2015/08/16

心のup&down

私は月のものに影響されて機嫌が悪くなったるすることはない方です。たぶん。
わけもなくあらゆることが悲しくなることは、ないことはないですが、そもそもグレずに大人になったのが奇跡みたいな環境で育った私に多少の気分の波がないわけないし、今までがなさ過ぎだし、
「そりゃあたりまえの現象よ〜、その時は多少は辛いだろうけど時期を過ぎれば普通の人より元気なんだから医者から見ても不思議よ〜。何故なのかしら〜。気にしない気にしない。」
と、言われたりします。
元彼も、時期的にそろそろ月のものだろうけど、私の機嫌の変化が全然ないから「ねむい。だるい。」とか「ちょっとあたまいたい。」って私が言うのを聞かないと全然わからないと言ってました。
私自身、なんかやたら眠いと思ったら、キター。そういえばそうか〜。
みたいな。
不眠症なので、いつもこれくらい眠くなればいいのになって思うくらいです。


私には、淋しさという感情がないみたいです。
1人で淋しいとか、そばに誰もいなくて淋しいから新しい彼氏を捜す。とか、人肌恋しい。
とかいう感覚が全然ないのです。

今回、何の加減なのか、Yくんのことが恋しくて恋しくて、たまりません。
馬鹿みたい。最後に会ったのは25年も前ですよ。
その年齢の子供がいてもおかしくない私が。いや、普通います。この年齢なら。中学生の子供。

四半世紀前の幼い恋を引きずってる。

ほんとに馬鹿だと思います。

Y君が今どこで働いているのかは分かってます。
ただ、今日現在どこの配属なのかとか、実際どこの事業所にいるのかとかは分かりません。
今日現在もそこに所属しているのかはわかりません。
私自身がフラフラ働いてますからね、安住してるだろうって考えはあまりないんですね。
我ながら勝手ですね。

Y君が最終学歴時にどこにいたかも知ってます。
女っけのない研究室だったことは、ずいぶん昔に確認済みです。


Y君はSNSとか全然しないみたいで、全く見つけられません。
珍しい名前ではないのですが、男の人の下の名前って、漢字と読みのバリエーションが豊富で。Y君と合致する人は2人しか見つけられず。
某所で本人らしきのをやっとみつけましたが、登録してるだけみたいで、全く反応がありません。

実は、10年、もないかな、10年以内。
いろいろ心が追いつめられていた私は、もう手段は選ばない。と思い、Y君の実家に電話をしました。
…実家と言っても、そこが実家と呼ぶべき場所なのかどうか、よく分からないのです。
高校進学時、Y君は遠くへ行ってしまいました。
けど、お母さんと、たぶんお姉さんと妹は、その後も同じところに住んでいたのです。

離婚したのかなあ。
と今でこそ思いますが、当時は考えもしませんでした。

お互い大学も卒業したであろうとき(よく覚えてないけど、Yくんは大学院に行ってたかも。当時わたしいろいろ壊れてたので覚えてない…)卒業アルバムに載ってるY君の家の電話にかけてみたの。
用は…同窓会を企画していて、連絡を取りたいという口実にしました。
半分は嘘じゃないよ。Y君はとても人気者でしたから、再会できたら大喜びする地元の友人が沢山います。

実家ごととっくに引っ越ししてて、他所のお家につながるんじゃないかと思ってましたが。

電話にでたお母さまは、私の用件に狼狽えていて…
「Y?Yは、あの…」
「(…これは…いないな。事情ありだな。詮索は止めよう。)そちらにはいらっしゃらないんですか?」
「はい。」
「(返事早っ!関わりたくない勢いだぞこれは。)」

…だろーな。でもなんか変だなあ。

「Yさんと連絡を取りたいので、差し支えなければ、わたしの連絡先を申し上げますので、こちらへご連絡いただけるようお伝えいただきたいのですが…」

もしそれで本当に連絡が来た時のことはその時考えようと思っていました。
わたしが自分の連絡先を伝えている間、きっとお母さまは、今、メモ取ってないな。という雰囲気あからさまでした。
伝言は伝えたし、もうこれ以上お話しできることはないと思い電話を切ろうとしたら、お母さまが
「あの!あの!Yとはどういうご関係で?」
「…中学の同期です。」
「中学校の同級生でらっしゃるんですか?」
「…同級生というと…中学のクラスはずっと違いましたので…隣のクラスで…クラスが同じだったのは小学5、6年のときです。出戻り転校生の私にとてもよくしていただきました。」
「…はあ、そうですか…」

…それっきりでした。


前にも書いたと思いますが。
中学の卒業時。どこか遠くの学校に行ってしまうらしいのに、Y君の幼なじみすらそれを教えてもらえてなくて「Yちゃんどこにいっちゃうのか、なんでなのか、ボクが聞いても教えてもらえないの!」と、Y君と竹馬の友である同級生も悲しげに教えてくれました。

今だからこそ思います。
ご両親、うまくいってなかったんだな。

変な話ですが。
まだ小学生のとき、ギョウ虫検査のキットを配られて。
普通は配られるだけだろうけど、Y君は先生にとても心配されてて、「自分でできる?」「家族は誰がいるんだっけ?」という会話が聞こえてきました。
まー、私も当時はこれは自分でやってましたから、あのトンデモ担任がわざわざ心配するということは、前から彼の家では何か事情があるのかなあ。
と思っていました。

そして中学校に入って。
ざっくりいえば卒業旅行。のリュックサックが、学年300人強のなか、彼1人、小学生の林間学校で使うようなものでした。
なんで?
なんでそれなの?

