2023/01/12

poetic monologue

育った環境が異常で、児童養護施設に保護されたい、もしくは精神病院にぶち込んでほしいと心の底から思ってた子供の頃。

出戻り転校で戻ってきた時は楽しかった。前から知ってる友達、新しい友達。
私は賢い子だったけど、塾に通ってる子たちや習い事に打ち込んでいる子たちにはぜんぜん敵わない、次元が違うと気づき始め。
自分で勉強しろと親は言うけど、勉強の仕方もレベルも全然違うからそういう問題じゃないのにうちの親はばかなのかなと気づき始めた。
中学受験なんてものの存在を知らなかったので、中学校に上がるときに引っ越すわけでもないのに同じ中学に行かない子がいて、そういう子たちは学校の勉強とは全然違うことを毎日頑張ってたんだと、中学生になってから知った。

中学生になって、理数系が苦手だと気づき始めた。
それでも基本的に賢い子だったからか、ずっと学級委員になっていた。
だけど家庭環境が悪いゆえ、性格が捻じ曲がっていて、口が悪いことでもちょっと有名だった。
何故ってさ、年がら年中、この世の恥、住ませてやってるんだから家賃払え、払えないなら出て行け、と言われつつ、痩せていたからか毎日吐くほどの食事と両手一杯の栄養剤を与えられて黄疸になったり原因不明の白血球増加とか、喘息発作起こしても「うるさい!!」何回もう死ぬと思ったことか。毎日殴られ蹴られ。
そのくせ、顔だけは褒める。
私のことを美人だと言い張って、同級生や他の誰かの顔を貶す。
何でそんなこと言うんだろう。私の顔、変なのに。心も頭も、おかしいのに。


小学生の頃からお酒を飲まされてた。
今でも飲むけどさ。
普通、クリスマスでも正月でもないただの夕食時に小中学生にビール焼酎日本酒ワインウイスキーブランデー一連飲ませないでしょ。狂ってるよね。

父に体を触られて。
挿入しなければ虐待じゃないの?
思春期の少女の体を弄り回す父親っておかしくないですか?
何度も、やめて!と振り払っても、可愛いから触りたいのに。と自分を正当化するだけ。
私が嫌だって言ってるんだからやめろボケ!!!
父の手が伸びてくるたびに、触られる前に叩いたり逃げたりしても私がどれだけ嫌だったか今でも理解してない父。

これで男性に仕事以外で近づくのが嫌になった。恋愛に興味がなくなったのもこのせいだと思う。

こんな悪夢の日々に純粋で透明な優しさを言葉もなくくれていたのがY君。
今みたいに寒い季節は特にY君を思い出す。
近所のちょっと広い公園、テニス部に入ったけど下手すぎて凹んでた私は日没後ひとりで練習をしていた時があった。土台にゴム紐で繋がったボールがついてて、ひとりでポコポコやるの。
これはできるけどわたしサーブが入らないのよ。しょぼん。とラケット抱えてしゃがみ込んでる時に、サッカーのリフティングしてる音が聞こえて。街灯が暗くてよく見えないけど、この公園でこんな時間にそんな練習しにくる人は同世代では限定できる。そしてたぶんわたしを認識しているのに声をかけてこないムッツリが誰かもすぐ見当がついた。
下手くそな練習見られて恥ずかしいな。だけど私が運動苦手なのは小学生の時から知ってるだろうからもう開き直ろう!えい!えい!へたくそ!
とヤケになってる間にY君は帰ってて。
私は2年生になってテニス部を辞めたので、ほんの数回のこと。
今でもその公園の夜の街灯を見ると思い出す。
あそこに私がいて。あそこにY君がいた。もう33年も昔のこと。

Y君とは近所だったんだけど、通学路に、すれ違うルートを使ってた。
谷間にある住宅地から高台に昇らないといけなくて。どっちで行っても時間は大して変わらないんだけど、Y君はうちの横を通るルートを使ってた。
ばったり会っても、Y君は私が何か言っても黙って笑ってどっかいっちゃうのが小学生の頃からの常だったから、またはぐらかされるのは寂しいし虚しいから私はずっと黙ってた。
当時、冬は女子は学校指定のコートを着て良かったんだけど、男子は学ランだけ。マフラーもしてなかった気がする。まあみんなワイシャツの上にジャージ着て学ラン着てたみたいだけどね。冬のY君は両手をポケットに入れて、明らかに私に気付いてるんだけど、見られてるの分かるんだけど、何も言わずにすれ違ってた日々。

この道なんだけどなあ。
もう二度と会えないのかなあ。
昨日のことのように覚えているのに。

大学で女っ気のないゼミに入って大学院まで行ったのは知った。ゼミのホームページがあってね。たぶん全員チェリー。って隠し文字が入ってた。

そこからさ。

いつか私に会うためにY君は清廉なままでいてくれてると妄想して自分を癒してた。
私だけのお伽噺を夜な夜な心で読み返して生きてきた。
だけどもうその魔法は解けちゃうみたい。

Y君が私に再会する気があるならとっくにコンタクトとれてたでしょ。
そうじゃないから今でも音信不通なのよ。
わたし、電話したのよ。何故かすごくお母さまが狼狽えてたので、私の電話番号伝えてって言ったのよ。伝えてくれなかったのかな。無視してるのかな。

霜柱を踏みながら歩いたよね。
学ランのポケットに両手を入れて、首をすくめて歩いてたよね。
私が謎の体調不良で保健室で寝込んでた時、元気はつらつなはずのY君が保健室の廊下から覗き込んでたよね。
アイロンで火傷して一日中、保健室で借りた保冷剤握りしめて行事に参加してた私の手を少し遠くから気の毒そうな目で見てくれてたよね。
卒業直前の自由時間は、用もないはずなのにベランダでうちの教室が見えるところまで来てたよね。
幸せだったなあ。
あの頃の私じゃ、Y君には駄目だったの。私、狂ってたから。だから告白しなかった。

今の私も狂ってるけど、あれからここまで生きてきたこと、喘息は治っちゃったけどがんになって治療頑張ってもう元気なこと、私のくせにガテン系な仕事してて、10メートルくらいならひょいひょい昇っちゃうのを見てほしい。
見てほしいよう。

あの階段をY君が昇っていたのに。ここですれ違ったのに。ここでリフティングしてたのに。Y君がいないの。

最近は夢にも出てきてくれないの。普通に考えたら家庭持ってるよね。私じゃないどんな女性を選んだのかな。

33年も経つのに、私やっぱり狂ってる。

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