2019/10/02

育児失敗作でも自力で生きてるケースのわたし。

私世代の女性のほとんどは、育児に邁進しています。
子供のためにどうすれば、うちの子はちょっと変わってるから、どうやってケアすれば。

私は彼女たちのような人生を生きる資格がないと思うしかない育てられ方をしたので、彼女たちの悩みを自分が共感できないことに何の悩みもありません。

ただ。

『こんな性格の我が子にどうやって接するべきか。親として今回の対応は適切であっただろうか。もっとほかの方法があったはずだ。親として反省するばかりだ。』

系のことを延々と示されると、失敗作の私は、ただひたすら虚しく。

子供の頃の私はそんな時、いつでも
殴られてました。
両親の誕生日、父の日、母の日。各種イベント。
たとえば母の日にクレヨンで描いた母の顔。
たとえばクリスマスに粘土で作って絵の具で色をつけたペンダント。

渡した2時間後には全てゴミ箱にありました。

『こんなペンダント普段つけられるわけないでしょ?いらない。』

と瞬殺されるのが通常。

ある時、お友達の家に遊びに行った時、お友達の妹が幼い頃に描いた絵に、美しい額縁をつけて、リビングに飾ってあるのを見て。

自分がどれだけ大切にされていないのかを、客観的に認識することができました。

今思えば、お誕生日やクリスマスなどのイベント時、私はつたない人形劇(割り箸に、キャラクターの絵を貼り付けてなんかやるやつ)をよくやりたがっていました。
(当時から演劇に興味があったんだろか。もはやどうでもいいですが。)
けど、一度も見てもらったことはありません。

「そんなつまんないの見たくない。」
「うるさい。邪魔。いらない。どけ。」

信じてもらえないでしょうけれどもほんとに全部こうやって潰されました。

以前も書いたと思いますが、とっても楽しかった校外学習や、全然楽しくなかったし食事もどうしてこんなに不味くつくれるのか意味がわからない校外イベントもありました。
校外学習という名の修学旅行では、お友達の家にお泊り禁止で、雑魚寝を一度もしたことがない私にはなにもかもが刺激的で、眠れなかったし、何から何まで親に話したかったのですが

「うるさ〜い!!!あんたの話を聞くために私は生きてるんじゃない!!!興味もないし聞きたくもない!!黙れ!!黙れないならこの家を出て行け!!!むしろ今すぐ死ね!!!」

と、本気で怒鳴られ殴られました。

ああ。
親って、子供が楽しかったとか悲しかったとか悔しかったとか話しても、ひたすら五月蝿いだけなんだ。
お友達は、いろんな話をして、聞いてもらってるみたいなのにな。
私は喋っちゃダメなんだ。
私の話は騒音なんだ。
そうなのか。

そうして、壊れていきました。

他人と接触するな。お前はこの世の恥だから。
と、言われても、家の中にいても生きていることを全否定されてるだけで。

それで、私は、生きたい。と思って閉塞環境で育った自分をぶち壊したというか。

知らない世界には、楽しそうなことがたくさんある。

たとえば誰かにお茶やお菓子をご馳走になる時。
私の実母は、必ず断る。

「そがんいわんとこんなんいくらでんあるき、好きなだけ食べて〜。」

と言われても、母は

いいえそんな申し訳ない。」

「Namiちゃん気にせんと食べて〜。」

「まあどうしましょう。恥ずかしいわね。頂けないわ。まあ、図々しい、食べてしまって。申し訳ありませんほんとに恥知らずの娘で(で、あとで殴られる)。」

という意味のわからない人で。

私は小食だったので実際食べなくても平気だったのですが、この態度があまりにも失礼だと気づいたのは、二十歳過ぎてからでした。

「ありがとうございます!いただきまーす!わー、おいしーい!」

なんだったらお茶のお代わりをお願いするくらいの方がいいんじゃないか。

そうやって殻を自分でぶち壊してぶち壊してぶち壊して、ここまで来るのが本当に大変でした。
礼儀作法を知らずに我流でやってきたので、こういう私の態度にダメ出しする人もいるかもしれません。

けど、そんなこと言われても、そもそも知らないんだもーん。

今の私は、親が縛り付けた無意味な慣習をぶち壊して、わたしオリジナルの、他人との付き合い方を実行しています。

生きにくさは今でもあるけど。
壊せるものはどんどん壊して、信頼できる人を探す。
その人が実は信頼に値しないと感じたら、早いとこ縁を切る。

なぜ私にこんなことができたのかは、主治医も不思議がってる。
だから複数の専門家が言います。

「自分で自分を育てたのね。一人で生き抜いてきたのね。よくがんばったね。すごいね。」

うん。
頑張ったのかなあ。
けどね。
今のわたし、相当明るいけどね。
(口は悪いけどね。)

しあわせな家族と一緒に生きたことがないし、今後も家族はいないまま。
しあわせの想いは、Y君がいた日々の幸福感を引っ張り出してなぞってるだけ。

Y君との幼い優しい4年間がなかったら、私はとっくに朽ちている。

そんなことはつゆ知らず(まあ話す気は永遠にないけど)虐待してた子供がフリーランスながらも健全に生きてることを己の武勇伝みたいに語る実親の頭の悪さに、死にたくなる。


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