Yくんは、たしか水泳教室に行ってたし、中学時代は私より早い時期に塾に通ってたし、市だか県だかが募集する、ちびっこ海外研修みたいなのに参加してたし、私から見れば、とても大切に育てられている子でした。
小学校で同じクラスだったときも、塾に行ってないと解けない問題をY君はスラスラ解いていました。
私は、塾って何??中学受験って何??みんなであそこの中学校に行くんじゃないの??テスト受けて遠くの中学校に行く人がいるの?それってなあに??
と気付いたのは小6の11月くらいだったかも。
アホだね〜。
それでも私は当時は、塾に行ってないと分からないっぽい問題も時々解けていたので、
「Namiができてるのになんであんたができないんだ!受験落ちるぞ!!」
と、担任が受験予定者に暴言吐いて、とても困りました。

中学校のときの塾は、私の両親は、教科書で自分で勉強してれば市で一番の高校くらい入れると思っていたようですが(田舎育ちの親で…)、親たちの出身地と違ってここはそんなことないんだよ〜!!と訴えてなんとか入れてもらいました。
Y君とは曜日の違う、ランクは同じクラスだったので、学校の用事などの都合で違う曜日に入れてもらうときは一緒に授業を受けて、幸せでした。

そもそも私がY君を好きだと思うようになったのは、小学生の時誰かが「YくんはNamiちゃんのこと好きなんだよ〜」と言ったのに驚いて、なんで文武両道のY君が、こんな私を?口が悪いばっかりで、走ればビリ、なんもできないのに、何故?と意識してしまったのが始まりでした。


私はとにかく自己評価の低い子供で、友人たちに「告白しなよ!」と言われても、「私はYくんにふさわしい人間じゃない!!」と、逃げまくっていました。

不思議ですね〜。
「YくんがNamiちゃんのこと好きみたい。」から、「NamiちゃんはYくんを好き。だから、ほかの男の子の恋愛事情調査はNamiちゃんにやってもらえば迷惑にならない!何故ならNamiちゃんの本命はY君なんだから、ほかの男子の気持ちを調査しても誰にも疑われない!!」
という、ひたすら迷惑な事情で頼まれまくってました。
なんだよそれ。
んなこと言われても、当時の中学生男子なんて、ウブで鈍感だから、全然情報なんて集まりませんでしたよ。


実際、私は、家庭が無茶苦茶で、更によくわからない病気にやられ、毎日実の親にキチガイ呼ばわりされてて、殴られてて。いくら回りの友達が「告白しなよ!」と言ったところで、親にも愛されない娘を好きになってもらうなんてありえないだろ!!という想いで、何も言いませんでした。

今だから想うのです。
遠くの高校に行かねばならなくなったショックを、カッコつけて誤摩化したと卒業文集に書いたY君の気持ち。
まだ14~15歳ですよ。
当時の私からすれば、大切に育てられてる優等生のY君。
今思えば。まだあどけない、青年にも至らない幼い少年だったY君。
もしかしたらまだ親離れしてなかったかもしれないY君。
いま、その年頃の子供を持つ友人たちの声を聞いてなおさら想う。

Y君がそんなショックを受けながら、文集にあったように「カッコつけて誤摩化した」のであったならば、もし、もしも、第二ボタンを私のためにとっておいてくれたのならば。
15歳の少年が、どれだけ、悲しんだだろう。

私は…

私は。
もしもボタンをもらって、Y君が遠くに行ってしまって。
たとえば文通をしたとして。
手紙が何だろうか。
あれほど文武両道のY君が、近くにいるほかの、私より健全で明朗な女の子と恋をしないわけがない。
その想いがどうしても抜けなくて。
思い出なんか、ボタンがなくても、たくさん私の心に残ってる。

そのY君が、遠くに行った高校の、完全に逆側の地方の大学に行ったと聞いた。
高校で誰か運命の女性と恋に落ちるかも、なんて、私の思い込みだったのかな。
いや、その地方についていってるかもしれないよ。


いつでも私の心の中にある考え。

『私のことを好きなんだったら、私が何も言わなくても、伝えにきてくれるでしょう?』

それほど私は、愛を伝えることに臆病なのです。
言葉の優しさなど、信じただけ自分が傷つく。

Y君は、私に何も言いませんでした。
そうして、25年。
中学卒業後どこにいくのか、その理由を、竹馬の友にさえ言わないほど抱え込んでたY君。
第二ボタン以外全部持っていかれてたらしいY君。
たくさんの友達が、Yくんまだ第二ボタン残して学校にいるよ!って教えてくれたこと。
だからといって残ったボタンをもらいに行くような、人間としての価値が全くないと刷り込まれていた私。


もう、疲れた。


Y君の勤める会社の近くに、数ヶ月前、行ってみた。
舐めてた。
あまりにも広すぎて、Y君がいるであろう部門は、私の想像よりとてつもなく遠くにあった。
今は、お盆だし、暑いから、リベンジには行かない。
けど、まるでストーカーだね。

なにもいらない。
ただ数時間だけ、手をつないでいてほしい。

なんてね。
それが叶えばきっと、もっと先を望むのでしょう。

25年前なんて。
私の夢のなかだけでY君を育ててしまっている。

叶えられれば歓び。
夢を潰されれば現実。

とにかく、なんでもいいから、会いたい。

涼しくなったら、Y君が働いてる(…と思われる)社屋を見に行ってもいいかなあ。




せめて、結婚して妻も子供もいるってわかれば、もう一段階諦めるんだけど。
出身の大学院の傾向を見ちゃ。
×無し子無しアラフォーは、無理かなあ。
それ以前に、私のこと忘れてるかもだよね。




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