私は自主的にインフルエンザの予防接種も受けたことないです。学校で受けさせられたのくらいで。けどインフルエンザには罹ったことないんです。
体弱かった割に変なところがタフなんだよな。
まあ子供の頃の体調不良は家庭環境の悪さによるストレスが全てだったんだろうなぁ〜。
なのでコロナワクチンも横目で見ている間にピークを過ぎるだろうと思っていたのですが、なんかどんどん無茶苦茶になっていく一方だし私がんだし、主治医も薬剤師もワクチン接種しておくべしと言い。
うちの自治体は40代を対象とした接種がぜ〜んぜんまわってこなくて。
父は、自衛隊のに行きなさいというのですが、う〜。
と悩んでると、やっとこさ自治体の集団接種が再開し。
予約開始数分前からパソコン立ち上げてスタンバイして、よし、スタート!!となったら、重い。やっとこさ進んで、登録!押したらエラー。というのを5回くらい繰り返し、30分くらいかけてやっと予約できました。
これ初期の頃は2時間とか3時間とか頑張った方いるんでしょ?ネットも電話も。
わたし30分で疲れ切っちゃいましたよ。
予約取れたことを主治医に伝え
「そっかそっか。よかった。どうする?1週休む?」
もももももちろんですとも!!皆さんあんなに十人十色の副反応にのたうち回ってたり平気だったりするのに、そんなワクチンの数日後に抗がん剤なんて嫌です嫌です。
ということで6回目の投与を1週飛ばして、渋々行ってきました。
両親や知人たちの話をいろいろ聞いてると、会場に着くと思いの外サクサク進んで、まだ心の準備できてないんですけど〜!って速さで終わったというのでそんな感じなのかなと思ったらうちんとこはそんなことなかったです。
公民館での接種でした。
書類上の受付の後、素人による問診票確認。このブースが3つあるのですが3つとも沈黙したまま黙ってる。
この状態は何?
その先では、15人くらいが椅子に座っていて。ここまでが、すごーく小さいホールのロビーで、ホール内(客席が常設されてるわけではない、舞台がついてる広間って感じ)で、医師による問診、そののち看護師による接種。ホール内の半分くらいが接種後待機席でした。
問診と接種の進行と、接種する人が来るペースが合ってないので、素人による問診票確認が終わっても、会場に入れる状況の人の待機スペースが空かないので、問診票確認の席で待ってる。という状態でした。
医師も看護師も白衣とか着てなくて「医師」「看護師」と書かれたビブスを着ていてなんだか驚きました。私が確認してもらった医師はすごく若くて、ビブスに医師って書いてなかったら役所の新人君かと思うくらいでした。看護師さんも。
半袖ブラウス着て行ったけど、肩丸出しになるまで捲るんですね。注射自体は痛くなかったです。ジーラスタの方が痛い時がありましたよ。
そして私は基礎疾患有りというか抗がん剤治療中なので30分待機かと思いきや普通に15分でした。
素人による問診票確認のとき変な待ち時間ができたので、おじさんに、何人接種してるのか尋ねたら、1日MAXで900人だと言ってました。たしか医師&看護師3組くらいしかいなかったと思うのよ〜。結構ヘビーなお仕事ですよね、単純なことの繰り返しとはいえ...。どうやってシフト決めてるんだろか。ご苦労様です。
待機時間も無事に過ごし会場を後にし、街中をぶらつき、ランチを食べ。
その後もしばらく街をぶらついて、つけまつげ買ったりしてたら、接種した左腕が重たくなってきました。
ん。これは。もう帰ろう。
と帰宅。
家に着いてドアを開けたり手を洗ったりして気付き始めました〜
肘から先は動くけど上腕動かすのいた〜い。
左腕上がらない〜。
右腕も手術の影響であんまり上には上がらないのに〜。
Tシャツで行かなくてよかった...。タンクトップ普通に脱げなくて下から脱ぎました。
上腕を動かさなければ痛くないんだけども、寝てる間に動いて痛くて目が覚めると嫌だからロキソニン飲んだのに、何故か眠れませんでした...。
呪術廻戦17巻をKindleで読んだりしたからでしょうか...。
接種後20時間くらいで、左腕は水平までは上げられるようになりました。けど重たいです。
熱は37℃台前半。こんなもんかな?
私はがんと診断されて、本とか買ったり読んだりしてません。
ウェブでもささっと調べたけど、どれが自分に当てはまるのか分からないし、何が古い情報で何が新しい情報なのか、どんな治療法が一般的でどんな副作用がどう出るのか、不安になる情報しか入ってこないし、自分に都合の良い情報を探して彷徨うだけになったからです。
治療方法とか、乳房再建のこととかは担当の医師から直接聞きました。それだけです。
それで十分と思ったのは、私のがんが割とシンプルでおとなしいタイプだったからかもしれません。最近になって知るようになったけどトリプルポジティブとかトリプルネガティブとかなんとかとかかんとかとかだったらもっと悩んだのかもしれません。
がんのタイプがシンプルでおとなしいし、とりあえず取って詳しく検査しないことには次の治療方法が決められないらしい。しょうがない。セカンドオピニオンと言ってもこの時点で何が不満かって、特にないわ。で、手術承諾。
乳輪乳頭温存は医師が頑張ってくれて、できた。全摘出はショックだったけど全摘出しちゃえば一気に再建できちゃう(ブラジャーに部分的にパット入れたりしなくていい)し私の場合放射線しなくて良くなるのでまいっか、自家再建は、なんともないとこ切りたくないからヤダ、シリコン!で即決。
抗がん剤はしなくていいだろうと思ってたけど摘出手術後の病理検査の結果、リンパ転移と浸潤有りで抗がん剤を提案され。
ぎゃ〜。禿げる!あと副作用いろいろなに?辛いんでしょ?うわ〜ん。と少し落ち込んだけど、うちはがん家系なのでここで甘く見ると後々どこかに転移した時に「抗がん剤やっとけばよかった〜。腹切るのやだよ〜。」ってなる方が嫌なので、即決でした。
わたし、単純なのでしょうか。素直なのでしょうか。アホなのでしょうか。
特に不信感も不快感も感じず、2/12にがんの診断が出てから今まで医師と研修医ちゃんたちと看護師と検査技師さんたちとリハビリの先生と薬剤師さんたちに質問したり不安を吐露して宥められたり励まされたりぼやいたりして、もう少しで8ヶ月か。
がんと診断されてから今まで一度も、がんのことで泣いてないんです。
禿げるのはもっとショックを受けるかと思ったけど、脱毛が落ち着くまでの頭皮痛と、髪を梳かすとエンドレスに抜ける、髪を洗ってもエンドレスに抜ける、髪を拭いてもエンドレスに抜ける。ドライヤーかけてもエンドレスに抜ける。終わらね〜!!うざ〜い!!!
