2023/02/16

私はちょっと珍しいタイプの精神科患者。台湾ラーメン美味しいね。

私は26歳だったか27歳だったかから精神科に通ってます。
家庭環境がおかしかったので小学生の頃から精神科の受診をしたいと思ってました。中学生の時には精神病院に入院したいと思ってました。幼稚園くらいから喘息を患い、中学生の頃から喘息以外のよくわからない症状も出て無茶苦茶でした。それで親は医師から、私に精神科の受診を勧められたみたいなのですが、当時は精神科の通院歴があったら人生終わる風な空気もあったのと、親がバカなのもあって放置されて、私はどんどん狂っていってました。高校は全寮制のところに行きたかったのですが、喘息がかなり酷かったのでそこで落とされると思って諦めました。

高校時代はもう無茶苦茶で、毎日母に殴られてて、高校の規則通りのバッグやらコートやらを買ってもらえず(うちは中流階級の下より上だったと思います。親の収入としては。)「namiにはみんなと同じものは似合わない」という母の訳のわからない主張で校則違反のアイテムしか買ってもらえず、当然先生には怒られ、たぶん内申点も下がったんでしょうね〜。
家では何しても殴られ、見たいテレビなんか見せてもらえるわけがなく。部屋で勉強しててもエロいドラマが始まると連れ出されて見させられ。
たまにしか帰ってこない父は私の体をいちいち揉みしだき「おっぱいえぐれてる〜」「美人だけど色気が足りん。」「お尻が小さい」

触るなボケ!!!
と100回は言いましたが1個も通じませんでした。可愛がってるのになんでそんなに嫌がるのか!と怒られました。
○ねばいいのにこいつら。
それで自宅から通える距離の大学や勤務先だったけど一人暮らしをしたのです。
けど電話を引くお金を出してもらえず、高校時代バイトさせてもらえなかったのもありお金がなくて、電話がないと(携帯電話が普及してない時代)バイトも採用してもらえず、けど仕送りは家賃分程度のカツカツで、喘息の薬をもらうための通院費と薬代もかかるのに、どうやって生き延びたんだっけわたし。
あまりに辛くて奨学金の申請をしてみたのですが、親の収入が割と多めなので却下されました。

社会人になって、それでも親孝行したいと思って旅行のプレゼントをしたりなんかいろいろしましたが、1個も喜ばれず。「疲れた〜」だけ。
金払って疲れたって言われるだけって、何コレ。
それと色々あって私の頭が壊れて、もう医者に頼らなきゃ無理だ。と思って精神科の受診に行きました。
そしたらグレたり発狂してないのが奇跡なくらい酷い家庭環境だと言われ、2年か3年か、自費のカウンセリングと保険適用の薬物療法を受けました。自費の分がすっごいお金かかりました。

…からの、46歳でがん発覚。
私は子供の頃、通院の送迎とかしてもらったことないです。病院のスタッフの方が「今日ひとり?」と心配するので申し訳なかったくらいです。喘息の発作でもう死ぬかもってくらい辛い時にも「うるさい自分でなんとかしろ!」と怒鳴られ、私が救急車呼ばないでと言ったからほっといたみたいなこと言ってました。言った覚えねえわ!言ったとしても親の判断で呼べ!アホ!
学校帰りに豪雨になってしまって、みんなの親御さんは傘を持ってきてくれたり車で迎えに来てくれたりしてましたが、うちは電話して頼んでも「めんどくさい、濡れて帰ってこい。」という環境でした。わたし喘息持ちなのに。
肺炎で入院になっちゃったら手続きはしてくれましたが、「かわいそう、かわいそう」と第三者にアピールするだけで、まあ、放置でしたね。幼稚園児の時も喘息で入院したんですけど、他の幼児患者が水飲みを用意してもらって横になったまま水分補給してたのに、うちは「そんなのなくても起き上がって飲め」でした。起き上がれなかったら水飲ましてもらえませんでした。虐待だよねこれ。入院してるのに。
だから、私のがんの手術の時にコロナ禍で面会禁止だったのが却って良かったです。
検査、入院時、手術、抗がん剤治療全て父が送迎してくれたのが滑稽でした。
なに今更親ぶってるの?
娘の病気のために甲斐甲斐しく行動したって、人に話すネタにしたいだけでしょ。全部筒抜けだよ。

