ち悪くて相談どころか顔も見たくなかったわい!!セクハラ親父ってあんたのことだよ!!」

今の実母は、ボケてんだかしらばっくれてるんだか知りませんが、テメエのネグレクトのせいで私が死線を何度も彷徨ったことなんか
「そんなに大変だったの!?まあ!知らなかったわ!可哀想に!!」
と、わけわかんないこと言ってます。
一時期は普通に言い返してました。でも、全く通じません。
そんで
「あんたアタマオカシイんじゃないの?病気??キチガイなんじゃないの??病院行った方がいいわよ??キチガイ!!もうここに来ないでくれる??キチガイ!誰の子!?あんた誰??」
と、しゃあしゃあとのたまいます。


約10年前、こういう事情があって、医師から、母との接触禁止命令を受けました。
なんだかんだで、少しずつ挨拶くらいはするように、私が頑張って。
医師には「それ以上頑張るな。親だって他人。不要な情は捨てなさい。」と、言われました。
母は、それらの過程の原因が自分にあるとは、未だに、微塵も思っていません。
すべて、私のせいだと思ってて、「Namiちゃんが明るく元気になってよかったわ♡」という態度です。
それでも根本は変わらないので、今では父が苦労しています。

「おかあさんがうるさいから、もう、たすけて〜〜!!」

私たちが幼少時から苦しんでいたことを、父が今更苦しんでいます。
遅いんだよ。
そのせいで私たちは、幸せで素直で思いやりのある子供として成長することができず、優しさを知らず、苦しみながら大人をやってるのです。

今では、私が全面的に寛解した体で、現在は父も妹も、私が当時の酷いネグレクトと肉体的・精神的暴力を奇跡的に乗り越えたことを理解しようとしていますが、当事者の母は、
「最近Namiが元気になってよかったわ♪お母さん嬉しい♪Namiちゃん頑張ったもんね♪」
と、完全にお花畑です。

私は、結婚する気はありません。
子供も持たないでしょう。歳も歳だし。
妹夫婦は、子宝に恵まれず、苦労しています。
妹は、子供の頃から、自分の悩みを他人に話す子ではなかったせいか、不妊治療の辛さとかを私に話すことはありません。
お金がかかることは時々言いますが。
お金の無心は決してしません。
人工授精だか、なんだかの結果が彼女のところへ電話で届き、成功しなかったことを聞き、
「今回もうまくいかなかったんだって。あはは。残念。」
と、あっけらかんとしているので、未婚で妊娠経験もないおねえちゃんとしては、
「そっか…。」
としか、言えません。

妹の旦那さんは、とても、妹にふさわしい、努力家で、優しく、まっとうな人です。
私が結婚しようとしてやっぱり止めた人の愚痴を妹に聞いてもらいながら
「あなたの旦那さん、素晴らしいわよ!真面目、勉強家、働き者、優しくて、安易に泣かない。素晴らしい人と結婚できて、良かったよね〜。」
…と言うと

「…そうだね〜。最近は勉強が趣味みたいになっちゃってるし、よく働くし、働かされすぎて可哀想だけど、泣かないし(そもそも両親も妹夫婦も、簡単に泣きすぎる私の元彼を信用しがたいと思ってたそうで。そーなの。わたし、40過ぎのバツイチ男のお母さんになる気はなかったしね。)地味だけど至極全うな、理想的な旦那さんだよね。わたし、幸せな結婚したんだね。」

と、応えました。


私は、40歳まで生きると思わなかった。
だから、結婚願望もなかったし、早々に死ぬであろう自分のために傍にいてもらうパートナーが欲しいと考えたこともなかった。
だから、結婚してなくても、パートナーがいなくても淋しくない。
家族は…
私の死を待ちわびてるくせに、優しい親のふりしてる家族なんか、側にいてほしくなかったし。
若い頃は、男子との交流に一方的に「不純行動」のレッテルを貼り私の行動を完全に制限していたくせに、ある時突然、下ネタスラングを家で言いまくったり、外出したら「いい男引っ掛けて来い」「ステキなホテルでGo!Go!」「お持ち帰っちゃえ!」とかもう意味の分からない言動をする親も気持ち悪くて。

あの人たちがいまだ孫に恵まれてないのは自業自得だと思うのです。


先日見た、交通事故で死んでしまった小学生。
あのときは、奇跡が起きて、きっと生還すると思っていた。
願っていた。
よく考えてみれば、生還はとても無理な状況だった。
眠るような穏やかな顔をしていた彼は、きっと、即死だったのだろう。
痛みを感じる暇もないほどに。
私が、搬送される彼を見た時にはもう、心臓も、呼吸も、止まっていて、だいぶ時間が経っていた。
いちおう、心臓マッサージと酸素マスクはされていったが。

のちの報道で理解したが、彼の下半身は轢き潰されて平面になっていたのだ。たぶん。
上半身と顔は、とても奇麗で安らかだった。
遺族の哀しみは、いづれにせよ、計り知れない…

彼が死んでしまうまでのすべてを見てしまっていたお友達。
8歳の子供にはあまりにも辛いできごと。
40過ぎた私でさえ、彼の穏やかな顔と、潰された下半身、絶叫し続けるお友達、轢いてしまった運転手が腰が抜けて崩れ落ちている姿。
ふとした瞬間に思い出される。
あどけない子供が即死した顔。
お友達を突然失って狂乱している子供の絶叫と涙。

ふとした瞬間に思い出す。
あどけない子供たちを見ては、非情すぎるタイミングで即死したあの子を想う。
眠るような顔の、左半分しか私は見ていないのだけど。
眠るようにうつ伏せで横たわっていた彼。
救急の指示なのか、車が到着するまで、彼に声をかけ続けていた大人たち。
各署に連絡をしながらも「…無理だ。」と言ってたお兄さん。
ほとんど狂乱状態で泣き喚くお友達。
それをなだめるべく、後ろから肩を抱いていた、どこかのお母さん。
「死なねえよ。そんなに泣くなよ。」と、狂乱するお友達をなだめるように言う子。
彼のショックは、あのとき狂乱状態だった子とは時差を置いて、そして社会復帰には更なる時間を必要とするでしょう。

死とは、余命宣告のある死と、ある日突然予告なく執行される死。
が、あるのだな。


癌の進行が思いのほか早く、若くして神さまの元へ行ってしまう方々。

私の番は、いつごろかな。
私はクリスチャンではないけれど。
神のみもとに行ける日が決まったら。

…早いとこ、身辺整理しなきゃ、死にきれないよ!!
ちょっとまって、ちょっとまって、かみさま!!
私の番は、まだ、まだよね!!


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