という経過が落ち着いて、アリャ私の頭の形ってこんなんだったのね。と淡々としてて、こんなもんか〜。と思いました。
私は同居の家族とかがいないので自分のペースで日々を過ごせるからいいのかな?
コロナ禍で知人友人みんな仕事がない、遊べない、飲めない、どこにも行けない、というタイミングだったから孤独感を感じず過ごせているのかな?
がん保険をたっぷりめにかけておいたのでとりあえず治療が、形成外科の仕上げ手術を終えるまでは収入の心配はしないでおこう、その後仕事に完全復帰は身体機能的にできないんだけど、どうやって受注していくか、それはその時になってみないと業界的にも私の身体能力的にもわからないから今はあまり考え込まずに過ごそう。という楽観的なビジョンで。
同時に、死生観というのか。
今までは、どうやって生きるか、を考えてあれこれジタバタして特になんてことのない中年になりましたが、がんと診断されてからは、どうやって死ぬのかな。ということを考えるようになりました。
私に財産はないですが、私の持ち物を受け継ぐ人がいないので、この大荷物を誰がどう片付けてくれるんだ?妹も4つしか違わないし妹夫婦にも子供がいないので私には甥も姪もいない。従兄姉達の子?すごく沢山いるんだけど、ほとんど交流ないんだよなあ。どうしましょ。
ということを主に考えるようになりました。
天涯孤独ってわけではないんだけど、親族は沢山いるんだけど、死んだ後の面倒を見てもらうほどの親しい若い親族が...いない。
それと、摘出手術で初めて全身麻酔にかかった時のことを思い出して(というか、記憶がカットアウトになったことしか思い出せない)苦しまずに死ぬ時はあんな感じなのかなあと思ったり。
乳がん患者さんの体験記ブログを読むにも、古い記事だと状況がいろいろ違うので、抗がん剤を始めてから現在進行形の方々のブログをいくつか読んでいます。
それでもやっぱり、がんのタイプによって使ってる薬が全然違うし、病院によって違うし、体質によって違うし。自分と同じ人って、いない。
それでね〜。
私の年齢はそろそろ閉経なのでまあ生理が止まっちゃうのは構わないんだけど、若い人だと葛藤するだろうなあ、っていうのはあるけども。
若くても中年でも、禿げるのが嫌で抗がん剤拒否ってのは、ちっさいんじゃない?
って思う事例が沢山あるんだなあって。
胸に傷ができて、髪が禿げて、ってそりゃ女としてとても悲しいけども。
人によって治療期間は違うけど、未来のことを考えたら1年や2年禿げてることなんかちっさいことじゃないかなぁ。と思うんです。
実際禿げてみたら哀れな姿だけど(なので親と妹にもハゲ頭だけは見せてません。抜けていく段階を知ってる自分と違って、衝撃が強いと思うのです。)かつらで遊べるし、美容院代が浮くし。
想像してたのより悲観的にならないです。お手頃価格のかつらもあるし。
今はまつげと眉毛もほぼ抜けちゃって爬虫類みたいだけど、眉毛は描けばいいしつけまつげがあるし、つけまつげがめんどくさければアイラインとアイシャドウを工夫したらまいっかって感じになるし、なんだったら眼鏡とかかけちゃうのもいいし。
私はがんのことも禿げのこともオープンにしているので、自分からかつらやつけまつげを「見て見て〜」って言ってます。
withコロナと、withがん だと思ってます。
抗がん剤やら抗生剤やらステロイドやらを注入されながらコロナワクチンという今までにないタイプのものも注入されてもう私の体はケミカルなものでできている状態ですが、生きていて、空が綺麗で、風が気持ちよくて、好きな音楽や好きな絵画に和んで、信頼できる人と仕事をして、お喋りをして、笑って、おいしいものを食べて、お風呂にゆったり浸かって。
そんなふうに過ごせれば、傷があっても禿げてても別にいいじゃん?
まあ自分はこのまま抗がん剤終えたらホルモン剤を飲んで数年後には寛解するつもりでいるので他のタイプの方より考え方が甘いのかもしれませんけども。
なんかね。
さっさと手術しましょうよ。とか、手術しとけばよかったのにね。
と思うブログを複数読んで。
私は楽観的ながん患者です、それは深刻なタイプのがんではないからでしょう、きっとそうでしょう。
というおはなしでした。
とても長くなっちゃった。
なんとなく、書いておきたかったのです。
また同じようなこと書くと思います。
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