乳がんは肋骨の外側の手術ですのでたぶん内臓を手術する方よりシンプルな痛みだと思うし(酒に強い人は痛み止めが効きにくいらしく、結構痛かったけどトラムセットが私には丁度良く効いた。部分摘出の方や再建しない方はこんなに痛いことはないらしいです。)都合よく態度変える親を、もし面会に来てたら、入院中は右腕あんまり動かないし他の四肢もヨロヨロだったので殴る蹴るはできなかったかもしれませんが、うっかりしたら点滴台、それもなかったら取り外しできるベッドの柵を武器にして殴り倒してたと思います。

母が、私の抗がん剤中に腎臓がんが見つかって、急遽ダヴィンチで部分摘出して、片方の副腎も取りました。
母はかつて「私は誰にも大切にしてもらえないから検査なんかしないでさっさと死ぬの!私にかまわないで!私なんか死んでもあんたたちには関係ない!!」と言ってたんですけど、まあ、父が検査にやっとこさ連行して発覚したんですけど、はぁー、見つかったら父におんぶに抱っこで手術頑張りましたね〜。なんなの?やっぱりこの人ボケてんだろな。

で、その母の腎臓の反対側にもがんができて、来月手術だそうです。
父情報。
なんかもうさあ。
「おかあさん、死んじゃイヤ!絶対大丈夫だから!頑張ろうね!!」

って娘じゃないんですよわたし。
「さっさと死ぬ言うとったやないの、頑張るんだ。へー。さっさと死なないんだ。へー。」
と、言いたいんです。
自分で思って嘲笑っちゃうのが、とても罪なことですが、さっさとしんじゃったらわたしどうなっちゃうかしら、怨念から解放されてしばらく社会的に使い物にならないレベルに狂うかしら、それとも怨念をぶつける場所がなくなって、やっぱり狂うかしら。

ってことです。
親に育てられたのは十数年。あとは自分の責任で30年生きてきたのに、いまだに親から受けた虐待を憎むんだなあって。どんなに自分で頑張っても、幼少時に傷つけられた心は回復することなんかないんだなって。わたしはただ、何故か、グレなかっただけ。社会に対して誠実でいたいという気持ちはあった。ただそれだけ。とかいって割と攻撃的なので、嫌いな人はこてんぱんにしてきた。鈍感なのでいつのまにか傷つけてた。もしかしたら八方美人の毛がある。だけど嫌いな人はぶっ潰す。それは八方美人ではないのでは…。



台湾ラーメンを食べました。
1人で外食できるようになるまで、ファストフード店だけの期間が相当長く。入りやすそうな九州ラーメン屋からだったかなあ。あ、1人でロンドン旅行とか行って、ひとりでパブランチなりなんなりしないと飢えるから突入したのが先だったかな。
酒飲みですがあまり一人居酒屋はしません。あんまり食べないけどたくさん飲める人なので、引き際が辛くて。けど最近それもぶち破ってきた。

そんな私には母「なんでそんなに1人でどこでも行けるの?お母さん知らないとこに行くのイヤ〜」と言います。1人でも2人でも、知らないところに突入するには思い切りが肝心ですが、行ってみて楽しかったらラッキーだし、なんか違ったらさっさと帰ればいいただそれだけのことですが、母は、ハズレだった時に取り返しがつかないと思ってるようです。

なんつーか、専業主婦だからこうなったってカテゴライズは当てはまらないと思うんですよね。性格の問題だと思うのですが、私の幼少期に散々社会にほっぽり投げてきたくせに自分主体になるとなにオドオドしてんのバカじゃないの社会的引きこもり脛かじりの年金泥棒。って言いたくなりますわ。

ああ、今日は毒が止まらない。



にほんブログ村 ライフスタイルブログ 40代一人暮らしへ にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ  

0 件のコメント :